太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男のレビュー・感想・評価
全51件中、41~51件目を表示
生きて、こそ
「愛を乞うひと」「OUT」などで知られる平山秀幸監督が、主演に竹野内豊を迎えて描く、壮大な戦争ドラマ。
太平洋戦争末期、サイパン島陥落を目前にして竹野内豊扮する大場大尉が率いる部隊は、降伏を拒絶し、森の中で必死の応戦を続けている。ここに、他の戦争映画との違いがある。戦争を前に、士気を高めた兵隊達が闊歩し、戦いに突き動かされていく高揚感はここにはなく、銃声、叫び、自決といった死の象徴が森林に充満している。敗北を前提にしたドラマとして始まっているところは、大和魂を勇猛果敢に描く作品とは大きく視点を外している。
その中で、この作品は何を描くのか。平山監督は敢えて、泣き叫んでも、どんなに卑しくても、胸を張って生きることを選んだ一握りの兵士、民間人を描く事を選んだ。
随所に描かれる「生への執着」は、観客に対して幸せな光を放つ。
序盤、破壊され尽くした家で、敵兵に取り囲まれながら必死に泣き叫ぶ赤ん坊がいた。
敵兵の陣地にあって、大場大尉の名を愛おしそうに呼ぶ中嶋朋子扮する一人の女性の目は、澄んで輝く。
そして、大場大尉を演じ切った竹野内の、美しいまでに真っ直ぐ、前を見据える大きな瞳。そのどれもが人間の可能性、未来を一心に信じる作り手の熱い思いが投影されている。
適材適所のキャスティングで描こうとした答えは、戦争の非情さであり、悲しさもあっただろう。だが、私にはもっと大事な答えが提示されていると感じられる。
「生きろ、どんなに汚くても、生きろ」
生きてこそ、この物語に出会えた。もう一度、強く生きたいと思わせてくれる、稀有な人間賛歌である。
不完全燃焼系…
起承転結がぼやけている…と思う。
『モヤァ~』っと始まっていつのまにかエンディング。
唐沢氏の役どころもいまひとつ必要性を感じ得ず逆に難解に感じた。
史実に基づいているとはいえいまひとつメッセージ性が感じられない。
戦った人々を誇りに思いたい
人物設定など、事実に手を加えたところはあるだろうが、“玉砕”を潔しとしなかった大場という人物は、その場の空気に流されない強い信念の持ち主と考えられる。現代でもはっきり「ノー」と言える日本人は少ない。
食べるものもなく、仲間は日々減少し、山での陰湿な環境での暮らし。そんななかで隊を統率した大場という人物には頭が下がる。
劣悪な環境描写には欠けるが、やや明るいタッチは、祖国のために<死ぬ>ことが本望という国家情勢の中、<生きる>ことを目的に戦うというテーマに合っている。
人物の配置もいい。
軍隊という縦社会が崩壊し一匹狼となった堀内一等兵と、目の前で家族を殺されアメリカ人を憎む青野が大場大尉とは一線を画し、大尉の立場が必ずしも絶対的なものではないと話に幅を持たせた。阿部サダヲをはじめとした民間人も、それぞれの考えを示し、それはそのまま大場大尉の揺れ動く胸の内でもある。
戦って生き抜いた47人の隊員が、身だしなみを整え、日の丸を先頭に整列し、軍歌を歌いながら米軍の前に姿を現すラストには感動する。
あの戦争は愚行だったとか恥ずべきことだと唱える人がいるが、前線の兵隊が望んでそうなったわけではない。当時、なるべくしてなったことでもあり、それを教訓に平和な国家作りをしていかなければ、それこそ亡くなった方々が報われない。非難ばかりしていては先に進まない。祖国や家族を護ろうと戦った人々にもっと敬意を持つべきである。
原作のような事実がアメリカからの逆輸入によって知らされる。これが悲しい。日本ももっと胸を張って先人を讃えるべきだ。それができないうちは、日本の戦後は終わらない。
終戦から65年、まさか日米が協力してこんな映画を撮ろうとは、大場大尉以下誰も努々思わなかったことだろう。
大場栄大尉、素晴らしい人ですね。
太平洋戦争末期、サイパン島。
「生きて捕虜の辱めを受けず」
「おめおめと生きて帰って来た」
「生き恥をさらす」
こんな言葉が、まかり通っていた時代。
死ぬことが立派とされていた時代。
たまたま、生き残った兵士の中で、自分が一番上の大尉だったことから、民間人を含め200人もの人を守り抜いた大場栄さん。
敵が攻めて来るのに、何もない、何もできそうにない。
そんな状況で、突然、全てを判断し、指揮しなければならない立場になったら、何ができるんだろう。
それなのに、水も食料もないサイパン島で512日も生き伸び、人々を守った。
蒸し暑いであろうサイパン島が、うすら寒くさえ感じる。
冷静でいることほど、大切なことはないだろう。
狂ってしまっても可笑しくない状況の中、冷静であり続けた大場大尉。
彼の人となりは、アメリカ軍のルイス大尉の心をも動かしていく。
生きて帰ることを≪恥≫とする時代に、生きることを選んだことは、スゴイことだ。
究極の選択だったことだろう。
「私は、誇れるようなことは、何一つしていません」
この言葉が、胸を打つ。
ただ、竹野内豊さんの演技が、冷静さを貫いたとみるか、陰影がたりないとみるか、意見がわかれそう。
この作品を鑑賞にきていた、たくさんのおじいさん達。
兵士としてではなくとも、少なくても民間人としては、太平洋戦争を体験しておられるのだろう。
そんな彼らの背中を見ながら、生きぬくことが大切なのだよという時代になって良かったね、と思った。
贅沢な今を考える
映画館で観てきました!凄くよかった。死と隣り合わせの感覚。降伏の無念さ伝わりました。こんな贅沢な世の中で弱音を吐いていてはダメだと思った。
ただのお涙頂戴や大げさなスペクタクル映画を期待している人には向かないと思います。考えさせられる映画です。
主演の竹野内豊さんと唐沢寿明さんがすごくよかったです。
もう少し、精巧に描ければ完璧だった。
事実に基づいた物語。太平洋戦争末期の1944年、サイパン島が玉砕してから、大場大尉の物語は始まる。援軍はもちろん、食料・弾薬はおろか、水も乏しい中、512日にも渡り抵抗を続け、最後は、連隊長からの正式の投降命令を受けて投降した。
大場大尉を演じたのは、竹野内豊。いい俳優さんではありますが、軍人役には微妙。優しさだけが見えて、厳しさが見えないんですよねぇ。ちゃんと、陸軍式の敬礼をしているなど努力は感じられましたが、イマイチに感じてしまいました。
それと、戦争末期でまともな兵士は少なくなってきているとは言え、帝国陸軍で、堀内今朝松の様な刺青のある兵隊って有りうるのかな? 刺青って、軍では禁止なのでは?
って言うか、軍人役がイマイチなのは、米軍の方も。あの時代で、しかも最前線のUSMC(アメリカ合衆国海兵隊)の指揮官で、あんなメタボな人って(ポラード大佐)有りうるのかな? それと、こう言っては何だが、一介の大佐がワシントン(政府上層部)から突っつかれるというのも、設定としてはどうかな? 上級司令部から突っつかれるのは判るけど。
それと、米軍側の指揮官が、途中でポラード大佐からウェシンガー大佐に変更になるんですが、あれって、何の説明もなしにあんなシーンを見せられても、判らない人がいたのでは?と思ってしまいます。指揮官交代式って、普通は、全軍揃って行うのでは?とも思いますが、どうなんでしょうか? 戦闘行動中だから、簡略化したんですかね? そういう話に齟齬があると言う意味では、いつの間にか、奥野春子が収容所にいたりと、話のつなぎ目が無いと言うか、話が飛んでいるというか、そういう所が気になりましたね。
そう言うと、ルイス大尉もUSMCの大尉にしては優男過ぎ。それと彼も、ちょっと体が締まってないね。もっと訓練で体を引き締める必要があるのでは?
さて、この映画は、大場大尉が民間人・軍人を統率して、生き延びるということを描こうとした作品です。味方はおらず、援軍も期待できないと言う、まさに周りは敵ばかりという非常に厳しい環境の中、どうして、そして、どうやって大場大尉が生き延びたのかと言う事がもっと判るように描けなかったですかねぇ。また、日本人達の野営地での日本兵同士、あるいは日本兵と民間人(そして多分、民間人同士)の確執が描かれていましたが、あんな甘いものでは無かったのでは?とも思います。
他方、ルイス大尉は大場大尉を尊敬しているという設定ですが、ルイス大尉がどういう経緯で大場大尉を尊敬するようになったのか、そして、米軍全体の中で、大場大尉達はどう位置付けられているのかを、もう少し丁寧に描いてくれた方が分かりやすかったと思います。
とまぁ、否定的な意見ばかりですが、この作品が酷いという訳ではありません。ドキュメンタリー映画ではなく劇映画なのでね。でも、もう少し、その辺りのことを気にしてもらえると、もっといい作品になったと思います。
[2011/02/12追記]
大場大尉を優しい人物に描いたのは、強ち間違いでは無かったかも知れませんね。大場大尉の経歴を調べてみると、士官学校出身のバリバリの現役士官ではなく、甲種幹部候補生出身という事。確かに劇中でも、前職は教師と言っていました。それを意識して演じていたのでは無いと思いますが、結果的には成功だったのかも知れません。
後半スペクタルでなくなったものの、平山監督ならではのヒューマンタッチに感動できました。
冒頭『硫黄島からの手紙』と同規模の大スペクタルシーンが描かれて、日本軍が玉砕していくところが描かれていき、多いに本作への期待感が盛り上がりました。見所は、なんといっても、僅か47名で45,000人もの米軍を翻弄し続けた大場隊のゲリラ戦闘シーンです。これが前半の2シーンしかなく、なぜ大場大尉をフォックスと呼んで、米軍が恐れたのか。ちょっと説得力不足でした。
もっとも平山監督は、ヒューマンドラマの名手ですので、前半のスペクタルな戦闘シーンよりも、後半の葛藤にまみえながらも、民間人を守ってく人間ドラマとしてはグッとくるシーンが満載です。スペクタルもいいのですが、平山監督らしく、じっくり丁寧に、登場人物を描いて行く作品もいいものですね。
本作はこれまでの邦画作品と違って、完全に日米+CG別々に監督を立てた3ユニット体制で製作されています。両軍の立場を完璧に把握しているスタッフによって演出されているのが、いままでなかった取り組みではないでしょうか。その中で、玉砕や万歳攻撃など自殺行為について、日本人とアメリカ人の文化の違いを克明に描き出しています。
両軍の考え方の違いをつなぐ貴重な存在として登場するのが、ハーマン・ルイス大尉の存在。彼は日本に二年間留学して、日本語もしゃべることができました。さらに日本文化に詳しく、敬意すら抱いていたのです。
ルイス大尉は、たびたび日本人に無知な司令官に、日本の文化や気風を説明します。その言葉によって、かえって双方の考え方の違っているところが浮き彫りにされていきました。
日本人をクレイジーに思わないルイス大尉がいたからこそ、いたずらに根絶やしの掃討作戦がとられずに、日本人のプライドを尊重した形の投降勧告作戦がとられた結果、のちの生存者の投降に繋がったものと思われます。
さて本作の大きな魅力の一つに、竹野内豊が演じる大場大尉の人間的な魅力です。戦場でも赤ん坊を助けたり、民間人の救命をまず第1に考えたり、厳しい戦いの中でも、人間味溢れる慈悲の心を捨てなかったことでした。なかでもラストに、敗戦を知らされて自刃しようとした部下が、家族の写真を見て、嗚咽してしているところを、じっと見る眼差しは部下の苦悩をそのまま受け止めているようで、涙がこみ上げてきました。
彼がリーダーだったことが、民間人200名と大場隊47名を玉砕せずに守ることに繋がったのだと思います。
さて、大場大尉が救った赤ん坊は、後半米軍の収容所で再登場します。そこで家族を米軍に殺された、看護婦の青野千恵子は目を疑う情景を見るのです。鬼畜だと思っていたアメリカ人の看護婦が、日本人の赤ん坊を優しく抱きしめているのです。台詞はありません。しかし確実に、青野の驚きと復讐心が薄れていく心理を描き出して、平山監督ならではの素晴らしい演出にこころ打たれました。
民間人保護のシーンも説得力抜群でした。大場大尉活躍に手を焼いたアメリカ軍は、ついに、大場隊が立て籠もるタッポ-チョ山を人海戦術でしらみつぶしに探索する作戦を行ったのでした。ジャングルでは、足元が悪いので、上は見ないだろうとの大場大尉の読みはすばり的中して、巧みに崖の上や大きな木の上に避難した民間人の足元を、アメリカ兵が探し回ります。今にも見つかりそうな至近距離での描写は緊迫感に満ちていました。
ところで、ルイス大尉の焦土と化した本土の現状をPRする作戦は、功を奏し、大場隊にも動揺を与えます。大場隊は、収容所に暮らす住民と常に情報交流を持ち、ルイス大尉配るビラがあながち謀略ではないと感じていたのに、抵抗を続けるのには疑問を感じました。但しラストで、ルイス大尉からの降伏勧告に対して、上官の命令無くば降伏できないと大場大尉が答えるシーンがあり、そうなのかと納得できました。
本作では、大場大尉を演じる竹野内の気迫籠もった演技が、一番印象的でした。ジャングルのなかでの長期の撮影は、忍耐の連続だったそうです。それだけでなく、役作りのため専門家による軍事訓練の指導を受けたためか、所作がきびきびして軍人らしいのです。そしてなりよりも、役に合わせてがりがりに痩せた体作りが、長期のゲリラ戦を戦っているというリアルティを生み出していました。
大場大尉と共に、印象的だったのは、大場隊に随行し「はだか部隊」を指揮していた
堀内今朝松一等兵です。背中一面に般若の刺青が彫られ、凄みがあった彼は、軍隊に入隊しても無頼漢ぶりを発揮していました。米軍を見ると狂犬のように歯をむき出して向っていくことから「サイパンタイガー」と呼ばれて恐れられていたのです。
そんな堀内を唐沢寿明が演じています。ちょっと見では、唐沢と気付かないほどの変身ぶり。主役でもいい位なのに、ホントにこんな無頼漢の役柄を良く受けたものです。でも堀内には、主役以上に男気を示した、カッコイイシーンがあって、唐沢が飛びついてのかも知れません。
また、収容所の住民で唯一英語が話せる元木末吉役に、阿部サダヲが割とシリアスな演技を見せているところも興味深かったです。
本編で示されるルイス大尉の大場大尉への敬意は、同じ日本人としてちょっと誇らしげに思えてきます。戦後教育の影響で、旧日本軍というと残虐なイメージを抱きがちですが、本作を通じて、必ずしもそうではなかったのかもと思えてきました。
全51件中、41~51件目を表示