えびはら武司 : ウィキペディア(Wikipedia)

えびはら 武司(えびはら たけし、男性、1954年6月5日 - )は、日本の漫画家。京都府で生まれ、8歳時に千葉県に移り住む。

人物

1973年から1975年にかけて藤子スタジオに所属していた。当時藤子不二雄には10人以上のアシスタントがいたが、ファンからアシスタントになったのはえびはらが初であるため、「藤子の最初の弟子」と称される藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道 130頁。ジャイアンの本名「武(たけし)」や誕生日の6月15日はえびはらから取られたものであり『藤子スタジオ アシスタント日記 まいっちんぐマンガ道』 えびはら武司、同著によれば、藤子は当初「ジャイアンの本名を決めると同じ名前の子がいじめられないか」を心配していたが、本名を教えてほしいというファンレターの数の多さから遂に折れ、「身近な人からとったと言えば愛される対象になるのではないか」とアシスタントのえびはらの名前を使ったという。

藤子スタジオ退社後は広告代理店に勤め、1980年3月に少年チャレンジ掲載の『マチコ先生のパンティー』を発表。上京後、同年5月より『まいっちんぐマチコ先生』を連載開始。連載開始後は千葉県に戻る。2000年に日本工学院専門学校蒲田校講師となる2014年現在も同校の講師であるかは不明であるが、公式サイトのnewsによれば、2012年時点では何らかの講師の職に就いており、2013年 こざきゆう他との共著『からだのひみつ』p.88でも、「専門学校の講師」であるとされる。。

代表作『まいっちんぐマチコ先生』は、アニメ化や実写映画化もされた。2001年以降は『コミック伝説マガジン』、『B.L.T.』などで新作を連載している。

ちなみに、まいっちんぐマチコ先生を描こうと思った理由は、「藤子不二雄先生の影響を強く受けすぎて、どうしても先生の漫画と似たような話ばかりを描いてしまうため、先生が嫌いな過剰なお色気漫画に挑戦した結果、産まれた作品」とインタビューの中で語っている。【漫画家・えびはら武司先生インタビュー】一人の意見が強い時代。表現の自由はどうやって守られるのか?みんなのインタビュー 2018年10月12日

なお、『西原理恵子の人生画力対決』第113回(単行本第7巻収録)で、『ドラえもん』の「源静香の入浴シーンを描いた」と語っていたとされるが、その際にえびはらが描いたのは身体だけであり、顔は藤本(のちの藤子・F・不二雄)が描いたとのことである(えびはらが関わったのは一部の回のみ。『ドラえもん』すべての回についての発言ではない。藤本は静香の身体部分にこだわり、単行本収録時に自ら描き直したこともある)。

デビューする際には「競争率が低そう」なので学研を選んだ。編集部を訪れるとたまたま編集長しかおらず、その場でデビューが決まった。

マチコ先生が4巻目で100万部を突破した際には、京王プラザホテルに藤本と安孫子の2人を招待して祝った。

主な作品

  • まいっちんぐマチコ先生(1980年 - 1982年、少年チャレンジ、全8巻)
  • 平成版・まいっちんぐマチコ先生
  • 新・まいっちんぐマチコ先生
  • 新世紀版・まいっちんぐマチコ先生
  • マイコうそみたい
  • マンガ広報室→フレ夫くん・アイちゃんシリーズ(都営バスインフォメーションなど、東京都交通局、広報誌「ふれあいの窓」に連載、1990年代)
  • 暮しの赤信号(1986年12月号で『人間1丁目!!』に改題してからは八代風太郎名義)
  • 学研まんが 大人のひみつシリーズ 『からだのひみつ』「マチコ先生の保健体育 男らしい男のひみつ」「マチコ先生の保健体育 理想的な女性のひみつ」学研の大人向け「からだのひみつ」マチコ先生が保健体育 - コミックナタリー
  • 藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道 - 雑誌「本当にあった愉快な話」(竹書房)に2013年から連載した自伝的作品。

関連人物

師匠

アシスタント

その他

  • 藤子・F・不二雄大全集『バケルくん』(2009年、小学館)の解説を書いている。
  • 週刊誌 FLASH 2015年12月22日号の「お色気マンガベスト10」に『まいっちんぐマチコ先生』がランクインし、コメントした。マチコ先生のモデルは「全体的に宮崎美子、髪型は大場久美子、胸はアグネス・ラム」、また「まいっちんぐ」という言葉は雑誌『ビックリハウス』に載っていたもので、ポーズはえびはらがモデルを使って考案したもの、と述べている。

注釈

出典

外部リンク

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