夏の終りのレビュー・感想・評価
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煙たい映画
しかし喫煙シーンが多い映画だ。
最近の人にはわかりにくいでしょうね。
煙草をのむ人の気持ちが。
美しい映画。
しかし、今ひとつ話の中に入っていけない。
期待させられながら報いてもらえない感じです。
話をわざと解り難くしようと思えてならない映画でした。
もっと素直につくれば(ありきたりになる可能性はありますが)良い映画になったでしょうに。
期待とは裏腹にあっさり終わったw
w不倫?とあって・・・もっとドロドロかと思いました。
夫とはゴタゴタしましたが・・・あっさり別れ
中年男と年下の男の間をどっちつかずとしている女性。
ちょっと終盤、「どうしたいんだ・・・」と疑問でした。
不倫ものってこんな感じなのでしょうか?
微妙な女心は作品にマッチしていましたが
もう少し激しい感情シーンも多く入っていたほうがわかりやすかったと思います。
最後もあっけなく・・・終わる。
不倫とはこうして答えなきものなのでしょうか?
てっきり年下の男と一緒になる?なんて期待していましたが
期待とは違って
なんか物足りなさをかんじました。
でも、キャスト陣の演技は私、好きで
やはり脚本がイマイチ?な印象です。
あと10年くらい年取ったらもう一回見てみようかなwww
満島ひかりがいい
この映画は瀬戸内寂聴さんが出家前に書いた小説を脚本化しており、それは瀬戸内さんの実体験に基づいているという。
年老いた男と若い男の両方と関係を持ち続ける。瀬戸内さんは奔放で直情的な女性だったようだ。
満島ひかりちゃんは、この女性を自立心があり、情の厚い、でも孤独な人として演じている。この演技が素晴らしくいい。
染物の絵柄を罫書くシーン。
日差しのあたる和室の机に向かって、集中してゆっくりと丁寧になぞる時の真剣な横顔は凛々しく、かつ清潔で、瑞々しい色気に満ちている。
不思議なことだが、若い女性が芸術に打ち込んでいる姿はみな清しい色気がある。
満島ひかりちゃんにもそのオーラが漲って見え、実に良かった。
わが谷は緑なりき ジョン・フォード
映画「夏の終り」(熊切和嘉監督)から。
ドロドしていようと、爽やかであろうと、瀬戸内寂聴さん原作であろうと、
男と女の三角関係をテーマにした、心理の読み合いみたいな駆け引きは、
どうも私は苦手のようだ。(理解しにくいのかもしれない)
こういう時は、どうしても作品の時代背景を現す、看板やメニューなど、
監督が意識的に入れたのでは?というものを探して、メモをする癖がついた。
今回は、映画の看板。(たしか、小田原駅前だったかな?)
看板屋さんが、ペンキで映画のタイトルを書いているシーン。
「わが谷は緑なりき ジョン・フォード」と文字だけの映画紹介。
ストーリーもわからず、タイトル・監督の名前・主演の名前程度の情報で、
国民は映画に夢中になったのだろうか、不思議な時代である。
ちなみにこの作品で、ジョン・フォード監督が描こうとしていたのは
「善意と誠実さを貫いて生きる人間の姿と魂」らしい。(笑)
(日本上映は、1950年(昭和25年)12月)
他にも、映画「カルメン 故郷に帰る」(木下恵介 監督・脚本)
(主演 高峰秀子・佐野周二)の文字も見つけた。
こちらは、1951年(昭和26年)3月公開作品だが、
国産初の「総天然色映画」として多くの話題を呼んだはずたから、
もう少し、看板にも工夫がしてあったのでは・・と期待したが、文字だけ。
こんなものだったのかな、当時の映画看板というのは・・。
でもこんな時代に、年上の男と年下の男との三角関係なんて、
さすが、瀬戸内寂聴さん、波瀾万丈の人生でしたね。
P.S.(メモしてしまった看板の紹介)
■新宿ミュージック「フランス外人ヌード」
■「Grand Cabaret」
THE INTERNATIONAL CLUB
Shinjuku,Tokyo with Rooms for Refreshment
近日開場 乞御期待 世界クラブ
女とは
瀬戸内寂聴さんの小説を元にした作品。
女の気持ちがストレートに描かれている。
強さ、美しさの中に
寂しさ、弱さ、欲深さが隙間見える。
愛とは言い訳にすぎない。。
馬鹿な女だと思う反面、本能のままに生きることも難しく素敵だ。
人形の家
小林薫演じる小杉慎吾:
妻がいる身ながら愛人に心中を持ちかける。理由は奥さんの命を絶つのは忍びないから。何だそれ?ズルくてダメな男だなあと思う。
(そんなズルい男をこれ以上ないくらいダメで可愛く演じた小林薫、とても良かった。)
綾野剛演じる木下涼太:
昔つきあっていた女を突然訪ねる。何年も経ってるのに、何で自分の事を受け入れてくれる、まだ愛してくれていると思えるんだろう。都合良すぎない?そして何で最後は被害者ぶるんだろう?そこも都合良すぎる。
(老練な小林氏に対し、綾野氏の演技がちょっと拙い感じもしたが、そこが青臭いヒヨッコな役ドコロに合っていた。)
こんな2人を受入れる知子(満島ひかり)の方が被害者だよ…なんて思ったりもしたが…。
いや、というよりも、恋愛関係というのは、どっちが被害者・加害者という訳でなく、どっちが良い悪いでなく、対等なんだー、その覚悟を持てーという事を、原作の寂聴センセイは声を大にして言いたいんだろうなあ。
この映画の登場人物は皆、善悪の彼岸にいる。
—
肉欲であれ恋であれ愛であれ、最初のうちは、止むに止まれぬ激情が各人を突き動かしていたのだと思う。が、年月が経つにつれ、ズブズブの日常となっていく。腐れ縁であり、共犯者であり、依存であり、逃げ場であり、ぬるま湯のような心地いい地獄の同居人だ。
慎吾は、ぬるま湯から抜け出せない。
が、知子はその依存から抜け出そうとする。自分だけの足で立ち上がろうとする。恋愛を逃げ場にしない。
そもそも知子は、自分の子を捨ててきたっていう、恋愛のどうしたこうしたよりも、深く重い罪を背負っている。世間の埒外に自分が居ることを自覚している。その自覚が、独りで立ち上がる源なのかもしれない。
—
寂聴センセイ版「人形の家」とも言える本作、説明的で説教臭い話に陥ることなく、単なる情念ドロドロにもならず、個人的には、とても爽やかな作品だと思った。
主演の満島ひかり、昭和30年代の女性を演じつつ、どこか現代っ子的な顔ものぞかせ、キュートだった。
夏の終わりを感じさせる静けさ
とても静かな映画である。
ひとりのわがままな女の怠惰な生活を描いたというとそれまでなのだが、それがとても痛い。
どことなく寂しい。
退屈といえば退屈、しかしこの映画には必要不可欠な要素だろう。
満島ひかりという人が実によかった。
小林薫も好きだが、満島ひかりの怠惰さが画面からエロスを感じさせる。
原作は瀬戸内寂聴だとか。
気持ちに正直に生きる人に惹かれていくと自分も嘘がつけなくなる、駆け...
気持ちに正直に生きる人に惹かれていくと自分も嘘がつけなくなる、駆け引きも無駄。日常で真実を追うと惰性では生きられない。こういうの観ると暫く自分の人生を疑い始めちゃったりして鬱屈とします。 愛≦ヒューマニズム≦習慣 刺さるー
ここに描かれる人間を誰一人好きになれないが、人の弱さ、狡さ等時代の空気感が香り高い文芸作品だ。
好き嫌いは別として、本作は昭和30年代当時の2人の男の間で揺れ動く、女心をエモーショナル且つ、センセーショナルに描き出した作品として、原作の香りが好く滲み溢れた文芸作品としては、出来の良い面白い作品なのではないだろうか?
しかし、ヒロイン知子の生き様には、個人的には全く感情移入出来ない、どちらかと言うと気持ちの悪い作品だ。しかし、当時のお妾さんの生き方を描いている作品なので、そう言う意味では良く出来た作品だと評価出来る。
この映画の原作は、「あおぞら説法」や「源氏物語」現代語訳の著作で有名な瀬戸内寂聴氏が出家される前の瀬戸内晴美として作家活動のみをしていた当時、発表された彼女の初期の作品であり、今でも彼女の代表作の一つとして数えられる作品である。
この「夏の終り」は今から丁度50年も前に発表された作品であり、しかも、瀬戸内氏の自伝的な体験をから生れた小説で、言ってみれば私小説のようなこの作品に描かれている、主人公の知子の存在は、作品が発表された昭和30年代としては、きっと非常に新しい、女性の生き方を描いた作品と言うことになり、かなりセンセーショナルな小説で評判になった事だろう。
映画館は、御年配のお客様ばかりで賑わっていたのだった。
この小説が描かれた当時の世の中での評価は、私には分からない。
しかし、今日でも、こうして普段は余り映画館へは来られないだろう御年配の観客が押し寄せるのは、瀬戸内氏の人気なのだろうか?
それとも、作品の読者が今、この作品の映画化を知り、観に来たのだろうか?その真意を確かめる事は出来ないが、この作品が、年配の方々には、非常にインパクトのあった作品で今尚記憶に留まっている作品なのだろうと、私は考えるのである。
この時代、アメリカでも60年代初頭は離婚する女性は極僅かであり、それが日本となれば
更に珍しい事だ。
しかも、大会社や、政治家、或いは、有名人などの、愛人稼業をしていた、この頃のご婦人は、日陰の女として一生を貫き、あまり、自分自身で、自己の生活の自立を考え、本妻さんの処へ赴くなどの、でしゃばった行動などは、絶対に差し控えていたのがこの時代の、この世界の女性の日常意識だ。
そんな、生き方をしていたこの当時の愛人達の事をお妾さんと呼んで、自分自身はそう成らなくても、社会の中で、愛人と言う存在自体は、今よりも感大な目でもっと認知されていた時代なのだろうか?相当今とは、同じ愛人と言ってもかなり女性の生き方の意識が今とは異なっていたようだ。
ヒロイン知子は当時の女性としては、珍しいタイプの人間であり、巧く描かれていた様に思う。しかし、映画全体として、雨のシーンや、夜のシーン、曇り空の日々など、知子の心の中を映し出しているかの様な、暗いトーンの映像が続いて、観ているとこちらの気分も参ってしまうのだ。
色々と、監督が苦労を重ね描いていた、痕跡は認められるが個人的には好きになれない人間像なので、高得点は付けたくはない作品だった。
ドラマ気分で見ると、手酷い目にあう
決して、『主人公や内容に共感する』なんて考えを持ってはいけません。
ドラマじゃ、その気分で見てもいいでしょうけど(むしろそれを目的とした主人公作りがなされていますけど)これは非常に特徴的な愛を描いています。そんな甘々な気持ちでいると顔をひっぱたたかれ、そのついでに突き倒され腹部を踏みつけられる目に遭います。
私も後ろからナイフでざっくざくにやられました。あ、綾野剛はかっこよかったです^^
誰に共感するわけでもなく、ただそこで映し出される愛の表現に感心する映画。中々お目にかかれない、愛という免罪符を振りかざした暴力です。映画は非現実を見るもの、という言葉を久しぶりに感じました。『愛は我が儘で、人を振り回すもの』という理念が突き通されているのかな。
「どうにもならないのよ」「どうにかしてよ」と主人公、知子の台詞通り「どうにかしてよ」という愛が描かれています。「どうにかしろよ」って感じでもあります。
終演後の観客の反応は、それは微妙なものでした。トイレで「共感できないわ~、綾野剛の役が一番共感できた」と言っている二人のご婦人方を見かけました。
そりゃそうだよね、という気持ちになりましたが、私の鑑賞後の気持ちは、それだけじゃない、何とか説明を付けたい、という気持ちで。全く面白くない訳じゃなかったし、でも面白いわけでもなかった……と白黒はっきり付けられなかったです。
二カ月たって「愛の理不尽さがわかる映画だったんだなあ」とぼんやり思いました。人生勉強になった映画。
画角はすごくきれい。どのシーンを眺めても満足できそう。
光と影の演出も良くて、うす暗い部屋に落ちる影、窓から差し込む光。
バランスが素晴らしいです。知子が作る反物の模様のような世界。
あと珍しく煙草を嫌がらず全面に押し出している映画なので応援していきたいです。綾野剛が吸っていたのが、Hi-lightでしたっけ?
ちゃんと銘柄の味もわかっていれば、人物の役もわかりそう。
不覚にも寝てしまった
不覚にも寝てしまった。
どうもシーンシーンで回想ルールとかがちゃんとしてなくて、いつ時点の話をしているのかが分かりにくかったです。
話が進んでいくにつれ、あ、そこも夫婦じゃなかったのか、と気づかせるのは面白い展開なのですが。
満島ひかりはそれなりなものの まだ若々しく、話の性格上 それよりはもう少し年齢が上で色気の多い女優を使うべきだったような気がしましたね。
瀬戸内寂聴さんの生き方かな?。
これもまた昭和の映画梅田ロフト地下で夜7-鑑賞。
TV『ぴったんこカンカン』瀬戸内寂聴さんゲストで、仰いました。当時は、不貞は、許さないそんな背景で、、
やはり“駆け落ち”“死”が そして、上村一夫さんの大人の漫画にあるように、同棲生活。。。歌われている“赤ちょうちん”昭和の初期恋愛は一大決心だった。
この作品ですが、監督の意向でかな?最近の傾向か?途切れ途切れで、線が見えてないみたいだったので、そのシーン毎に理解してみなきゃいけないのかな?部分評価は、気持ち3です。(笑)
男は恋愛をすると愛する人を守り大切にする。そして嫉妬心を抱く。
女は、一度はまってしまうと愛する人しか例え不倫だろが本気だろが、真剣に愛するし、見えてないです。
女は恋愛することで、心も体もしぐさもきれいになって変わる。
ちょっとシーンで興奮したかな? 現実【”仏の道“ 】に行かれ子供とも会うことできました。とTVで仰っていました。90過ぎてますます快活な瀬戸内寂聴さんですね。
恋は、やはりわがままになるのかな?結婚は、どちらか一方死別…。で、本当の別れになりますね…。
人生なんて切ない想いです。でも大好きな人が傍にいたら頑張れますね…。
恋は不思議な縁(えにし)を運んでくれます。何度も続くほどそれが崩れません。
古きよき日本映画
瀬戸内寂聴の自伝的小説の映画化です。あまり恋愛映画を観ないので観るか迷いましたが、何となく観てしまいました。古きよき日本映画という感じでしたが、動きが少なくてストーリーに発展性がなく、私には合わないと感じました。過去の回想シーンが挿入されますが、時系列がわかりにくくて混乱してしまいました。満島ひかりも何か期待はずれという感じでした。
誰のものでもない。
瀬戸内寂聴の自伝的映画。原作は読んでいないが、彼女の生き様は
幾度となくTV等で拝見してきたので、物語の大筋は大体分かる。
面白いか面白くないかは個人の好みに分かれるだろうが、
彼女がこういう生き方をしたのは本当のことで、こういうヒトなのだ。
正に素直で直情的。感情をそのまま人生に捧げている感じ。
可哀想なのは、こういう女に振り回される男たちで、旦那、年下の男、
愛人、確かに男はズルい生き物ではあるが、完全に振り回されている。
最大の不幸は、愛人の本妻と自身の娘が味わったのに他ならないが、
その行いを詫びて、彼女は晩年に尼僧となる。そして今も人気を誇る。
幾つになっても人を惹き付ける魅力のある人なのだと思う。
良い悪いは別として、我儘な女ほどそそるものはないことを実感する。
女の業。なんて言ってしまえば簡単な言葉だけど、
それを本領発揮する女があの時代にどれくらいいたんだろうか。
今でなら「ヤグる」の如く(ゴメンね)、夫の留守に平気で男を連れ込む
主婦が80%越えしているらしいが、あの時代に堂々と囲われたあげく、
いやまだまだ足りん^^;とばかりに、心の向くままに情事に耽る女。
アッパレな女、もともとそういう気質(作家向き?)があったのだろう。
私などがどうこう言える立場でもない(言う気にもならない)が、
男が方々で浮気を重ね、其々の女性が100%好きなんていうのを聞くと、
女の方にだってそういった業があってもおかしくないのかもしれない。
観ていて気持ちいいか悪いかは、己の恋愛観を象徴することになる。
それにしても小林薫が抜群にいい。
満島ひかりとは、現在あるドラマで母の再婚相手と娘の立場で共演中。
何だかその風情がそのまんま出ている感じで、やはり歳の差を感じる。
包み込むような優しさと、週半分ずつ妻と愛人を使い分けるその狡猾さ、
頭のいい男であり嫌味を感じさせない。主人公・知子がこのままでいい
と思わせるささやかな幸福?を与えてくれるのに絶品の男である。
だけど、決して自分のものにはならない。奥さんの手中にもいない。
手に入らないオモチャを欲しがる子供と同じで永遠に憧れ追い続ける。
知子が直情的我儘女であるのと同時に、慎吾もそれを弄んでいるのだ。
自業自得。とはこういうことだな、を感じさせる見事な体現である。
年下男・涼太には刺激があるにはあるが、知子は都合よく利用する。
都合お構いなしに押しかけ、愛人男の話を聞かされる年下男の心情…
涼太とて慎吾に対する畏敬の念と嫉妬が混ざって計り知れないので
余計イライラするのが分かる。聞くのもヤダよね、他の男の話なんか。
だけど知子が完全に涼太の方に靡かないのは、アンタにその甲斐性が
ないからで(ゴメンね)、必死に知子を追う姿には哀れを通り越していく。
夫と子供を捨ててきた女を受け止められる男ではないし、いや、この
知子も結局、誰のものにもならないのだ。さらに次を求める女だから。
(実生活ではその後、抜け殻のような涼太を彼女が支えたらしい)
原作通りの演出らしいが、中盤以降はダラダラと愛憎劇が続きダレる。
他人のドロドロを楽しめる時間にも程度があるんだな、と感じた。
いま振り返って寂聴さんは、過去をどんな風に見つめているだろう。
誰もが過去の過ちを振り返り嘆く瞬間があると思うが、嘆いたところで
大切なものは何も却ってこない。まして今の自分があるのは、その過去
あっての成長だと思うと、あれはムダな時間じゃなかったともいえる。
バカな過ちを犯してしまった後、反省する間もなく復帰するアイドルは
別として(あらやだ、ゴメンなさい)
誰もがそれをトラウマに抱え、もう二度との思いで這い上がろうとする。
だけど二度三度と過ちは起こるもの。幸福のあとにまた苦しみがくる。
繰り返し味わうことで自分を知り、どう生きるかを模索して時を迎える。
振り返って過去を慈しむことのできる人間になれたらいちばんだろうな。
私は瀬戸内寂聴という人が好きだ。
(夏の終りに公開されたけど、まだまだ夏が終わらないわねぇ、今年は)
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