劇場公開日 1972年4月29日

「映画で魂を統治せよ、そんな世界はいらない」時計じかけのオレンジ abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5映画で魂を統治せよ、そんな世界はいらない

2024年4月19日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

スタンリー・キューブリック監督作品。
不朽の名作だ。

本作の主人公・アレックスが暴力と無秩序が蔓延る社会で、不良少年から善良な「社会」人になるために、懲罰から治療へと向かう。それは魂の統治といっても過言ではない。その統治において採用される治療法が、映画鑑賞である。目を瞬きができないように固定器具で見開き、バイオレンス映画やポルノ映画をひたするみる。そして映画におけるイメージと現実世界を「連係」させ、現実の暴力とポルノに吐き気を催させる。治療手段に映画を取り入れるメタな視点と危険性の指摘に驚きつつ、この「連係」は重要な概念である。

例えばアバンクレジットで赤と青のショットを連係させて別の色のイメージを産み出していたり、「雨に唄えば」のような陽気な音楽と暴力に満ちた映像を連係させて不穏なイメージを想起させる仕掛けをしている。このように物語における鍵となる概念とともに映画とは何か、イメージとは何かを問いかける重要な概念なのである。

治療による連係によってイメージは創出できたが、倫理観は育まれない。
かつての懲罰では内省による改心、それによる倫理的な行為が目指されていた。しかし心を治療し終えたのなら、正常であることが暗黙の了解になってしまう。だからアレックスの社会復帰後の行動原理も分かる。

物語の終盤では、アレックスが暴力とポルノに回帰する。これは退行とも解釈できるが、善く生きるために、生権力を握らされず私たちが社会を統治するためには、肯定的に受け止めなくてはいけないのではないだろうか。暴力とポルノを社会から、一個人から抹消するためには、本作のような魂の治療が必要になってくる。しかしそれは倫理観を醸成することはない。ましてや連係によって別様の暴力やポルノをイメージさせることだってあり得る。だから暴力やポルノを懐柔させながら、社会に組み込む遊びの仕掛けが必要だと思うのである。

田沼(+−×÷)