縞田七重 : ウィキペディア(Wikipedia)

縞田 七重(しまだ ななえ、1954年9月24日 - )は、千葉県千葉市出身の脚本家、小説家である。

来歴

日本大学芸術学部放送学科を卒業。広告代理店勤務の後、1978年にフリーのシナリオライターとして、『女高生初体験』(大蔵映画)でデビュー。その後、2年間で30本のピンク映画を執筆する。その他、TV台本や劇画原作などにも携わる。

日本放送作家協会主催のシナリオ講座に通い、基礎科終了後、当時ピンク映画監督だった和泉聖治と出会い、映画業界に携わるようになる。『女性自身』での漫画脚本として携わる。

映画作品

作品名会社名年月日備考
女高生初体験 大蔵映画 1978年
赤い娼婦 新東宝 1980年
太陽のきずあと 東映セントラル 1980年
ベースボールキッズ 千葉テレビ放送 2003年

劇画原作

作品名会社名年月日備考
エローラの棘 光文社 1998年
ある日遺産が 光文社 2000年

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/04 12:22 UTC (変更履歴
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