劇場公開日 2024年3月1日

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「気づくと自分も映画の1部になっている錯覚を覚える作品だ!」舟を編む Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5気づくと自分も映画の1部になっている錯覚を覚える作品だ!

2013年3月20日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

笑える

幸せ

何と言っても、この作品は松田龍平ファンと、宮崎あおいファンにはたまらなく魅力的な味の有る作品だと思う。
物語は、1995年に「大渡海」と言う国語辞典の編集出版をする事になった編集者の地道な日常の仕事振りを通じて、仕事・結婚・人生の意味や、そして生き甲斐、或いは現代の日本の姿を、言葉と言う人間にのみ与えられたコミュニケーションの手段を通じて、今の日本を生きる人々の姿を浮き彫りに描こうと試みた辞書編集者達の15年間の静かな歩みを時にユーモアたっぷりに、そして薄紙に水が沁み込んでいく如く、淡々と静かに観る者の心の中に徐々に浸透させていく映画だが、この彼らの静なる情熱が、一見すると情熱と対局するかの様に見えるのだが、彼らの静の世界が動の世界を上回る、情熱を帯びた生き様として、終始、静かに見つめる事で更にその情熱が画面から溢れ出す。
地味な物語なので、これと言って盛り上がりのあるシーンなども特に無いのだが、それでいて松田演じる馬締君と言うキャラが、特異なキャラの為に、その日常の生き様がコミカルに見えてきて、何時の間にか気が付くと、この作品に飲み込まれているのだ。
そしてあたかも、自分もこの編集室の1員として入社しているような錯覚さえ受ける、力作と言う事が出来ると思う。
今もっとも、俳優として良い芝居を見せてくれる松田龍平と宮崎あおいちゃんの2人に加えて、オダギリジョーも久々で、松田と真逆のキャラをとても美味しく演じていたし、加藤剛、八千草薫、渡辺美佐子がしっかりと若い俳優達を包み込む。

私達人間は、自己及び、他者とのコミュニケーションを図る上で、その総てのコミュニケーションの手段の基本は、言語の介在が無くしては何事も生れないものだが、そんな身近過ぎる言語を人は無意識に使い、言葉本来が持つ意味や、正しい言葉の使い方をせずに、誤用し、乱用している。しかし、人は本来日常生活に於いて、言語を丁寧に正確に操る事で、自分の今の感情及び、その人の本当の気持ちを自分自身が理解し、他者に対しても、自分自身の気持ちを伝え、或いは他者の気持ちを理解する事も出来る様になるのだ。
言うなれば、自己認識の基本とも言うべき言語を、母国語であるが故に、無意識に使用しているために、本来言葉として正しく表現して認識化する事で得られる自己認識も、かなり誤認識であったり、無意識の自分を顕在意識で、自己理解する事が出来るようになるためには、母国語であっても日々の生活で、話して使う練習を積まないと正しいコミュニケーションが出来ないと言う事を改めて再認識した。
同じ日本語でも、確かに、その使う人の微妙な認識や、意識のずれによっては、自分が意図する認識と異なる印象を他者に与えてしまう。そんな言葉に纏わる人間同志の気持ちの疎通が軽妙に可能になったり、その逆になると言うこの言葉の面白い世界を再現して魅せてくれる。
初めに言葉ありき!まさしく言葉が無ければ人は自分を認識する事さえ不可能である。
その言葉と言う人間に授けられた魔法のツールの魅力を辞書で無く映画で堪能しよう!

ryuu topiann