田村文彦 : ウィキペディア(Wikipedia)

田村 文彦(たむら ふみひこ、1940年11月3日 - 2018年12月7日田村文彦ストーリー - オーポラロシア)は、日本の実業家で、元サッカー選手。ロシアとの民間交流団体「オーポラロシア福岡」の会長で、在日ロシア連邦大使館より名誉領事に任命されていた。

来歴

大阪府高石市出身 - 福岡県庁(2018年3月30日、在福岡ロシア連邦名誉領事が知事を表敬訪問します。の添付資料)。

明星高等学校を経て第1回アジアユース大会、日本代表のメンバープログラム - 日本サッカーアーカイブ(賀川浩) 早稲田大学第二政治経済学部を卒業。大学時代まではサッカーをおこない、ユース日本代表に選出されて1959年のAFCユース選手権1959にミッドフィルダーとして出場した。川淵三郎とはチームメイトだったという。大学卒業後はダンロップに3年間勤務したのち、父の経営する輸入車販売店に入社した。中古車オークション事業を父の知人と立ち上げて、ユー・エス・エスの創業に参加する。ユー・エス・エスでは代表取締役副会長まで務め、2014年6月に退任代表取締役および取締役の異動ならびに取締役の委嘱変更に関するお知らせ - ユー・エス・エス(2014年5月8日)。その後相談役を2年務めた後にユー・エス・エスから完全に退いた。

2016年7月にロシア連邦より名誉領事に任命される。委嘱自体は前年11月になされていたが、実業界から引退してから拝命したと述べている。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2020/10/04 02:30 UTC (変更履歴
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