ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカのレビュー・感想・評価
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意味が分からない but クオリティは高い
名作の条件として、分かり易さがある。
名監督の作品(黒澤監督やコッポラ等)は観客に疑問を抱かせない。分かり易い。
が、本作はダメだ。
冒頭、デニーロがマフィアに仲間を売ったという事で追われて友人が惨い拷問を受け恋人が射殺される。
実はそれは、デニーロが仲間のマックスが連邦銀行襲撃という無謀な計画を立てたのでそれを阻止しようと事前に警察に逮捕させるためだった。ところが最後の方で分かるのだがそれがために幼少の頃からの友人でマフィア仲間の友人たちが皆警察に殺されてしまう。要は冒頭で恋人を射殺しデニーロを追ったマフィア達は銀行襲撃で死んだ友人の配下だったのだ(と思う、たぶん-笑)。全然関連性が感じられる表現になっていないので終わってから暫くして気付いた。
分かりにくさには枚挙に暇が無い。
最後のシーン、実は生きていて長官になっていたマックスが自責の念ゆえにゴミ収集車の中に身を投じて(笑-もうちょっと別の設定も有ったのでは?)自殺した様だが、映像に写るパッカー車(ゴミ収集車)のローラーには木や葉っぱは巻き込まれてはいるが血糊は全く無かった。私は冒頭のマックスとデニーロとの出会いのシーンの様に暗闇からひょい、とマックスが現れて友情を復活させてめでたしとなるのかと思った。
そして最後のシーン。
デニーロがなぜか若い設定で何度も出て来る阿片窟で阿片を吸うシーンで終わる。
ただ此のシーンは私はとても良かった。
吸う前は普段の厳しい表情でいるのだが、ふかした後とてもリラックスした表情で笑いを浮かべた状態で本作は終わる。
このシーンに関して色々な解釈がレビューにあるが私は
いつもニヒルで硬すぎる性格、恋人も友人に盗られて不器用ゆえに不毛な人生を送るヌードルス(デニーロ)。
それが粗末な阿片窟で阿片を吸ったときだけ唯一リラックス出来る・・・
そういう寂しい切ないキャラクターを浮き彫りにして観客を一気に引き込む。
そしてそれを理解し体現しているデニーロの演技も素晴らしい。
総括すると筋や構成はダメ、クオリティの高さと音楽、そしてデニーロの演技が良かったので3とした。
なお、レビューで恋人のデボラの子供がマックスの子供、という意見がありましたが、あれはデニーロの子供ですね(でないとデニーロ子供の頃を演じた子役を再び登場させる意味が無いし、タクシーの中でデボラをデニーロが犯したシーン-その時の子供-との整合性が取れないから)
ワンス・アポン・ア・タイムインアメリカ
最後、マックスゴミ収集車中入ったのか??分からん。
よさげな雰囲気ある映画だった。よくわからんかったけど。
エロシーンがちょっと過剰だったのでは?
昨日 … 突然 …
TOHOにて、10:00〜14:30の実に4時間半近い長編上映作品でした。
(※3時間経過後に10分の休憩を挟みます。)
監督の遺族や作品関係者の協力の元に、カットされてたり棄て置かれていた映像を拾い集めて全部入れして4Kリマスターされた本作品、この機会に観なければ今回の人生で観ることはないだろうと、中距離マラソンに参加する覚悟で挑みました🏃🏻
寝落ちマンの私ですが鑑賞前の心配は杞憂でありました。
鑑賞後は淀川長治さん状態です👓
音楽が良くて👂🏼♪、同曲リピートなのですが、この曲を聴かされると何もかもが許せて微笑ましくなってしまいます☺♬️ ヤラれました。
懐かしアニメのサスケみたいなメロデーの笛(パンフルート)の音(ネ)も良し👍🏼
冒頭のシーン、私が見た映画史上、取らない電話の長さ最長記録です⚡︎⚡︎📞⚡︎⚡︎
廃棄されていた映像のパートは、ちょっと画質がアレだったりするのですが、まあ ‘お話’ を観ているので大丈夫です。監督もたまにミスリードを促すような描写を入れたりしますが、それもまた味。しかし女性同伴では見辛いシーンもあり、まあ、(アダルトな人やそうでない人など)女性がそこを見て実際どういう気分になられるかは人によりけりで分かりませんけれども。
特にクソガキ時代に風情があって好きですね。ほんと好きです(2回書きます)。出逢いから魅せてくれる若年マックスが魅力的です。(※ちなみに彼Rusty Jacobs氏は、僅か3本程の映画出演でその役者人生を終え、公共ラジオのリポーターを経て、現在は地区検事補佐官をされているそうです。)
とんでもない悪ガキ共も微笑ましく受け入れられるのは、監督と役者に良い仕事をされたということですね〜。
また、デニーロ氏の老け込み姿が自然なので、逆に成人期をどうやって撮ったんだろう🤔❔と錯覚してしまいました(どうでもいい事ですが、成人デニーロ氏がメッシ氏に見えたり、若年デニーロ役の少年にISSA氏の面影を見たり)。成人デボラの女優さんは見た目がおぼこくてデニーロ氏とはちょっと釣り合いが‥ と私の目には映りましたが。
デニーロ氏のクセのある苦笑い顔はいつも印章的ですが、ラストの満面の笑みを醸し出すシーンには人の人生の儚さがぎゅうっっと凝縮されているようで哀愁味わい深く、暫し見惚れました。
レオーネ監督👏🏼有り難う御座いました🙏🏼
ご馳走様でした🍽 この長尺を自宅で集中して観るのは厳しいでしょうし、この機会に披露してくれたTOHOさんにも感謝です。素晴らしい作品を観られて良かったです👍🏼👍🏼👍🏼
完璧ではないんだけど、長丁場を寝ずに観させた描写力に+⭐️で、単純な私などには勢い満点にさせてしまうほど魔力のある作品でした。
繊細な描写と表情豊かな音楽で作られる名作
とにかく一秒たりとも見逃せない、繊細で神経が行き届いた演出には脱帽。
スクリーンからそこに流れている空気や時間が直に伝わってくる。こんな映画は他にないかもしれない。
人間の愚かさが痛々しいくらいに描かれ、一種の神話を見ているような気さえしてくる。
一言では語り尽くせない、何度も見たくなる作品。
観たい観たいと思いつつも、その長さ故になかなか見る機会のなかった作...
観たい観たいと思いつつも、その長さ故になかなか見る機会のなかった作品。
それが映画館で鑑賞出来て本当に感謝です。
その午前十時の映画祭が来年で終わると思うと残念でなりません。
さて、今作やはり長いですが眠くなったり退屈するところは全く有りませんでした。
むしろまだまだ映画が続いて欲しいと思いました。
最大の見所は、ロバートデニーロ、そしてエンリオモリコーネの音楽、ジェニファーコネリーの可愛さですね。
色々解釈出来るラストシーンがスッキリしないので、個人的には-0.5です。
長かった
途中で休憩が入るとおもっておしっこを我慢していたら、3時間過ぎでようやく休憩で、タイミングがおかしい。2時間半くらいで入れるべきではないか。
あまり長さは苦にならなかったのだが、そんなに面白くなかった。チンピラがギャングになっていくのだが、デニーロが収監されている間に仲間が出世していて、密造酒で稼いでいたようだけど、よく分からなかった。そしてマックスがいきなり銀行強盗をしようとするのが唐突で、デニーロでなくても狂ったようにしか見えない。デニーロがイタリア人にしか見えないので、モヤモヤした。
レイプが甘美なもののように描かれていた。当時はそんなものなのかな。マックスとはやたらと穴兄弟であることが語られていた。
物語のポイントが薄い。肝心の銀行強盗が描かれない。デニーロの獄中場面も見たかった。アヘン窟が楽しそうだった。
美しくも愛らしいジェニファー・コネリーの最高の瞬間を切り取った功績は大きい!
午前十時の映画祭でディレクターズ・カット、251分版を観賞。
セルジオ・レオーネ監督が、この映画の適正な尺は4時間10〜25分と発言していたらしいので、レオーネが求めた形がほぼ再現できたのだろう。
ソフトリリースされている「完全版」も、完全ではなかったということ。
消失したと思われていた映像を探しだし、ここまで繋ぎ合わせた労力と技術に敬意を表したい。
さて、長尺版でも内容の難解さは残る。
謎めいたエンディングの意味は、観た者の解釈しだい。
レオーネ自身が「夢オチ」的な発言をしていたと聞いた覚えがあるが、
だとすると、
ロバート・デ・ニーロ演じるヌードルスが自分の裏切りによって意図せずジェームズ・ウッズ演じるマックスや仲間が死んでしまった後、阿片窟に逃げ込んだところで、「そんなはずはない。マックスだったら逆に俺を出し抜いて何十年後にこんなことになるんだろう…」と想像して微笑んでいる…と読める。
しかし、それには辻褄が合わないところが多々ある。
(そもそも、レオーネの映画に辻褄を要求してはいけないかも…)
それよりも、
自分の策略で仲間が一網打尽になって、「シメシメ」とほくそ笑んでいる…と見る。
マックスとは固い友情がありながら、意見の対立もあり、真に心を許しあってはいなかったのではないか。
何より、あのデ・ニーロの表情にはイヤラシさがあった。
だが今度は、これをエンディングに持ってきた意図がわからなくなってしまう。
マックスの最期は自殺か?という議論、
デボラとマックスはどの段階で結びついたのか?という疑問等々、
観客に解釈を求める類いの映画だから、
何度も観て、その時その時に改めて考えを巡らせてみるのが楽しい。
「ゴッドファーザー」の成功以降ギャング映画が乱発されたが、本作は明らかに模倣品とは一線を画した傑作だ。
クレーンを用いる等して、クラシカルな都会の風景をダイナミックに捉えた素晴らしい構図の数々。
トイレの壁穴から踊る少女を覗くノスタルジックなシチュエーション。
クリームケーキの微笑ましい挿話。
貧しいはずだが、子供たちは厚手のコートや帽子・サスペンダーなどでキメていて、あの時代は皆お洒落だった。それが寒々しいニューヨークの蒸気と濡れた石畳の背景に映えている。
暴力描写はレオーネお手のもの。
コッポラが見せたバイオレンスとは毛色が異なる、エグさだ。
何より、本作の最大の収穫は、ジェニファー・コネリーの美しさ。
幼さと色っぽさが同居した、正にあの瞬間でしか捉えられなかった、絶妙なタイミングでのキャスティング。
後にヌードルスに車中で犯されてしまうことを考えると、コネリーが少女期だけの配役でほっとした。
少年達、男達、女達の欲望と生きざま
もう、しばらく、他の映画を映画として観ることなどできないんじゃないかと思ってしまうくらいの凄さ。「名画」なんていう、ありふれた呼び方しかできない、己の語彙の貧しさが恨めしくなるほどの「名画」。
3つの時代をつなぐ4時間25分のドラマは、少年時代のガキンチョ5人のギャング団で始まります。その後、大人マフィア、クリーン・マフィアへとつながり、全員の人生が「終わる」ところまでを描きます。ヌードルス1人は命だけはあるものの、中国アヘンを吸いながら過去の幻想に笑顔する姿、人生、終わった男の顔で映画は終わります。
NY市警の前、「画面一杯」にそそり立つペンキ塗りの壁の前に寄り添う、三人の少年の姿に胸が苦しくなり、涙が止まらなくなった。ユダヤ人街に生まれ育った4人と、ブルックリンから引っ越して来た1人。アメリカの片隅で、こんな物語を繰り広げて死んで行った5人の人生が、何でこんなにも胸を締め付けるのか、判らない。今の私達、こんなに生々しく生きていない。飢えてもいない。人生を捨ててもいいくらいに好きになる女もいない。無茶もしなければ、する必要性も無い(と思っている)。
「生まれ」と「街」が生み出した欲望のままに生き死んで行った男達と、彼らを彩った女の物語に、これほどまでに惹きつけれるのは、欲望のままに生きたかった、と言う想いが深層にあるからかもしれない、なんて事を考えたりする日曜日の午後。
10時に開演、終わったら2時半ですよ。
お腹空いた。。。。。
まさか映画館で見られるとは
前回見たのは、TV で。大きなスクリーンで見たかったので、ワクワクしながら鑑賞しました
当時のアメリカの雰囲気がとても心地よい。4時間超えでも、途中休憩入りでも最初から最後まで面白かった
愛と野望が渦巻く
愛と野望が渦巻くアウトローの世界に酔いしれた。構成が複雑で分かりにくいが時間の長さを感じさせない大河ドラマ。美少女ジェニファーコネリーを含めた華麗で個性的な女優陣にも注目。一度は観ておきたい名作。
(午前十時の映画祭にて鑑賞)
2019-28
映画オタクがおっさんになって、25年ぶりに謎に向き合ったよ
本作の日本公開時1984年と言えば、オレは小学生だ。よって先日レビューした「ディア・ハンター」同様、初見はVHSで、高校生の時だ。これも当時長いモノだったが、のちに「完全版」なるものを観たりと、大好きな作品だが、今回は「ディレクターズカット」という4時間11分の代物だという。
あの至福の時間を劇場で味わえるなんて。さらに22分の追加シーンがあるなんて。朝から眠いとかあるわけない。「シティーハンター」に駆け込む大量の老若男女を尻目に、
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ ディレクターズカット版」
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今回は追加シーンについて、話をしようと思う。カットされたシーンには、極めて重要なものもある。
1)墓場管理人ルイーズ・フレッチャーの登場シーン
2)追跡車両の爆破シーン
3)デボラの舞台のシーン
4)老婆キャロルとの再会
これらは特に無くても問題はなかったと思える。特に1)2)4)は、「妄想」ラインが大きく薄れてしまうため、削って正解。
4)デボラとのデートでの、タクシーの運転手とのやり取り
ヌードルスがユダヤ人の恥のように言われるのだが、唐突すぎて不要なシーン。彼がそもそも一匹狼であるのは、「イタリア系」でないのが大きい理由の一つであり、また彼の性格が自分勝手で直情的なクソであることは劇中、十分描かれているので、必要ない。
5)デトロイトでの「泳ぎ」のシーン
これはとっても重要で、車ごと突っ込んだ一行はヌードルスがおぼれたのかと心配する。ここではヌードルスの姿は見せないのだが、ここでの「ゴミ清掃」がラストとリンクする。
ベイリー(マックス)はゴミ清掃車の中に消えたのか?いやそうではなく、初めからいなかったのだ。
これはヌードルスとマックスはお互いに「親友」のなかで「からかいながら、だましだまされ」を繰り返してきた仲だということ。
このシーンが削られたことで、ゴミ清掃車、ラストの「笑み」の解釈がこれまで難しく議論されてきたといえる、最重要のカットシーン。
6)ヌードルスとイヴとの出会い
これまでのヴァージョンでは、イヴの存在がキャロルより軽く見えてたのが、どうも納得いかなかったのだが、今回の追加でその存在が大きくなる。またヌードルスがずーっとデボラを引きずっていたことがより分かりやすくなった。
心情的には削ってほしくなかったシーンだが、ヌードルスの「妄想」の中では、序盤であっさり殺されるという軽い存在なので、確かに無くても良かったのかもしれない。
7)ベイリーとジミーの会話
ベイリーすなわちマックスとジミーの立場が逆転したことがはっきりわかり、ベイリーに選択肢がないことがより分かる。これは「現実」ラインを厚くするエピソードであり、マックスのやり方が60年代では通用しなくなっている、という「ギャング」の衰退を意味する。
総じて、これらのシーンのカットの理由は、上映時間の関係よりも、と作り手の「意図的な混乱」というのがよりはっきりした。
この映画自体の面白さはいうに及ばず追加シーンも不要なものとはいえ、とても楽しく観ることが出来た。
追記
それでも、マックスが連邦銀行に執着した理由がないんだよね。
闇のフォレスト・ガンプ(?)
すっげ〜〜〜〜〜〜良かった
生まれてから今まで見た映画の中で一番好きなのがゴッドファーザーなのになんでこの映画見てなかったんだろう
こんないい映画があることだれも教えてくれなかった
午前十時の映画祭様本当にありがとう
朝十時に映画館行くのまじでつらいから二回に一回は寝過ごしてチケット無駄にするけどそれでも本当にありがとう
昨日三時間の映画観てクッソ長え〜ってタラタラ文句言ってたけどこの映画は寝不足で観たくせに4時間まばたきもしないでガン見した
良すぎる 近くの映画館でこれからやる人は絶対に観たほうが良いなぜならこの尺の映画は家で集中して観るのは難しいから
私は来週パルプフィクション早起きチャレンジを頑張ります
とても贅沢な映画
名前は有名な作品だし、音楽も有名。
パンフルート、アンデスのケーナに似た音色の笛が印象的な曲も
よくギャングもののパロディーに流れたりするよね〜
上映時間も長いので「午前10時の映画祭」でしか観られない作品。
これ映画館で観た!といえば映画好きの中でもちょっと自慢になるでしょう。
(何なんだ!それ〜笑)
冗談はさておき、観ておいて良かった映画です。
確かに一人の男の60数年に及ぶ歴史を語るのだから
このくらいになるよね〜と思っちゃう上映時間。
その分、各時代のロケシーンやセットが半端なく超贅沢!!
凄いです。「アマデウス」に匹敵する画面の圧!
10代のパートのまだ高い建物の少なかったニューヨークの街並みや
中堅ギャングになって経営する秘密BARや、友達の売春宿の調度品。
憧れの人デボラと食事をする高級レストラン〜
凝りに凝りまくってる!
贅沢な映画です。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ストーリーに関しては、私が女だからかあまりハマれなかった。
憧れの女性をズッと思い続ける感じとか
仲間=ライバル的な空気感ってやはり男の人の心情なのかな〜〜
10代パートで主人公ヌードルスが憧れのデボラと二人っきりになるシーン。
デボラは思わせぶりに詩を朗読する。
「彼は本当に美しい、でも薄汚いゴキブリの様なままでは愛せない」
デボラは少女ながら、とても野心的。
実家のレストランが大繁盛で人手が足りないから手伝え!と言われても
自分のレッスンを平気で優先させる様な意志の強い女性。
だから、本心は好きだけど、仲間のマックスに呼び出されると
自分よりそちらを優先する主人公ヌードルスを
自分の野心の為にはあまり役に立たない男として切り捨てる。
私はデボラの気持ちの方がよく解る。
でも、男って生涯、憧れの女性を追い続けるのよね〜〜
ある意味、哀れかも〜〜
兎に角、ロバート・デ・ニーロ、やっぱ凄い!
そこになってしまいます。
@もう一度観るなら?
「映画館で一回は観ておいた方がいいでしょうね。」
「午前十時の映画祭」
終わったん二時半ぐらい、、、
長かったぁー 疲れたぁー
どんな話やったかな? 思ってたら
あの哀しい音楽とロバートデニーロで
徐々に思い出したけど…
結局それが強く印象に残ってたんやね。
なんか変な言い方やけど…
コントのネタになりそうな場面がいっぱいやね!
けっこう下品な映画やな…
やっぱショートケーキのシーンやね!
(哀しいゆうか切ないゆうか)
そして
最後の笑顔!
怖っ!思った。
このシーンの為に長い前ふりちゃうか?
(全部ぶち壊しみたいな)
とにかく帰って ひと眠りしたいです。
おやすみなさい。
ラストの謎に物思う
映画館・日劇(昨年、閉館したが😢)のこけら落とし以来、34年ぶりで「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」@TOHOシネマズ錦糸町
エンリオ・モリコーネの哀切極まりないテーマ曲、そしてアマポーラの調べに乗って踊る若き日の美少女ジェニファー・コネリー。全盛期のデ・ニーロとジェームズ・ウッズ。そしてレオーネ節。21世紀では最早作れないシロモノである。
4時間はさすがに長過ぎるが😅
あとは、例のラスト🤔
セルジオ・レオーネ監督作としては、これを掉尾かつ遺作とする「ワンスアポンアタイム三部作」もよいが、やっぱりイーストウッドの「ドル箱三部作」は必見である。
午前十時の映画祭、2020/3で終わるらしいが、そんなこと言わずに、今の詰まらん映画なんか上映せんでよいから、古き佳き時代の映画をかけてくれ〜😢
午前十時の映画祭9
電話の呼び鈴が永遠と鳴り続いているような、デ・ニーロが受話器を取っても鳴り止まない意表を突かれる序盤の演出から斬新。
E・モリコーネの音楽が印象的で、観終わってからも耳から離れずThe Beatlesの"Yesterday"を含めて場面毎に流れる効果は絶大。
性への欲求に背伸びしてみせるが食欲には勝てない、だって、まだ子供だし、幼過ぎる。
そんなケーキを食べてしまうシーンは五人の青春時代を象徴しているようで、何度観ても涙が出そうになる。
スーツでビシッと決めているデ・ニーロのイメージが、ビーチの場面では黒タンクトップにオールバックで青々しい髭剃り後もありゲイにしか見えない!?
エクステンデット版のBlu-rayは持っているけれど、映画館で観れる喜びと4時間11分の長尺は朝からだとさすがに睡魔との戦いになってしまうのは否めない!?
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