「旅するローマ教皇」ジャンフランコ・ロージとヤマザキマリが対談「教皇とハドリアヌスのイメージが重なりました」

2023年10月6日 09:00


(左から)ジャンフランコ・ロージ、ヤマザキマリ
(左から)ジャンフランコ・ロージ、ヤマザキマリ

ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」などのドキュメンタリー作品で国際的に高く評価される名匠ジャンフランコ・ロージが、ローマ教皇フランシスコに迫ったドキュメンタリー「旅するローマ教皇」が公開された。

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2013年のイタリア・ランペドゥーサ島から2022年のマルタ共和国まで、37回の旅で53カ国を訪れたローマ教皇に密着。様々な無二の社会問題に耳を傾け、人々と出会い、語る姿と明るく飾らない人間性も映し出していく。このほど、大ヒット漫画「テルマエ・ロマエ」はじめ、イタリアの歴史、文化に造詣の深い漫画家、随筆家、画家のヤマザキマリ氏とロージ監督との対談記事が公開された。

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ヤマザキ:ロージさんのドキュメンタリー作品を観ていていつも共通して感じるのは、人間社会の過酷さや複雑性を常に俯瞰で冷静に捉えていながら、そこに我々観客に普段使わないような感情の稼働を促す力が潜んでいることです。今回の作品も観ているうちに、ローマ教皇に対するこれまでにない感慨や思いが立ち上がってきました。ロージさんが今回の作品でフランシスコ教皇を選ばれたその動機をお聞きしたいのですが。

ロージ:僕にとってこの作品は挑戦でした。僕が作品を作るのは常に出会いがきっかけです。場所との出会い、人との出会い。それが動機となって人々の物語を追い始める。つまり彼ら自身がその周りの世界を映し出す鏡なんですよね。フランシスコ教皇ともご縁があって友人になりましたが、巨大宗教のリーダーという生き方や彼の人となりを作品にしてみたいと思い立ちました。

僕は通常全ての映像は自分自身で撮影していますが、今回の場合、そういうわけにはいきませんでした。僕はもともと作品を作る時に脚本をしっかり書くタイプの人間ではありませんし、リサーチもあまりしない。現場でカメラで撮影をしながら、物語を作っていきます。例えば、生物学者のように顕微鏡の中をのぞいて、普段は目に見えない世界を発見・開発する。そういったことが僕の映画作りには重要なことなんです。

ヤマザキ:即興性が重要だというのはよく分かります。

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ロージ:モニターを見ながらでは、映画は作れません。まわりに機材があったら、逆に気が散ります。すべては1コマから始まるのです。フレームの中でストーリーを語らなければいけない。そのために正しい距離を見つけないといけない。真実というのはやはり距離にあると思うんです。

僕は、現実をなにか違ったものに変容させたい。真実を、普通だったら信じられないようなものに演出してみるとか、自分が撮影したものと観客が直接触れ合えるようにしたい。そのために、情報を引き算していくことから始めるのが僕のやり方です。ですが、本作の場合は、これらの作業を自分が撮影していないアーカイブ映像において行う必要がありました。

ヤマザキ:そこがこの作品で私が一番聞きたかったことです。つまり今回の作品に関しては、ロージさんご本人が撮影に携わったわけではなく教皇フランシスコが映っている800時間のアーカイブ映像の中から、ご自身のイメージとマッチングするシーンを見つけなければならなかった訳ですよね? 他人、しかも映像作家でもない人が撮ったものの中から、ロージさんが意識を共有できるシーンを探し出すという作業は、なかなか大変そうですが。

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ロージ:最初の編集では800時間のアーカイブを300時間に絞り込み、その300時間を更に絞り込んで83分の作品に仕上げました。音質が素晴らしいのにそこだけ映像がなかったりする場合もありますし、映像は良いのに音質が良くなかったりもする。自分の倫理的な視点を、他者が撮影した映像から作り出すことは、繰り返しになりますが私にとって大きな挑戦でした。今回のように、自分が監督というよりオブザーバー的立場にいたような気がしたのは初めてでした。なので、この映画の制作については、謙虚な気持ちを保つことがとても大事でした。僕は特化した宗教の信者というわけではありませんが、このフランシスコ教皇に対して抱いているリスペクトは大きいです。そのリスペクトがこの映画をつくる上での原動力となっていたように思います。

ヤマザキ:おっしゃるところのリスペクトは映像を見ていても実直に伝わってきます。

ロージ:たとえ主人公が教皇であろうと、宗教的イデオロギーのある作品にはしたくなかった。教会やバチカンについての映画ではなく、ひとりの人間の肖像・ポートレートを作りたかったのです。彼は教皇でもあり、何よりもまず、ひとりの人間であるから。

ヤマザキ:教皇の映画を撮りたかったのではなく、ロージさんの目に止まった興味深い人間がたまたまローマ教皇だったのだろうな、というのはすごく伝わって来ました。

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ロージ:全部の映画は出会いから始まると申し上げましたが、実は教皇とは「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」を撮影していた時に一度お会いしてるんです。彼が教皇になってから初めての旅がこのランペドゥーサ島でした。その後、僕は映画を見てくださった教皇からバチカンに招待されました。それから9年後、パンデミック後に初めて教皇が訪れたのがイラクでした。ちょうど僕は「国境の夜想曲」を編集している時期で、バチカンの新聞にインタビューが掲載されたのです。その記事を教皇がお読みなり、イラクから戻られたタイミングでバチカンの方から連絡があり、教皇を撮影した映像資料を見てみないかと言われました。しかし、それはテレビの報道用の映像だったので、とても扱いづらい素材で困ってしまったんです。正直、映画監督として何かできるようなものではなかった。僕の映画言語はそこにはありませんでした。

それらの映像資料の中に、ランぺドゥーサ島とイラクの映像があり、その間に教皇はメキシコのフアレスも訪れていました。実は僕も「海は燃えている イタリア最南端の小さな島」と「国境の夜想曲」の撮影の合間に、「El Sicario, Room164(原題)」(10)でフアレスを撮影していました。僕の映画3本が、なんと教皇が訪れた場所と同じ道筋をたどっていたのです。

これまで教皇が37回もの旅に出ていることを知り、バチカンの方に“バチカンを飛び出して世界を旅する教皇”というのは面白いんじゃないかと話しました。教皇のポートレートという主旨はあっても、その人間性に焦点を当ててみる。教皇自身が教皇の視線で見ている世界、そして民衆の目に映っている教皇の姿、というコンセプトの映画作品のアイデアを提案しました。なので他の映像記録も見せてくださいと頼んだところ、なんと800時間分もあったのです。

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ヤマザキ:教皇フランシスコ=旅する教皇という印象が一般的に強いように思います。イタリアの家族や友人たちも、テレビなどで教皇がどこかの国を訪れている映像が映ると「フランシスコはまた旅行にいっているのか」とよく口にしていました。でも、フランシスコにとっての旅は一般民が捉えているような生やさしいものではありません。この作品における“旅”というのは、つまり「ボーダーを越える」という意味なのではないかと私は捉えています。要するに既成概念としてのローマ教皇という形を超越し、さまざまな人々との距離を縮めていく。カトリックという世界だけではなく、あらゆる土地のあらゆる宗教の人々と、人間としての接触を試みる。それがこの作品における“旅”なのではないかと感じました。

ロージ:そうですね。旅というものは私たちを変えてくれる、自分たちの文化を少し見放して、新たな文化と出会い、知ってゆく。そうして人は変わると思うんです。

ヤマザキ:私は「テルマエ・ロマエ」という漫画で古代ローマ時代の五賢帝のひとりであるハドリアヌス帝を描いたのですが、彼は歴代で初めて自分の強大なテリトリーを視察として旅して回った皇帝なんです。このロージさんの作品を見ているうちに、教皇とハドリアヌスのイメージが重なりました。孤独であるということもそうですが、彼が届けようとしている言葉が、大衆によって作られているローマ教皇というビジョンの壁にぶつかって、うまく届かない。映画の中でも時々、焦点が合わない視線を向ける教皇の表情や、彼の言葉が届いていないような聴衆の顔が映りますよね。教皇は一所懸命に、世界中の人が理解しうる言葉として「夢です、夢を持ちなさい!」と語りかけますが、聴衆にとってはローマ教皇自身がもう夢でしかなかく、現実性を帯びていない。それが彼にとってのジレンマのように感じました。

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ロージ:だからこそ、この映画は希望から始まって、敗北と孤独感で終わるんです。それはつまり我々自身の孤独でもあります。映画ができあがった時に、「何で作ったんだろう」と自問しました。

ヤマザキ:何で作ったのかわからない、という感覚にこの映画作品が生まれる宿命を感じます。私がこの映画の中で印象的だと思ったのは、専用の車で移動するときのローマ教皇を背後から捉えた時、彼の肩のあたりで翻るケープです。まるで悪を相手に戦う孤高のヒーローのマントのようだなと。彼の来訪を全身全霊で喜ぶ地域であっても、称賛がそれほど大きくないところであっても、彼は平和への願いを掲げて、マントを翻しながらひとりでスーパーマンさながら前へと突き進んでいく。でも、ヒーローというのは、戦うために満身創痍になり、全身が傷つくということも意味しているわけです。実際映像の中の教皇は寂しげでひとりぼっちで、時には怒っているようにも見えます。

ロージ:革命家というものは孤独なものですが、教皇もそうですね。彼は1日20時間働かれます。バチカンで教皇にお会いした時、彼は私に「人生に勇気を持て、常にリスクを追い続けろ」と言いました。するともう少し近づかれて「この世界には保守的な人が多すぎるからね」と私にしか聞こえないくらいの声で囁いたんです。

ヤマザキ:教皇自身にも孤高で戦うヒーローの意識があるっていうことですね。彼は私たちが考えている以上に強いプレッシャーと圧力の中に生きている人だと思います。

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ロージ:バチカンを担当しているジャーナリスト達も100人ぐらい一緒に飛行機に乗って、日本や中国、アメリカへ旅をしています。つまり僕が映画の中で使っている場所にはみんな同行しているわけです。ジャーナリスト達は「現場にいたので知っている」と言うんだけど、でも実際映画を見たらショックを受けていましたね。同じ現場にいながら、教皇の言葉が右から左に流れてしまっており、すごく重要なメッセージを聞き逃している。彼らは自分たちの限定的視野の中でしか物事を解釈しようとしていない。月を目指しているのに指を目指すような。指を見たとしても月を見ていない。

ヤマザキ:ロージさんはあえてそういう人たちの様子も映像の中に取り込んでいますよね。一生懸命スピーチする教皇の後ろで疲れた顔をしている侍従とか、教皇の言葉など受け入れる気など全くなさそうな人とか、印象深い表情がたくさん映っていました。教皇が自分たちの目の前にいても、報道陣は自分たちの捉えたいように教皇を模っていく。教皇というイメージがどうやって作られて行くのかというノウハウを垣間見た気がしました。まあ、歴史上の人物だって所詮はそうやって作られたものですからね。私も「プリニウス」という古代ローマ時代に実在した博物学者を漫画で描いたときは、共同製作者とともに徹底的に当時について書かれた資料を調べ、現地にも取材へいき、なるべく現実に近付けようとしつつも、漫画的なファンタジーを盛り込むわけですから。プリニウスがあの漫画を見たら「俺はこんなじゃない」と憤慨するかもしれませんが。

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ロージ:私は先にストーリーを書きたくないからドキュメンタリーを作っています。フィールドにいる時に物語を見つけたいから。カメラで執筆作業を行っている感覚です。ストーリーが元々分かっていたら僕は面白くなくなってしまう。ゆっくり物語が明かされていくのが好きなので、ストーリーが見えた段階で僕は映画は終わりだと思っています。物語がわかっているのになぜ作るのか?

ヤマザキ:自分の周りで展開されている現実かストーリーを見つけて拾い出していくというのはロージさんの作品における基本ということですよね。

ロージ:今回も一緒です。マルタにいたときに教皇が戦争の話をされ、それがドンバスのことでした。編集している時、最初は時系列がごちゃごちゃでしたが、映画の終盤、戦争の話をしている部分を編集してみると時間の流れが成立しなかったんですね。編集者と話し合い、二日後に時系列でやってみようということになりました。ランペドゥーサ島からブラジル、フィリピン、アフリカ、パンデミック、イラク、戦争、こういう流れにしてみようと。そして編集したものを見たらば、パーフェクトな構造になったんです。ランペドゥーサ島からはじまる現代の「十字架の道行き」になりました。それはまるで教皇の思考の軌道を追っているかのように。

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