田原重綱 : ウィキペディア(Wikipedia)

田原 重綱(たはら しげつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は与右衛門。織田信雄の家臣。

略歴

田原元綱の子として生まれる。田原氏は伊勢赤堀氏の一族で、浜田城に拠って北畠家に仕えた。

天正4年(1576年)、滝川一益の攻撃を受けて父の元綱は討死するが、重綱は美濃国に逃れ、後に織田信雄の家臣となった。

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに参加し、加賀野井城で討死した。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/04/10 15:11 UTC (変更履歴
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