幻の光のレビュー・感想・評価
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悲しいニュースを見るたび思い出す
ミニシアター系でこの映画を見ました。当時は江角マキコファンで軽いノリで行ったのですが、淡々と、しかしながらずっしりときたのを覚えています。今でも悲しいニュースを見るたびにこの映画を思い出します。人間ってそういうところあると思う。みんな、その可能性を秘めてる。そんなあやうい存在なことに気付かされます。思い出に残る数少ない邦画です。
是枝監督のデビュー作だったんですね…。
【”幻の光”に吸い寄せられてしまった人を、引き留められなかった後悔の念に苛まれる女性の、深い喪失感からゆっくりと再生して行く姿を能登半島の美しい海岸を背景に、静かなトーンで描いた作品。】
ー是枝監督が、”様々な家族の姿”を拘りを持って描き続けている事は周知の事実である。そして、その根底には”人間の善性を信じる”という固い想いがあることも・・。
それ故に、それを裏切るようなネグレクトなどの唾棄すべき行為に対しては、強烈な怒りを込めて、「誰も知らない」「万引き家族」などの作品に、”様々な家族の姿”として反映させてきた。
今作では、愛する人と”家族”になった女性の深い喪失感とゆっくりと再生して行く姿を、能登半島での”新しい家族”の姿と、荒々しい海と向き合い生きる人々の姿を絡ませて描いている・・。-
◆冒頭の、ゆみこが幼い時、”四国の宿毛に帰るんじゃ・・、死ぬために・・”と言いながら姿を消した、ゆみこの祖母の姿が、その後の展開を暗示させるところから物語は始まる。
・大人になったゆみこ(江角マキコ)が、小さい頃知り合ったいくお(浅野忠信)と結婚し、ゆういちが生まれ、ゆみこは幸せな生活を送っている。
が、ある日、いくおは突然”この世から”居なくなる・・。
- 江角マキコさん演じるゆみこの、哀しみが深すぎて、涙も出ず、無表情で独り暗い部屋の中で佇む姿。-
・ゆみこは幼子を抱え、伝手で能登半島に住むたみお(内藤剛)と再婚するが、表情は暗いままである・・。だが、二人のために荒れた海に蟹を取りに行ってくれたとめのおばあさんを始め、たみおの父(柄本明)や、朝市の売り子のおばさんから、さりげないが、優しい態度で接しられ、ある日、ゆみこは漸く夫たみおに能登の海岸で問いかける。
”何で、あの人は死んだんや・・。分からへん・・。”
たみおは、
”父ちゃんが言っていた事がある。海に出ていると、”誘われることがある・・。” チラチラとした灯りに・・。人間、誰でもそういうことがあるのではないかなあ・・。”
- 海岸沿いを歩く葬列。鳴る鈴の音。
それは、いくおが盗んできた自転車のカギについていた鈴の音、そしてゆみこがいくおの形見として、大切に持っていた鈴の音に聞こえる。
絶妙な構成である。-
<ある女性の深い喪失感から、ゆっくりと魂を再生して行く姿を静かなトーンで描いた作品。 是枝監督が現在でも拘る”家族”を裏テーマにした作品でもある。
”二つの家族の姿:一つは、いくおと築いた家族、もう一つは、たみおと築いた家族”
の姿を通して、
”人間の魂の揺らぎ”
を、能登半島の荒々しいが美しい風景、逞しく生きる人々の姿を通して描き出している作品。>
人生の意味は言葉にできない、感じるもの
平穏な日常から、ふっと消えるようにこの世を発つ人たち。
主人公のゆみ子は、釈然としない死に対する印象を記憶に抱えることになります。
この作品は、彼女の曖昧模糊とした死生観を踏まえた世界認識や心情を描写すべく、何気なく映る光景に対してまで、非常に繊細な意図を持たせていると感じられました。
私が特に感銘を受けたのは、表情やセリフといった明快な説明は廃し、むしろ現実の風景と人物との画面上の関係性から、人物の心情を浮き上がらせるような演出です。
表情やセリフで語る感情表現は分かりやすいですが、明瞭な表現は時として、記号化・言語化できない繊細な情報を覆い隠してしまうものでしょう。
現実の風景は、つまりゆみ子の内面と連続した環境でもあるのです。周囲の環境を見つめることで、彼女の繊細な感情の在りかを探るような演出がされています。
しかしそのため、村や町や家の中に対して、どこからどう見るのか、とても鋭い視点の観察がされていると察せられました。水平垂直、明暗の利用、場合によってはやや構成的なまでに画面を整理し、画面全体をもって意味のある一枚絵としているかのようです。
その結果、一見何気ない無意味に思える要素、ストーブの灯り、家の角の陰、それから、鈴や自転車ベルといった音など、場面ごとに一見些細な様々なものが力を得ています。
途中、平穏な生活の描写は、ゆみ子の日々の時間感覚を体験する事ができますが、そんな続いて行く日常の流れの中で、不意に死が訪れかねないという認識を度々思い起こさせられ、不安とも不可解ともつかない特異な感覚をもたらしていると思われました。
人は生きる意味を探求することが生涯のテーマである、などと言う人がいます。しかし私はこれに若干の疑問を感じます。
「生きる意味」の「意味」というのは、言語化できる意味に過ぎないのではないでしょうか。
哲学的な問題に対し、何か簡潔な言葉で言い表そうというする態度を見ると、私はその人の感性を疑ってしまうことがあります。
言語化できない、しかし強烈な意味というものは確かに存在し、それは安易な言葉で捉えようとすると、忽ちこぼれ落ちてしまう。
ゆみ子に共感するかは別としても、彼女の環境世界を想像することで、何か貴重な体験を得られた気がしています。
映画は映像で表現するという強烈な実践
尼崎の若い夫婦、何気ない日常の中、夫は突然自殺をしてしまう。妻に思い当たる理由もない。のこされた妻は幼い子供と能登に嫁ぐ。
能登の海岸沿いの一軒家と海沿いの街の風景が続く。全夫はなぜ死を選んだのか?ふと理由を知りたくなる。
ストーリーよりは映像の美しさで構成される展開。広角の構図を多用し、そこに映る人々も風景の中に溶け込んでいて、そこに包まれているような雰囲気。
ピントがぼやけたような映像が幻想のような雰囲気を与える。映画に必ずしも明快なストーリーも結論も必要ではなく、それよりも映像美で成り立つことを示唆してくれる映画。
温もりの光
今や日本が世界に誇る是枝裕和監督の1995年のデビュー作。
幼い頃に突然祖母が失踪。
そんな暗い過去を持ちつつ成長したゆみ子は郁夫と出会い結婚、子供にも恵まれ幸せに暮らしていたが、突然夫が自殺。
2度も大切な人を失ったゆみ子は縁あり、能登の漁村に嫁いで行くが…。
一貫して家族を描く是枝作風は本作から垣間見える。
何気ない日常や営みを淡々と。
演者からも自然な演技を引き出す。(ちょいと何人か大阪弁が気になるが)
揃って縁側でスイカを食べるシーンなんて、後の是枝作品で見た気がする。
後の人気監督のデビューを祝うかのように、同じく本作がデビューの“元”女優の江角マキコ、内藤剛志、浅野忠信、柄本明、赤井英和、大杉漣とキャストも豪華。
是枝監督の才はすでにここから始まっていた。
近年の是枝作品は商業やエンタメ性があるが、本作は本当にインディーズの新人監督の意欲作。
何故、自分の前から大切な人は居なくなってしまうのか…?
何故、自分はそれを止める事が出来なかったのか…?
心機一転。新たな土地で再スタートさせた新たな人生。夫も優しく、人も良く、土地の雰囲気も和やか。
が、心の奥に未だに引っ掛かる暗い過去。
再婚相手からすればたまったもんじゃない。
でもそれは、いつまでも昔の夫を想い続けているのではなく、また大切な人を失ってしまったら…?
のどかではあるが、能登の寒々とした風景がヒロインの心情を反映。
暗く重く、なかなかに分かり難い作品でもある。
若き是枝監督が描いた、家族とその平凡な営み、死生観、喪失と再生の果てに、微かな温もりを見た。
幻の光?
自ら命を絶つものとそうでないものの差は歴然としていると思う。幻の光が見えるものと見えないものの差ってこと?ちょっと納得できない。是枝さんの劇場初作品ということだが、現在の誰が見てもやはり是枝カラーがふんだんに出た作品。江角マキコの関西弁には違和感。てか柄本明って今と見かけ、役柄変わってない!!当時は50前後?すごい!!
やはり日本映画
思った通り、日本映画ならではの暗い映画でした。
まぁ、でも、確かにある意味考えさせられたのでこんなもんかなという感じです。
随所に山田洋次監督の影響があるような気がしましたが・・・
結構胸に残ったのはやはり私も日本人だからかな。
死について論理があるわけではないという是枝監督の死生観が伺える本作...
死について論理があるわけではないという是枝監督の死生観が伺える本作。高台からの海のショットが長くそれは一見綺麗に見えるが薄暗い画面からのその水平線まで続く海の光景は死をも内包する非常に不気味なショットとも言えよう。
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