ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日のレビュー・感想・評価
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コレもまた予告CMから受けるストーリーイメージが全然違う。
当初、映像美を堪能する為
痛い出費覚悟で
IMAXで観ようと考えてたが、
周りから聞こえてくる
酷評で考えを改め
ポイント使用で3D料金+眼鏡代の
計.400¥で鑑賞。
先に酷評は元より、
とある場所でストーリーや流れを
聞いてしまってたので、そこまでげんなりする程には
至らなかったが…
それでもやっぱり
「あぁ〜あ…」って
感じですな。
CMから受けるイメージは、
パイ少年の成長物語。
しかし中身は
パイおじさんの回想物語。
セキルバーグの
「信じるか信じないかは
アナタ次第!」
って話。
「お゛い゛(怒)」
と。
確かに過去にも
『LIEF OF ○○』
系のタイトルで、
中身は回想物語ってのは
あった気はする。
早く気付けばよかった…orz
2/3(日)
12:30〜
[3D/字幕]
[TOHOシネマズ海老名]にて。*ポイント使用鑑賞。
まさに飛び出す絵本!
「パイの物語」知らなかったな、この原作。面白そうな話だけど、普通、映画化は難しそうなところを特殊技術で、しかも3D、だけでなく、冒頭からの回想シーンのインドから見事だった。見事な配色、というか、全体が「飛び出す絵本」のような感じで、絵としてのファンタジーの徹底ぶり、特に海と空と宇宙の合体表現、ストーリーとしての寓話性、文句の付けようがないくらいに3Dの良さも感じた。
間違いなく、参加する「飛び出す絵本」。凄いな。
映像は綺麗でした。
タイトルにある通り、画は綺麗でした。
でも内容はありませんね、それに、冒頭のパイの子供の頃の話は
いらないんじゃないの?
名前の由来とか、おじさんに泳ぎを教えてもらったとか、インドを離れるんで恋人と別れるとか、ストーリー上全く必要ないし。
これがなければ30分は上映時間が短くなってたね。
無粋かもしれないけど、ラストで事故調査に来た人達、虎と漂流したことが嘘か本当かなんて、乗ってたボート調べればすぐわかるでしょ、いくら波で洗われても痕跡くらい残るだろうしw
わたしは2Dで観たんでこんな感想ですけど、3Dならまた感想が変わったのかもしれないですね。
驚きの映像美
3Dで観たかった。字幕にこだわるあまりに3Dを選択しなかった自分に腹が立った。
僕の中ではアバターを超える映像美でした。動物達や風景など細部にまでこだわりが感じられました。嵐やシロナガスクジラ,肉食島などとても記憶に残っています。
主人公のシャルマくんも名演技でした。多神教になるほど全ての神を崇拝していた主人公が漂流という裁きを受け,神を冒涜したり,反省し崇拝しなおしたりしていく姿は心が引き込まれました。
ただ最後のオチの手前のシマウマと仏教徒の骨折のあたりの話は聴衆に考えさせても良かったのではー。教え過ぎてちょっと残念です。しかし,トラが最後にパイと別れるシーンでなぜトラが振り返らなかったのかはちょっと謎です。理解不足ですみません。もう一度3Dで観て確かめたいです。
素晴らしかった
本当に見てよかったです
これは映画館で
見るべきと思いました
生死について考えさせられる良い機会になりましたし
動物の人間と違う部分もきちんと描かれていたので
現実でおきているような気持ちになり感動しました
色んな意味での涙もでました。
ため息がでるほどの
胸が打たれる作品でした
野生にはなれない人間
見終わった後、何とも言えない難しさが残った気がします。まるで子供にどうして動物を殺し食べるのかを教えるようなそんな感じの映画のように思えました。
序盤は正直退屈感があり、宗教についてや主人公であるパイの名前の由来や少年時代の話などちょっと長く感じてしまいました。しかし漂流してからはもうスクリーンから目が離せられないくらいよかったです。
虎(パーカー)と主に漂流しちゃうという話ですが普通に考えるとまったく現実味のない話、しかしそこはアンリー監督の腕前でしょうかあたかも実話のような話みたいに思えてしまいます。
パーカーのCGも動きが少々CGっぽいということ以外は目を疑うほどよくできたCGでした。その上初めてとは思えない、スラージシャラマンの演技であたかもそこにいるかのよう。ここら辺の配慮のすごさはスタッフの器用さを感じます。
知恵を絞って苦難を切り開く展開も見応えあり。ちょっと笑えるシーンもありパイとパーカーとのやり取りはちょっと和みます。しかしそれらのこともちょっとした問題提起になっていきますが。
最後はいろいろ考えさせられるものだったと思います。パイが一時理性を失い神にすがってしまうシーンやパーカーの最後のしぐさなどを見ると野生動物のすごさを見せつけられた気がします。人間が当然のことのように思えること、それをまるで生きるために捨ててしまうパーカー。何とも言えない悲しさがこみ上げてしまいますが、それが人間と野生動物の違いなのかもしれません。
あと押しつけがましくないラストもよかったです。まるである一人の男性の体験談のようなストーリーがいろんな思考を刺激させられるのに功を奏していたと思います。
ショッキングなシーンもあり子供には向かない映画かもしれません、しかしたまにはこういった映画を子供に見せるのもいいかもとも思えなくもないですが。。
自分としてはいい映画をみさせてもらったと思える映画でした。
いい体験でした
心だけがその美しい不思議な世界を浮遊して戻ってきたようで、エンドロールを静かに見ながらちょっと切なくなりました。いい体験したなと思います。
オープニングから気持ちよい映像で作品の世界に連れていってくれます。
作品を包みこむ宗教観もけっこうゆるくて、押し付けがましくないのが好感もてました。主人公パイの叔父さん、えらく印象的でした。
乗り物酔いがキツイ方は船のシーンに少し注意が必要かもしれませんが、穏やかで幻想的な3Dの映像はなんとも美しく、トラは何度も首をすくめてしまう迫力でした。
人混みの中にあっても漂流する孤独な魂、けっこう誰にも小さな記憶はあるんじゃないだろうか。
切なくなったのは、とにかく良かったねって言ってもらえたような気がしたからかもしれない。
いい映画でした
思い出したくもないようなつらいこと、悲しいことが降り掛かってきた時には自分もこんな風なお話ができればいいなあと思いました。
過去のトラウマに打ち勝つ為の軽やかな創造!
トラを森に帰した後の優しそうに話す現在のパイの姿。
トラのように野生にならなければ乗り越えられなかった状況だったのだとわかると泣けてきました。
「生きる」とは何か
この映画の原作「パイの物語」は既に数多くの賞を受賞している有名な小説らしく、あのオバマ大統領も原作者に手紙を書いたという。
事実、様々な箇所に、小説を原作に持つ映画特有の展開が見られる。ストーリーは、成人したパイがカナダ人小説家に自分の生い立ちを回想という形で話し始める、というのが大まかな骨子である。だから序盤からいきなりサバイバルが始まるわけではなく、開始30分程度は小話が続く。これら一つ一つの話はユーモアにあふれ、見る人を飽きさせない。しかし全体としてみると、映画の中で最も面白いのは当然パイの漂流シーンであり、2時間ちょっとの映画としては小話があまりにも尺を取りすぎている。ストーリー上重要な役割を果たすものもあったが、いくつかは明らかに必要の無いものだった。小説と映画は違う物だから、どのエピソードをピックアップするべきか見極めないと、伝えるべきテーマがぼやけてしまう。まあこの映画に関してその点は心配いらないが。
さて、物語の中核を成すパイと「リチャード・パーカー」の漂流だが、この部分は文句なしに素晴らしい。映像面では3Dを存分に生かし、迫力がありながらも繊細で美しい映像を生み出している。ある意味で主役とも言える「海」は生命を容赦なく奪う存在でありながら、それでいて息をのむほど綺麗だ。とてもCGとは思えないが、特に海の中から映し出された映像は非常にリアリティがある。
そして何と言ってもCGのトラ「リチャード・パーカー」を忘れてはなるまい。目をぎらつかせ、歯を剥き出して吠える様子は本物のトラにしか見えない。時折見せる“感情が宿った”かのような場面でも、ベタに人間臭くならず、あくまで動物としてのトラとしての動きを貫いているから、突飛なはずのストーリーを血が通ったリアルな映画にしている。
主演のスラージはほぼ演技経験皆無の素人とは思えない演技を披露する。3つの宗教を信仰するパイは精神的な存在である神を信じ続けると同時に、サバイバルブックを見ながらなんとか生き延びようとする。スラージは彼自身が持つ生来の魅力により、相反した要素を持つパイをCG相手に演じきった。彼が「リチャード・パーカー」と真っ向から対峙するシーンは圧巻の一言である。
こういった様々な要素が見事に組み合わさったことも大きいが、「ライフ・オブ・パイ」が素晴らしいのはそのテーマにある。このテーマが生きたからこそ、非現実的なストーリーや一見単調に思えるサバイバルに深みが生まれたのだ。
そのテーマは何かと言うと「生と死」そのものである。今まで様々な映画がこれを描いてきたが、そのほとんどは「殺人事件」や「不治の病」など何か別の物を媒介としていた。しかしパイが直面する事態は“生きるか死ぬか”という究極の選択そのものであるのだ。「ライフ・オブ・パイ」だってサバイバルを通しているではないか、と思うかもしれないが一度でもこの映画を見れば私の言いたいことが分かる。
そもそもパイはそこそこ裕福な中流家庭出身だから、普段の生活に置いては生にしがみつく必要が無い。その代わり彼は3つの宗教を通じることで、普段は感じることのできない生命を感じ取ろうとした。そんな彼が海の中に1人(と1匹)放り出されたら、死を待つしか無い。それなのに彼はなんとか異常な環境に適応しようとする。その彼の変化のプロセスが丁寧だから、なんの疑いも無く物語を信じることができる。彼とトラが食料を求めて争うシーンも、その迫力はパイの「生き延びたい」という心が生み出している。まさに「生きる」ことをストレートに見せたのだ。
後半部分で彼が到達するある島も、それそのものは残酷なファンタジーで色塗られているのに、パイの行動がリアルだからただの空想には終わらない。そして自分が遭遇する様々なものたちを“神”によるものとするパイの語りにも、説得力が生まれ、宗教の壁を越えた“神”を観客も確かに感じることができるのだ。
最も素晴らしいのはパイがカナダ人作家にあることを問いかける場面。彼はこの生命力にあふれた美しい話とは別に、血なまぐさいリアリティにあふれたもう一つの「話」をする。こっちの方がいかにも“サバイバル”らしく、普通ならこちらを信じるところだろう。しかもそれぞれの動物が個々の人間に置き換えられていて(はたまたその逆なのか)、ほんの少し話すだけなのに、この「話」にも不思議な説得力がある。
ここで面白いのはパイが「リチャード・パーカー」を自分自身に置き換えている点だ。ここで観客は初めて知ることになるのだが、パイにとって「リチャード・パーカー」とはすべての物事の象徴である。災難、サバイバル、自然の脅威、仲間、家族、そして自分。「リチャード・パーカーがいなければ、生き残れなかった」という言葉に重みがあるのはそのせいなのだ。
それらを知った上でパイはカナダ人作家だけでなく、観客にまでカメラを通して問いかけてくる。「君はどっちの話が良いと思う?」
だが私たちはこの物語から希望を捨てないことを学び、そして感動させられた。どっちが良いかは誰にとっても明白だろう。どちらが正解かなどは関係ない。どちらの話がパイの人生に影響を与えたのか、そして私たちの心をふるわせたのか、それが問題なのだ。
だからこそ物語の締めくくりは、いささか陳腐にも感じられる。だがパイが神の存在を感じて改めて生きること、そして様々なものとの出会いを再認識したというのも悪くない。
実は「リチャード・パーカー」はもう一つ、この「出会いと別れ」も象徴している。終盤パイは静かに涙を流し、こう言った。「人生に別れはつきものだ。だが本当に悲しいのはさよならを言えないことだ。」これほど心を打つ言葉があるだろうか。
(2013年2月9日鑑賞)
振り向かないトラ。
私は2Dで観たんだけど、それでも十分に映像は美しかった。
しかし内容は、何とも神々しい、尊大なテーマを孕んでおり、
無事に着地した?と思われたはずの漂流ファンタジーが、
一気に現実化してしまうラストの衝撃度は、かなり大きい。
原作は知らないし、予告でもやたら、トラ、トラ、トラなので
パイの人生より、リチャード・パーカーに興味津々(計算ずく?)
少年とトラが漂流する物語としてはとても面白い出来である。
だけど、、いやそれにしても、、
何だろう、この鑑賞後に残る残留感と気持ち悪さ。
そもそも、
こんな苦難を目の当たりにした本人が、調査員やライターに
どう話せばいいんだよ?って、そっちの方がムリな話である。
だから、
こういうファンタジーになってるわけね、とこちら観る方も
どこかで納得していかないと、心がついていけなくなるお話。
少年パイと中年パイが、ボロボロ流す涙がそれを示している。
冒頭、まだ幼かったころのパイの物語は温かく、面白い。
なぜその名前で、なぜ家族が動物園をやっていて、なぜインドを
離れなければならなくなったか。
そもそも祖国で順調に暮らしていられれば、こんな災難に遭わず、
パイは頭のいい?パイのまま、あの初恋の女の子とも付き合えて、
動物園を継いで、結婚して、そんな妄想が膨らんじゃうくらいだ。
カナダへの渡航が齎した遭難と漂流が、彼の全てを変えるのだが、
ラストまで観て(聞いて)から思い返すと確かに…
なぜこんなチョイ役で(あのヒトですよ)大物俳優が?と思ったし、
人間ですら為す術もなく沈んでいく貨物船を前に、パイ以外に
あんなに動物が乗り込んでくる(来るんだもんね~アレに乗って)
ボートっていうのもおかしなハナシである(ダメ出しするなって)
肉は食べない、っていうお母さんの台詞も頑なまでに焼きつく。
だがしかし、この時点ではまったくそういう疑問符はわかない。
今作の凄いところは、その、純然たる遭難ファンタジーが壊れず、
最後の最後の最後まで、観るものを美と驚愕の世界へ惹き込んで
離さない(まるでトラに喰い付かれたかのように)ところなのかも。
まぁやっぱり、リチャード・パーカーの魅力に尽きるんだけど。
こんな苦難を経験した人はおそらくいないと思うので(身近にも)
想像のしようがないのだが、
もし今自分が健康で幸せに暮らしているのならば、まずはそれに
感謝して、今後も普通に生活していくんじゃないだろうかと思う。
(中年パイもそんな感じだったし)
あの年齢であんな経験をしながら、自分で自分を成長・納得させ、
過去と決別する勇気(振り向かないトラ)そのものを体現している。
人間は生きるためなら何だってやるさ~!そりゃ(いざって時には)
だけどリアルに経験した者ほど他人にそんなことを語ったりしない。
自分は苦労したとか何だとか言ってベラベラ喋る大バカ者がいるが、
本当に苦しんだ人間ならそんなことは億尾にも出さず相手を助ける。
良い本を書きたい人には、それに沿う物語を語って聞かせられる。
ある意味自己満足にもとれる、絶対信者のような言い回しも多いが、
目を背けたくなる場面をどうすれば神話化できるというのだろう。
あんなミーアキャットだらけの無人島など普通は想像もできない。
島の描写も海の描写も「食物連鎖」を提示して、人間はどうやって
(信仰心や宗教に関係なく)生存していくものなのかを示している。
神々しいファンタジーとして築き上げた、その世界観はお見事。
どうもラストのおぞましさだけが強調されると嫌になるけれど、
その胃もたれ・消化不良は生きていてこそ味わえる不快感である。
あまりにテーマが尊大(一見で分かり辛いのが多い)すぎて、
エンターテインメント性に欠けるのが、アン・リーらしい仕上がり。
(演技未経験の青年とCGのパーカーの演技には恐れ入る、お見事!)
メタファーな解釈も面白い!
映像美や虎とのやり取りなどは、他の方が書かれているので別な視点でレビューします。
虎とパイの話か、それとも最後に明かされた4人の生存者の話のどちらが真実か?という問題ですが、4人の生存者の話を考えてみた場合、シマウマ=仏教徒、オランウータン=母親、ハイエナ=コック、虎=パイになるのですが、虎が最初から登場しておらず、オランウータンが殺された後に登場したこと、また「コックの邪悪さが、自分の悪を呼び起こした」という台詞からも、虎はパイの悪の心を表していると思います。
その観点でその後の展開を観ると、
虎に襲われ、見捨てる事も出来たのに虎の命を救い、虎を手なずけ、最後には虎は森の中へと消えていく、という流れは、
自分の犯した罪に苛まれ、邪悪を否定し捨て去ろうとするが、今生きているのはその邪悪さのおかげだということから、捨て去る事が出来ず、自分の悪をコントロールし、共存することを選び、最後にはあるべき所へと帰っていくという風にも解釈できます。
トラと漂流した227日間は、自分の悪、煩悩、汚れとの対決を描いた実に哲学的、宗教的な映画としても観る事が出来ます。
主人公の神、宗教との関わり、原作者の経歴や専攻を考えると、この解釈もありではないでしょうか?
劇場で見るべき映画
とにかく映像がきれいでした。
トラにいたってはいつの間にかCGである事をすっかり忘れるくらい。
なんといっても映像美に感動。
エンディングがいささか残念でしたが
劇場で見るべき作品ですね。大スクリーンで見てください。
本作は、とにかく理屈を超えて美しかったのです。
3Dの立体映像にもすっかり慣れてしまい、どんな映画を見ても驚かなくなって入る人でも、この作品には純粋な映像美として感動させられるでしょう。何より彩度が高めの鮮やかさの中に、ハリウッド映画にはないアジアンティストに満ちた豊かな色彩使いに感動してしまうのです。まるで天国や極楽浄土を見ているかのようなオープニングタイトルから、本作の作品世界にクグッと引き込まれてしまいます。3Dだからといって、やたら飛ぴ出すとかか、奥行きがあるとかという映像効果の面ばかりが強調されてきたけれど、本作は、とにかく理屈を超えて美しかったのです。
激しい嵐から一転、鏡面のように一空を映す静かな海面。
夜の海を漂う小船が、まるで星空に浮かぶ宇宙船のように感じられきます。
、カツオに追われたトビウオの乱舞に驚愕し、
音もなく星降る夜に茫然とし、
激しく光る稲妻に夜の妖しさが映えます。
そこには青白くクラゲが光る海が映し出され、
巨大なクジラのジャンプが静寂を打ち砕くのです。
そして何より、本物と見まごうばかりの卜ラの姿。
その美しさに目を奪われ、しばしうっとりされることでしょう。トラを含めて殆どがCGだと後から知って驚きました。実際にトラについては、実際に4頭連れてきて、筋肉や目の動き、ボートが揺れたときに尻尾がどう動くかまで研究したそうです。そのデータを使ってトラを自在に動かしたというけど、最先端のVFX技術は恐れ入るばかりです。
物語は、小説の題材を探しにやってきたライターに、大人になった主人公のパイが、体験を語る形で始まります。その体験とは、インドで動物園を経営していたパイ一家が、閉園して動物を売り、カナダへ移住することに。しかし航行中に、船は難破してしまい、パイは、ひとり救命ボートに乗り移り、一命を繋ぐことができました。ところが、その救命ボートには、輸送中だった獰猛なベンガルトラが潜んでいたのです。
そんなトラと人間が共に227日も漂流するなか、いったいどうやって共存し得たのか、そもそも共存なんてあり得ることなのかというところが惹き付けられる内容です。
本作はそんな途方もない原作物語を、観客に完璧に信じこませる伏線を仕込むことがができたという点で優れた名作と評価します。
それにしても舞台は海上のみ限定されます。場面展開の乏しい、究極に限定された状況でも、少しも観客を飽きさせることがないのは、凄いストーリー性だと思います。
一見あり得ないような奇蹟の物語が、不自然ではないように描かくために、アン・リー監督はいくつかの布石を用意して、主人公のパイが、スーパーマンではないが、どこか「普通ではない」異才の持ち主でもあったことが印象づけられているところが巧みだと思います。
まず本作の大前提として、主人公は泳ぎが得意でなければいけません。その点、パイは父親の親友が水泳好きだったおかげで、名前にパリの水泳プールの名をつけられてしまうほど、幼い時から水泳に親しんでいたのです。
次に困難な状況を卓抜なアイデアで乗り切るための主人公がサバイバルしていける賢さも必要です。
その点も少年時代のパイが、「パイ」として認知して貰えるようにセルフプロモーションに励んだエピソードから、片鱗を伺うことができます。
実は、パリの水泳プールのネーミングは、インドで直訳すると「おしっこ」という意味になり、パイは学校で馬鹿にされ続けてきたのでした。
そこで、パイは一計を案じ、クラスの最初の時間に、自分からあだ名をつけて披露してしまうのです。自ら教壇に立って暗記した円周率を正確に披露するという作戦が功を奏して、晴れた「パイ」が愛称になっていったのでした。
そして、パイが動物園に育ち、幼い頃から動物たちと触れあってた来たこと。動物の扱い方に知識があったことも、大きな要素ということができます。
ただアン・リー監督は、幼い頃のパイに、どんなにこころを開いてフレンドリーに接しようとも、このどう猛なベンガルトラは、絶対に友だちになり得ない現実を突き付けるところが、心憎い伏線だと感じました。
さらにパイが最終的にサバイバルに生き残っていく上で、強い信仰心の持ち主だったことも不可欠でしょう。日本人は、信仰というと御利益しか思いつかない低次元の宗教観の人が多いので、パイの敬虔に真理を求める心境がイマイチ理解できないかもしれません。
パイが求めたものは、特定の宗派を越え、教典を超えて、純粋に神仏の世界の摂理とこの世に生まれてきた自分の生きる目的を問うものでした。ヒンドゥー教の神も、キリスト教の神も、イスラム教の神も、すべてに等しく親愛の念を抱くというパイの超宗派的な信仰は、凄く共感できました。
大海原に放り出されたら、宗派の違いなんて論外です。そして日々がこんな困難な状況に追いやった神仏への、なぜに?という問いかけだったのですね。
そこにはきっと大きな意味があるのだという信念が、簡単に絶望しない精神を生み出すことに繋がっていったのでした。
ついでに言うと、実はラストに、もう一つの物語があったことが、年をとったパイの口から語られます。そのことによって、美しくも奇妙なファンタジーだと思っていたこの話は、まるで遠った愛の物語に転換するわけです。
神仏は、決してパイを見放さず、じっと見守って、試練を乗り越えた後に、甘美な祝福を用意していたわけですね。信仰を持つものなら、とても勇気の奮い立つ終わり方でした。
だからあのリチャードーパーカーとは、一体何の化身なのか? どんな深遠な哲学的意味を持って、顧客に突きつけたのか気になるところ。終盤の彼は、ただうろつくだけでなく、パイの同志としての意志をしっかり感じることができました。
ところで、卜ラが飢えては、自分が餌になるから、自分の食料以外にトラ用も確保しなくてはなりません。
先ずは、ボートの底に敷いてある簀の子でなんとかイカダを作り、船尾にロープでしばりつけて乗り移り、トラとの棲み分けを図かったり、トラのエサとなるための
魚釣りに励んだり…。
そんなパイのトラとの共生のため智慧を目指し涙ぐましく努力するところも見どころです。
答えは一つではない
小学校1年生の息子と3Dで観劇した。
話のメインである海での漂流。
これは人生を表現してるのだなと思った。
そう考えると話が進むたびにパイが生活している、ボートから伸びる筏の居住性が良くなっていく様が可笑しい。
そして、自分にはどうしようもない大きな力によって、そこに蓄えた財産が一瞬で奪われてしまうことにも人生の無常、不条理を感じてしまう。
そしてパイが弱り切ったときに流れ着く浮島。
沢山のミーアキャットがいる。
これは主人公である他者から見た我々であり、私たち自身から見た他者なのかなと思った。
ミーアキャットの数匹は虎に食い殺されてしまう。無作為に。更にパイによっても虎の餌としてまた数匹殺される。
更に夜には足元の島は生き物を死に導く大地へと変わる。ミーアキャットに出来るのは木の上に逃げることのみ。
大勢の中で安心かと思いきや避けきれない不幸はいつも突然やってくることを示唆しているようだった。
最後にパイは今まで話してきたことを否定するような話を始める。
そして観客に投げかける。
どっちが事実だと思うか?と。
それは結局はっきりとは明かされないが、信じていたものが斯くも脆いことに観客自身が揺らされる。
最後に、正直小学校1年生の息子には内容はふんわりとしか伝わらなかったようだ。
だが、それを補って余りある映像美。
クジラのジャンプ。
トビウオの群れ。
パイに飛びかかる虎には実際に仰け反っていた。
観劇には3Dをお勧めする。
スタッフロールにまで3D映像が組み込まれているのは気が利いているなと思った。
大袈裟な広告!!!
まず前置きが長い! 違う映画を観に来てしまったのかと思った。
肝心の漂流の方は予告編で見た映像以外は変化がなく動物達の動きもどことなくぎこちなく退屈な時間が多かった。 それでもやはり映像は綺麗だなぁと思う場面もいくつか有りました。
グッさん似のお父さんとIMAXでプラス0.5
綺麗で哲学的でドラッギー(゚∀゚)アヒャ
世界中で大ベストセラーになった小説『パイの物語』の映画化だけど、原作は全然知らなかった(;´∀`)
町山智浩さんがラジオで紹介してるのを聞いて、そして予告編を劇場で観て興味を持って観に行きましたε=ε=ε=┌(o゚ェ゚)┘
オープニングは動物園の牧歌的な風景から始まり、「ママジ」こと水泳が得意なおじさんから紹介されたというカナダ人のライターが、大人になったパイの所に取材に来て、パイは不思議な話をする。
まずはヒンズー教、イスラム、キリスト教、仏教・・・色んな宗教にのめり込んでいくパイの様子が描かれる。
動物園を営んでいた父親が、カナダに移住することになって動物を連れて船に乗り込むが、そこで大嵐に巻き込まれて船は沈没。パイは1人で救命ボートに乗って漂流することになるが・・・
何とそのボートには足を怪我したシマウマ、オランウータン、ハイエナ、そしてのどが渇いてたところを捕獲されて「サースティ」という名前を付けられたものの「リチャード・パーカー」と呼ばれている虎が!!!工工工エエェェ(゚Д゚)ェェエエ工工工
ハイエナはシマウマとオランウータンを食い殺し、そのハイエナは虎のリチャード・パーカーに食い殺され、ついには虎とパイだけになり、パイは虎に食い殺されないようオールを組んで筏を作ってボートにつなげてその筏の上で漂流する。
非常食も命からがら持ち出して、何とか生き延びていく。
それまでに海に落ちた虎を救い上げたり、トビウオの群れがばしばし飛んでくるシーンでも逆に餌を与えるし、虎に完全に依存しながら漂流するようになる。
パイはママジから水泳を教えられたから、船が沈没した時も泳いでボートまでたどり着けたわけで、さらにボートの上で神様に感謝しながら捕まえた魚を食う。
この映画は全然違う話が繋がってるようにも見えるけど、宗教の話も家族の話もちゃんと伏線にはなってるわけですな゚+。゚(・∀・)゚。+゚イイ!!
つまり「何で生き残れたのか?」という答えにもなってる。
何もない大海原で漂流してる時、空の星が海面に映ってあたかも宇宙を漂流してるような感じ∑(゚ω゚ノ)ノ
そこから鯨が出てくるシーンなんてほんとに幻想的だし、このあたりの映像なんて3D効果がいかんなく発揮されてると思う。
何だか幻覚でも見てるようなドラッギーな映像だし、町山さんも言ってたけど『2001年宇宙の旅』とそっくりなシチュエーションイイネ♪d('∀'o)
何日か漂流した後、たまたまミーアキャットの大群が生息する浮島に漂着して一安心ε-(´∀`*)ホッ
でもよ~~~~く見ると動物の骨みたいなのが地面に万遍なく散乱してるのが分かるし、ミーアキャットは可愛いけどあんなに大量にいると何だか不気味だし、綺麗な風景でありながらも不吉な印象がガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
パイは木の上にハンモックを作って寝てるところ、なぜかミーアキャットが木の上に上ってくる。
パイがふと地面に目を向けると、昼間水浴びをしてた水たまりでなぜか魚が溶けて骨になってる風景がエェエェエェエェエェエェエェエェエ(゚Д゚ノ)ノエェエェエェエェエェエライコッチャ
この映像も綺麗ながらも残酷なイメージ(゚∀゚)アヒャ
夜になるとこの島の水は動物を溶かす物質に変わるんだとか。
あの地面に散らばってる動物の骨はそういうことだったのか・・・・
何ともはやクレイジーな設定と言うか、そんな場所現実にはないだろ?っていう話(;´∀`)
この辺りからあれ?(・ω・)って感じになる。
その後この島を出て、さらに漂流を続けた結果、メキシコにたどり着いてパイは救出されて一命を取り留める。
そして虎のリチャード・パーカーはジャングルに姿を消す。
日本から来た保険外交員はその話を信じるわけもなく、ほんとのことを話してくれと問い詰める。
そこで驚愕の事実が・・・
工エエェェ(´д|゚∀゚)っ|`)ェェエエ工
だから虎の名前が「リチャード・パーカー」だったのか(ノ∀`)アチャー
エドガー・アラン・ポーの小説『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』で、4人の男が漂流して飢えと渇きで極限状態になって、これからくじを引いて当たった奴を殺して、残った奴がそいつを食うことにして、くじを当てた給仕係のリチャード・パーカーという青年が刺し殺されて食われてしまうという話がある。
さらにこの小説が発表されてから50年後、実際に全く同じような事件が現実に起こったという事実コワ━━━((;゚Д゚))━━━!!
さらにさらに、その時殺されて食われた人の名前も同じ「リチャード・パーカー」
エェエェエェエェエェエェエェエェエ(゚Д゚ノ)ノエェエェエェエェエェエライコッチャ
ポーの小説が現実になっちまうという、身の毛もよだつ「本当にあった怖い話」ですなヒィー(>ω<ノ)ノ
そして生き残る動物がシマウマ、ハイエナ、オランウータン、虎というのも、これは「価値観の心理テスト」のメタファーだとTBSラジオの「たまむすび」で赤江さんが言いそうになってたけど、俺はこの心理テスト実は知らなかったもんで、調べてみてなるほど!!( `д´)b オッケー!と納得できた(゚∀゚)アヒャ
まあ落ちとしては、保険外交員はこんな話をしても信じないし現実的ではないから、虎とか出てこない話をしたら・・・・
Σ(´∀`;)
全然予想もつかなかった(゚∀゚ ;)タラー
シマウマが日本人の船員、ハイエナが横暴なコック、オランウータンが母親、そして虎がパイ自身のことで、コックが日本人と母親を殺し、パイがコックを殺したということ。
パイがボートの船底にいたネズミを虎の口に投げ込むシーンがあるけど、あのシーンがまさに象徴的(゚д゚)イーヨイイヨー
前半でパイの父親が「人間は見たいと思うものを見るもんだ」と食事中に話してたけど、正にパイは自分の母親を殺したコックを殺したという事実を覆い隠すために虎のオブラートで包んで、精神的な安定を保とうとしてたのか・・・・
浮島の下りなんて完全な妄想と言うか幻想で、あのあたりから段々現実感から離れていくのもそういうことだったのか・・・(;´・ω・)
とにかく哲学的でありながらもクレイジーで、さらに幻想的で綺麗な映像美も楽しめて、とても予測できない大どんでん返しの大落ちはほんと楽しめたワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ
時間の長さも感じさせないしお勧めですъ(゚Д゚)グッジョブ!!
壮大な寓話
予告編を劇場で観て、腹の底で馬鹿にしていました。トラと海を漂流するなんて、何て馬鹿げた話なのだ。ハリウッドも遂に脚本が払底したか・・・。しかし、本編を観終わった今、馬鹿だったのは馬鹿にしていた自分の方だったことを痛感しています。内容については詳述しません。この映画、くだらないだろうな、と想像している、そこのあなた、騙されたと思い、劇場へ駆けつけて下さい。星を半分、減らしたのは、最後の重要な場面が駆け足になってしまったからです。副題にある「トラと漂流した227日」ですが、劇中に227日を示唆する科白や描写は出てきません。何故、227日なのか、不思議です。尚、3Dの映像に関しては、「アバター」よりも上出来です。
可もなく不可もなく、ある意味予想通りのデキ
主人公は16歳の少年・パイだが、現在の成人したパイを演じるイルファン・カーンによる甘く落ち着いた語り口が耳に心地いい。
貨物船が嵐に遭遇したというだけで、なぜ沈没に至ったかは説明がないが、救命ボートに少年とトラが乗り合わせた経緯は無理がない。
幼かったころのパイにトラに対する恐怖心を植えつけたエピソードも効いている。
ただ227日にも及ぶサバイバル漂流は意外にあっさりしていて平坦だ。たとえトラがいなくても生命の危険が勝るはずだが、光り輝く美しい映像が多くを占める。つくづく、アン・リーという監督はロマンチストな人なのだと感じる。それは温かみのあるエンディングにもよく顕れている。
さて、大人のパイがこの映画の原作者と思われるカナダ人のライターに自身の経験を話し終えるラスト、パイはもうひとつの物語を語り始める。パイ少年の体験談の真実はいったいどこにあるのか? その答えは人それぞれの受け止め方でいいと思う。アン・リーのようなロマンチストになるか、それとも日本人の保険調査員のように現実的にものを見るか、性格占いのようなものだ。
総てを受け入れる事は、総てを信じず否定する事と決して同一ではない
私が最も敬愛する監督アン・リーが4年もの歳月を費やして遂に完成させたという本作品は、今の映像技術の可能な限りを尽くして制作された3Dの見事な画面を展開して魅せてくれるのは一体何故なのでしょうか?
私が考えるには、パイ少年と虎のパーカーの漂流の冒険ファンタジーを、観客である私達が、まるで同じ海で遭難し、少年の乗るボートに同乗しているかの様な臨場感を共有する事が出来る様にとの監督の映画に対する愛情とプロ意識、そして観客の私達に心から映画を楽しんで欲しいと願う、監督から観客へ向けられた愛情とサービス精神の表れだと思うのです。監督のその想いの下に世界から一流のスタッフが集結し、その力が見事に溶け合い開花したのが本作品と言う事が本編を観ていると見事に伝わってくるのです。
ハリウッド映画は「アバター」以来、何時でも単に3Dを駆使すれば、面白いだろうとハデな映像ばかり重視し、そのくせ中身の薄い作品の量産をしていた昨今の映画界の有り方には、正直嫌気がさしていた私ですが、やはりアン・リーの作品では3Dに凝るにはそれなりの物語のドラマ性を重視し、そのドラマの世界を最大限に伝える為の表現方法としての映像技術の充実を図ると言う工夫が生れて来ていると言えるのです。
彼の作品は、始めに明確な映画のドラマが存在し、その目的の為の、日々の技術の表れとして、職人技術の集大成である総合芸術としての映画がそこには出来上がるのですね。
だからそれ故にこの映画は、子供は冒険活劇としての映像の美しさや、面白さを楽しむ事も出来るでしょうし、大人は、家族の在り方、自然と人間の関係性、そして神と宇宙と人間の繋がり、人間がこの世界で生きる人生の意味と言うように、観客一人一人の人種や世代の違いがあっても、それぞれの立場の人達が、みんな心の本質的な発見を持てるように、映画が作られているのは、この映像同様に正に神秘と言うよりほかがありません!
アン・リー監督の描く世界は、常に家族の姿を軸にして、人間の本質とは何かを問いかけ、そしてこの世界で異なる価値観を持つ人々が混然一体となり日々暮している中で、それぞれの人々がみんな人間として幸せに生きようと努力する姿が描かれている。その人々を見詰める監督の目線の愛情に満ちた細やかさが画面一杯にいつも溢れていると思うのです。そのため彼の描いている世界観は、かつて小津安二郎監督が徹底的に家族の姿を通して人の本質に迫っていき、その彼の世界観は、人種の違いを越えて今も尚世界の人々に受け入れられ、高い評価を受けて愛され続けるようになったのと同様に、アン・リー監督の作品も、家族の生活を描き、その先に有る社会を見事に捉え、同時に人間に共通する人の本質とは何かを常に問いかける映画を魅せてくれている彼の作品は今後もきっと世界で高い評価を得る筈です。彼は今後も、更に楽しい映画を制作するでしょうね。人は常に希望を失わずに生きる勇気を掲げて前進あるのみですからね!貴方の日々の生活を常に見守り、サポートしてくれている大いなる存在がいる事を忘れず、さあ今日も元気に生きよう!
映像で観せないのは映画の禁じ手
みんな、なんか間違ってる気がする。 これは、船が難波して、4人の遭難者が 出てそのうち体が弱った少年を3人が 食ってしまったという話を聞いて、作 者が創造した話なんだよなあ。 だから細かい所をつついて、そんなわ けないとか言ってみても無意味な気が する。
ただ映画的には最後のネタばらしは映 像でみせるべき。 映画で言葉だけで説明するのはやって はいけないタブーだと思う。 映像で表現していたら、もっと評価が あったきもする。
まあ原作読まないと本当に作者が言い たいことは、わからないけどなあ。 なんせ中国人の映画監督が、単に解
釈 間違ってるかもしれないし。
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