劇場公開日 2009年7月10日

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「ドラマ要素として、ツメが甘いところに批判があるのかもしれません。でも圧倒的な映像は、ご覧になれば納得されますよ。」ノウイング 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5ドラマ要素として、ツメが甘いところに批判があるのかもしれません。でも圧倒的な映像は、ご覧になれば納得されますよ。

2009年7月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

   『NEXT-ネクスト-』に続き、未来の予知を解読した男の物語です。
 ニコラス・ケイジはこの手の作品に最近片っ端から出演しています。その心境として、ジャンル的に惹かれいてるようなのです。ニコラスは、非現実的なことを頭ごなしに否定してしまうタイプではなくて、心を開いて想像することができるタイプの俳優だから、この手の作品の演技に違和感がないのかもしれません。
 いくら俳優だからといって、トンデモなお話に、心の中で「うそ~」って叫びながら、したり顔で演技するでは、説得力がなくなりますね。抽象的な概念を受け入れ、超常的状況を本当に信じて、心から共感できることがサイエンス・フィクション作品を演じる上で最も重要な要素になることでしょう。

 本作は、深い家族愛を描いた作品でもありました。
 価値観の違いから、父親との断絶。そして、ある事情によって、愛する息子とも別れなければならなくなります。ニコラスにとって、実はこのシーンが一番難しかったそうです。
 そこで、自分の子供を失ったすべての親達に向けて、手紙を書き、撮影の日にその手紙を持っていき、カメラが回り始める直前に読みかえして撮影したそうです。
 そのシーンについて考えすぎず、手紙を読んで自分の中に沸き起こったものをありのまま表現しようとしたんだとか。
 すさまじい事故が続いたあと、究極の選択を迫られる親子の別れを描いたシーンだけに、頭で理解できるものではないでしょう。主人公ジョンの嗚咽は、自然な感情として充分伝わってきて、ほろりとさせてくれました。

 さて、作品自体では、試写を見た人から、話ができすぎているなどと批判コメントが続いていました。てせも小地蔵が見て、そんなに破綻していないと思います。
 その物語の始まりは、一人の少女が受け取った、未知なる存在からの幻聴。それを少女は、小学校のタイムカプセルに入れたのです。
 50年後に、そのメッセージを開いたのが、主人公ジョンの息子ケレイブ。意味不明な数字の羅列を不審に思ったケレイブは、勝手に持ち帰って、ジョンに見せます。
 普通の人なら、意味不明な数字の羅列を見せられても、ピンとはこなかったでしょう。しかし宇宙物理学の教授であるジョンは、得意の数字の解析に取り組むのです。ジョンの職業設定が、この部分のリアルティを生んだといえるでしょう。
 その数字は、一見何の意味もないように見えるのです。ジョンが解読のキッカケとなるのが、冒頭の数字。「20019112973」という数字は、やはりアメリカ人にとって忘れがたい数字だったのです。それは、同時多発テロの発生日時と被害者数でした。これを数字の冒頭に持ってきたことで、ジョンの謎解きに果然説得力が出てきたと評価できます。

 ジョンはネットを使って、次々に数字の符牒が合致する事件・事故を突き止めます。
 その結果まだ起きて3件の「預言」の成就の阻止に立ち上がるのでした。事故が預言されている現場に出向くのは危険と知りつつ、それでもジョンを駆り立てるのは、数字の意味をもっと早い時期の知ることができれば、妻を事故から守れたかもしれないという悔恨の思いからでした。ジョンが解読した数字の中には、妻の死につながった事故が含まれていたからです。

 ここで面白いのは、日付と犠牲者数以外に、解読不明な数字が残ってしまったことです。そのためジョンから相談を受けた、友人の天文台スタッフは、解読不明な数字を理由に、本気にしてくれませんでした。一旦は観客にも単なる偶然かと思わせておいて、そのあとのシーンで、解読不明の数字の意味をジョンに思い知らされる事故と遭遇させます。この展開は、なかなかの説得力がありました。

 そして本作のハイライトといえる飛行機事故と地下鉄事故シーンは、やはりど迫力でした。またラストの地球上が炎に包まれていくところでは、ディ・アフターの水害がそっくり業火に置き換わったような、すさまじさでした。

 このように映像効果の迫力は申し分もないのですが、ストーリー面ではもう少しテーマを際立てた方がいいと思います。
 たとえば、当初ミステリータッチで始まったストーリーは、終盤から宇宙人の侵攻を臭わすようになります。結局は自然災害なのですが、登場する宇宙人がどのような思いで地球を見つめていたのか明かにされません。
 ただ彼らは、選民を行い、人類を残そうとしているようです。ここにスポットを当てるなら、それなりのストーリーを肉付けすべきでした。
 途中に「エゼキエル書」の挿絵が何度も登場し、西洋社会の深層心理に色濃く残された終末思想が色濃く反映されています。

 終末思想は、運命論です。
 宇宙物理学の教授であるジョンは、講義の中で、宇宙の摂理を対立する二つの学説でこう説きます。宇宙には偶然がなく、すべては決定されている決定論か、一切の必然は認めない偶然論か。
 本作は、ジョン教授が探求する宇宙の摂理の答えとして、預言の数字をジョンに説かせて、偶然とはいえない体験をさせていきます。
 しかし世界が終末を迎えるのは、偶然なのか、必然なのか明確に答えていませんでした。もう少し、こうだという主張があってもいいと思います。
 見終わった皆さんは、必然か偶然か!どっちだと思いましたか?
 小地蔵は、どっちでもなく宇宙の摂理は、根本仏神によって創造された魂たちが、転生の経験を重ねていく中で、作り上げていくものであり、いかようにも変化していくものだと思っております。
 従って、終末論もどんな悪しき預言も可能性であって、どんどん変えていけるものだと思うのです。

 また、家族愛もそれなりに描かれてはいますが、父親との関係などおまけ程度です。
 ドラマの要素として、そんなツメが甘いところに批判があるのかもしれません。でも圧倒的な迫力のある映像は、ご覧になれば納得されますよ。

 そして、もし、明日が地球最後の日だったら、皆さんはどう過ごされますか?

流山の小地蔵