劇場公開日 2013年5月31日

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「極上の映像美と演出を堪能!」グランド・マスター こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5極上の映像美と演出を堪能!

2013年6月12日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

興奮

知的

幸せ

 物語が始まった途端から、ワクワクさせてくれて、めくるめく映像絵巻にのめり込んでしまった。「こんなに映像や物語に前のめりになってしまったのはいつ以来だろう」と見終わった後に考えたら、『花様年華』以来だった。ウォン・カーウァイ監督、久々とは言え、さすがの力量だ。

 この作品の物語は、近代中国の武術界を代表する宗師・イップマンの人生を、彼にまつわる武術家同士の戦いを中心に描いている。ただ、カーウァイ監督の映画はいつも生活感など一切なく、映像美だけで押し通す演出なので、激動の時代をどのように生きたのか、などというような生身の人間的な部分はない。そのために、物語を追うだけだと武闘シーンばかり突出していてあまり面白味がない、と感じる観客もいると思う。
 しかし、カーウァイ監督のファンとして言っておきたい。目を離さずに見れば、瞬間に動く登場人物の表情や仕草に、セリフなどなくても生き方そのものが表現されているのがわかることを。

 それが最も顕著なのが、イップマンとルオメイが闘うシーンだ。建物を壊さないという条件付きという状況だったとしても、他の闘いに比べて相手の懐に入らず、拳が当たらないと見るやすぐに引いて、動きを見ながら再び接近していくという、互いをリスペクトする心を演出して見せている。顏が接近するシーンもあるにせよ、闘いの流れの中で、二人が宿命の仲になっていくことを表現してみせているところは、カーウァイ監督の真骨頂を今回も見せてくれている。
 カーウァイ監督は、セリフに頼る演出はあまり上手くはない。役者の目の動きや手が相手のどこにかかるか、という瞬間的な動きの中で、心の動きをスクリーン上で見せようとする。だから、その大事な瞬間を映像でより鮮明に、より美しいために、カーウァイ監督の作品は、いつもめくるめく映像美で観客の心を酔わせてくれる。
 その映像美の中でも、特に、ルオメイの父の葬列のシーンの美しさは、近年の映画の中でも白眉と言いたくなるものだ。葬列のシーンだけとっても、これまで最も美しいと思っていたテオ・アンゲロプロス監督の『エレニの旅』の河上の葬列より印象的だった。
 そして映像美の中に、ルオメイの殺された父の復讐を決意する演出を見せてくれる。この作品が、他のカーウァイ監督の作品と違うところは、登場人物の誰もが常に武闘家同士の闘いに目を向いていることだ。復讐だったら、心情だけをとらえればいい場合もある。それは社会への反攻だったり、単なる憎しみだけを提示すれば観客は納得するものだ。しかし、この作品では、復讐であっても武闘家同士の崇高な闘いであることを、映像美から見せようとしている。
 実は、『花様年華』も恋愛映画でありながら、男女の心の葛藤、すなわち心の闘いを映像から見せていたことに感心させられた作品だった。この監督は、真の映像演出ができる、世界でも稀有な巨匠だと思う。

 ただ今回、唯一の欠点なのは、武闘シーンに力を入れたために、シークエンスごとに余韻が感じられなかったことだ。
 今までなら、人間同士の心の動きを瞬間的に演出する分、次のシークエンスまでに観客に人物の心のヒダを考えさせるくらいの余韻があった。具体的に言うと、行間を感じる脚本を用意していたのだ。しかし今回は、決着をつける武闘シーンが多く、心でなく身体を犠牲するシークエンスが多くなったことで、心を読む余韻、行間がなかったと感じた。しかし、それは武闘映画ということで仕方ないと納得したほうがいいだろう。カーウァイ独特の余韻は、次回作の期待値としてとっておくことにしよう。

 もうひとつ、この作品でワクワクさせてくれたのは、生身の人間が闘っていることだ。つまり昨今はやりのワイヤーアクションも、CGも、ほとんど使われていない。デジタル映像だからこそ、スローモーションだけでも迫力あるカンフー・シーンが撮れることを実証して見せてくれた。それもこの作品の価値を高くしていることを特筆しておきたい。

こもねこ