ぼくは君たちを憎まないことにしたのレビュー・感想・評価
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【”君たちに憎しみを贈らない。”パリ同時多発テロ事件で妻を亡くしたジャーナリスト、アントワーヌ・レリスの世界的ベストセラーを映画化。幼き息子が”ママ、ママ”と探すシーンは可哀想で・・。】
■2015年11月13日金曜日の朝。
ジャーナリストのアントワーヌは息子のメルヴィルと一緒に、仕事に急ぐ妻のエレーヌを送り出した。
その妻が突然、テロに会い戻って来ない。
焦燥や混乱の中、妻を探し回るアントワーヌ。
二日後、エレーヌの遺体を見て、アントワーヌは妻の命を奪ったテロリストへ手紙を書き始める。
◆感想
・今作では、パリ同時多発テロ事件の凄惨なシーンは一切描かれない。妻とバタクラン劇場へ行っていたブリュノの証言だけである。
・だが、それが逆に今作のアントワーヌの深い喪失感を醸し出している。
・エレーヌの死を目にしたアントワーヌは、静な表情でパソコンに向かい”君たちに憎しみを贈らない。”と記し、投稿する。
ー このアントワーヌの言葉は、当時のフェイスブックで20万回以上共有され、身内がテロに会った人たちの心を、慰め、テロリスト達への攻撃も最小限に収まった。-
■劇中、アントワーヌが語った名言。
”僕が恨みを抱いたまま息子を育てたら、犯人たちと同じ、世界の暗い面しか見ない人間になってしまう。”
■劇中、アントワーヌの投稿を見たフランス人から届いた言葉。
”テラスでワインが武器になるなら、僕らは最強だ。
<現在でも、憎しみに満ちた戦争、テロが世界各地で終わりなき様相を見せている。
だが、アントワーヌが発信した力強いメッセージこそが、憎しみの連鎖を止める事が出来るのだと、私は信じたい。
”ペンは剣より強し。”という言葉を、私は信じたいと思った作品である。>
主人公アントワーヌの悲しみを乗り越える力に感動
本作は、タイトルが伝えたいことではないですね。
一番の盛り上がりは、そのタイトルの場面であり、そこからの波及かと思いきや
全然違いました。この点はまずもってミスリードされましたし、
予告でもこのタイトルが伝えたい内容なのだろうと思ってしまいました。
妻を亡くした主人公アントワーヌが、悲しみを乗り越えようとして
何度も悲しみの渦に巻き込まれ自分を追い込んでしまいます。
そこから反省し、子どもとともに生きていこうと何度も誓いますが、
悲しみの渦にはまってしまう。
実にリアルだと思いましたし、弱さを見せてくれていることに共感できました。
ずっと亡き妻の思い出に浸っていた主人公が
ラストでは子どもと生きている"今"にちゃんと目を向けているシーンを見て、
かすかな光と言いますか、希望を感じました。
ハッピーエンドになりようのない事実を元にした映画ですが、
劇中何度も感涙しましたし、元気をもらいました。
映画の素晴らしさをしみじみと感じた作品です。
憎まないけれど
このタイトルって、事件が起こってから現実を受け入れる前に決めた自分への戒めの言葉だったんですね。
確かに、なにかトラブルがあった直後って、意外と人間その事を受け入れられずに冷静だったりするんですよね。
その時に、自分の為だけでなく、子供のためにも憎まないようにしなければならない。と、その後に悲しさが波のように溢れ込んでくる前に決めた事はとても素晴らしい。
けど、やはり、少し時間が経ってくると、悲しみの大波の辛さに悶え苦しみます。
だから、この物語はハッピーエンドでもなく、バッドエンドでもなく、その後に悲しみが襲ってきて、それに耐えながら生きていく…という、なんともやるせない気持ちで終わるしかないのですね…。
そして、前に自分が決めた戒めを守り通す主人公は、やはり強い人間なのだろう。けど、やはり波に負けてしまうシーンも人間ぽくて好きだ。
この映画、考えてみたら幸せに終わることなんて、そうそう無い事に最後は気付かされました。
いい作品だった、と、個人的には思いますネ。
人生は続く
テロで妻を失った主人公が、喪失感に苛まれながらも残された子どもを育てるべく奮闘する物語。
序盤から優しくて美しき妻を失うという絶望を味わいながらも、まだ1歳の息子は何かと手がかかり、立ち止まっていられない。こういう時、残された家族で支え合えたら良いが…現実はそう単純ではないか。
何よりまだ赤ん坊の息子に理解をさせるのも難しいだろうし…。
責任のある父親とは言え、アントワーヌだって当事者だからね。弱気にもなるよね。
そんな中、助けてくれる姉や義理の姉弟たちは心強いですね。とは言え、彼らからしても大切な妹・娘だった訳で…。
登場人物それぞれが大きすぎる苦痛に捕らわれながらも、支えてあげなきゃいけない誰かがいて、うまくかみ合わない歯車が歯痒い。「早すぎない?」っていう意見もまぁわかるし、でもじっとはしていられないですよね。
あとは良かれと思ってのママ友たちや、揚々としたマスコミもねぇ…。アントワーヌの複雑な心境が垣間見える。う~ん。。
テロと言う理不尽な相手に傷つけられながらも、息子を想い憎しみを捨て去ろうとするアントワーヌの姿に涙が溢れそうになった傑作だった。
憎まないことにした…か。自分には真似できないかな。復讐は虚しいだけ、とはよく言われるが、やり返してこそ、やっと区切りをつけて前に進めることもあるんじゃないかな…って思ってしまう。
まぁ勿論、テロ相手にそれができるかと言えば話は別ですが。
そんなことを深く考えさせられた作品だった。
そうだよねと思った
遠い場所にいるとなかなか身近にかんじられないが、『そうだよね。被害にあった人達にも家族があってその先もあるよね。』とあらためてあの事件を思い出した。
家族全員いい人達で、本当に幸せだったんだろうなと思う。
メディアに出る必要は理解出来ないけど、辛いときには強がりも必要。
子役の演技半端無い。
母を亡くした息子と妻を亡くしたパパ
母を亡くした息子の為に憎むのを辞めたパパ。憎むのを辞めたためにパパで居られなくなったアントワーヌ。ラスト、ずっと妻の写真や面影を追っていたパパが息子の写真を見返していた時は憎むのやめるではなく憎まずいられた初めての瞬間だったのではないかな…
投稿をしてもしなくても、行き違いはある
趣旨はよくわかる。本作も実話に基づくということだけれども、ペシャワール会の伊藤和也氏や中村哲氏が殺害されたときの会の見解やそれぞれのご親族の思いにも通じると思った。
本作の展開では、当初は妻を溺愛し、なかなか立ち直れないようだったけれど、投稿がなければ、マスコミの注目からの保育園の母親たちや多くの支援者からの援助は得られなかっただろう。投稿をしなかったとしても、妻の親族との行き違いはありがちだろう。
子役が、自分で動き回り、主人公から突き放されたときの反応や好き嫌いの言葉を率直に発する演技を自然に行っているのが驚きであった。
ぼくは君を憎まないけどやっぱりグーパンチしたい
原作は未読のため、あくまで映画からのインプレのみです。
事前情報はパンフと公式程度での鑑賞。事件後に紆余曲折があってタイトルの境地に至るのかと想像していたら、葬儀も終わらぬうちにSNSにその心境を表明していた。でもって、ではその賛否双方の反響によって色々な騒動にまきこまれるのかと思ったらそれもなし。
主人公はライターのようで、おそらく奥さんの稼ぎが収入でおおきなウェイトを占めていたっぽいのだが、とくに妻の他界後も仕事をすることもなく息子と遊び、保育園に送り迎えし、でもママ友の食事のサポートの好意は足蹴(そのわりにまともにメシを作ってなかった気がする)にして、あとは奥さん恋しいでメソメソ酒浸って、妻の服をクンクン(犬かよ)。葬儀の段取りは家族まかせ(は、しょうがない)としても、墓地はモンマルトルがいいよお(値段高そう)とダダをこねる。
いくらテロ被害者とはいえ、身内にこんなのいたらどっかでグーパンチをだしそうです。
リアリティ感じたのは、妻がテロ現場のライブハウスまで乗っていったシトロエンを見つけるため、夜間にリモコンキーでアンサーバックを探すとこ。見つかったクルマは違反キップべったり、ってのはあるある感があった。(ああいうのって情況説明すると違反金免除されてたりするのかなあと思ってみてた)
息子(最初、娘かと思ってた)の子役は可愛くあの年齢でちゃんと演技できていたので子役に星1つと、序盤の、テロの発生を知ったあと、ライブにでかけている妻との連絡がつかない不安な情況の緊迫感はよかったのでトータル星2つ。
憎まないからオチはない。
犯人たちとの距離感もあるかもなぁ、、やはり対象が近いと怒りの衝動が発動しやすく思う。
あと時間かな。
実際にあった話の映画化なわけで、ボンジョビ似の文学者はわりと早い段階でこの文書をUPしたのは彼らしい戦い方だった。
しかし時間が経つとどんどん喪失感にずたずたにされ、崩壊していく、、、まあそんなとこだよな。
やっぱりいきなりの喪失は辛いよな。
リアルな話なんで派手な落ちもなく、しみじみ終わる話です。
シャルリよ、みてるか?
政治色・宗教色を排し、メディア批判を少々振りかけつつ、妻を亡くした男のもがき苦しむ姿を描く。
テロリズムは社会の混乱・分断を惹き起こす目的でこういうごく普通の市民に対して一方的に仕掛ける戦争だと思い知らされる。これは、もう本当に怒りが込み上げてくるが、この怒りをぶつける対象を間違えると彼らの思う壺なのだ。この作品は「正しく怒る」道筋を考えろ、と言ってくれている。
私には真似できない
私ならば「可能ならばこの手で犯人を殺したい」と思ったことだろう。少なくとも相手の死を願うのは間違いない。
最初の場面からずっと、身につまされるような感じで見た。
聖人君子のような主人公なのかと思っていたが、その苦悩がこちらにまで伝わってくるような映画だった。ちょうど、先日見た「ミュンヘン」と対照的(かつ、全く同じ)だった。
私のような人間がいるより、悩みながらも「僕は君たちを憎まないことにした」と言える人間が多い方が、きっといい世の中になるのは間違いない。しかし、残念ながら、実際には私のような考え方の人間の方が圧倒的に多いのだろう。
だから、この世はずっと今起こっているような争いが続いている。
私は少なくともこのテロのことを知っていた。しかし、数多くのテロの1つとしてしか認識していなかった。
この映画を見てよかった。
残酷すぎるが「憎しみの連鎖」を止めるための処方箋
「私たちは世界中の軍隊よりも強い」「憎しみに心を支配させようとする犯人たちの試みは失敗した」「今までどおりの生活を続ける」犯人たちへの声明は、どこまでも力強く、深い悲しみを受容して生き抜く決意に満ちている。なぜ、そんなメッセージを事件から間も無く、打ちひしがれたなかで発信できたのか。この映画を見ても、原作を読んでもこんな生き方が出来る人は稀有だと言わざるを得ない。
憎しみに屈しない生き方をする決意を持ちながら生きようとする主人公アントワーヌの姿は、まるで凶器が刺さった体で平静を保っているかのようで痛々しい。母に何が起こっているのかわからない息子の未来を憎悪で染める訳にはいかない。それでも込み上げてくる失った妻への想いとテロリストに対する感情に苛まれる姿が描かれる。愛する家族を失いながらも残された愛する家族のために生きていく決断とはこんなにも壮絶な姿なのか。
なぜ、主人公は、事件後、早々にテロリストを憎まないという決意を持ったのか。推測するにジャーナリストでもあり作家でもある主人公であったことから、憎しみを報復として行動することが新たな憎しみや報復の萌芽になることに対して事件以前から思いをいたしていたからではないか。事件から過ぎた年月から見て、主人公はまだ子育て中で、今もこうした苦悩と戦っていることが想像される。
やりきれない憎しみが報復として表現される。テロリストはその報復先を直接的には無関係で脆弱な市民を標的にする。「直接的に無関係」と述べるのは、テロリストの論理では必ずしも「無関係」にはならない。テロリストとして生を受ける人はいない。差別、格差、貧困、恐怖など人間としての尊厳を否定されて生きている人たちが持つ社会の不公正・理不尽さへの不満。そうした境遇にある人々にとってその理不尽な社会が敵と見做されるのであれば、その社会に生きている人たちはそれを支持している人たちに見えることだろう。すなわち敵と見做される。端的に表現すれば「敵の味方は敵」ということになる。そう考えれば誰もがテロの標的になり得るのが今の世界なのだ。
続きはブログ「地政学への知性」に掲載(もちろん無料です。)
子役最高!
子役の演技が凄い。どう育ったらそこまでできるのか?
シナリオも初めの盛り上がりはあるものの終盤になるに連れて尻すぼみ感はあるが、そこが逆にリアルなのかもと思わせてくれる。
「憎まないを」初めに言うとこうはなるよなって本ではあった。
セオリーとしては終盤に気付かされ、結果「憎まない」のほうが感動するのではと思う。
私は絶対許さんけどな
犯人を憎まない、の意味は赦すということなのかどうなのかを知りたくて観に行ったんだけど、思った以上に気持ちが定まらない主人公に人間味を感じて安心したとこある。
私は絶対に心からも頭でも許せないと思う。
しかしショックなのはわかるけど、母や姉妹も同じようにダメージを受けているのに彼らに全ての面倒を丸投げにして、自分はメディアに露出し続ける様は身内だったら腹立っただろうなとは思う。それだけの喪失感があったのもわからないでもないけども。
なぜ憎まないことにしたかと言う理由はとても納得が行くものだった(私はできないけどね)し、今後も二人がどうか幸せに暮らしていることを祈りたい。
そして、この子役!
天才!!
演技しているように見えないレベルに演技派だった。
この子の「ママ、」に何度も泣かされたわ。こんな小さい子置いていく気持ちを考えたらいたたまれない。。
ご冥福をお祈りします。
タイトルの意味
冒頭のシーンで、この主人公はパパになりきれてない男の人だなと思いましたが、ストーリーが進むにつれてだんだんパパになっていってました
そして途中何度も涙がポロポロ
それはアントワーヌが悲しむシーンじゃなくて、息子と楽しそうにしているシーン
そっちの方が深い悲しみを抱えながら、それでも息子のために頑張ってる気持ちがズシリと重くきました
突然愛する奥さんがいなくなって、それもテロによって
もう何もする気力がないような時でも幼い息子はママに会いたがるし、ご飯やお風呂のお世話もあって、その日常をどう過ごしていくか
それが「ぽくは君たちを憎まないことにした」なのだと思いました
幼い息子がいるからアントワーヌは救われたように思います
テロリストたちを憎みながら息子を育てると、きっと息子もそんな男の子に成長する、それより2人で幸せになる、とっても大変な事だと思います
テロリストたちにだけじゃなくて、助かった友達にも複雑な思いがあったようにも思えました
多分友達も自分は助かったという罪悪感があったのかもです
今の世界情勢を考えるとアントワーヌと同じような人は世界中にたくさんいて、アントワーヌみたいに憎しみより幸せになる事を選んでくれると良いけど、それよりそんな憎しみが起こらない世界になるよう改めて思いました
そう思っていかないと生きていけない、タイトルはきっとそんな思いなんだろう
最愛の人をバカども(テロリスト)に奪われたのに何故そんな仏のような心で赦すことができるのか?タイトルを見て最初はそう思ってました。
実際観てみたらやはりそんな投稿は主人公のただの綺麗事であったかのように思える。
内心は怒りと悲しみに震え葛藤する主人公の痛ましいシーンが続きます。
何度も何度も妻を想っては泣き、自殺をはかったり、まだ幼く言うことを聞かない子どもにも腹を立てる場面も。現実逃避して、棺桶やら何やらの決め事もほぼ義姉任せで義妹に怒られるシーンも。
こいつの教育は大丈夫なのか?と思ったところは国の価値観の違いなのか。
せっかくママ友が良かれと思って作ってくれた野菜のスープを子どもが嫌がったからそのまま料理を一緒にトイレに流してわぁーと喜んでいたがそれはちょっと…。
案の定、ママ友がスープは美味しかったかと聞いた時に子どもは悪気もなく「ううん!うんちっ、オェっ」と言ってました。
そんなことを一緒にするから言わんこっちゃない。ママ友達も協力して負担を減らそうとやってくれてるのに恩を仇で返してはダメだ。
パスタで遊ぶシーンもありますが食べ物で遊ぶのはちょっと。
やはり子どもには母親が必要であった。
2人の立場で考えるととても辛かった。
事故当日妻と出かけていた友人に対しても怒りと憤りのない悔しさに震えているかのように思えました。妻が真横にいながら自分だけは生き残り、腕で抱いて最期を看取ったと聞いた時も。
おそらくテロリストを憎んでなんていたら精神的にも自分の心に良くない。この先生きていけない。
だから前向きに捉えて明るく息子を幸せに育てていこうと決めたんだと思う。
実際人間というものは弱く脆い生き物だから。
本当は相当恨み憎んでいると思う。ずっとずっと涙を流しているのが証拠だ。
こういう映画を通して思うことは、今この瞬間にも戦争やテロ、犯罪などで被害に遭った同じ境遇の人たちがたくさんいるということ。アントワーヌは氷山の一角である。果たして被害者の人々は加害者に対する気持ちとどう向き合っているのか。
人からしたら赤の他人だがその人達も誰かの大切な人、という気持ちを忘れずにいないといけない。
国ガチャSSRの平和な日本に生まれてきてもっと有難いと思わないといけないな。(最近物騒ではあるが)
23-132
テロによって最愛の人を失う。
言葉では理解できても
当事者にとっては受け入れられない事実。
恨み、憎しみ、悲しみ、
負の言葉なら次々出てくるが、
それらを拒絶して
前を向き乗り越える言葉を紡ぐ。
自らの鎖に苦しめられながら、
幼い息子に真実を伝える姿は苦しい。
この子、すごい子ですねぇ。
「憎めなく」なれるのだろうか?
最愛の妻を失い、幼児の息子からは「ママは?」となんども聞かれる。
悪夢のような日々であっただろう。自分たちは無理でも、自分の家族、友達がテロのない世界を築くしかないのだろう。
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