矢田喜美雄 : ウィキペディア(Wikipedia)

矢田 喜美雄(やだ きみお、1913年(大正2年)9月17日 - 1990年(平成2年)12月4日日外アソシエーツ(編)『現代物故者事典1988-1990』日外アソシエーツ、1993年、651頁)は、日本の元陸上競技選手およびジャーナリスト。朝日新聞社で社会部記者として活動した。

人物

山梨県八代郡に生まれる。早稲田大学高等師範部に在学中、日本選手団の一員として1936年ベルリンオリンピックに参加し、走高跳で5位に入賞する第9回「南極の歴史」講話会 - 矢田喜美雄氏とその時代。1936年(昭和11年)の第23回日本選手権・三段跳で優勝した過去の優勝者・記録 男子三段跳 日本陸上競技連盟. 2013年9月2日閲覧。また1933年(昭和8年)の関東学生陸上・走高跳で1m98の日本新記録を樹立した。

高等師範部を卒業後、早稲田大学文学部史学科に進み、同時に山梨県で小学校教師となるが、1938年(昭和13年)に軍隊に入ったという情報もある。

1942年(昭和17年)に、朝日新聞社に入社し、社会部記者として活躍する。1949年(昭和24年)7月5日に起きた下山事件の取材と報道では、被害者の下山定則国鉄総裁は死後轢断されたとして他殺説を唱え、注目を集めた。また、南極観測プロジェクトの構想を強く主張し、1955年の日本の南極観測参加決定に貢献した。その他、1964年に実現した日本での「ミロのビーナス」展の実現にも貢献している。なお、朝日新聞社在職時代は、「朝日新聞に一番、金を使わせた男」として社内で有名であった。

朝日新聞社退職後、『謀殺・下山事件』を講談社より出版する。なお、これを原作として『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』が、1981年(昭和56年)に松竹より映画化された。

著書

  • 『謀殺 下山事件 日本の熱い日々』講談社、1981年
    • 講談社文庫、1985年
    • 『謀殺 下山事件』新風舎〈新風舎文庫〉、2004年
    • 『謀殺 下山事件 ドキュメント「闇の昭和史」』祥伝社〈祥伝社文庫〉、2009年

関連書籍

  • 「翔んだ男矢田喜美雄」刊行委員会(編)『翔んだ男矢田喜美雄 異色社会部記者の軌跡』「翔んだ男矢田喜美雄」刊行委員会、1991年

関連作品

  • 日本の熱い日々 謀殺・下山事件 (1981年公開・松竹)
矢田喜美雄がモデルの主人公の矢代記者を仲代達矢が演じる。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/31 09:40 UTC (変更履歴
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