否定と肯定のレビュー・感想・評価
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歴史は勝者が創るもので決して事実ではない。
白人が有色人種に対して行った植民地支配は一切不問に付されている。
何故ハリウッドはこの問題を無視するのか。
ホロコースト否定論者が社会的に抹殺されてしまう恐ろしさ。
アーヴィングはこの裁判で破産。
しかもホロコーストを否定した罪でオーストリアで逮捕される。
正気の沙汰ではない。
ホロコーストに関しては言論の自由などない。
科学的な検証が許されず魔女狩りが横行している。
有名なアンネの日記。
作者をご存知ですか。
答えはメイヤー・レビン。
アンネの父オットー・フランクと醜い著作権争いを演じました。
オットー・フランクはアウシュビッツ内でチフスに感染した。
そしてアウシュッビッツ収容所内の病院に入院した。
これは医療記録が残っている。
おかしいと思いませんか。
このことからアウシュビッツは強制収容所であっても
絶滅収容所ではないことがわかります。
歴史は歪曲されています。
他人事ではありません。
慰安婦問題。
吉田清治の作り話から始まり朝日が大々的に報じ広まりました。
決して韓国から出た話ではありません。
南京大虐殺。
当時、蒋介石は何回も記者会見を開いていますが
この問題には一言も触れていません。
そんなことがあり得るんでしょうか?
人口20万の南京で30万人殺されたんですよね。
大騒ぎしなければ嘘でしょう。
こんな裁判物も、あるのね
よく観る裁判物だと、原告と被告のやり取りの応酬だったり、陪審員にの心にいかに訴えるか。
だけど。だいぶん様子が違いました。
①今作イギリスの司法制度では、訴えられた被告の方が「私は無実だ」という証拠を集め。
②原告は狡猾だから陪審員の思考さえも、想うように操るから。裁判員は招聘せず、判事の判断のみに任せる。
③原告の誘導質問等に乗らないために、被告は発言しない。またホロコースト生き残りの人も、証言に呼ばない。
ええー?!。
「作戦ではなく、事実で原告を追い詰める」。
ホロコースト跡地を実際に尋ねてみる場面がありました。細かい雪が降る中、残っているのは残骸すら焼かれてしまった何もない場所。
ここで主席弁護士が、一人ゆっくり歩いて集合時間に遅れたりなど、不可解な行動を取るところがあり。この主席弁護士、なんか企んでないか?と疑ったりしました。
「視線を外して批判すると、相手は動揺する」。なるほどね。
普通目と目を合わせて批判するけど、相手にのまれることはあるかも。
終盤主席弁護士が、ターボがかかったがごとく原告を打破していく所は、裁判物の面白さが出てました。
事実をもとにした作品だから仕方ないのですが。
被告のレイチェルワイズの目力で、原告をやっつける姿が見たかったかなあ。
イギリスの裁判物につきものの、「裁判官らに法廷での白いカツラ」。映画であまり見たことないということは。イギリス映画って大好きななのに、裁判物は観てないんだな私。そこに気づきました。
リアルな現実社会
今作のテーマは裁判のテーマよりもほんので書いた事実でないことがいかに早く世界の中に浸透するかがわかる。このように歴史を根拠なしに否定し、若い世代に誤った歴史認識を与えるような事があってはならない。
否定を否定するのは難しい
イギリスのホロコースト否定論者(ティモシー・スポール)が、自分を攻撃したアメリカのユダヤ人女性教授(レイチェル・ワイズ)を名誉棄損で、イギリスで訴える。
イギリスでは訴えられた方が証明しなければならないからだった。
「あった」ことを「なかった」と主張することを、悪意ある間違いと証明する困難さがよくわかる。
終盤の弁護士(トム・ウィルキンソン)の弁論や、読み上げられる判決は感動もの。
言論の自由には責任を伴う。
真実とは
ホロコーストの映画というより、真実と正義の追求の映画、主演のレイチェルワイズがそういう通り、これは、真実を追求し、そこに正義を見出す人々の話だと思った。
真実を真実だと訴える。ただそれだけのことがどうしてこれほど難しいのか。
いまだにホロコーストを否定したり、信じていないと言う人も後を絶たない。
ホロコーストだけではなく、人は自分の見たいものを見たいように見る。それが時として、真実を歪曲させる怖さ。
差別主義者ではないと言うホロコースト否定論者の言葉と表情。
それは、あながち嘘でもないのかもしれないとふと思った。
自分の信じるものを信じ、それを語っているに過ぎないとしたら?
はたから見れば、立派な差別主義者だとしても、本人にはその自覚がないとしたら?
判決を決める前の判事の質問を聞き、そんなことを思った。
それにしても、大弁護団が素晴らしい。
本当にカッコいい。(容姿じゃなく仕事ぶりがね)
悲しい歴史
いつもはアクションやホラーを映画館で観るけど今回は裁判モノを観てきました。
実際にあったユダヤ人の大虐殺は無かったという主張に対し、真実を守るために裁判する話!
観に行く前は、こんなことが実際にあったんだな〜くらいでしたが、映画を観ててこれが実話だと考えると私たちが学んだ歴史も真実とは違った形で伝えられてることもあるだろうなと感じた!
こういった歴史関連の映画観ると、歴史をまた詳しくやりたいなと思う。
あと、初めてイギリスの裁判ものを観たからなんか不思議な感じ。
裁判官はあの中世のカツラかぶってるし、服も変わってる!
なんか違和感だらけだった!
イギリスの裁判について、現社の教科書引っ張ってもう一回勉強しようと思った。(現社にイギリスの裁判について詳しく載ってるかは分からないけど)
実話を元にしてるから大きな展開とかは特にないけど、歴史をもう一度学びたいなと思える映画でした。
私には内容が難しく、すぐに頭に入ってこなくてちょっと大変だったので評価は3くらいで!
イギリスの裁判や歴史を学んでからもう一度見直したいです。
世情
劇的ではない。争点を整理しながら問題を炙り出す。意図的な捏造か本人の信念のいずれであるか。それを立証せねば、裁かれる表現であるかが判別できぬもどかしさ。生存者による立証を拒む弁護団。ホローコーストが焦点ではなく、現在社会において公正な共通認識を構築する難解さを論じる。
世の中は臆病な猫だから、他愛のない嘘をいつもついている。見たがるものを選り好みして、嘘はゾンビのように蘇る。
主人公が情熱的
情熱的なのは良いのですが、少し冷静さを失いがちなところが欠点です。
映画自体は結構普通でした。
しかし直接的でなく、間接的にアウシュビッツを描くことで、より醜さや、愚かさといったものか浮き上がっていたように感じます。
正直いって鳥肌が立つシーンもあり、背筋が凍りました。
最終日に鑑賞
シネマヴィレッジ・イオン柏で鑑賞
重々しい法廷シーンでは役者陣の迫真の演技に魅せられ、最後まで飽きることなく鑑賞できました。
歴史を勝手に都合よく変えるのは言語道断なのですが、善悪ですべてを判断することの危険性を改めて考えさせられました。
今の裁判のやり方では「バケモノ」をホントの意味で裁くことはできるだろうか…
まあ、控えめに言って最高でした!!
裁判劇がみどころ
ホロコーストを否定するのも、声高に主張するのも、
名誉毀損と訴えるのも、すんごい度胸というか
図太い神経というか、まずそんな歴史家に驚きますけども
イギリスの司法制度の訳わからなさが、裁判で勝利することの
ハードルを上げてきたけれども、そんなことは承知の上での
あの勝利は気持ちが良かった。
面白い
最近だと「女神の見えざる手」も傑作だったし、裁判モノにハズレは少ないと思って見たが、アメリカではなくイギリスの裁判で結構地味だった。判決も、そこから導き出されるべき結論も明白なのだから、もう少しそこに至るまでの、作劇上のショウアップを試みても良いのでは。
出ずっぱりのレイチェル・ワイズは被告なので、ほとんどのシーンで不安顔。だが後半、疑心暗鬼に凝り固まっていた今までの自分を変えよう!と決意する場面で見せる表情がとても良くて、自分的にはそこが映画のクライマックスだった。
映画の出来栄えについての是非はともかく、ガス室があった論拠とされた...
映画の出来栄えについての是非はともかく、ガス室があった論拠とされた覗き(のぞき)窓についてのアーヴィングの反論は弱い。しかし、リップシュタットが信奉するホロコースト定説派のプレサックは、シラミ駆除室にも(防護柵がついた)覗き窓があったと書いている。
つまり、覗き窓は虐殺が行われたことの何の証拠にもならないんだよなぁ。
偏見による歴史的事実の否定は罪
ストーリーは
1994年 アメリカ ジョージア州アトランタのエモリ―大学で、ホロコースト研究者として教鞭をとる歴史学者デボラ リープスタット教授は、自著の「ホロコーストの真実」を出版記念公演をする場で、沢山の学生たちの前で、ホロコースト否定論者のデヴィッド アービング教授から侮辱される。その上、このナチスドイツ学者から、デボラ リープスタットが著書の中で、アービングをホロコースト否定論者と断定していることで、彼から名誉棄損で訴えられる。訴訟を起こされたのは、リップスタットと彼女の論文を出版した出版社だった。イギリスの訴訟では、被告側が立証責任を負うため、リップスタットは、ホロコーストが歴史的事実であることを法廷で証明しなければならなくなった。アービングにとっては、豊富な財源をもとに、自分が活躍するイギリスで、若いアメリカ人の女性教授をやりこめることで、自説を大々的に宣伝することが目的だった。
弁護士チームに会うために、リップスタットは英国に渡る。リップスタットは、アービングに沢山の学生たちの前で侮辱され、自分が書いた論文が事実に反すると言われ、訴訟まで起こされて、怒り心頭に達している。法廷の場で、アービングと直接議論をもちかけて、ホロコーストが実際にあった事実を認めさせ、ケチョンケチョンに論破して恥をかかせてやらなければ気が済まない。ホロコーストが事実であることは疑いようのない事実であり、ユダヤ人に偏見を持つアービングなど、学者の資格はない。怒りと苛立ちで一杯の被告、リップスタットに対して、彼女の弁護団は、冷たい。
ロンドンのユダヤ人団体に会いに行くが、彼らはリップスタットを擁護するどころか、裁判がアービングのホロコースト否定論の宣伝に使われていることで、リップスタットが裁判を受けて立つことを迷惑がっている。ユダヤ人団体は注目されることを望んでいない。
他に誰も友人や親しい人も英国にはいないリップスタットは、肌寒く毎日雨ばかり降るロンドンで、孤独を噛みしめる。
アービングは自分の主張を宣伝するために陪審に訴える発言を繰り返し、自分の思い通りの裁判をしようとしていたが、弁護団は裁判官による決着を要求する。リップスタットと弁護団長のランプトンは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に、地元の学者の案内で訪れる。裁判で、ホロコーストが本当にあったことだということを証明しなければならない。
アービングは強制収容所のガス室を設計した技師を法廷に出廷させ、ガス室の天井に張り巡らされたチューブには、ガスを放出させる穴がないので、ガスによる大量殺人などなかったことだと主張する。この主張はマスコミにも大々的に取り上げられて、ノーホール、ノーホロコーストとセンセーショナルに報道される。
怒ったリップスタットは、かつてガス室から生還した生存者を証言台に呼ぶことを求めるが、弁護団はそれに同意せず、生存者の証言などアービングの巧な弁論によって侮辱されるだけなので、証言もリップスタットの発言も必要ないと、主張する。納得できないリップスタットは、法廷で発言を封じられたままで、不満は募る一方だ。弁護団はアービングの著作が、偏見に満ちたもので、事実の歪曲があることを、ひとつひとつ辛抱強く証明していく。そして、徐々にアービングの主張が論理的でなく不条理であることが明らかになる。論理によって追い詰められたアービングは、ユダヤ人に対する強い偏見と差別意識を法廷で露わにする。アービングの主張がいかに事実からかけ離れているか、差別主義者による思いこみに過ぎないか、いかに論理性のないユダヤ人を忌み嫌う感情論に偏っているかが、法廷で証明されていく。
2000年1月、裁判が始まって5年、1600万ドルという、とてつもない裁判費用をかけた裁判の判決はアービングの敗訴に終わった。リップスタットは、自分の名誉を守るために、常に冷静沈着に法廷闘争を戦ってくれた弁護士団に心から感謝した。
という事実に基ずいたお話。
アトランタに住むアメリカ人女性が訴えられて、自分の無実を証明するために、ロンドンの法廷に立つ。ロンドンは今日も雨で寒い。弁護士と訪れたアウシュビッツも冷たくて雨。デボラ リップスタットの心の中を映し出すような、寒々とした雨。裁判制度も気候も人々も全く異なるアメリカ人の目に映るイギリスを、雨で表現するカメラワークが実に上手い。アメリカ人とイギリス人の違いも、見ていて興味深い。
ことほどさように歴史修正主義者、ホロコースト否定論者、ネオナチ民族差別主義者、レイシストとの論戦は消耗戦だ。
この裁判の結審前に、チャールズ グレイ裁判長は、人が純粋信じていることを、嘘と断言して良いのかと、問いかける。虚偽を信ずる者は嘘つきか。それが歴史的事実のねつ造ならば、イエスと言えるだろう。明解な偏見による事実の否定ならば、イエスだ。かくしてアービングは敗訴したが、これはが正しい。転じて、日本の国民会議の面々を法廷に立たせて、彼らの歴史認識に誤りがあることを証明するためには、どれだけの労力と資金が必要だろうか。
訴えられたデボラ リップスタットを演じたレイチェル ワイズは、ル カレの書いた「ナイロビの蜂」の主人公を好演してアカデミー助演女優賞を獲った。とても心に残る良い映画だった。ル カレは、自身も英国のスパイでもあった興味深い作家だ。
法廷の争いを映画化すると劇的にも、退屈にもなるが、名画がいくつかある。代表は何といっても「12人の怒れる男」だろう。1957年アメリカ映画。原作レジナルド ローズ。主演はヘンリー フォンダだ。父親殺しで逮捕された17歳の息子の、法廷証拠も証言もすべて少年に不利。11人の陪審が少年の有罪を確信していたが、たった一人の陪審が無罪を主張し、証拠を一つ一つ再検討して他の陪審を説得していく姿は、感動的だ。娘たちは、インターナショナルスクールの授業でこれを観た。人が人を裁くことができるのか、こうした命題を考えるために、最良の教育材料だと思う。
1962年「アラバマ物語」「TO KILL MOCKINGBIRD」は、1932年人種差別の強いアメリカ南部を舞台とした映画。ピューリッツアー賞を受賞した小説の映画化で、監督ロバート マリガッツ、主演はグレゴリー ペックだ。白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の弁護をするフィンチ弁護士の活躍には目を奪われる。この映画でグレゴリー ペックはアメリカのヒーローになった。
最後に、2014年「ジャッジ裁かれる判事」原題「THE JUDGE」も良かった。監督、デヴィッド ドプキン、アイアンマンのロバートダウニージュニア主演。彼の老いた父の判事を演じたロバート デュヴアルが好演していて、アカデミー助演男優賞を獲った。ロバート ダウニージュニアは、不良中年の代表。8歳のころからマリファナを吸引していた本当の不良なのに、切れ者の弁護士を演じている。
法廷を題材にした良質な映画がいくつもあるが、この映画の邦題「否定と肯定」が、原題の「否定」を意図的に弱めるようで、意訳がちがうのではないか、という論争があるようだ。原題はなるべく触らないで、そのまま「デナイアル」とか、原作の「ホロコースト否定論者との法廷での日々」が良いかもしれない。
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