アンドレ・クレージュ : ウィキペディア(Wikipedia)

アンドレ・クレージュ(、1923年3月9日 - 2016年1月7日)は、フランスのファッションデザイナー。

人物・来歴

第二次世界大戦中、建築土木技師になるため、ポーからパリに上京した。パリ6区の国立土木学校に進学し、フランス空軍パイロットになった。第二次世界大戦後、パリ2区のパリクチュール組合学校 (fr) に進んだ。1950年代、パリ8区フォーブール=サントノーレ通りのジャンヌ・ラフォリ (fr) のオートクチュールメゾンで短期間働き、その後、バレンシアガで10年間働いた。1961年、バレンシアガのサポートで自身のオートクチュールメゾンを設立した。

1964年に、コレクションのスペースエイジ(近未来的なデザイン)を開始し"未来のバレンシアガ"と呼ばれた。

1964年に、女性のパンタロン・ルック、ロングブーツ、ボディタイツなどを発表した。さらに翌1965年、マリー・クヮントと同時代、"ミニ・ルック"としてミニスカートを発表するBénédicte Prot « Courrèges lance la mode dans l'espace » sur live2times.comクレージュ VOGUE より引用。

1969年、クレージュは "第二の皮膚"の組み合わせを考案した。また、PVCブーツなど新しい素材を用い、上記ミニスカートや女性のパンタロン、ショートパンツ、膝上丈のドレス、ハーフブーツなど、今ではお馴染みになったスタイルで、当時センセーショナルを巻き起こす。仏歌手のフランソワーズ・アルディや英女優ツイッギーのファッションに取り入れられた。1987年、クレージュは、妻コクリーヌと共にレジオンドヌール勲章オフィシエ章を受賞した。

パーキンソン病のため1990年代ごろより第一線の活動を退く。2016年1月7日、パリ郊外ヌイイの自宅で死去。。

参照

  • 未来派

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2020/07/03 06:13 UTC (変更履歴
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