劇場公開日 2007年4月16日

「生と死と、それを支える愛について」海を飛ぶ夢 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0生と死と、それを支える愛について

2024年1月26日
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鑑賞方法:DVD/BD

自分の命は、自分だけのものなのか?「生きる」って、一体なんだろうか?
実在の人物ラモン・サンペドロ氏の手記を元にしたこの映画は「生きる」ことの対極であり終点でもある「死ぬ」ことへの考察にあふれている。

脊椎損傷で首から下が不随の状態になったまま、26年間生きてきたラモン。決して裕福ではない暮らしだが、父と兄と義理の姉と甥っ子はラモンを支えながら暮らしている。
ユーモアに富み、知的なラモン。彼は本当に家族の支えなしでは生きていけない。生命活動の殆どが義姉のマヌエラによって賄われている。
彼は心から家族の愛に感謝しているし、家族もまたラモンを「普通の家族」として愛しているのが感じられる。
甥っ子・ハビエルが寝たきりのラモンの前で「お爺ちゃんの運転は役立たずだ」と言ってしまうあたり、家族ならではの無遠慮な辛辣さが、言い方が悪いが面白い。
そう、他人ならこの事を「面白い」と表現することすら憚られる。ラモンの前で、慎重に言葉を選ぶだろう。ラモンが傷つきそうな言葉を軽く口にしてしまうハビエルには、根底の部分で「家族を無限に愛している」という無自覚さがあるのだ。

言葉によって、人は愛を伝える。でも言葉はいつも自分の抱く愛に対して少なすぎる。種類も、量も、質も、全てが不足している。
体が動かないラモンにとって、言葉だけが自分の愛を伝える手段だ。それはラモンの知性を伝え、個性を伝え、優しさを伝える。
だが、何も言わず強く抱き締めるような愛情表現の代わりはつとまらない。相手の自由を奪うような、暴力的な愛は、ラモンには永遠に届かない「愛」なのだ。

ラモンにとって、「愛を与えること」は「愛に包まれてること」と同じくらい重要だったんじゃないかと思う。
いつも自分を愛してくれる人たちに、同じように「愛してるよ」と伝えたい。でも伝わらない。
何度言葉を重ねても、どんなに感情を込めても、誰かの助けがなければ、相手の歩み寄りがなければ、肌に触れることもない。
愛されているからこそ、愛を返せないことに絶望し、愛とは最も遠い「死」を望む自分に絶望する。
自由に生きられないから惨めなんじゃない。充分に愛せないから惨めなんだ。

ラモンの魂の慟哭は、観ている私の心を揺さぶる。それは長い間自分自身の魂と向き合ってきた者が持つ叫びだからだ。

私たちはこの自由で健康な暮らしが当たり前だと思って生きている。いつまでも続くと思って生きている。
だから、ラモンのような「たまたま不幸にも不自由な人」は特別で、死を求めることを異常だと思う。「あなたが生きている事が尊い」と、そう無垢に信じている。
でも「生きる」ということが「譲れない何か」に準拠しているなら、その「何か」を尊重するのも「愛」ではないだろうか?
この映画は、愛する人の魂に寄り添う、その難しさと切なさを教えてくれる。

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つとみ