第七の封印

ALLTIME BEST

劇場公開日:

  • 予告編を見る
第七の封印

解説

スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンが、中世ヨーロッパを舞台に人間の生と死、神の存在を問いかけた異色ドラマ。ペストがまん延する中世のヨーロッパ。長年にわたる十字軍の遠征から帰還した騎士アントニウスは、自分の後を死神が追ってきていることに気づく。死を宣告されたアントニウスは、自分の命を賭けて死神とチェス勝負をすることになるが……。主人公アントニウス役にマックス・フォン・シドー。第10回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した。2013年、デジタルリマスター版でリバイバル公開。

1957年製作/97分/スウェーデン
原題:Det sjunde inseglet
配給:ザジフィルムズ、マジックアワー
劇場公開日:2018年7月24日

その他の公開日:1963年11月18日(日本初公開)、2013年7月20日

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

詳細情報を表示

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

フォトギャラリー

  • 画像1
  • 画像2
  • 画像3
  • 画像4
  • 画像5

(C)1957 AB SVENSK FILMINDUSTRI

映画レビュー

5.0映画が描いた最高の死神‼️

2023年5月28日
スマートフォンから投稿

悲しい

怖い

興奮

十字軍の遠征からの帰途につく騎士。どうやら死期が迫っているらしく、死神が迎えに来る。騎士は自らの信仰心と生き延びるために、死神にチェスを挑む・・・スウェーデンを代表する映画監督イングマール・ベルイマンの作品の中でも「野いちご」「処女の泉」「仮面ペルソナ」と並ぶ最高傑作だと思います。ベルイマン監督の作品は難解なイメージがあると思いますが、この作品は騎士と死神の心理的な駆け引きを重厚な演出と暗く美しい映像美で描いてます。騎士と死神がチェスをするシーンのビジュアルというか構図、そしてラスト、死神が騎士とその家族たちを"連れて"いくシーンなんか、いつまでも頭の片隅に残ってます。この作品の60年後に公開された「フォースの覚醒」でもあんまり変わっていないマックス・フォン・シドーの存在感や、その後の死神のイメージを決定付けたというか、死神にしか見えないベント・エーケロートが強烈ですね。

コメントする (0件)
共感した! 4件)
活動写真愛好家

4.5何? 凄い! 怖い! に取り憑かれた/映像詩好きには、物語好きにはたまらない。

2023年3月13日
PCから投稿

物語は中世のスェーデン。
戦いと疫病に混乱していた。
主人公を追ってきたのは死神。
彼と死神は駆け引きをする。

映画に描かれたテーマと映像詩。
丘の上で手を繋ぎ並んで死地へ進む場面は
美しくもあり恐ろしくもある。
鑑賞後は「古い禁断の本を閉じた」
そんな気にさせる映画だ。

イングマール・ベルイマン
「第十七の封印」
この映画を、この監督を知らず
死んでしまうのは惜しい
人生の損失だと思う。

コメントする (0件)
共感した! 1件)
星組

3.5vs虚無主義

2021年12月18日
iPhoneアプリから投稿
ネタバレ! クリックして本文を読む
コメントする (0件)
共感した! 0件)
因果

4.0信仰とどう向き合い、どう生きるべきかのメッセージ

2018年8月16日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

第七の封印が解けるとき、最後の審判が始まる
その時キリスト教会に帰依するものは天国に携挙され人類の滅亡から免れるはずだ
これらは聖書の黙示録に書かれてあることだ
つまり西欧人にとっては常識のこと
幼児の頃から刷り込まれて魂の一番奥底にあることだ

しかしそれは長く長く続く患難時代の果てのことである
献身に応えてくれない神
神の前での人間の死と虚無
今がその患難時代であるのならそれでも携挙を信じて、神の試練に耐え甘んじるほかないのだ

この現代に生きる我々はどう生きるべきか
どう信仰と向きあうべきなのか
それを本作は考えるべきものなのだろう

それぞれに人生に疲れ果てた人物
そして地に足をつけて今日を精一杯生きる旅芸人の一家
その対比にベルイマン監督の本作の主題がある

ラストシーンは旅芸人の若い夫婦と赤ちゃんの明るい陽光の下の幸せな暮らしが描かれる
つまり信仰なんか役に立たない
そんなものは人形劇のネタで十分

そんな事よりも地に足をつけた暮らしの方が大事だ
今ある命を精一杯楽しめと、そう訴えかけているのだ

しかし火炙りにされる魔女は恐怖と絶望の目をしていながら諦感している
それは神を否定したらこうなるという監督の恐怖の吐露だ
つまり理性は信仰から自由でも魂は呪縛されたままなのだ
騎士が救おうとするが手遅れと諭されて諦める
自分もこの呪縛を解くには最早手遅れであり、それでもなお、このような映画つくる自分への戒め、あるいは諦めなのかも知れない

難しいテーマでありながら、観る側を惹き付ける語り口と映像の力は流石というしかない
詩の朗読の様な台詞が深い

日本人にとって本作のキリスト教の信仰は分かりづらいのは確かだ
しかしそれを世間の目、周囲の期待、脱落者に厳しい社会、無言の同調圧力…これらによってがんじがらめに生きている日本人の息の詰まるような生活
いつ果てるともない長時間労働の日々、会社と家の往復だけの生活
そこに救いは有るのか?となぞらえて観てはどうか
皮相的かもしれないが、そのように観ても良いのではないか
仕事が信仰になってしまっていないか?と

コメントする (0件)
共感した! 1件)
あき240
関連DVD・ブルーレイ情報をもっと見る