リチャード・ロジャース : ウィキペディア(Wikipedia)

リチャード・チャールズ・ロジャースRichard Charles Rodgers, 1902年6月28日 - 1979年12月30日)は、アメリカ合衆国の作曲家。ミュージカルの作曲で広く知られる。ブロードウェイ・ミュージカル43作品、「900曲以上を作曲」しており、20世紀のアメリカの作曲家の中でも有名な1人に数えられ、彼の楽曲はポピュラー音楽の発展に貢献した。なお、R&Bシンガーのリチャード・ロジャースとは、同名異人である 2022年4月2日閲覧。代表曲には「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「10番街の殺人」「魅惑の宵」「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」「ドレミの歌」など、多くの楽曲がある。

概要

1919年から1943年、作詞家ロレンツ・ハートと、1943年から1959年、作詞家オスカー・ハマースタイン2世とソングライティング・コンビで数多くのミュージカル曲を作詞作曲した。1920年代から1930年代にかけてロジャース&ハートは『Pal Joey』、『コネチカット・ヤンキー』、『On Your Toes』、『Babes in Arms』など多くのミュージカルの作曲を行なった。1940年代から1950年代にかけてロジャース&ハマースタインは『オクラホマ!』、『』、『回転木馬』、『南太平洋』、『王様と私』、『サウンド・オブ・ミュージック』などのミュージカルの作曲を行なった。特にハマースタインとのコラボレーションは、それまで単なるエンターテイメントとされていたミュージカルを、登場人物やドラマに焦点を当てた物語に変化させた。

ロジャースはアメリカのエンターテイメント業界の最大の賞である舞台のトニー賞、映画のアカデミー賞、音楽のグラミー賞、テレビのエミー賞全てを受賞した最初の人物であり、その頭文字を採ったEGOTの称号を与えられた。さらにピュリツァー賞を受賞し、5賞すべて受賞したのは、ロジャースとマーヴィン・ハムリッシュの2人しかいない。1978年、芸術における特別功労賞として第1回ケネディ・センター名誉賞を受賞した。

人物

生い立ちおよび教育

ニューヨークのクイーンズ区でロシア系ユダヤ人外科医の父ウィリアム・エイブラハムズ・ロジャースと母メイミー(リーヴァイ)の家庭に生まれた(ロジャーズというWASP風の苗字は、父親がロガジンスキーというユダヤ的な苗字から改姓したもの)。6歳の頃にピアノを弾き始めた。PS 166Townsend Harris Hall Prep SchoolDeWitt Clinton High Schoolに通学した。10代前半、毎年夏にメイン州ウォーターフォードで行なわれたキャンプ・ウィグワムに参加し、そこで初めて作曲したHyland, William G: <i>Richard Rodgers</i> The New York Times, Chapter 1. Yale University Press, 1998, 。

ロジャース、ロレンツ・ハートオスカー・ハマースタイン2世はコロンビア大学の同窓生であった。コロンビア大学にてロジャースはフラタニティPi Lambda Phiに所属した。1921年、音楽芸術研究所(現ジュリアード音楽院)に転籍したRichard Rodgers, Musical Stages: An Autobiography (2002 Reissue), pp. 12,20–21,44, DaCapo Press, 。ヴィクター・ハーバートジェローム・カーンなどの作曲家、そして子供の頃に両親にブロードウェイにオペレッタを観に連れていってもらったことがロジャースの作曲に影響を与えた。

キャリア

ロジャース&ハート

1919年、ロジャースは兄の友人フィリップ・レヴィットの紹介でロレンツ・ハートと出会った。最初の数年はアマチュアの公演でミュージカル・コメディの作曲をしていたがなかなか芽が出なかった。1919年のブロードウェイ・ミュージカル・コメディ『A Lonely Romeo』の楽曲「Any Old Place With You」でプロ・デビューした。1920年、シグマンド・ロンバーグによる楽曲も使用された『Poor Little Ritz Girl』で初めてプロの作品の制作に携わった。次のプロ公演『The Melody Man』は1924年まで開幕されなかった。

大学卒業直後、ルー・フィールズの音楽監督として活動した。ノラ・ベイズ、フレッド・アレンなどが出演していたRodgers &amp; Hammerstein as mystery guests on What&#39;s My Line?, February 19, 1956, video on YouTube。ロジャースはショー・ビジネスを完全に辞めて子供用下着販売業に就こうとしたが、1925年にロジャース&ハートはようやくブレイクした。高名なシアター・ギルドのチャリティ・ショー『The Garrick Gaieties』のために作曲し、批評家たちはその新鮮さと爽快さを評価した。1日のみの上演であったが、ギルドはその品質により再演に同意した。この公演で最も注目されたのは楽曲「Manhattan」であった。以降2人はブロードウェイの有力作詞作曲家となった。

次の10年間、2人は『Dearest Enemy』(1925)、『The Girl Friend』(1926)、『Peggy-Ann』(1926)、『コネチカット・ヤンキー』(1927)、『Present Arms』(1928)などブロードウェイやウェスト・エンドの双方で公演をヒットさせた。彼らの1920年代の公演は「Here In My Arms」、「Mountain Greenery」、「ブルー・ムーン」、「My Heart Stood Still」、「You Took Advantage of Me」などのスタンダード・ナンバーを生み出した。

1930年代前半、世界恐慌が本格化し、より良い環境をハリウッドに求めた。意欲的なロジャースはこのやや閑散とした時期をのちに後悔していたが、実際はハートと共に『』(1932)を手掛け、「Lover」、「Mimi」、「Isn't It Romantic?」というスタンダード・ナンバーを作り上げた。なお、この映画の監督ルーベン・マムーリアンはのちにロジャースのブロードウェイ・ミュージカル『オクラホマ!』の演出を務めた。以前にハートが作詞してカットされていた3曲を作曲したが、レコーディングもヒットもしなかった。4曲目の歌詞を作曲した「ブルー・ムーン」は2人の最大のヒット曲の1つとなった。映画作品は他にジョージ・M・コウアン主演の『』(1932)、アル・ジョルソン主演の『Hallelujah, I'm a Bum』(1933)、2人がハリウッドを離れた後に急遽戻ることとなったビング・クロスビーとW・C・フィールズ主演の『』(1935)などがある。

1935年、ブロードウェイに戻り、1943年にハートが亡くなる直前まで、数多くのヒット・ミュージカルを作詞作曲した。中でも有名なのは『Jumbo』(1935)、ジョージ・バランシン振付のバレエ「10番街の殺人」が使用された『On Your Toes』(1936)、『Babes in Arms』(1937)、『I Married an Angel』(1938)、『The Boys from Syracuse』(1938)、『Pal Joey』(1940)、そして彼らの最後のオリジナル作品『By Jupiter』(1942)である。またロジャースはこれらの作品のうちいくつかの脚本にも貢献していた。

これらの公演で使用された楽曲の多く、「The Most Beautiful Girl in the World」、「My Romance」、「Little Girl Blue」、「I'll Tell The Man In The Street」、「There's a Small Hotel」、「Where or When」、「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」、「ザ・レディ・イズ・ア・トランプ」、「恋に恋して」、「Bewitched, Bothered and Bewildered」、「Wait Till You See Her」などが今も歌い継がれている。

1939年、ロジャースは振付師マーク・プラットと共にバレエ・リュス・ド・モンテカルロのバレエ『Ghost Town』の作曲を行なったAnna Kisselgoff, &quot;DANCE REVIEW; Rodgers As Ideal Dance Partner&quot;, The New York Times, October 23, 2002.。

ロジャース&ハマースタイン

ハートへの信頼が下がり、健康上の理由によりロジャースとハートのパートナーシップは問題が置きはじめていた。ハートより前から共に作曲したことのあるオスカー・ハマースタイン2世と活動を始めた。彼らの革新的ヒットを遂げたミュージカル第1作目『オクラホマ!』(1943)はアメリカのミュージカル史上最も成功したパートナーシップの幕開けとなった。彼らの作詞作曲はミュージカル様式に革命をもたらした。これ以前のミュージカルは楽曲、ダンス、コメディ・シーンが希薄な脚本で寄せ集めであったが、ロジャース&ハマースタインにより完全に融合された。

さらにミュージカル史上最も人気のある作品に数えられる4作を作り出した。『回転木馬』(1945)、『南太平洋』(1949)、『王様と私』(1951)、『サウンド・オブ・ミュージック』(1959)はそれぞれ映画化されヒットした。1950年、『南太平洋』がピューリッツァー賞 戯曲部門を受賞した。『フラワー・ドラム・ソング』(1958)はややヒットし、『Allegro』(1947)、『Me and Juliet』(1953)、『Pipe Dream』(1955)は失敗作に近いものであった。また映画『ステート・フェア』(1945)、スペシャル・テレビ・ミュージカルの『シンデレラ』(1957)の作詞作曲も行なった。

ロジャース&ハマースタインの楽曲「Oh, What a Beautiful Mornin'」、「People Will Say We're in Love」 、オクラホマ州の州歌となった「Oklahoma!」、「It's A Grand Night For Singing」、「If I Loved You」、「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」、「It Might as Well Be Spring」、「魅惑の宵」、「Younger Than Springtime」、「Bali Hai」、「Getting to Know You」、「私のお気に入り」、「The Sound of Music」、「Sixteen Going on Seventeen」、「Climb Ev'ry Mountain」、「ドレミのうた」、ハマースタインの最後の曲「エーデルワイス」など多くが有名になった。

ハート、ハマースタイン双方とのロジャースの作品の多くはロバート・ラッセル・ベネットが編曲した。26エピソードによる第二次世界大戦についてのテレビ・ドキュメンタリー『第二次世界大戦全史』(1952–53)のためのオーケストラ・スコアの準備のためにロジャースが作曲した12曲のテーマ曲を使用した。NBCの制作は「コンピレーション・ドキュメンタリー」の先駆者となり、番組は数十カ国で放映された。人気曲「No Other Love」のメロディが『第二次世界大戦全史』のテーマ曲「Beneath the Southern Cross」に使用された。ABCのドキュメンタリー「[[:en:The Valiant Years|Winston Churchill: The Valiant Years]]」でロジャースが作曲してエディ・ソーター、ハーシー・ケイ、ロバート・E・ドーランが楽譜を作成し、エミー賞を受賞した。1963年から1964年に放送された30エピソードのテレビ・ドラマ『The Greatest Show on Earth』のテーマ曲「March of the Clowns」を作曲した。1963年から1964年、歴史アンソロジーのテレビ番組『The Great Adventure』のメイン・テーマ曲を作曲した。

1960年、ロジャース&ハマースタインはThe Hundred Year Association of New Yorkよりニューヨーク市への貢献を称えられ金メダル賞を受賞した。ロジャース、ハマースタイン、ジョシュア・ローガンは『南太平洋』でピューリッツァー賞 戯曲部門を受賞した&quot;Drama&quot;. The Pulitzer Prizes. Retrieved December 3, 2013.。1944年、ロジャース&ハマースタインは『オクラホマ!』でピューリッツァー賞特別賞を受賞した&quot;Special Awards and Citations&quot;. The Pulitzer Prizes. Retrieved December 3, 2013.。

1954年、ロジャースはコロムビア・レコードからリリースされた『第二次世界大戦全史』の抜粋「10番街の殺人」、「Carousel Waltz」が収録されたスペシャルLPでニューヨーク・フィルハーモニックを指揮した。

ロジャース&ハマースタインのミュージカルは、37のトニー賞、15のアカデミー賞、2つのピューリッツァー賞、グラミー賞、エミー賞を獲得するなどの成果をおさめた。

ハマースタイン没後

1960年にハマースタインが亡くなった後のロジャースにとって最初のブロードウェイ・ミュージカル『No Strings』(1962)において「The Sweetest Sounds」などで作曲だけでなく作詞も手掛け、中程度にヒットした。1962年、この作品はトニー賞楽曲賞、振付賞、ミュージカル主演男優賞を受賞した。

あまり知られてはいないが、映画『アラビアのロレンス』(1962)の製作者サム・スピーゲルによると、本編の90%の作曲を依頼したものの、ロジャースの曲は物足りないもので、結局モーリス・ジャールが、全曲を担当した[AllMusic|class=artist|id=p1154/biography|pure_url=yes allmusic Biography]。

ロジャースは映画版『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)で新曲2曲の作詞作曲を行なった。本作の他の楽曲はロジャース&ハマースタインのものが使用された。

ロジャースは、ハマースタインが保護者となっていた作詞家スティーヴン・ソンドハイムと共に『Do I Hear a Waltz?』(1965)を作詞作曲した。他にマーティン・チャーニンと共に『Two by Two』(1970)、『I Remember Mama』(1979)、シェルドン・ハーニックと共に『Rex』(1976)の作詞作曲を行なった。

1978年、バーナード・カレッジの卒業式において、ロジャースはその高い功績を称えられバーナード特別功労賞を受賞した。同じ年、第1回ケネディ・センター名誉賞を受賞した。1979年、亡くなる6ヶ月前、トニー賞授賞式においてロジャースはLawrence Langner Memorial Award for Distinguished Lifetime Achievement in the American Theatreを受賞した。

死およびレガシー

1979年、顎のガンを克服した後、心臓発作および咽頭切除により77歳で亡くなった。火葬され、遺灰は海に撒かれた。ロジャースが亡くなった晩、ブロードウェイの全ての劇場は、灯りを消してその死を悼んだ。

1990年、46th Street Theatreはロジャースの功績を記念してリチャード・ロジャース・シアターと改名した。1999年、ロジャース&ハートの追悼記念切手が発売された。2002年、ロジャース生誕100周年を記念して世界中で書籍発売、回顧展開催、上演、音楽リリースが行なわれた他、『オクラホマ!』のブロードウェイ再演が行なわれた。BBCプロムスにおいて、『オクラホマ!』のコンサートを含みロジャースの音楽が一晩中演奏された。ボストン・ポップス・オーケストラはロジャースのトリビュート・アルバム新CD「My Favorite Things: A Richard Rodgers Celebration」をリリースした。

アレック・ワイルダーは著作でロジャースについて以下のように記した:

ロジャースはアメリカ劇場の殿堂に殿堂入りした。

American Academy of Arts and Lettersと共にロジャースは、まだ世に出ていないミュージカル作曲家に上演資金を授賞した。Academy of Arts and Lettersで受け付けているものはこの賞のみで、現在でも毎年授賞している。

以下にこれまでの受賞者を示す:

公演名受賞者
2018Gun and PowderRoss Baum
Angelica Chéri
KPOPJason Kim
Helen Park
Max Vernon
Woodshed Collective
2017What I Learned from PeopleWill Aronson
Hue Park
2016We Live in CairoPatrick Lazour
Daniel Lazour
Costs of LivingTimothy Huang
HadestownAnaïs Mitchell
2015StringAdam Gwon
Sarah Hammond
2014Witness UgandaMatthew Gould
Griffin Matthews
2013Natasha, Pierre & The Great Comet of 1812Dave Malloy
The Kid Who Would Be PopeTom Megan
Jack Megan
2012Witness UgandaMatthew Gould
Griffin Matthews
2011DogfightPeter Duchan
ベンジ・パセク
ジャスティン・ポール
GloryanaAndrew Gerle
2010Buddy's TavernRaymond De Felitta
Alison Louise Hubbard
Kim Oler
Rocket SciencePatricia Cotter
Jason Rhyne
Stephen Weiner
2009Cheer WarsKarlan Judd
Gordon Leary
Rosa ParksScott Ethier
Jeff Hughes
2008Alive at TenKirsten A. Guenther
Ryan Scott Oliver
KingdomAaron Jafferis
Ian Williams
See Rock City and Other DestinationsBrad Alexander
Adam Mathias
2007Calvin BergerBarry Wyner
Main-Travelled RoadsDave Hudson
Paul Libman
2006グレイ・ガーデンズGrey GardensScott Frankel
Michael Korie
Doug Wright
True FansChris Miller
Bill Rosenfield
Nathan Tysen
Yellow WoodMichelle Elliott
Danny Larsen
2005BroadcastNathan Christensen
Scott Murphy
Dust & Dreams: Celebrating SandburgDavid Hudson
Paul Libman
RedBrian Lowdermilk
Marcus Stevens
2004To Paint the EarthDaniel Frederick Levin
Jonathan Portera
The TutorAndrew Gerle
Maryrose Wood
UnlockedSam Carner
Derek Gregor
2003The Devil in the FleshJeffrey Lunden
Arthur Perlman
Once Upon a Time in New JerseySusan DiLallo
Stephen A. Weiner
The TutorAndrew Gerle
Maryrose Wood
2002The FabulistDavid Spencer
Stephen Witkin
The TutorAndrew Gerle
Maryrose Wood
2001Heading EastLeon Ko
Robert Lee
この森で、天使はバスを降りたThe Spitfire GrillFred Alley
James Valcq
2000[[:en:Bat Boy: The Musical|Bat Boy]]Kaythe Farley
Brian Flemming
Laurence O'Keefe
The Bubbly Black Girl Sheds Her Chameleon SkinKirsten Childs
SuburbRobert S. Cohen
David Javerbaum
1999[[:en:Bat Boy: The Musical|Bat Boy]]Kaythe Farley
Brian Flemming
Laurence O'Keefe
Blood on the Dining Room FloorJonathan Sheffer
The Bubbly Black Girl Sheds Her Chameleon SkinKirsten Childs
Dream True: My Life with Vernon DexterRicky Ian Gordon
Tina Landau
The SingingLenora Champagne
Daniel Levy
1998Little WomenAlison Hubbard
Allan Knee
Kim Oler
SummerErik Haagensen
Paul Schwartz
1997The Ballad of Little JoMike Reid
Sarah Schlesinger
Barrio BabiesFernand Rivas
Luis Santeiro
VioletBrian Crawley
Jeanine Tesori
1996BobosJames McBride
Ed Shockley
The Hidden SkyKate Chisholm
Peter Foley
The Princess & the BlacAndy Chuckerman
Karole Foreman
1995SpendoraMark Campbell
Stephen Hoffman
Peter Webb
1994Doll (not produced)Scott Frankel
Michael Korie
The GigDouglas Cohen
レントRentジョナサン・ラーソン
The Sweet Revenge of ...Mark Campbell
Burton Cohen
Stephen Hoffman
1993Allos MakarScott Frankel
Michael Korie
Valeria Vasilevsky
Avenue XJohn Jiler
Ray Leslee
Christina Alberta'sPolly Pen
They Shoot Horses ...Nagle Jackson
Robert Sprayberry
1992Avenue XJohn Jiler
Ray Leslee
The Molly MaquiresSid Cherry
William Strempek
1991OpalRobert N. Lindsey
The TimesJoe Keenan
Brad Ross
1990Down the StreamMichael Goldenberg
Swamp Gas and Shallow FeelingsRandy Buck
Shirlee Strother
Jack E. Williams
WhatnotHoward Crabtree
Dick Gallagher
Mark Waldrop
1989[[:en:Juan Darién: A Carnival Mass|Juan Darien]]エリオット・ゴールデンサール
ジュリー・テイモア
1988Lucky StiffLynn Ahrens
Stephen Flaherty
Sheila Levine is Dead ...Michael Devon
Todd Graff
Superbiaジョナサン・ラーソン
1987Henry and EllenMichael John LaChiusa
Lucky StiffLynn Ahrens
Stephen Flaherty
No Way to Treat A LadyDouglas J. Cohen
1986Break/Agnes/EulogyMichael John LaChiusa
JubaWendy Lamb
Russell Walden
1984BrownstoneAndrew Cadiff
Peter Larson
Josh Rubens
PapushkoAndrew Teirstein
1982Portrait of JennieEnid Futterman
Howard Marren
Dennis Rosa
1981Child of the SunDamien Leake
1980Nine (not produced)Maro Fratti
Maury Yeston

演者たちとの関係

ローズマリー・クルーニーは「恋に恋して」スウィング・バージョンで歌った。セッション後、ロジャースはワルツとして歌うべきだと指摘した。1961年、マーセルズが「ブルー・ムーン」をドゥーワップで歌い、怒ったロジャースは新聞広告1ページを使って不買を呼びかけた。にもかかわらず、チャートで1位を獲得したThe Marcels By Marv Goldberg Marv Goldberg 2006. 2009.。1961年、ドリス・デイが「I Have Dreamed」を歌い、ロジャースはデイとアレンジャーのジム・ハーバートに宛てて、これまで聴いた中で最も美しい演奏だと記した。

ペギー・リーがロジャースの意図とは著しく異なるアレンジで「Lover」をレコーディングした後、ロジャースは「ペギーがなぜ私に嫌がらせするのかわからない。彼女は「きよしこの夜」ですら台無しにするだろう」と語ったLehman, p. 140.。メアリー・マーティンは、ロジャースが『南太平洋』での音域の狭いマーティンのために、より良く見えるように作曲してくれたと語った。さらにロジャース&ハマースタインはマーティンの希望を全て聞き入れ、非常に良く制作が進んだと語ったLehman, p. 142–43.。ロジャースもハマースタインもドリス・デイを映画版『南太平洋』の主演に望んでおり、デイ自身も希望していた。ミーティングの後、デイの夫でマネージャーのマーティン・メルチャーが高額の出演料を譲歩しなかったため、主役はミッツィ・ゲイナーとなった。

劇作家の権利の保護

1943年、ロジャースは <i>Dramatists Guild of America</i> の第9代会長となった。

私生活

1930年、ロジャースはドロシー・ベル・ファイナー(1909–1992)と結婚した。娘のメアリー(1931–2014)はミュージカル・コメディ『Once Upon a Mattress』を作曲し、児童文学の作家でもあった。ドロシーはメアリー出産後、女児を死産した。また別の娘リンダ(1935–2015)も短期間作曲を行なっていた。ロジャースの孫にあたるメアリーの息子アダム・ゲテル(1964生)もミュージカル作曲家で、2005年、『The Light in the Piazza』でトニー賞作曲賞、編曲賞を受賞した。リンダの息子ピーター・メルニック(1958生)は2005年、フィラデルフィア・シアター・カンパニーの『Adrift In Macao』で作曲し、2007年にオフ・ブロードウェイで上演された。

ロジャースは無神論者であったRodgers' biographer William G Hyland states: "That Richard Rodgers would recall, at the very beginning of his memoirs, his great-grandmother's death and its religious significance for his family suggests his need to justify his own religious alienation. Richard became an atheist, and as a parent he resisted religious instruction for his children. According to his wife, Dorothy, he felt that religion was based on "fear" and contributed to "feelings of guilt." " Richard Rodgers, Yale University Press 1998, . Chapter 1 at The New York Times Books (accessed April 30, 2008).。うつ病やアルコール依存症に陥りがちであり、一度入院したこともあった。

受賞とノミネート

ロジャースはエミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞全てを授賞した数少ないEGOTの1人である。

部門作品結果参照
1944ピューリッツァー賞特別賞 芸術賞 オクラホマ!
1945 アカデミー賞 歌曲賞 「」 - 『ステート・フェア』
1950 ピューリッツァー賞 戯曲部門 『南太平洋』
1950 トニー賞 ミュージカル作品賞 『南太平洋』
脚本賞
ミュージカル・プロデューサー賞
1952 ミュージカル作品賞 『王様と私』
1956 『』
1959 『』
1962 『』
ミュージカル作品賞
1965 『』
1996 『』
1957 プライムタイム・エミー賞 テレビ音楽貢献賞 『シンデレラ』
1961 作曲賞 [[:en:The Valiant Years>Winston Churchill: The Valiant Years]]
1961 グラミー賞 オリジナルキャスト・ショー・アルバム賞 『サウンド・オブ・ミュージック』
1963 『ノー・ストリングス』

ロジャースが作曲した作品

ロレンツ・ハートが作詞した作品

オスカー・ハマースタイン2世が作詞した作品

他の作詞家または単独による作品

その他の主な音楽作品

  • マイ・ファニー・ヴァレンタイン - Babes in Armsより
  • ブルームーン

影響

  • ロジャース作曲のサウンドトラックを使用した映画およびテレビを276作品、ロジャースが作曲家としてクレジットされた映画46本、およびテレビイベントはリスト化されている。
  • 1960年、サックス奏者のジョン・コルトレーンは『サウンド・オブ・ミュージック』の「私のお気に入り」の即興の旋法を多用したジャズ・バージョンをレコーディングした。コルトレーンの定番の1つとなった。
  • 『回転木馬』の楽曲「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」は多くのカバー・バージョンが存在し、プロ・サッカー・チームやそのファンに非常に人気が高い。リヴァプールのジェリー&ザ・ペースメイカーズがカバーした後、1963年11月、リヴァプールFCのファンに広がり、以降彼らの賛歌となった。
  • ジェリー・ルイスはレイバー・デーにテレソンを主催し、「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」を歌って締めくくった。
  • 『オクラホマ!』の「Oh, What a Beautiful Mornin'」は『サウンド・オブ・ミュージック』の「エーデルワイス」と同様に民謡と間違われることがある。
  • 『南太平洋』の「ハッピー・トーク」はダニエル・ジョンストンとジャド・フェアにカバーされた。1980年代、キャプテン・センシブルがバーレスク・オルガンによる軽快なアレンジでのシングルをリリースした。イギリスのラッパーであるディジー・ラスカルはこの曲をコーラスとして使用した。
  • ミュージカル界で与えられる賞にロジャースの名が冠されたものが複数ある。
  • 1948年の映画『ワーズ&ミュージック』はロジャースと作詞家ロレンツ・ハートの人生を描くミュージカル映画である。
  • 1993年、オスカー・ハマースタイン2世とのコンビ結成50年を記念して、ブロードウェイでは『Some Enchanted Evening』というショーが製作された。2人のミュージカルのハイライトシーンを4人の男女で演じるこのショーは、翌1994年に日本でも剣幸、石井一孝等によって博品館劇場で上演された。ショーのタイトルは、代表作『南太平洋』の中の歌のタイトルによる。
  • イギリスのロックバンド、ザ・ビートルズのことを当初は「くだらない音楽」と評していたが、『エド・サリヴァン・ショー』に彼らが出演した際には「ファンである」と伝え、評価した。
  • ベンチャーズの代表曲の一つ「10番街の殺人」は、リチャードの1936年初演のブロードウェイ・ミュージカル「オン・ユア・トウズ」の劇中歌。

関連項目

  • ロジャース&ハート
  • ロジャース&ハマースタイン

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/25 00:26 UTC (変更履歴
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