【「国境の夜想曲」評論】紛争と紛争の切れ目に存在する“マジックアワー”を、美しい映像で描き出す

2022年2月6日 22:00


「国境の夜想曲」
「国境の夜想曲」

冒頭を飾るのは、兵士たちのランニング風景。一小隊が通り過ぎたかと思いきや、しばしの静寂を破って次の小隊が現れる。それが何度も繰り返される光景は、戦争や侵攻、占領やテロといった紛争が、一時の小康状態をはさんで断続的に勃発している中東の現代史を象徴的に物語っているようだ。

イラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯を、3年以上の歳月をかけ、ひとりで旅しながらこの映画を撮影したジャンフランコ・ロージ監督は、「生死を隔てている境界線に沿って生きる人々の日常をしっかり伝えようと思った」と創作意図を語っている。

登場する市井の人々は年齢も宗教も様々だが、弾圧や迫害によって何らかの傷を負っている様が見てとれる。とくに、ISIS(イスラム国)が行った残虐な行為について語る子どもたちの生々しい証言はショッキングだ。さらに、幼くして家長の責任を負った少年の姿も印象に残る。年齢は、おそらく10代前半。だが、世の中の苦しみと悲しみをみつめ続けてきたようなまなざしは、老人と言っていいほど大人びている。母親と年下の子供たちと暮らす彼は、早朝から漁や狩りに出て家族の食いぶちを稼ぎ、帰宅後は疲れ果ててソファで眠る。まさに生きるため、いや、生き残るために繰り返される日々の営みを、ロージ監督は、フェルメールの絵画を思わせる光の美しい映像で描き出す。それは、少年たちの営みがどれほどしんどそうに見えたとしても、紛争のない日常を送ることができている今は、「美しい時間帯」であると言えるからだろう。

日の出や日没前後の空が最も美しく見えるわずかな時間帯を撮影用語でマジックアワーと呼ぶが、ロージ監督がこの映画で切り取ったのは、まさしく紛争と紛争の切れ目に存在するマジックアワーだ。それがどれほど貴重で、どれほど失われやすいものかを、この映画はしみじみ感じさせる。

(矢崎由紀子)

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