劇場公開日 2003年10月25日

「五感をフル回転させて、行間を読まないと、味わえない。」死ぬまでにしたい10のこと とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5五感をフル回転させて、行間を読まないと、味わえない。

2020年5月10日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

知的

難しい

原題直訳『私が存在しない私の人生』
 私がいないのは死後のことだけ?
 私という主体抜きの人生を歩んできたアン。その最後の時を紡いだ映画。

雨に打たれるアン。雨だれに混ざって涙が頬をつたう。けれど字幕には涙に関する、もしくは涙を流すような感情を表現した言葉はない。
 字幕には「私」。でも語られている言葉は「you」。誤訳ではない。アンが今やっていることについての心の中でのつぶやき。
 Wikiでは「所々出てくるナレーションの部分では、主人公を指す代名詞に you (あなた)が使われ、あたかも、映画を見ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっている。(日本語字幕では 私 と表示される) 」と説明されているが、私には、アンが心の中で本当に感じていることと、頭で考えていることの、無意識の乖離のように思える。雨の中でしか泣けないアン。でも、アンは泣いていることを否認して、ポジティヴにと変換する。

昨今流行りのわかりやすい脚本ではない。
アンがリストアップした10のことへのレビュー上での賛否。
字面だけをとったら非難したくなる。
でも、アンを取り巻く状況を丁寧にみていったら、理解できたら、もう少しアンの気持ちに共感できるのではないだろうか。
自分の人生をベースにした己の正義を押し付けるだけでなく、アンの生きざまにちょっとでも寄り添ってみてほしい。
じっくりと、何度も繰り返し鑑賞して味わう度に、気づきがある。

「死ぬまでにしたいこと」の6番目にリストアップされている「思っていることを話す」。
 アンは決して無口な女性ではない。食事に招くような友人と、家族に恵まれて、常に何かをしゃべっている女性。でも、その会話をよく聞けば、アンが語ることは、相手が言ってほしいこと。決してアンが言いたいことではない。
 職場で交わされる多くの会話と同じ。場を乱さないために本音を隠したトーク。人は皆、自分の言葉を真剣に受け取ろうとして、受け取ってもらえた経験がないと、本音(思っていること)を話せなくなる。
 優しい言葉と思いやりを示してくれる夫。でもアンは”思っていることを話したことがない”。アンが欲しい優しさ・思いやりと、夫が示す優しさ・思いやりが違う。アンのわがまま。そんな言葉で片付けられないことは、真剣に人と向き合う(恋した)ことがある方ならわかるのではないか。
 かえって、リーの前で”(わがままにも通じる)思っていることを話せている”アン。そんな求めていた恋人の前でさえ、家族のことを考えてしまうアン。
 そういう言葉と映像と、登場人物の行動・表情のギャップに、感性を響かせながら味わっていかないと、この映画が表現したいことを受け止められないんじゃないだろうか。

手ごわい映画です。

邦題の方が、多くの人の目につきやすい、そんな販促の方針なのだろうけれど、映画を誤解させ、評価を間違ったものにさせる。勿体ない。

<以下ネタばれ>

ほとんどその日暮らしのアンの家族。仕事が長続きしない夫。17歳で出産したというからおそらく低学歴、実父のこともあってか?彼女自身の仕事も低収入。母親のトレーラーに住まわさせてもらって家賃を浮かし、洗濯機も買えずにコインランドリー通い。極めつけが、23歳の女性が「髪型を変えること≒美容院に行くこと」が「死ぬまでにしたい10のこと」にランクインするほど。そんななかでも、日々自分にできること、自分がしなくてはいけないことをしてきた。子ども達の為にできるだけ明るく。彼女の夫は優しく心触りのよいことを口にするけど、実行力はない。ほとんど彼女が一人できりまわしている。
 そんな中での、突然の死の宣告。自分が死んだら、家族は・子ども達はどうなってしまうのか?最悪夫は泣き暮らすだけで子どもの面倒は誰がみるのか?施設暮らし…なんて自分の死後のことを考える。そして子ども達の為に、生活が成り立つようにあれこれ考える。
 23歳の女子だったら、自分のことだけ考えていたっていい年齢なのに。アンのリストには家族の為の項目が幾つも並ぶ。残された時間はないんだ、そんな決意が痛々しい。
 末期癌なら、一緒に暮らしている夫が気がつきそうなものだ。母だって。でも気がつかないんだな。夫はお子ちゃま坊やだし、母とは会えば言い合いになってしまう。死の恐怖に誰かに縋りたくたって、縋れない。当事者よりも周りが衝撃を受けて、当事者が周りのケアに走っているとか、辛い事実を切り捨てて(この場合娘が(妻が)死ぬなんて受け入れられなくて切り離す)なんてことはよくある。少なくとも、アンは自分の家族を、自分の辛さを共感してくれる存在とは認識しなかった。自分一人でなんとかしなきゃ。今までそうしてきたように。そんな覚悟に胸引き裂かれる。
 夫を愛してはいるけど、満たされない。誰かに包んで欲しい。そういう想いがあったって、もっと違う人との人生を夢見ちゃったとしてもそれは罪なのだろうか。かって浮気されて傷ついたことがある私が、浮気を肯定するのもなんだかなあと思うけど。
 英語に疎い私だが、リストの英訳には「7.夫以外の男の人と付き合ってみる。8.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する」となっているが、不倫するつもりならふつう逆じゃないか?誘惑してから付き合うだろう。だとすると、誤訳?デートして、誘惑ごっこだけをイメージしていた?そんな風に考えていた時に出会ったリーは失意のどん底。ここでもアンはリーのメンタルケアをする。自分の方がつらい状況なのに放っておけない。リーが立ち直ってから離れるアン。リーは自分の足で歩いて行ける。
 容易ならぬ覚悟の元に、さらなる関係にも心を配りながら、決意を粛々と実行していくアンが痛々しくて泣けた。
 自分の”いつか”に思いをはせると、アンの強さに驚愕する。
 アンの想いに共感してくれるリーや医師やもう一人のアンに出会ったことで、アンが安らかに逝けたことを願う。

映画には邦題より原題の方がいいと思うけれど、自分の生を考える時、邦題はいいキーワードだ。
 災害、事故、脳内出血…自分の「いつか」も必ず来る。
 もし、○○後に死ぬとしたら、私は何をするのだろう。”いつか”は”いつか”来る。日常の惰性に流されている時、見直したい映画です。

とみいじょん