山本斉 : ウィキペディア(Wikipedia)

山本 斉(やまもと ひとし、1989年7月10日 - )は、大阪府大阪市東住吉区出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴・人物

アマチュア時代

1996年、大阪市立矢田西小学校1年生の時に野球を始めたスポニチ「Hope's Interview 成長著しい未来の先発候補 山本 斉」『週刊ベースボール』第64巻第6号(ベースボールマガジン社、2009年2月21日)。。1999年には小学校4年生ながら、6年生に混じってボーイズリーグの名門「ジュニアホークス」でプレーasahi.com、2006年6月14日。2004年の大阪市立矢田西中学校3年生の時にジュニアホークスのエースとして全国大会でベスト4に入った。中学校3年間はサッカー部に所属しており、高校進学にあたってはどちらを続けるか迷っていた。

PL学園や中京高等学校などの強豪からも誘いを受けたが、親元を離れた環境で精神的にも成長したいと考え2005年に酒田南高等学校に越境入学した。この野球留学の直前、クラスメイト全員から言葉を送られ、感動したという東京ヤクルトスワローズ公式サイト。1年の夏から早くも頭角を現す。当時から140km/hを超す速球で活躍。山形県大会決勝では、8回2失点の好投で第87回全国高等学校野球選手権大会出場を果たしたニッカンスポーツ東北、2007年9月29日12時36分。当時は金本明博(元中日)の控えであったが、3回戦の対宇部商戦で登板し、3回2/3で3失点を記録している。この年の秋から腰椎分離症で苦しんでいたが、2006年には治療が功を奏して完治し、復帰した。秋には145km/hを投げ込むまでに成長し、注目を集めるようになる。

2007年、3年夏の山形県大会では、準決勝の対日大山形戦において0-1で惜しくも敗れたものの、延長12回149球で、4安打14奪三振の快投を見せた。当初は高校一杯で野球をやめるつもりだったが、監督の西原忠善から「プロに行け」という助言を受け、プロ志望届を提出する。

10月3日の高校生ドラフトで、ヤクルトから3巡目で指名を受けた。他に中日ドラゴンズ、阪神タイガース、横浜ベイスターズ、読売ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークス、千葉ロッテマリーンズの6球団からも調査書が届いていた。ヤクルト編成部は、抽選が見込まれた佐藤由規を外した場合、1巡目で山本を指名する事をコメントしていた。そのためドラフト直後には「ダブル1位(指名級)」と興奮した談話を出している。

11月6日に推定契約金5000万円年俸600万円で仮契約を済ませ読売オンライン、2007年11月7日、12月6日に入団が発表された。入団会見で、チームの印象について「ヤクルトが飲み放題と聞いています。乳酸菌をたくさんとって頑張りたい」と発言し笑いを誘っている。

実兄は中京高等学校野球部に所属していた捕手である。後にプロ入りする榊原諒、中川裕貴、城所龍磨らと共に活躍し2002年の明治神宮野球大会で全国制覇を成し遂げている。

プロ入り後

入寮の際にぬいぐるみを持ち込んで注目を集めたスポニチ、2008年1月8日。春季キャンプ・開幕は二軍スタート。右肩痛で出遅れサンスポ、2008年8月24日05:06、6月に予定していた初登板はならなかったが、7月12日対読売戦の中継ぎでイースタン・リーグ初登板。8月16日にはイースタン・リーグ初先発を果たした。8月23日の2回目の先発登板の際は、一軍監督の高田繁も視察に訪れ、その試合で143km/hを記録した直球に関し、「まっすぐに力がある」、「経験を積めば楽しみ」と評価を受けた。際立った結果を残すことは出来なかったが、ファームで7試合に登板し、フェニックス・リーグでも先発を任された。秋には一軍メンバーに選ばれ、松山の秋季キャンプに参加している。

前年に続き、春季キャンプは二軍スタートとなったが、課題の変化球の制球力が増したことで練習試合で好投球団公式ウェブサイト2009年2月21日。2月13日に一軍に合流した。オープン戦にも登板し、2試合で3回を無失点に抑えている。開幕は再び二軍で迎えたが、イースタン・リーグでは先発を任され防御率3点台の好投を続ける。7月31日に橋本義隆の肘痛による登録抹消を受け、初の一軍登録を受けたが球団公式ウェブサイト2009年7月31日、登板機会のないまま8月5日に登録を抹消された球団公式ウェブサイト2009年8月5日。10月11日に再び一軍に登録され、対中日ドラゴンズ最終戦でプロ入り初登板初先発し、6回を被安打5(被本塁打1)、奪三振3、与四球2の3失点(勝敗無し)という結果を残した。

春季キャンプは自身初の一軍スタートとなった東京ヤクルトスワローズ公式サイト。紅白戦でも好投し、手薄な先発候補として評価が高まっていたものの、右肘の張りで登板予定だった2月23日の試合を回避し、ファームに合流。リハビリに時間を費やすこととなった。6月13日にファームで実戦登板したものの、調子が上がらず一軍登録は8月29日にずれこんだ。当日の対阪神タイガース戦で先発登板を行なったが、2回4失点と結果を残すことができずに再び二軍に降格となった。二軍でも10試合の登板で1勝2敗の結果に終わっている。

4月22日の対広島東洋カープ戦で先発登板し、7回を被安打2、失点0という内容で勝利投手となり、プロ入り4年目にして初勝利をマークした。

5月14日に、群馬県館林市の病院で、右肘内側側副靱帯の再建手術を行ったSANSPO.COM。

10月1日に球団から戦力外通告を受ける来季の契約についてヤクルト球団公式サイト2014年10月1日配信。12月2日、自由契約公示された2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。。

引退後

から、元ヤクルトの丸山完二が総監督を務める東京神宮シニアの投手コーチに就任した。またには千葉県立銚子商業高等学校の臨時投手コーチを務めた。

選手としての特徴

自己最速148km/hニッカンスポーツ、河野祥一郎「今週のイチ押し!」2009年2月23日、常時140km/h前後の速球と、切れの良いスライダーを持つ本格派投手である。球種は他にカーブ・カットボールなども投じる。頻度は少ないがシュート・チェンジアップ・フォークも投げられる。クセのない綺麗なフォームをしている。目指すタイプは斉藤和巳である。

詳細情報

年度別投手成績

ヤクルト110000000----256.051200300334.501.17
110000100.000122.0720001004418.003.50
12120001600.14325355.05953015363028264.251.62
通算:3年14140001700.12529063.07183215403035334.711.63

記録

投手記録
  • 初登板・初先発:2009年10月11日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、6回3失点
  • 初奪三振:同上、1回表に荒木雅博から見逃し三振
  • 初勝利・初先発勝利:2011年4月22日、対広島東洋カープ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回無失点
打撃記録
  • 初安打・初打点:2011年7月2日、対広島東洋カープ7回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回表に篠田純平から中前先制適時打

背番号

  • 63 (2008年 - 2014年)

関連項目

  • 大阪府出身の人物一覧
  • 東京ヤクルトスワローズの選手一覧

外部リンク

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