劇場公開日 2012年11月10日

「理由なき退屈な殺人」悪の教典 cmaさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5理由なき退屈な殺人

2012年11月13日
フィーチャーフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

興奮

いったいこれはいつまで続くのか。そもそも彼は、何のために殺しているのだろう?
淡々と死体の山が築き上げられる後半、ふと野暮な疑問が浮かんでしまった。人気者の高校教師、ハスミンこと蓮見の正体は、他人への共感性が欠如したサイコパス(反社会性人格障害)。彼の殺人には理由(いわゆる殺意)がない。殺したい、殺さなければならない、殺すべきだ…どれも当てはまらない。どこまでもシンプルに、ただ単に「殺す」なのだ。
学校を舞台としたバイオレンスものと言えば、「バトルロワイヤル」、三池監督自身の「愛と誠」「クローズ」…と枚挙にいとまがない(母子愛憎もの「少年は残酷な弓を射る」も、ある意味、このジャンル)。それらは、恐怖をあおったり、滑稽さをちらつかせたりして、観る者を楽しませ、惹き付け、飽きさせない。三池監督は、そんな術を熟知しているはずだ。その監督が、今回はあえて「退屈な殺人」という描写を意識しているように感じた。フィクションとはいえ、殺人とは、人の命をことさらに奪うこと。それを眺めて「退屈だ」と感じてしまった瞬間、後ろめたさ、居心地悪さ、自分への空恐ろしさが追いかけてきた。これが監督の狙いではなかったか、とハッとした。
もちろん、様々な仕掛けはある。人殺しをモチーフにした歌を絶妙に織り混ぜたり、猟銃が異形となり主人公に語りかけたりし、ニヤリとさせられる。しかし、加速はしない。あくまで抑制が効いている。主人公が殺しを繰り返す背景は徹底して垣間見せず、推測の余地を与えないのだ。
なぜだ、なぜやったんだ。理解不能の出来事に遭遇すると、私たちは納得できる理由を求める。すっきりと腑に落ちたい、安心したい、と思う。けれども、ともすると、納得や安心は安易な忘却に繋がる。自分に関係のない遠いことだから、もう済んだことだから、と。
しかし本作は、彼を恐ろしい人物とも滑稽な輩とも描かず、自分たちから遠ざけることを許さない。こんな人物、近くにいませんか。御用心、御用心。そうそう、そういえば、あなた自身は? わざわざこんな映画を観に来て、退屈だなんて感じるような共感性のないあなたは? そう囁きかけられている気がした。
…それにしても。冷酷非道なサイコパスとはいえ、所詮人間。どこかにヌケがあり、ミスをする。悲劇はそこから始まる。蓮見の行動が完璧であれば、彼の正体は闇に葬られ、大胆なドミノ倒しにも似た大量殺人は起きないのかもしれない。とすると、殺人とサイコパス、どちらがきっかけで、結果なのだろう。タマゴとニワトリ、どちらが先か。あの問いに、どこか似ている。

cma