遥かなる国の歌

劇場公開日:

解説

「サラリーマン権三と助十 恋愛交叉点」の若尾徳平と「雲に向かって起つ」の池田一朗が共同でシナリオを執筆、「激流に生きる男(1962)」の野村孝が監督したジャズとアクションの物語。撮影もコンビの横山実。

1962年製作/83分/日本
原題:Dahil Sa Iyo-The Song of Sad Love
配給:日活
劇場公開日:1962年7月15日

ストーリー

下宿代がたまって追い出された山川は、愛用のトランペットを抱えて神戸のカフェー街を流し歩くうち、ベースの小野、ドラムの中西、ピアノの前田、テナーサックスの庄司とめぐり逢い、クインテットを結成した。そしてキャバレーに出演がきまったが、メイン・バンドとの衝突でたちまちクビ。しかし東京からスカウトにきていた「週刊芸能」の婦人記者須貝京子のおかげで、有名な山野芸能プロと契約ができた。「山川潤と楽団マッハ」はめきめき売り出すが、三カ月目にギャラの不満から独立を宣言。山川に好意を持つ京子の紹介で「シャン・ルージュ」に出演中、ステージで愚連隊となぐり合いを始めたためお払い箱。不運を歎いているとき、トミー福田という混血少年が訪ねてきた。生みの母に会いたいトミーは何も知らずに香港から日本へ届けたのが実は麻薬と判ったので、逃げてきたのだ。トミーがフィリピンの愛の歌「ダヒルサヨ」が上手なこと、母の前額部に大きなホクロがあるということを聞いて、山川は「週刊芸能」の徳久社長に相談、「ダヒルサヨ」のメロディに母の面影を求める混血少年歌手というトップ記事を書いて貰った。これが当って、山野プロから好条件で再契約を申し入れてきた。テレビでトミーをみた麻薬団のボスは、秘密がバレるのを恐れて子分をさし向けた。山川は徳久社長の後妻夏江こそ、トミーの実母だと知った。夏江はトミーと母子の名乗りをあげるのは、徳久家の幸福をかき乱すのではないかと心を痛めていた。失望のトミーは姿をくらまして大さわぎになったが、山川の努力で母子は抱き合う日がきた。しかも、徳久氏はトミーをわが家に引き取ることを快く許した。大劇場で「ジャズメン・オブ・ジャパン」が開かれた日、山川たちの伴奏でトミーは「ダヒルサヨ」をうたった。

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