劇場公開日 1966年6月18日

「時代と集団に「個人」はどう存在意義を見出すのか」ドクトル・ジバゴ(1965) 琺瑯さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0時代と集団に「個人」はどう存在意義を見出すのか

2022年4月12日
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ソ連時代を代表する詩人の1人であるボリス・パステルナークの代表作である『ドクトル・ジバゴ』(ドクトル・シヴァゴとも表記する場合がある)を映画化した作品。大河小説の原作は恥ずかしながら、未読のまま。今も書棚に静かに埋もれている。そういうわけで、観たというのも理由だ。御託はこの辺で、感想を述べると、3時間もの大作だったが、時間を感じさせないと言ったら嘘だが、革命の怒涛の波と主人公たちの揺れ動く様は引き込ませる。革命は集団の為政者に対する意思表示であった。より良い世界へ突き進むため革命はけたたましい煙を吐きながら猪突猛進する汽車のようにあらゆる者たちを巻き込んでいく。個人的な心情は革命には似合わない。個人は革命の世界に座席を持たない。愛も同様に。
パステルナークはこうした取り残される個人が革命の時でさえも生きていることを切実に書いて示したのかもしれないと思える。映画における広大無辺なロシアの大地とドラマチックな演出は今の映画と比べると古さを感じさせるが、「古き良き映画」の世界へと誘ってくれるような感じがした。

亡命作家であるナボコフによって原作はこき下ろされたが、映画で観た壮大さは存在しないのだろうか。

琺瑯