スカイ・クロラ The Sky Crawlersのレビュー・感想・評価
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キルドレは死ぬことにした。 この退屈さを受け入れられるのであれば、あなたも立派なオシイスト。
レシプロ戦闘機に乗り日夜戦いを続ける「キルドレ」と呼ばれる青年たちの灰色の日常を描き出した戦争ドラマ。
監督は『うる星やつら』シリーズや『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』シリーズの、巨匠・押井守。
感情表現が希薄な新任パイロット、函南優一の声を演じるのは『誰も知らない』『硫黄島からの手紙』の加瀬亮。
優一たちが行きつけにしているダイナーのマスターの声を演じるのは『ウォーターボーイズ』シリーズや『ピンポン』の竹中直人。
脚本監修を務めるのは『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』で知られる映画監督の行定勲。
いやぁ、退屈!!
こんなに退屈なアニメ映画はないんじゃないかというくらい退屈な作品。
しかし、だからこれが悪い映画なのかと言われるとそこにはNOと言いたい。
押井守作品のファンのことを「オシイスト」なんて呼んだりしますが、我々オシイストにとってこの程度の退屈さはなんでもないことなんです。むしろ「面白かったらどうしよう…」くらいの感じで作品を見ますからね。そんなんもう異常者やんと自分でも思いますが、この退屈さを求めて我々は押井の映画を観てるんです。もしこの作品の退屈さを許容できたのなら、あなたも立派なオシイスト👏
原作は小説家・森博嗣による同名小説。未読だから映画との差異は不明だが、まあ押井守のことだから大枠だけ原作をなぞってあとはほぼオリジナルみたいな作り方を今回もしてるんだろう。
ただ、不思議に思ったのは登場人物の名前。ヒロイン・草薙水素の名前は『攻殻機動隊』シリーズの主人公である草薙素子にクリソツだし、謎の人物・クリタジンロウのファーストネームは押井が脚本を手がけたアニメ映画『人狼 JIN-ROH』(2000)と響きが一緒。流石にこれは偶然とは思えない。
もしかして森博嗣先生もオシイスト?
手元にあった「押井守の映画 50年50本」(押井守 著、2020年8月、立東舎)や「創造元年1968」(笠井潔/押井守 著、2016年10月、作品社)をペラペラ捲ってみると、なかなか興味深い事が書いてある。
まず押井監督は興行的には不振だったことを認めつつも、この作品のことをめちゃくちゃ気に入っている模様。
本当に納得のできるアニメ映画が作れたのは本作が初めてであり、それ以前の作品は全て習作であると言い切っている。また機会があればディレクターズ・カット版を作りたいとのこと。半端じゃない入れ込み方である。
押井が本作でやりたかったのは「時間」を表現すること。ここで言う「時間」とは2時間とか3時間とか言う客観的な時間ではなく、映画自体が持つ主観的な時間のこと。監督が意識的に作り出す時間のことなんだとか。
押井曰く、映画においてセリフやアクションの最中は時間は流れていない。その合間にこそ映画の時間は流れる。アニメーションは絵の連なりなので、セリフやアクションがない時間というのは存在しない。それはただの静止画になってしまうから。
本作ではそこに切り込んでおり、「何も起きない時間」というアニメーションが最も不得手としているものを表現しようとした、とのことである。静止画に見えるような静かなシーンでも、本物の人間がとるような無意識な動きをキャラクターに取り入れる。そうすることで静止しているようでしていない、ダラっとした時間の流れを表現することに成功している。
もちろんこれは西尾鉄也をはじめとするプロダクションI.Gの精鋭アニメーターたちの、繊細で丁寧な技巧があって初めて実現可能なことであり、普通のアニメではまず不可能。超実力派アニメーターを大量に導入して、やらせることは新聞を畳んだりボタンを外したりという細かな日常芝居。贅沢というか無駄遣いというか…。まぁそこが良いんですけどね。
監督が参考にしたのはヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(1984)。この映画に流れている主観的な時間を自分でも実現してみようというのがこの作品の狙いだったようなのだが、面白いのは押井は『パリ、テキサス』のことを「退屈すぎて死にそうになる」と評していること。
退屈すぎると感じる映画を作品作りの反面教師にする、というのはよくわかる。しかし、その映画を参考にして同じような時間感覚を持つ映画を自分で作り出すというのは、はっきり言って完全に狂ってる。
本作は見事に退屈なのだから、押井監督の目論見は成功したということなのだろう。だから納得出来る映画が出来たと自画自賛しているのだろうが、それってオシイスト以外の観客からしてみたらたまったもんじゃないよね💦
まあでも、我々オシイストは押井守のこういうねじくれたところを愛している訳ですが…。
押井監督が構想するディレクターズ・カット版とは、空中戦やアクションシーンを全てカットし、キルドレたちの日常のみを描くというもの。
普通の観客は「そんなもん誰が観たいんだよ…」と思うことだろうが、個人的にその目論見は至極真っ当と思う。
というのも、映画全体のトーンから考えると、確かにこの映画のドッグファイトには取ってつけたかのような不自然さがある。「客寄せのために仕方なく入れました」みたいな白々しさが感じられるのだ。
個人的にこの映画で最高の感覚だと思ったのは、草薙・函南・土岐野の3人がボーリングをするシーン。三者三様のスローイングフォーム、ボールの重さが確かに伝わる重力移動、ボールがリターンしてくるまでの所在無さなど、本当にこのシーンには超絶精緻な作画技術が詰め込まれている。もうこういう細かいアニメの動きが本当に素晴らしく、ここだけで2時間くらいあっても良いんじゃないかというくらい満足してしまった。
現実的なことをあえてアニメで描く、その際に生じる違和感こそがアニメ作品の醍醐味だと思うんです。派手なバトルとかエフェクトなんて二の次三の次。
その日常演技の技術が高ければ高いほど、生じる違和感も強まり快感度数も増す。そういう風にアニメを観ている人間にとって、この映画の演出は本当に眼福です…😋
物語の内容自体は、まあ可もなく不可もなく。
『攻殻機動隊』同様、『ブレードランナー』(1982)みたいな事がやりたかったんだな、という感想。函南とか草薙が逃げ出してたら、それこそまんま『ブレラン』だったよね。
退屈さという点では、オリジナルよりも続編である『ブレードランナー2049』(2017)に近いかも。アンドロイドが妊娠するという展開も一緒だし。
もしかしたらヴィルヌーヴ監督は本作からインスパイアを受けたのかも。実は彼もオシイストなのかも知れない…。
生の実感が湧かない若者の灰色さというのは確かによく表現できていたが、キルドレという設定を上手く扱えていたかは疑問。別にキルドレじゃなくても全然成り立つ話ですよねこれ?
いつまでも子供のまま、というのはモラトリアムのメタファーだというのはわかるのだが、子供/大人の対比が絵としてわかりにくい。函南たちキルドレがあんまり子供に見えない。
日本アニメにおいては、彼らよりももっと幼くデザインされたキャラが普通に戦ったりなんだりしている訳だから、このキャラデザで「僕らは子供です」と言われても説得力がない。子供ということを強調したいのであればもっと頭身を低くするとか、ショタ声の声優をキャラに当てがうとか、もう一工夫が必要だったんじゃないか?
もう一つ気になったのは終盤の説明台詞。
戦争の実態やキルドレの正体、クリタジンロウという人物についてなど、ほとんど説明がなされないまま物語は進んでいく。ただ、物語の端々で描かれている事柄から観客としては大体こういうことなんだな、という推測はできるし、その推測はおおかた当たっている。
わざわざ草薙や三ツ矢に怒涛の説明台詞を喋らせてしまったせいで、それまでのシャープな語り口が急にブサイクなものになってしまった。もう少し観客の読解力を信用してほしい。
本作を最後に、押井はアニメ映画の監督をしていない。
この映画がコケたせいでなかなか撮らせてもらえなくなったのかもしれないし、本人に興味がなくなったのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、押井の戦場は実写ではなくアニメの世界であるということ。ただただつまらないだけの実写映画を撮ってる暇があったら、つまらないけど中身の詰まったアニメ映画を撮ってくれ!!
…「タバコを吸わない上司は信用しないことにしてる」って、それ宮崎駿のことを意識したセリフですよね。本当に押井は宮さんの事が大好きなのね〜…😏
もっと評価されるべき映画
学生の頃に鑑賞した。辛い時期だったが、この作品は支えになってくれた。
そしてそんな人は私だけではないと思う。
本作は有り触れた「日常」をひたすら描いているため、その秀逸さを理解する事が非常に難しい。だが繰り返し繰り返し観るとその美しさが分かってくる。
幻想的で切なく悲しい。でもその中に希望がある。
繊細に、自然に人間を描いた、稀有な日本映画だと思う。
ただ切ない。暗く、救いがなく、でも、なぜか惹かれる。美しい作品。
高校生の時に見た衝撃的な作品でした。
当時の私にとっては、何一つ救いがなく、ただただ暗い作品で、
切なく終始胸が苦しかったのですが、
曲調や劇中画の美しさや儚さに心を打たれたのか、
私の中でこの作品を超えるアニメがありません。
思い出に残る作品です!
民間企業同士が戦闘を請負う戦争形態の設定は妙技感ありました。ストー...
民間企業同士が戦闘を請負う戦争形態の設定は妙技感ありました。ストーリーは盛り上がりに欠けていて引き込まれませんでした。
大作感があっただけに残念な感じがありました。
何とも不思議な世界観の作品だ。 国家間ではなく、会社同士で戦争をし...
何とも不思議な世界観の作品だ。
国家間ではなく、会社同士で戦争をしている。
それもよく分からない理由で。
主な登場人物は全員日本人名だが、街並みは海外で飛行中は英語でコミュニケーションをとっている。
また、遺伝子操作で不老不死の少年少女が戦っている等々。
話そのものよりも世界観がおもしろかった。
終わりなき日常の絶望をどう生きるかに取り組んだ傑作
押井守がビューティフル・ドリーマーで描いた永遠に続く文化祭前の一日は、とてもハイな永遠なる日常だった。それは日常がもたらす"倦怠"の打破が課題だったと言える。
本作は戦争ドラマだが、実はあの学園ドラマの裏バージョンで、ここには夢邪鬼ならぬ人類が仕掛けた、ダウンな永遠なる日常が描かれている。今度の日常がもたらすのは"絶望"である。
かつて永遠なる日常でラムやあたる達と遊び、軽やかに転覆させて自己の青春を総括した押井は、今度はそれに悪戦苦闘している。
輝かしい未来も華やかな過去もなく、ぼんやりした現在を麻痺した感覚で生き、感動もなく死んでいき、翌日には似た奴が隣にいるキルドレ達の世界。
「お前という人間は、いつでも誰とでも交換可能だ。自分がいついなくなっても、明日には代替品が自分の席に座っていて誰も何も困らない。自分などいなくても構わない。自分は無価値で、誰かを愛することにも何の意味もないし、そもそも愛などと言うコミュニケーションさえ自分たちには生まれない…」
三ッ矢が語るのは、永遠なる日常の絶望がもたらす無意味、無価値、無感動の世界への抗議である。
かつて政治的な閉塞感をもたらした東西冷戦は終焉したが、その後に到来した格差社会は、経済的文化的な閉塞感を若者に生み出し、新たな終わりなき日常の絶望を強いている。それに対して押井は、何らかの倫理を提示しようと試みる。
それが「君は生きろ。何かを変えられるまで」という主人公の言葉だ。日常に踏み止まれ、と。そしてその直後に、主人公は日常を転覆する企図に生を擲っていく。これはかつての学生運動時代に流行した、サルトルら実存主義哲学による自己投企の再提起かもしれない。
いずれにしろ転覆を図らなければならないほど絶望的な日常と、その空気を写し取ったのが本作であり、能天気でバカげた恋愛ドラマばかりが量産される日本では、とても現実的な映画と言えるのではないだろうか。
原作は未読だが、その原型は恐らくSF作家サミュエル・R・ディレーニのリリカルな短編「然り、そしてゴモラ」だと思われる。
宇宙空間で労働するために16歳でサイボーグ化され、性を失うとともに欲望も希薄化して、人間の抜け殻になったような航宙士と、無性状態の若者に群がる地上の性倒錯者たちとの絶望的な関係は、本作の終わりなき日常の絶望感に通じているようだ。
個人評価:3.5 薄暗く陰鬱な押井守の世界観。無機質なキャラクター...
個人評価:3.5
薄暗く陰鬱な押井守の世界観。無機質なキャラクターだが、最後は何故だか好きなっているから不思議だ。好きな作風ではないが、見終わった後に、なんだかそれまでスカイクロラの世界の中にいたと思う感覚になる。あぁ、これが押井守の作品のチカラか。
作品の意図を考えていくと夜が明けてしまいそう
わたしはなにをみたんだろう
どういった内容だった?どうだった?おもしろかった?と聞かれて
なかなか言葉に詰まる作品も少ない。
おもしろい か おもしろくない か
基本的どちらかに所属するものだから。
この作品はどちらにもならない。
好きか嫌いかで言えば、好き。
面白いかと言われると、それは微妙かもしれない。
戦闘機から見える空の青さと、
アニメとは思えない動き、
その割にはキャラクターの喜怒哀楽が見えにくくて、
淡々と進んでいくから気持ちを測りにくい。
説明がされない分、自分での理解が必須になるけれど、
マッチを折る仕草や新聞のたたみ方で
なるほどと思う伏線は張ってあった。
戦うために作られて、ぼんやりとした記憶しか持たない彼らを
いつも歩いている道は同じでも
そこにある景色は違う。それではダメなのかと問う。
それは生きるということではないのかと。
それでも、それを言いながらも
何かが変わるまでこの地獄で生きろと言う。
絶対に倒せないと分かっていても
そこにむかっていく彼の気持ちを、
彼女のまえにまた現れる、違う彼を
待っていたと告げる彼女の顔は以前とは全然違っていた。
エンドロールが終わるまで考えて考えても
結局答えの出ない質問を投げかけられたような気がする。
心の中になにか棘を残していくような、
静かでかなしい、明日への物語。
もう一度,生まれてきたいと思う?
2019年5月12日 #スカイ・クロラTheSkyCrawlers 鑑賞
不老不死と輪廻転生、戦争と生、国家と企業とかいろんなことを描かれていますね。
空中戦の戦闘シーンとか、冷蔵庫からビンを片手で2本出した時のカチンカチンあたる音とかは、こだわってるなと感じました。
#菊地凛子#加瀬亮#押井守#谷原章介
空中戦が楽しい
あとはよく分からん。
架空の世界観で実体が伴わないので、今一つ感情移入できなさそうな。
声優は専業にこだわらずとも、いいように思う。意外と演技過多で、うざったいことが度々。
リアルタイムに映画館で観ていたが、レビューしていなかったようだ。
物語よりも
まず、最大のマイナス点が、草薙役の菊池凛子が声優に不向きだってこと!!
女優としては全然嫌いじゃないし、パシフィックリムの時とか良かったんですが、声優はやっちゃいかんかった。
草薙が喋るたびに耳障りが悪すぎて不快感。完全に物語を損なってました。残念。
ストーリーとしては、斬新だったし面白かったです。
出てくる登場人物がみんな暗いので、土岐野(谷原章介)に癒されました。作中で一番強いのは、土岐野なのではないかなと、思ったり。
あんな過酷な環境の中で、面倒見がよくて明るく振る舞えるなんてすごいなって思います。
ずっと思春期のまま戦い続けるキルドレ。
想像しただけでいやーな気分になりますが、このいやーなもやもやした感じが押井監督の、作品だなって思う。
押井監督の作品が好きなら見て損はないかなと思いますが、万人受けはしないかな。
雰囲気に価値がある
ゆっくりな感じが良い。戦争するというのに、のんびりだらだらしているというのが新鮮で楽しめる。そういう楽しみは、アニメだからこそかもしれない。
空中戦のシーンは素晴らしい。カメラワークと構図が良く、他で見たことがないくらい研ぎ澄まされている気がしたが、どうだろう。
空の上にいる開放感と心細さが伝わってくる気がした。程よくローテクな感じの機体(詳しくない)にすることで、空を飛べる特別感があるのではないだろうか。
作品のメッセージについては特に共感できなかった。
不思議な空気感。
押井監督曰く自身の最高傑作はこの映画だそうです。個人的にはビューティフルドリーマーの方が好きなのですがそうおっしゃるのも頷けます。
この映画に流れる独特のちょっと重い空気感みたいなものに何ヶ月に一回かは触れたくなる。そんな映画です。
見れば見るほど違った感動と発見があるので何回も映画を見たい人におすすめです。
この映画は、声優に声をあててほしかった
この映画は、戦争の意味を面白い切り口から見ていると思った。
つまり、戦争に関わる当事者ではなく、「傍観者にとっての戦争」という角度からの切り口。
だからこの映画の戦争に、意味はない。傍観者のための戦争だから。
人は、自分よりもつらい状況に置かれた人間の存在を知ることで、自分に自信を持つことが出来る。
江戸時代のえたひにん制度のように。
スカイクロラにおいてそれが、キルドレ。
人々の精神的踏み台とされることが、生きる意味。
この映画の中の傍観者たちは戦争をしているキルドレを見ることによって活力を得ている。
たとえば、平気でテレビで作戦をダダ漏らしている描写は、いかにこの戦争が傍観者のためのものかが分かる。
この映画は、声優に声をあててほしかったなぁ。
菊池凛子の声が、キャラの特徴を殺していたと思う。
2010/7/7@メディアラボ
あれこれ考えるより
ただ画面のキャラクターたちの表情や言葉を丹念に追うことだけに専念して見ました。
一般的なアニメより台詞(説明)なんかは極端に少ないですが、キャラクターたちの心情は充分に描かれています。
表現方法としては、アニメというより実写映画のようです。人物にあまり喋らせず、目線や間や仕草での“行間”を観客に読み取らせることで成立させた作品だと思いました。
それにしても、ここでも「クサナギ」さんが出てくるとは。前情報入れずに見たもんで、思わずニヤリとしました。
置いてけぼり
そもそも原作自体がガンガン置いてけぼりにしていく話で、ほとんど謎なまま終わるのでそこは忠実かと。
スカイクロラから始まる原作シリーズは好みは分かれるが名作だと思うので、できれば単体でなくてそれも見たかったなと。
微妙
世界観とテクノロジーの格差
声優に女優さんを起用する事の弊害
原作を知らないと置いてけぼりになるストーリー等 見ていて不快になるレベルで駄作です。
バイオテクノロジーは発展しているのに
戦闘機はレシプロで騎士道なバルカン戦
平面2Dアニメーションに不自然な3D戦闘機
棒読み声優陣 世界観的にはコレが好きな方もいるとは思うが、あまりにも声に感情が無さすぎて無理
映画の半分は音だ なんて言ってる監督が声も音だと理解していない気がしてならない…。商業的に上から指示で女優かもしれないが…。
最近の押井作品はエンターテイメントとしてのアニメ映画では無くて
俺の価値観をお前が理解しろ!って感じで楽しめません
戦争の扱い方がクソ過ぎる
大嫌いな映画でした。
とにかくガキがクソガキに評価されればいいというゴミみたいな映画でした。
ゴミ。
超ゴミ。
イラストもスーパーダサくて驚きでした。
高校の就学旅行で防空壕の見学に行った時、ヤンキーでもない、人気者でもない、中途半端な目立ちたがり屋が
「つまんねー。早く出よーぜ」
とあえて大きな声で言ってたことを思い出しました。
この映画を観てる最中と上記の瞬間に覚えた怒りがピッタリイコールです。
いったい誰に何をどう訴えたかったのか理解ができませんでした。
最凶最悪のクソダサ映画でした。
なんでこんな監督が評価されたり人気があるかさっぱりわかりません。
大嫌いな映画でした。
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