高嶋弘之 : ウィキペディア(Wikipedia)

高嶋 弘之(たかしま ひろゆき、1934年5月18日 - )は、日本の音楽ディレクター・プロデューサー。髙嶋音楽事務所代表。「ビートルズの日本での仕掛人」として有名。一男二女の父親で次女はヴァイオリン奏者・高嶋ちさ子。本名の姓は、旧字体の「髙嶋」。

兵庫県武庫郡御影町(現・神戸市東灘区御影)生まれビートルズ来日時を知る初代ディレクター高嶋弘之氏に聞きました! EMIミュージック・ジャパンオリジナル。兵庫県立神戸高等学校を経て、早稲田大学第一文学部(演劇専修)を卒業。1959年東京芝浦電気(株)レコード事業部(のちの東芝EMI→EMIミュージック・ジャパン)入社、洋楽ディレクターとしてスタート。1964年ビートルズの初代ディレクターとなり、訪日時にも担当。その後、邦楽担当となり和製ポップスで数々のヒットを作る。1969年退職。1970年(株)キャニオン・レコード取締役制作部長就任。1976年退職後、ポリグラム・グループ(現:ユニバーサルミュージック)のチャペル・インターソング(音楽出版社)社長に就任。高嶋音楽事務所を設立し、J-クラシックスの流れを作る。

略歴

1959年東京芝浦電気入社、レコード事業部に配属されディレクターとしてのキャリアをスタートさせる。翌1960年レコード事業部が分社化され東芝音楽工業(現・ユニバーサルミュージック傘下のEMI Records Japan→EMI Records)となったことに伴い同社に移籍し主に洋楽担当のディレクターとして活動する。

当時東芝音工は既に英EMIと提携関係にあり、EMI傘下のパーロフォンからデビューしたビートルズについても「イギリスでのデビュー時に『Love Me Do』のサンプル盤を聴いたが『こりゃ駄目だ』と思った」と述べている。「Please Please Me」に衝撃を受けビートルズの日本における仕掛人であり、シングル30枚など国内で様々な販促活動を行なった。その結果、ビートルズは日本においても大ヒットを連発し、高嶋も一躍その名を知られるようになる。

その後、邦楽部門に移りザ・フォーク・クルセダーズや黛ジュン、由紀さおり、ジローズなどのディレクターを手がけた。ちなみに由紀さおりのヒット曲を「夜明けのスキャット」と命名したのは高嶋であるマスメディアを巻き込んだ「演出術」〜由紀さおり「夜明けのスキャット」がヒットするまで 『ヒットの法則はビートルズが教えてくれた』ビートルズ初代担当ディレクター/プロデューサー 髙嶋弘之 Musicman-netオリジナル

1970年、東芝音楽工業を離れてキャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)の設立に尽力し、同社取締役制作部長に就任。1976年にはポリグラムグループに移籍し、チャペル・インターソング(音楽出版社)社長、ロンドンレコード副社長、ポリドール・レコード(日本法人)常務を歴任した後、1991年退職して高嶋音楽事務所を設立。おもにクラシック音楽のアーティストのマネジメントやプロデュース等を手がけている。

ビートルズ販促活動

  • 「抱きしめたい」「涙の乗車券」などビートルズの初期の楽曲の邦題のほとんどを高嶋が付けた。
    • 例外は水野晴郎(当時日本ユナイト映画宣伝総支配人)が命名した『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』ぐらいだという東京スポーツ・2010年12月17日付 連載『高嶋弘之 ビートルズとカレッジポップス』。
    • 「Norwegian Wood」は「ノルウェー製の家具」などという意味だが高嶋は「曲を聴いた時に森のイメージが湧いたので邦題を『ノルウェーの森』とした」と述べている。(詳細はノルウェーの森#タイトルを参照)
  • 「ビートルズを日本において販促する際に現代であれば確実に問題になるような数々のやらせや数字の不正操作などを裏で行なっていた」と著書やインタビュー等にて述べている『人生は愛の演劇』『高嶋弘之 ビートルズとカレッジポップス』など。。
    • ラジオのリクエスト番組等で自社ミュージシャンの曲の順位を上げるため、大学の後輩をそれらの番組にアルバイトとして送り込み、電話リクエスト等の集計の際に他社のアーティストのリクエスト数を減らし自社のアーティストの数字を増やすといったことを行わせていたという。
    • ビートルズをメディアで取り上げさせるため東芝音工・従業員らを床屋に連れて行って髪型をマッシュルームカットにさせた上で、その様子を週刊誌等に取材させ「今ビートルズカットがブーム」等の記事を書くよう仕向けたこともある。

家族・親族

  • 兄・高島忠夫(俳優)
  • 二女・高嶋ちさ子(ヴァイオリン奏者)
    • ちさ子の夫・盛田賢司はソニー生命保険会長などを歴任した盛田正明の次男。

出演番組

  • 高島弘之の朝からドント歌謡曲(アール・エフ・ラジオ日本)

著書

  • 『ヒットチャートの魔術師 レコード・ビジネスの世界』(紀尾井書房、1981年)
  • 『人生は愛の演劇-感動のメカニズム』(産能大学出版部、1992年)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/05/06 10:57 UTC (変更履歴
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