田中誠 : ウィキペディア(Wikipedia)

田中 誠(たなか まこと、1975年8月8日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。元日本代表。

来歴

現役時代

サッカーを始めたのは小学校1年生のとき。選抜チームである清水FCではFWとして活躍し、小学校6年時の全国少年大会で優勝したときには得点王になっている。中学校でディフェンダーにコンバートされ、当初はサイドバック、清水市立商業高校で現役時代の主要ポジションとなるセンターバックにコンバートされた。高校3年時は川口能活、鈴木悟、小川雅己等と全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、全国優勝を果たしている現役引退を決めた男たち 田中誠『サッカーマガジン』2012年1月10.17日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌23883-1/10.17, 044-046頁。。

高校卒業後に当時Jリーグ加盟1年目のジュビロ磐田に入団。ルーキーイヤーから出場機会を得て、アトランタオリンピックでは3バックを統率する活躍 にもかかわらず、当時は対人能力の低さや経験の少なさから94年〜96年までのハンス・オフト監督時代はレギュラーに定着できなかった。

1997年も1stステージはベンチスタートがほとんどだったが、シーズン途中に監督がルイス・フェリペ・スコラーリから桑原隆代行に代わると、2ndステージからは徐々にスタメンとして出場する機会が増えていく。また、 同年は守備的MFとしスタメン出場することもあった。同年加入したアジウソンとのトレーニングによってディフェンス技術が全体的に格段に向上し、またフィジカルアップにも成功。アジウソン、鈴木秀人とのコンビでスタメンに定着し、磐田のディフェンスリーダーとなる。

1998年は同年の1stステージ優勝に貢献し、同年自身初のベストイレブンにも選出された。1999年のアジアクラブ選手権優勝、2002年の磐田の1st,2ndステージ優勝など磐田の数々のタイトル獲得に大きく貢献し、2002年には2度目のベストイレブンに選出された。

日本代表にはなかなか縁がなかった(トルシエ政権下では、田中が必ずしも得意でないフィード力がDFに求められていたことが原因、と田中はインタビューで示唆している)が、ジーコ指揮下では右のストッパーとして次第に出場機会を得る(磐田での主要ポジションであったリベロの位置には宮本恒靖がいたため)。

2006 FIFAワールドカップアジア地区1次予選の対オマーン戦(アウェー)では、GK川口とDF宮本が相手FWと空中で競り合ってゴールががら空きになり、絶体絶命のピンチになったが田中が自陣ゴールに戻り相手のシュートを間一髪のところで体で止め、この試合の日本の勝利そしてアジア1次予選突破に大きく貢献した。2006年ドイツW杯の代表メンバーにも選出されたが、ドイツでの直前合宿中に左ハムストリング肉離れのためチームを離脱し帰国。本大会への出場は叶わなかった。なお、田中の代役には茂庭照幸が追加招集された。

2008年シーズンも26試合に出場したが、シーズン終了後、若返りを図るチーム事情から戦力外通告を受け、またスタッフ就任へのオファーを受けたが、本人は現役続行を望み自身初挑戦となるJ2リーグのアビスパ福岡へ移籍。当初はJ2のシンプルなプレーに戸惑うもすぐに修正し、2010年のJ1昇格に貢献した。

2011年10月26日現役引退を発表した2011年10月26日読売新聞記事より。。

指導者時代

現役引退後は解説者及び、「サッカースクール SKY」のコーチに就任コーチ紹介 。2015年シーズンよりジュビロ磐田U-18の監督に就任。2017年シーズンよりジュビロ磐田のトップチームのコーチに就任。

2024年シーズンより、栃木SCの監督に就任。

エピソード

  • 夫人の田中玉枝(旧姓・松本)サッカー選手の奥さん(妻・嫁)【日本・Jリーグ】 はモデルSUISHO OFFICIAL WEB SITE(粋商・公式ウェブサイト)。一時、磐田でチームメートだった武田修宏の紹介で知り合った。
  • 宝島社の『MonoMax』2008年9月号に「俺のガンダム魂」と言うインタビューで登場するなど、熱狂的ガンダムマニアとして知られている。前述の地元応援番組で本人がコメントしているところによれば、息子と共におもちゃ屋へ足繁く通い田中 誠、クラブハウスのロッカーの中はガンダム関連の食玩で一杯で、チームメイト達に呆れられているほか、夫人が田中のガンダム趣味に理解を示しておらず、家にはもう置くところがなく、新しい趣味を探さなければいけないかもとぼやくほどである。

所属クラブ

  • - 1987年 清水FC
  • 1988年 - 1990年 静岡市立清水第二中学校
  • 1991年 - 1993年 静岡市立清水商業高等学校
  • 1994年 - 2008年 ジュビロ磐田
  • 2009年 - 2011年 アビスパ福岡

個人成績

|- |1994||rowspan="15"|磐田||rowspan="3"|-||rowspan="5"|J||6||0||0||0||1||0||7||0 |- |1995||21||0||colspan="2"|-||2||0||23||0 |- |1996||18||0||7||0||1||0||26||0 |- |1997||rowspan="12"|5||23||0||9||0||4||0||36||0 |- |1998||32||2||5||0||3||0||40||2 |- |1999||rowspan="10"|J1||16||0||0||0||0||0||16||0 |- |2000||26||1||4||0||3||0||33||1 |- |2001||24||1||6||0||2||0||32||1 |- |2002||25||0||1||0||3||0||29||0 |- |2003||30||1||9||0||5||0||44||1 |- |2004||28||1||1||0||5||0||34||1 |- |2005||30||0||1||0||2||1||33||1 |- |2006||25||2||3||0||1||0||29||2 |- |2007||23||1||3||1||2||0||28||2 |- |2008||26||1||5||0||0||0||31||1 |- |2009||rowspan="3"|福岡||4||rowspan="2"|J2||29||0||colspan="2"|-||0||0||29||0 |- |2010||rowspan="2"|5||30||2||colspan="2"|-||2||0||32||2 |- |2011||J1||7||0||1||0||1||0||9||0 360||10||55||1||35||1||450||12 59||2||colspan="2"|-||2||0||61||2 419||12||55||1||37||1||511||14 |} その他の公式戦

  • 1997年
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 1998年
    • スーパーカップ 1試合0得点
    • Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
  • 2003年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2004年
    • スーパーカップ 1試合0得点

|2004||rowspan="2"|磐田||rowspan="2"|5||4||0 |- |2005||3||0 |- !通算!!colspan="2"|AFC |7||0 |} その他の国際公式戦

  • 2003年
    • A3チャンピオンズカップ 2試合0得点
出場歴
  • 1994年6月8日 - プロデビュー(Jリーグ) - ベルマーレ平塚戦(平塚競技場)
  • 1998年7月15日 - プロ初ゴール(Jリーグ) - ガンバ大阪戦(ジュビロ磐田スタジアム)

代表歴

  • 2004年4月25日 - A代表初出場 (国際親善試合) - ハンガリー代表戦(ザラエゲルツェグ/ハンガリー)

出場大会など

  • アトランタオリンピック日本代表
  • アジアカップ2004日本代表
  • FIFAコンフェデレーションズカップ2005日本代表
    • 2006年ドイツW杯代表に選出されるが、左ハムストリング肉離れのためドイツでの合宿中に離脱、帰国。

試合数

|- |2002||0||0 |- |2004||14||0 |- |2005||16||0 |- |2006||2||0 |- !通算 |32||0 |}

指導歴

  • 2015年 - 2023年 ジュビロ磐田
    • 2015年 - 2016年 U-18 監督
    • 2017年 - 2019年 トップチーム コーチ
    • 2020年 - 2023年 強化部/トップチームマネジメント部
  • 2023年 常葉大学サッカー部 コーチ
  • 2024年 - 栃木SC 監督

監督成績

年度所属クラブリーグ戦カップ戦
順位勝点試合ルヴァンカップ天皇杯
2024J2栃木

タイトル

クラブ

ジュビロ磐田
  • J1リーグ : 3回 (1997, 1999, 2002)
    • 1stステージ : 4回 (1998, 1999, 2001, 2002)
    • 2ndステージ:2回 (1997, 2002)
  • Jリーグカップ:2回 (1998, 2010)
  • 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回 (2003)
  • スーパーカップ:3回 (2000, 2003, 2004)
  • アジアクラブ選手権:1回 (1998-99)
  • アジアスーパーカップ :1回 (1999)
  • Jリーグカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦 :1回 (2011)

代表

  • AFCアジアカップ:1回(2004年)

個人

  • Jリーグベストイレブン : 2回(1998年, 2002年)
  • Jリーグ功労選手賞 (2012年)

関連項目

  • 静岡県出身の人物一覧
  • ジュビロ磐田の選手一覧
  • アビスパ福岡の選手一覧
  • Jリーグ監督経験者

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/14 04:41 UTC (変更履歴
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