劇場公開日 1972年7月15日

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「ヴィトー・コルレオーネからマイケル・コルレオーネへ。Godfatherの代替わりを通じてアメリカ犯罪社会/マフィアファミリーの変質を叙事詩的に描いたepoch-makingな名作。」ゴッドファーザー もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ヴィトー・コルレオーネからマイケル・コルレオーネへ。Godfatherの代替わりを通じてアメリカ犯罪社会/マフィアファミリーの変質を叙事詩的に描いたepoch-makingな名作。

2019年5月18日
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鑑賞方法:映画館

①今回(2022.04.04.)『午前10時の映画祭』で初めて大スクリーンで鑑賞。②やはり名作・傑作だ。敢えて難点を言えば、中盤やや中弛みが感じられて前半より後半の方が演出が粗い。でも、マイケルが初めて「ゴッドファーザー」になる洗礼式と、他のマフィアグループのボス達やラスヴェガスのホテル王を次々と血祭りに上げていくところを同時平行に描いていく部分は見事。③マイケルの妹の結婚式で幕を開け、妹の夫を始末した後マイケルのところに半狂乱の妹が怒鳴り込んでくるシーンで終わる血にまみれたマフィアファミリーの物語。華やかで楽しそうな結婚式の裏側で、マーロン・ブランド演じるドン・コルレオーネ率いるマフィアファミリーの構成・内実・活動内容を巧みに紹介していく導入部が素晴らしい。④ただし、名作・傑作と言ったのは「叙事詩的映画」という側面から観た場合のことで、この後名だたるスターや名優になっていく若手俳優が各キョラクターの造形に確かな演技力を見せ、見事なアンサンブルを作り出しているが、各キャラクターの内面を深く掘り下げているわけではない。⑤今回驚いたのは、マーロン・ブランドは見事なメークアップと演技とを駆使した老け役(60歳台らしい)なのだが、それにも関わらず実年齢である40台後半の壮年男の持つ体臭という肉感性というかがメークアップと演技の下から感じ取れること。これはメークアップや演技ではどうしても覆い隠せないものであるし、観る側がある年齢に達しないとわからないかも知れない。ただ、映画としての魅力を損なうものではないし、孫と遊んでいるうちに庭で倒れるシーンでは、望遠でとっているからかも知れないけれども、正に孫と遊ぶ一人のおじいちゃんになっていた。⑥一方、饒舌だったパパ・ヴィトー・コルレオーネに比べ寡黙さが目立つマイケル役のアル・パシーノは目の演技が凄い。家業から一番遠いところにいた者が結局家業を継ぐことになるというのは話として面白いので目新しくはないが、マイケルは一定の距離を置いていたとは言え家業を嫌っていた訳ではない。大学を出ているのはインテリヤクザの走りのみたいな感じだし、戦争では勲章を貰うほど活躍したということはそれだけ勇気(というより怖いもの知らず?)・決断力・行動力・実行力があるということで、後年のドンとしての活動の伏線にもなっている。人生の前半で他の兄弟とは違う道を選んだということも独立心があり且つ自我を通すという性格だという意味でこれまたドンとなってからの生き方の伏線となっている。⑦そういった資質を見込まれてヴィトーの後継者となるわけだが、時代が違うのか、性格が違うのか、ヴィトーはファミリー(組織の方です)を纏めるのに友情と信義とを重んじ(敵や仕事相手にも)暴力や恐怖は最後の手段として用いたのに対し、マイケルは最初から暴力・恐怖をその支配の手段として用いることになる。時代の違い、一から苦労してのしあがった者と、苦労なくファミリーを継いだものとの違いと言えばそれまでだか、こういうことが後々マイケルの孤独・悲劇の遠因となる。(『ゴッドファーザーPARTⅡ』ご鑑賞。)⑧マイケルが家業を避けていたり毛嫌いしていたのではないことは、ヴィトーを襲撃させた直接の黒幕とヴィトーの入院中の警護をしようとした時に殴られた悪徳警視(?)を殺す役割を自分から志願したことでもわかる。父親への愛情からという面も有るのだろうが、こういう家に育ったのであれば復讐をすればどういうことになるか理解していた筈なので、身内から「お前は堅気だから」と止められたのを振り切って凶行に及んだ時点でその後のマイケルの人生は決まってしまった。⑨女性に対する姿勢を通してマイケルの人となりとが垣間見えるように思う。ソロッツッオとマクルスキーとを殺ればしばらくは身を隠さねばならず婚約者のケイとは会うことは勿論連絡を取ることも出来なくなることはわかっていた筈だが、それでも自分の恋愛よりも父親への襲撃の復讐・コルレオーネファミリーを守ることを選んだことで、彼の恋愛観・女性観が伺える。その上、シシリーで匿われている時に、ケイという恋人がいるにも関わらず(アメリカに戻ったら結婚する筈だった?)、美しいシシリー娘に一目惚れし半ば強引に結婚してしまう(ここにも彼の性格が垣間見える)。新婚生活は幸せであったが(ここで二ノ・ロータの「愛のテーマ」がいやが上にも詩情をかきたてる)、マイケルに対する暗殺の企てに巻き込まれて新妻は殺されてしまう。この出来事が後のマイケルの冷血な決断・行動に少なからず影響を及ぼしているのだと思う。その後、アメリカに帰国して1年も経ってからケイの前に再び現れて半ば強引に復縁を迫ったうえ結婚してしまう。結婚をしたことのない人間としては、この辺りのマイケルの女性観・結婚観(マイケルの、というよりはシシリアン・マフィアの、と言った方が良いのかも知れないけれども)はよく理解出来ない。⑩ジェームズ・カーンはどう見てもイタリア系には見えないのが難だが、気が短くて喧嘩っ早いというソニーの役柄には適役。ソニーの最後は原作(只今読書中)より派手で残酷だが映画的にはこちらの方が絵になるのは確か。一斉射撃の直前一瞬の間があるのは『俺たちに明日はない』の影響かな。⑪ダイアン・キートンという女優さんに注目するようになったのも此の作品から。美人ではないが何か引っ掛かるものがある女優さんである。それでもこの作品後4~5年は引き続き助演クラスの役柄が続いたが(ゴッドファーザーPARTⅡ含む)、1977年に『アニー・ホール』『ミスター・グッドバーを探して』で一躍トップ女優になって現在に至る。本作では、ラスト、夫をマイケルに殺された(粛清された)コニーがマイケルの家に怒鳴りこんで来た後、それを聞いていたケイトかマイケルに『本当なの?』と尋ね、いささかの口論の後マイケルが否定したのを一応納得して引き下がったはいいものの、閉まりゆくドアの間から、部下達が新しいドンに挨拶する様子を見ながらマイケルが変わってしまったことを理解した様な、これから起こることを案じる様な不安なケイの表情を見せながら映画は幕を閉じる。そのケイの最後の表情と映画の幕の閉じ方が実に印象的でダイアン・キートンという女優が長く頭に残ることとなった。

もーさん