宮崎清 : ウィキペディア(Wikipedia)

宮崎 清(みやざき きよし、1894年(明治27年) - 1970年(昭和45年)1月20日『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1205頁。)は、日本の実業家。三井物産社長や、リッカーミシン会長、日本ユニバック会長等を務めた。

人物・経歴

愛媛県今治市生まれ。東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、三井物産入社「データベース『えひめの記憶』」愛媛県生涯学習センター杉岳志「東京高商の修学旅行とその報告」一橋大学附属図書館研究開発室年報(1): 4-22。1943年三井物産常務取締役。1944年から三井物産社長三井物産(株)『挑戦と創造 : 三井物産一〇〇年のあゆみ』(1976.07)渋沢社史データベース。同年大正海上火災保険取締役「大正海上火災保険(株)『大正海上火災保険株式会社四十年史』(1961.05)」渋沢社史データベース。第二次世界大戦後、三井財閥の解体にあたり、住井辰男三井本社筆頭常務理事らと、連合国軍総司令部との交渉にあたった三井財閥の解体(前編)三井広報委員会。1946年電気化学工業特別管理人電気化学工業(株)『電気化学工業株式会社三十五年史』(1952.03)渋沢社史データベース。三井物産解体後は、公職追放となり『朝日年鑑』1948年版、176頁、「公職追放」。、白洋貿易社長、リッカーミシン会長、日本ユニバック会長等を務めた。

参考文献

  • 三井物産編『人間宮崎清追悼録 : 三井の誇り』三井物産 1978年

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/18 11:39 UTC (変更履歴
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