三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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映画的高揚感が全くない
きちんと作られているとは思う。
ラストに関しても個人的には全く問題ない。
そうゆう映画も今までも沢山あったと思う。
しかしこの映画、見ている時、見終わったあと
一度もおもしろい!と思える瞬間がない。
高揚するシーンが1カットもない。
心理戦とか言っときながら、
顔面アップの切り替えて!
クソしょーもない演出しながらカッコつけた
結末とってんじゃねー!と思った。
それなら最後、決定づけてアッと驚かせろよと。
非現実的なイケメンおっさんの顔面アップで見せられれば見せられるほどリアリティもクソもなくなる。
こちとら2時間の映画観てんだから
一瞬くらい楽しませてくれよ。
だいたい結末あやふやにする映画って
それまでが面白くて、あ、そうゆう結末とったか!
って、ラストじゃない? バカにしてんの?
上質な法廷サスペンス
映画館で観たかったのですが、時間が中々合わずにDVD化になるのを待って鑑賞しました。主演は福山雅治さん。共演に広瀬すずちゃん、満島慎之介さん、吉田鋼太朗さん、斎藤由貴さん、橋爪功さん。キーパーソンとなる人物に役所広司さんという何とも贅沢な配役。
鑑賞するきっかけになったのが、豪華すぎるキャストです。
ある日、食品会社の社長がクビにした元従業員の三隅(役所広司さん)に殺害されるという事件が発生。早速、重盛(福山雅治さん)たちは三隅に接見に行くが、証言がコロコロと変わり、事件の真相がますます遠退いて行くというお話。
見ている側も、三隅に翻弄され続けてしまいます。本当のことを言っているのか分からない…。重盛たちと事件を追いながらハラハラして見ていました。
広瀬すずちゃんは、足の不自由な女の子を演じているのですが、天真爛漫で快活なイメージを覆す演技に引き込まれました。
役所広司さんは、登場するたびにオーラが凄く、一言一言に説得力がありました。「命は選別されているんですよ!理不尽に。」何かを訴えながら重盛に話す姿は、胸が締め付けられました。
後味は悪いですが、深く余韻が残る骨太なサスペンスだと思います。
見て損はない作品です‼
なにが真実か
結局最後までなにが真実だったのか、わからない作品でしたが、そこを目的とした映画ではなかったと思うので、スッキリはしませんが、深い映画でした。
誰が真実で、誰が偽りで、嘘か本当か信じるか信じないかは、自分の感情、思考次第で、誰が裁くのか、本当にそう思いました。
殺していないのに殺したことにされて無期懲役の人もこの世にはいると思います。
結局、なにが本当かなんてわからないですね。
福山さんの演技があまり好きではないのですが、最後まで見切りたいと思う映画でした。
十字架とは
キリスト教でいう身代わりの象徴。
三隅は様々な罪や痛み、真実を背負い込み自ら死刑になるように証言を一変させた。そしてそれこそが真実かどうかも知っているのは三隅のみというかなりモヤモヤしたラストを迎える。
死刑決定後の重盛との面会で三隅が神々しく光輝く演出が秀逸。
そして三度目の殺人を犯した犯人は法廷であり、社会であり人間そのものであって、被害者が三隅本人。
裁いたのは決して神様ではないということこそが理不尽であるということを訴えたかったのかも。
色々考えさせられる良作でした。
もし違ってたら誰か教えて下さい。
タイトルの意味
見終わった後、色々と考えてしまう映画でした。
特にタイトルの三度目の殺人の意味。見終わった後はスッキリしませんでしてが、そういう意味だったのかな、と自分なりに色々考えさせられました。
他の人のレビューにもありましたが、面会のシーンで顔が重なり合っていく場面が秀逸。
この映画の見始めの役所広司さんはダイワマンのイメージ強かったのですが、最後の方は役にどっぷり浸かり狂気を感じました。広瀬すずは相変わらず可愛かったです。
終始翻弄されて
面白かったというよりは見逃せない映画という感じ
終始犯人である彼に翻弄され振り回された映画である。
結局真実がどこにあるのか?そこを明らかにしないのは現代の司法制度やら裁判や人が人を裁く上での問題点への現れとも言えるのかもしれない。(意図的なんだよな?それとも理解力不足か?)
そんな訳で終始全ての真相は明らかにはならない。誰が本当のことを言っているのかも分からないし何が正しかったのかも分からん。
タイトルの意味も分からないまま終了。
監督が描きたかった上記の司法や裁判なついてのあれこれは特に終盤に如実に表れており、疑問に思う満島は観客の視点とも言えるキャラなのだろう(質問をして登場人物達に説明させているあたりとか)
役所広司の怪演は素晴らしいし、こういう重たい役にも挑んでくれている広瀬すずも好感がもてる
様々な父娘関係が示されたが有効にはたらいていたとは思えなかったがどうなのだろう?
とりあえず他にも見た人間と論議したい映画ではあったが、自身の読解力のなさ故なのか傑作とは言い難い映画でした。
あぁ、もっと深く知りたいものだ。
もう一度見たら理解が深まるか?
答えなんて知らん
誰が殺したのかなんで三度目なのか動機は
その正解が何なのかはどうでもよくて、ひとりひとりがそれを考えようとする、妄想できることが一番の喜び。ひとりひとり考え方が見方が違うから答え合わせをわいわいガヤガヤできる喜び。
私はそういう楽しみかた頭の使い方ができるのが映画だと思う。
別に事件が解決しなくても犯人に逃げられても、真犯人やものがたりの真実を突き止めるのは観てる人ではなく、登場人物なんだから。
私は、もしかしたら斉藤由貴が犯人?とか、わざと先入観もってもう一度観てみたい
役所渋い
広瀬すず演じる社長の娘を救うため、2度目の殺人を犯す役所。触ると意図を感じ取れる役所は、世の中の不公平を恨みながら生きている。嘘のない塀のなかと嘘だらけの法廷。最後に着いた、殺してないという嘘は、真実を述べることを決心したすずを救うため、自分を殺す事となった。
何を信じたいと願うかで事実は姿を変える
エンドロールが流れた瞬間……映画館の椅子に
ぐぅっと沈み込んだまま考え込んでしまったのを覚えている。
胸の奥に残る、灰色の靄(もや)のような感情。
役所広司演じる三隅は、恐らく殺人を犯したのだろうとは思う。
だが、その犯行からは「なぜ」がすっぽり抜け落ちている。
なぜ被害者は殺されなければならなかったのか?
一体何の為に、誰の為に、三隅は罪を犯したのか?
その犯行に至る動機には不明瞭な部分が残ったまま。
にもかかわらず、彼は死ぬ。
...
主人公・重盛が北海道へ向かう列車で見た、雪合戦の夢。
現実では見せないような笑顔で戯れる三人。
あの時すでに重盛は咲江に同情をしていて
(彼女が自分の娘を連想させるからか)、そして
三隅を単なる人殺しではないと考え始めていたのだと思う。
重盛は三隅を信じたがっていた。彼が咲江を救う為に
罪を犯した、言うなれば“善意の殺人者”だったと。
だが最後、三隅はその気持ちさえも煙に巻く。
接した人の願いを敏感に感じ取り、それに合わせて
如何様にも変容する『空っぽの器』のような男。
その根底に三隅自身の本心があったかは分からない。
と言うか、彼は最初から理解されることを
放棄していたようにさえ思える。
アクリル越しに重なった重盛と三隅の
掌と顔がすうっと離れていくカット。あの瞬間に
重盛は、三隅がいつしか自分の願いを投影した
『器』となっていることに気付いたんだろう。
思うに、重盛は三隅を『信じていた』
のではなく、『信じたがっていた』。
彼は自分の娘を連想させる咲江が救われる結末を望み、
そこへ辿り着くことを前提に三隅という人間を解釈した。
...
ここで視点を変える。咲江の足について。
彼女の足が悪いのは「生まれつき」と周囲の人々は言う。
だが本人だけは「屋根から飛び降りたのだ」と主張する。
咲江が嘘をついているか?よりも僕が気になったのは、
「足が生まれつき悪い」という情報の源はどこか?である。
十中八九、それは彼女の親だろう。そして観客は彼女の母親が、
娘を守ることより自己保身の為に体裁を取り繕い嘘を吐く、
信用のならない人物であることを知っている。
もし「生まれつき」が嘘であるとすると……咲江の主張は
両親に対する何らかの非難を含んでいたように感じる。
だがこれも、観客である僕が咲江の境遇を憐れみ、
『信じたがっている』からこその解釈だ。
...
つまるところ、
何を信じたいと願うかで物事は幾らでも変容する
(変容する三隅は変容する『事実』そのものなのだろう)。
この物語は、『何が事実か』ではなく『何が事実
だと信じたいか』についての物語だったのだと思う。
信じるという行為は小舟に帆柱を築くようなもの。
それは自分の進むべき道を決め、嵐の時にも
振り落とされぬようしがみつくための帆柱だ。
日々メディアが安易に・無闇に垂れ流している
“事実”だか“真相”だかの言葉が耳に心地好く響くのは、
それが全く折れる心配の無い堅固な柱に見えるからだ。
だが僕らが事実と考えていることの殆どは、
自分で実際に見聞きしたことよりも、どこかの
だれかかが残した記録や伝聞を『信じる』ことで
成り立っている事の方が圧倒的に多い。
ならば、どんな些細な物事であれ、それが
『事実である』と一体誰に分かると言うのか?
自分のことすら信じ難い時さえあるのに?
僕らは結局「これが事実だ」と語るその相手が
信頼できる人物(または媒体)かを判断し、
相手を『信じる』ことしかできない。
時にはそれが人の生死さえも決するというのに、
『事実』というものはなんと不確かなものか。
『信じる』ということはなんと難しいことか。
...
事実が見えないままに物語が完結してしまう
だけでなく、過去の法廷映画で見慣れた場面が
ほぼ登場しない点もユニークかつ現実的。
驚愕の新事実が突然飛び出したり――
弁護士と検察官が舌戦を繰り広げたり――
そんなドラマチックな展開が本作には殆ど無い。
裁判の進行は、弁護側と検察側が予め証拠や証言を
整理して筋立てをしておき、スケジュール通りに
判決が下せるようにシステマチックに行われる。
そのこと自体の良し悪しを判断するのは難しい。
年間数万件もの膨大な訴訟を処理する上でシステマチックに
処理せざるを得ない現状があるのだとは思う。
だが、ひとつひとつの案件が被害者・加害者の命だけでなく
それに係わる人々の人生を左右するほどの重みを持つ
にも関わらず、そんな幾つもの人生が巨大な歯車仕掛けで
『処理』されていくという違和感や不気味さは、
やはり感じずにはいられない。
三隅の本心は分からない、と先に書いたが……
『三度目の殺人』というタイトル。
二度の殺人を犯し、飼っていた小鳥達にも自ら手を下した
彼は、『他者に理不尽に命を選別されるくらいなら』と、
最後の最後に自分自身の命を裁いたのだろうか?
全ては藪の中。
<2017.09.16鑑賞>
TOHOシネマズ府中にて観賞
流石に密度の濃い演出で面白いんだが、「中身が空っぽ」というのはミステリー作品では禁じ手だなーと。
推理してアレコレ考えるのがバカバカしくなる。後続の作品は真似しないで欲しい。
福山雅治演ずる弁護士が最後まで部外者であり続けるにも拘わらず、役所・広瀬との雪合戦シーンがあるのは映画の広告面の見栄えの為だけじゃないのか?
3度目のとらえ方
非常に面白かった。
役所と福山と広瀬の演技が素晴らしかった。
題名の3度目とは役所のことを指すことを理解したときは鳥肌たった。
司法に対するメスという意味合いもあると思う。
「ただの器」とは、正解の与えられない、いわゆる鑑賞者によりどうとでも満たすことの意味だと感じた。
「何が真実か?」よりも「自分がどう思いたいか?」だった。
最後まで見ても、役所(犯人)の供述のどれが真実で、どれが虚偽なのかは分からない。ただ、この映画としては、それはどちらでも良いのだと思います。役所(犯人)の言動は、コロコロ変わるように見えて、一貫していることが、最後に分かる。彼は「器」でしかなかった。
死刑判決後、役所と福山がガラス越しに話すシーンが、この映画のメッセージだと思います。二人の顔を透明なガラスに重ねていて、印象的でした。役所は透明で、「器」でしかなくて、福山の思いたかった犯人がそこにいるだけだ、ということだと思います。
「何が真実か?」よりも「裁判に勝てるか?」を重視してきた福山(主人公の弁護士)が、自身の本当の行動原理ーー「自分がどう思いたいか?」に導いているだけだったことに気付くプロセスが興味深いです。
自分の娘を守りたい気持ち。そこから生まれた、自分の娘と同じ年頃である被害者の娘を守りたいという気持ち。その気持ちが福山から伝わり、役所に新たな供述をさせた。その結果、役所の死刑判決が決まる。これが、役所が自身を死刑判決に導くという「三度目の殺人」だと思います。広瀬(被害者の娘)の気持ちが役所に伝わり、二度目の殺人(この映画の冒頭の殺人)が起きたのと同じ構図であることに、最後に気付くわけです。
そうして思い返してみると、福山だけでなく、福山の家族も、司法関係の全ての人も、被害者の家族も、誰もがそれぞれの立場で「自分がどう思いたいか?」を述べているだけで、理不尽の提供側です。あぁ、世の中って理不尽だなと思いますし、また私たち自身も理不尽の提供側であることを認識することになります。
ただ、そういう世の中のネガティヴな側面だけを写し撮った映画かというと、そうでもありません。思ったより暗くなくて、真実はどうあれ、最後には広瀬(被害者の娘)を守る物語のなので、後味は悪くなかったです。「何が真実か?」なんて分からないわけですから、私たちは世の中の理不尽を受け入れながらも、自身が理不尽の提供側であることを理解しながらも、「自分がどう思いたいか?」に素直に従って行きていくしかないですよね。
ラストシーンで十字路から空を見上げる福山の気持ちって、そういうことじゃないかなと、私は解釈しています。
司法の本質
色んなレビューを見ていて、賛否あるみたいなので気になって観てみました。
最終的にどれが真実だったのかわからないというところに、この国の司法や裁判の本質が表れているような気がしました。
真実は誰にもわからないのだから、裁判では弁護士が依頼人の有利なように進めていくしかないのだということも納得できる気がしました。
スッキリしないといってしまえばそれまでですが、逆に観た後にも余韻が残って楽しめると思います。
初めは真実なんてどうでもいい、戦術が優先だというスタンスだった福山雅治演じる弁護士が、だんだんと真実を追い求め始める姿が印象的でした。
三度目の殺人というタイトルが何を指しているのかハッキリとはわからないからこそ、深みのあるいい映画だったと思います。
普段、結末がハッキリしているサスペンスが好きな私でも楽しめる映画でした。
希望と絶望。
最後まで明かされない真実を前に、自分なりの想像推理を
働かせてしまう観客を期待したんじゃないだろうかと思う
是枝監督の計算ずくし。もちろん自分もそれなりの三隅像
を冒頭から描き続けて終盤の重盛の推理と関連付けている。
彼が本当のサイコパスで空っぽの器なのだとしたら、真実
など到底分からない。が、法廷ではそんなことはどうでも
いい、予定通り裁判が進めばよし。といわれているようで
後味の悪さが際立つ。監督のリサーチ曰く、ドラマや映画
で描かれるような間際の新証言!なんてのは皆無だそうだ。
しかし今作は映画なので、三隅や重盛の特徴をまるで相似
させるように描いている。彼らがなぜ接見室であんなにも
互いを結びつけたのか(これも三隅の作戦かもしれないが)
父親のことを調べ上げた三隅が用意周到に重盛を用意した
なんてことも考えられる。考えれば考えるほどキリがない。
個人的に十字を使う意味は制裁でなく弔う意識の方が強い。
冒頭で重盛は娘にペットのお墓はちゃんと作ったかと聞く。
三隅は大事に飼っていたカナリア5匹を庭下に埋めている。
私も子供の頃からペットが亡くなるとお墓を作り十字の枝
か花を添えた。制裁じゃなく天国で安らかに眠れるように。
後半三隅は房の窓に来たカナリアに対して手招きしている。
どんな人間でもたった一人の時に見せる表情や仕草に嘘は
ないと私は信じているので、あぁこれで彼の本性が見えた
と(軽々しくも)考えた。救いのない話にみえるが、実際は
かなりホームドラマに近い親子性を感じさせる物語だった。
これが海外で公開されても「?」と思う箇所が多いと思うし、
実際に日本人だってこんな司法制度をどう思うかと疑問を
呈したくなる。新米弁護士の川島が呆然としたのも分かる。
(父親の行為を母親が救ってくれない娘の絶望が痛かった)
明日は最高裁裁判官の国民審査もあるね。
殺人の前科があり、2度目の殺人容疑で拘留中の被疑者は、供述を二転三転させて弁護人も映画を観ている観客をも混乱させる。
真相がわからないまま迎えた結審の後、拘置所の接見室で受刑者と弁護人を透明な仕切り板1枚が隔てる。
そこに映り込む受刑者の鏡像が弁護人の顔と重なり合い、2人が語り合っているようにも見え、1人が自問自答しているようにも見えるシーンが秀逸。
真実よりも法廷戦略やシステムが優先される司法の実態に一石を投じつつ、『海街diary』や『そして父になる』などイレギュラーを抱えた家族を描いてきた是枝監督らしく、犯人にも弁護人にも家族の背景が描かれていて、両者の深度が増していく心象が探れる。
最後まで事件の真相は判然としないけれど、それでも刑は確定し人は裁かれていく。
作品タイトルは『三度目の殺人』
2度の殺人の罪で死刑が確定した犯人の、3度目の殺人が誰を指すのかようやくわかった。
誰もが納得できる理由を求めてしまう
なんとなく、真犯人は被害者の娘で、三隅がかばって被告人になっている話だと思っていた。でも違った。
罪を犯したのは被害者の娘を父親から守るためでは?
被害者の母親に殺害を指示されたとうそをついたのは娘を守らなかったその母親に対する制裁だったのでは?
突然裁判で否認に転じたのは被害者の娘を世間の目から守ろうとしたからでは?ーーと、被告のひとつひとつの行動にどこかで納得できる理由を探していた主人公が、ラストで呆然とする姿に考えさせられた。
犯罪者は生まれたときから犯罪者だったという考えは短絡的だし、止むに止まれぬ事情でというのも実際にあると思う。
でも、
「殺すやつと、殺さないやつの間には深い溝がある」
というセリフにあったように、なかには、ひとつひとつの行動に意味がなく、まったく理解できない人間もいる、と突きつけられた気がした。
自分も主人公と同じように、どこかで三隅を理解できる人間だと思って、すっきりしたかったのかもしれない。だから、観終わってももやもやする。
司法の問題点のほか、公判前手続きなど普段は省略されてしまうような場面が描かれていてよかった。
三度目の殺人(?)〜答えのない問い〜
なんだかんだで福山雅治主演の映画を映画館で見るのは初めてだった。期待した役所と福山の駆け引きは十分なクオリティで見応えあり。
まるでカメレオンのように供述を帰る役所。弁護人は福山、吉田、満島の三人が演じているが、面会室での緊張感は尋常ではなかった。
是枝監督は法廷や拘置所の面会室のシーンでリアリティを求め何十回とシナリオを書き直したそうだ。他のキャストの演技も作品の緊張感を壊さない。
ただ、どこが三度目なのかという疑問は残った。役所演じる被告人は劇中では前科分を合わせても今回二度目の殺人であり、到底三度目とは言えない。映画を見終わった後、三度目の意味はあれのことだなと思い当たるが、それは決してこの国の司法制度の中では考えてはならないのことなのかもしれない。
"法廷では誰も自分の言うことを信じてはくれない"と言う被告人の諦めの言葉と裁判長の"訴訟経済"と言う言葉が不気味な響きを持って耳に残った。
結局、誰もこの事件の真相にたどり着けないまま映画は終幕する。
考えさせられる作品
ここ最近の方がで良い作品の部類だと思います。
スカッとするような作品ではなく、モヤっとはしますが不完全燃焼というモヤっとではないです。
犯人の供述、殺された家族が隠したい事、真実を言えない空気など…真相と言うより物事の落とし所を探してる感じです。
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