鈴木悟 : ウィキペディア(Wikipedia)

鈴木 悟(すずき さとる、1975年7月19日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。妻は、毎日放送アナウンサーの松本麻衣子。

来歴

選手時代

清水市立商業高等学校3年生の時に、後にJリーガーとなる小川雅己、川口能活、田中誠、清水龍蔵、山口博匡とともに、第72回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。本来のポジションは左サイドバックだが、キック力も高いことから、選手権中の試合によっては左ウイングで出場することもあった。その一方で、チームから8人が「静岡県選抜」で出場した東四国国体(1993年)サッカー・少年男子の部では、同チームの選抜メンバーから外れた。この一件を境に、「今のままではプロ(創設2年目のJリーグ)に進んでも通用しない」と考えたうえで、順天堂大学への進学を決めたOCNスポーツ サッカーコラム「OB選手たちの現在 鈴木 悟(元セレッソ大阪、京都パープルサンガ)」pp.1

順天堂大時代には、「プロになるための方法」として、細かく目標を立てて準備することを徹底。その甲斐あって、卒業後の1998年にセレッソ大阪へ入団した。

セレッソでは、レギュラー格で公式戦へコンスタントに出場していたが、2003年のシーズン終了後に戦力外を通告。鈴木によれば、この通告を機に、「セカンドキャリア」としてメディア関連業界への転職(後述)を意識するようになったという。しかし実際には、複数のクラブから移籍を打診された末に、同じ関西圏の京都パープルサンガへの移籍を決めた。移籍の決め手になったのは、セレッソ時代の監督だった西村昭宏が、2004年からパープルサンガの監督に就任したことであったOCNスポーツ サッカーコラム「OB選手たちの現在 鈴木 悟(元セレッソ大阪、京都パープルサンガ)」pp.2

パープルサンガでは、セレッソ時代と同様のペースで、公式戦への出場を続けていた。ところが、3年目に当たる2006年5月に、右膝前十字靱帯の断裂で自身初の長期離脱を経験。重症だったにもかかわらず、前向きな姿勢でリハビリに励んだことが功を奏して、チームの最年長選手(当時31歳)ながら5ヶ月後には実戦復帰を果たした。しかし、同年のシーズン終了後に、自身2度目の戦力外通告を受けた。

現役引退後

「あと2年プレーを続けても、33歳で全く違う仕事に移るのは厳しい」という理由で、2007年3月6日付の移籍リストで引退を発表。引退後は、テレビ番組の制作会社であるイングスへ就職するとともに、サッカーに関するテレビ・ラジオ番組のディレクターに転身したVol.14 株式会社イングス(『Jフットニスタ』ディレクター)/鈴木悟 REIBOLA 2020年4月10日。鈴木は、セカンドキャリアをサッカー界の周辺に求めた理由として、「サッカーしかやってこなかった自分が、サッカーの世界でしか動かなかったら、考え方は変わらないし世界観が狭くなってしまう」「外からサッカーを見る仕事に就くことで、人間としての幅を広げたかった」と語っている。

ディレクターとして初めて手掛けた番組は、セレッソ時代のチームメイト・森島寛晃の現役引退記念特別番組『ありがとうミスターセレッソ森島寛晃 〜引退・日本一腰の低いJリーガー〜』(2009年2月1日にMBSテレビが関西ローカルで放送)OCNスポーツ サッカーコラム「OB選手たちの現在 鈴木 悟(元セレッソ大阪、京都パープルサンガ)」pp.4。現在は、関西圏で開催されるJリーグの中継に携わるかたわら、ABCテレビのスポーツ部で『Monday! SPORTS - JAM』(ABCラジオ)などの番組の制作を受け持つ2018年12月29日放送のテレビ番組『マンスリーABC』にて、「ABC出前授業」(アナウンサーや報道・制作スタッフが学校に出向いて放送局の仕事を紹介するもの)の模様が取り上げられた際に鈴木が講師として出演していたが(同年12月13日に吹田市立吹田第三小学校を訪問)、肩書・氏名表記が「ABCテレビ スポーツ部 鈴木悟ディレクター」と表記されていた。 。ちなみに同番組では、Jリーグでのプレー経験を買われて、「F.C.オフサイドトーク」(サッカー情報コーナー)へコメンテーターとして出演することもある『Monday! SPORTS - JAM』公式サイト「JAMの部屋」2013年12月9日付記事

2013年10月には、毎日放送のサッカー中継を通じて知り合った松本との結婚を発表したMBS・松本麻衣子アナ、元Jリーガー・鈴木悟さんと結婚(『スポーツ報知』2013年10月29日付記事)。

所属クラブ

  • 清水市立商業高等学校
  • 順天堂大学
  • 1998年 - 2003年 セレッソ大阪
  • 2004年 - 2006年 京都パープルサンガ

プレースタイル

個人成績

|- |1998||rowspan="6"|C大阪||28||J||33||3||4||0||1||0||38||3 |- |1999||rowspan="3"|14||rowspan="3"|J1||21||0||4||0||2||0||27||0 |- |2000||30||1||4||0||2||0||36||1 |- |2001||23||0||1||0||5||0||29||0 |- |2002||rowspan="2"|7||J2||43||2||colspan="2"|-||4||0||47||2 |- |2003||J1||25||0||4||0||5||0||34||0 |- |2004||rowspan="3"|京都||rowspan="3"|2||rowspan="2"|J2||27||1||colspan="2"|-|||||||| |- |2005||18||2||colspan="2"|-|||||||| |- |2006||J1||5||0||0||0|||||||| 137||4||17||0|||||||| 88||5||colspan="2"|-|||||||| 225||9||17||0|||||||| |}

外部リンク

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