劇場公開日 1998年

「徹底してひたすら「人間」を撮り続けた作品」「A」 えすけんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0徹底してひたすら「人間」を撮り続けた作品

2023年4月5日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教の内部に入り、幹部や信者らと素の人間関係を築きながら撮影されたドキュメンタリー。当時の広報副部長荒木氏への密着という形で構成されている。

本作を観るにあたって、重要な観点はふたつあると思う。ひとつは、監督である森達也はそもそも、ドキュメンタリーをどのように捉えているか理解する点、そして、その上で、私はこの作品を通じて何を感じ、得たのかという点である。

森達也はルポライターとしてもたくさんの作品を残しているが、ドキュメンタリーを「見る側」「作る側」も「公正中立な客観的記録」として捉えている現状を「錯誤」であると一蹴する。小気味いいほどに笑い飛ばす。

この辺は、同氏の「それでもドキュメンタリーは嘘をつく」(角川文庫)や「極私的メディア論」(創出版)に詳しいので多くは書かないが、ある表現者が被写体にファインダーを、カメラを向けた時点でそれはすでに客観的ではない。大枠では、ドラマもドキュメンタリーもそんなに変わらない、という論調だ。

さらに言えば、そもそも表現行為に公正中立・客観的などありえないと看破する。確かに、日常生活の中に「カメラ」が入ることの異化効果は甚大だ。その時点で被写体はいつもとは違う情態にある。それを客観的記録、と呼ぶのには無理があると私も思う。

その意味で本作はあくまで森達也という一人称が極めて主観的に、意図的に膨大な映像の中から切り取った作品といえる。

さて、140分弱の作品を見終わって、私は何を感じたのか。

結論から書くと、情けなくて、恥ずかしくて涙が出た。映画を観て、感動でも、憤りでもない、情けなくて涙を流したのは初めてだ。この作品はオウム側から社会側を写している。殺人集団、カルト、テロ、薄気味悪い、弱い人間の集団、現実からの逃避行動、マインドコントロール。社会側ではオウムをこんなように捉えていた。

もちろんオウムの罪は重い。それは当然、法治に則りあらゆる側面から徹底的に裁かれるべきである。そして事件の記憶冷めやらぬなかで、教団施設付近の地域住民が必要以上に防衛行動を取るのも理解できる。

問題はマスコミである。例えば日本テレビとフジテレビが森達也のカメラの前で小競り合いを続けている。どっちのカメラが先だ、いや、こっちのが先だ、と延々と。路上で。そして、教団内部からみた報道の煽情的論調は常軌を逸脱している。限りなく誤報に近い報道も多くあるようだ。

当時の私はその報道を全て鵜呑みし、オウム真理教を100%危険な殺人集団と断じていた。さらには、こういった一連の流れが、彼らをより一層、終末思想へ追い立てるのではないかとの危機感も持っていた。つまり、社会側の映像要素ひとつひとつが、作中でオウムを責め立てるマスコミ、住民、警察、評論家たちのことばのひとつひとつが、剥き出しの怒りの表情そのものが、過剰な防衛反応それ自体が、私だ。当時の私をそのまま映し出している。

そしてその様は、あまりに醜い。

***

一番印象に残っているシーン。

教団とのやり取りがうまいこといったのだろうか、他局を差し置いてNHKの取材班だけが単独で教団の施設内に入って、麻原の初公判について信者にインタビューする場面がある。もちろん教団広報立会いのもとの、オフィシャルな取材。作品中では数分程度の場面だ。

森達也のカメラはその取材風景までも収めているのだが、NHKの担当女性ディレクターの表情が筆舌に尽くしがたい、苦悩に満ちた表情を呈している。

恐らくは許可された内容での取材を実行するために、彼女は出来る限りの知力と想像力と表現力をもって、オウム信者への理解を、共感を示そうとしたのだろう。あのNHKの、しかも当時のオウムの担当ディレクターなのだから、さぞかし優秀な方なのだと思う。

しかし、どうしても出てしまう。
オウムは殺人集団、カルト教団であると考えてしまう恐怖が、思考が、偏見が、反発が。顔に、表情に、目線の揺れに、佇まいに、声に。

インタビューを受けた信者は小さく冷静な声で、「すみません、そういうご質問では、私がどんな風に答えても誤解を与えてしまうと思うのですが・・・」その指摘に、隠し切れなかったバツの悪さと、ここで取材が頓挫してしまうことへの恐れとがない交ぜになった、モリタツが書籍でよく使う「煩悶」と呼ぶに相応しい女性ディレクターの表情が映像として記録されている。

この表情が私を惹きつけてやまない。

彼女はそれでも、当時の、世の中的にも、当日の現場的にも、あの状況のなかで、何とかオウム側の立場に立って考えてみようとした。結果的にできなかったとしても、考えてみるということに対して自覚的だったという点において、賞賛に値する。当時の私にはその自覚は皆無だった。

そして、その自覚に人間の人間たる豊かさが潜んでいるのだと痛烈に感じた。この作品では、教団信者が、罵詈雑言でなじり付ける周辺の外部にはない人間の豊かさを持っているように描かれている。

そう、モリタツは本作で徹底してひたすらに「人間」を表現し続けた。ここまでリアルな「人間」を描いた作品もないと思う。なかなか置いてあるところも少ないが、珠玉の名作。

えすけん