劇場公開日 2011年11月5日

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「キッドマンの抑制のなかに凄い気迫を感じる演技。だけど違いがわかる映画通でないと全く理解されない退屈な作品。」ラビット・ホール 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0キッドマンの抑制のなかに凄い気迫を感じる演技。だけど違いがわかる映画通でないと全く理解されない退屈な作品。

2011年10月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 キッドマンの初プロデュース作品だけに、自ら主演したその演技は、抑制のなかに凄い気迫を感じさせました。スローテンポで変化の乏しい作品ながら、最後までスクリーンに釘付けとなりました。アカデミー賞主演女優賞にノミネートされただけの価値ある演技です。幼いわが子を失った母親の複雑な心情を、これほどまでに細やかに、ごく自然に演じられるものかという驚きと共に、その喪失感が胸に迫り、涙を禁じ得ないほどのものだったのです。

 最近活躍する女優といえば、ナタリー・ポートマンばかり注目されてきたきらいがありました。彼女の主演した『ブラック・スワン』は確かに主演女優賞の価値ある演技でした。けれども劇的な『ブラック・スワン』に比べて、どこまでも抑制した喪失感を静かに演じる本作のほうが、演技の見せ方としては難易度は高いというべきではないでしょうか。 キッドマンの復活といってもいいぐらい、彼女の演技に賛辞を送りたいと思います。

 ただ本作の前半に描かれるごくコーベット夫妻の日常が淡々と描かれるところは、耐えがたいほど緩さなのです。だから普段映画を見ない人やアクション専科の人などは、この前半で轟沈することでしょう(^^ゞ
 残念ながら、本作の良さはある程度単館映画に通って、違いがわかる映画通でないと全く理解されない退屈な作品になってしまいます。けれども、身近な肉親と死別したことのある人なら、コーベット夫妻の喪失感は映画の退屈さを超えて、五感にひたひた迫るものを感じざるを得ないでしょう。ゆっくりとボディブローのように、本作は心の琴線に迫ってくるのでした。

 そて物語は、妻ベッカのごくありふれた日常から始まります。ガーディニングに精を出したり、パーティをやったり、洗濯したり。後になって気がつきいたのですが、意外とこの何気ないシーンはラストの重要な伏線となっていました。当初は気にならなかったのですが、ベッカが家事に一心に打ち込む姿は、ラスト近くになってやっと明かされるひとり息子のダニーを事故で失った悲しみを忘れるためのものだったのです。
 ストーリーは徐々に、コーベット夫妻の間にある確執を浮き彫りにしていきます。二人の間に何が起こったのか、この段階では伏せられています。ただ二人目の子供設けようとベッカに求める夫ハウイーの台詞におやっと感じました。そして8ヶ月も夫婦生活がないと嘆くハウイーのひと言に、8ヶ月前にきっと子供を失ったのではと暗示させてくれたのです。
 その予感は二人が肉親を失った人たちのグループセラピーに参加したことで確信に変わりました。二人は大きな喪失感の中暮らしていたのです。
 ベッカは、グループセラピーの参加者が執拗に神による救いを説教してくるのがうっとうしかったようです。また息子を失って以来、信心深くなっていた母親からの信仰のすすめにも耳を貸そうとしませんでした。小地蔵は、そんなベッカに気持ちがよく分かります。人生計画には人によって敢えて大きな悲劇を予定して、遭遇してしまうこともあります。本来自分が納得して決めたのにもかかわらず、いざ経験してみると、この世に神も仏も地蔵もいるものかと怨むこころになってしまうのも無理ならずやかなと思います。そんな不幸な人を見守る地蔵としては、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。

 浮き彫りにされる夫妻の確執は、男女の感覚の違いを明確にして興味深かったです。ベッカの願いは、ダニーの記憶を消し去ること。そのために自宅まで売り払おうとします。一方、ハウイーはできるだけダニーの記憶を遺したいと願っていました。女は記憶をあっさり消したがり、男は執念深くいつまでも記憶にしがみつくものなのですね。
 スマホからダニーの動画をうっかりベッカが削除したことで、二人は大喧嘩に。それはふたりの関係が修復不可能なところに来ていることを予感させるものでした。子はかすがいと申します。その大切な子供を突然亡くしたとき、夫婦関係にもヒビが入ってしまうものなのでしょう。

 ふたりはそれぞれ癒しを求めて秘密を持ちます。ベッカは若い高校生を見つけてストーカーまがいのことをします。若い燕をつまむのかと思いきや、この高校生、これまで決して夫妻が許すことのなかった息子をひき殺した犯人だったのです。
 その高校生ジェイソンが真摯に自分の非を見つめて反省して生きているところが、ベッカにとって救いでした。そして、ジェイソンが語るパラレルワールドが、ベッカの希望を紡ぐのでした。宗教は拒絶したベッカでした。でも、この広い宇宙のどこかにダニーは生きていて、幸せに暮らしている自分が存在するパラレルワールドがあると信じると、心が解けていくのでした。
 本題の『ラビット・ホール』とは、ジェイソンが描いた手書きの漫画のタイトルだったのです。その意味するところは、パラレルワールドへの入り口。決して失望の穴に落ちる意味でなかったことが意外でした。

 ハウイーもまた、グループセラピーで知り合った女性と彼女が勧めるマリファナに依存するようになっていきます。セラピー出席も口実となり、二人は密会しあう関係に。

 そんな夫婦の危機と喪失感を救ったのが母親のひと言でした大きな岩のような悲しみでも、やがてポケットの小石に変わるという母親の言葉には胸を打ちました。何故なら、単なる説教でなく、母親もまた息子を失った同じ立場で語ったからです。その深い悲しみを、消したくとも消せず、それでも抱きながら歩んできた母親の絞り出すような言葉は、ベッカにも喪失からの再出発できることを訴えたのです。

 ラストは、都合のいいような奇跡が舞い降りるハッピーエンドを避けたのが秀逸。それでもワンショットで夫婦の再出発をポジティブに描きだすところがなかなか憎い演出でした。
 デンマークのスサンネ監督作品など、これまでの喪失ものは、どこかわざとらしさが漂よいがちでした。それだけに本作の抑制の効いた演出が、見終わってからじわじわと余韻を深めてくれて、記憶に残る一本となった次第です。

流山の小地蔵