フローラとマックスのレビュー・感想・評価
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音楽映画の主人公として非常に新鮮なタレントの持ち主。
ジョン・カーニーの安心印の音楽映画、と言いたいが、正直『ONCEダブリンの街角で』がピークで、その後は魅了もあるが精彩を欠いているような印象はあった。本作も、手放しで傑作だと感じているわけはないが、音楽映画としての主人公像が新鮮。素行の悪いシングルマザーが、素行の悪い息子に拾ったギターをプレゼントしようとするがスルーされて、ネットで見つけたイケメンオンラインギター講師にギターを習おうとする、という、いろいろどうしようもない導入がなんだかとてもいい。イヴ・ヒューソンのダルそうだけど心の奥になにかありそうな持ち味も本作ではピッタリでした。そしてこの主人公がギターの腕前を上げてミュージシャンとしての才能を開花させていく……みたいなありきたりな展開でないのもいい。主人公はあくまでも素人なんだけど、他人が作った音楽のいいところを発見し、どうすればより磨かれるのかを言い当てるプロデューサー気質なのだ。プロデューサーの音楽活動って物語になりづらいのか、あまり音楽映画の中心に来ることは少ない気がするのだが、これは間違いなく新味のある気持ちいい音楽映画でした。
音楽が壊れた親子を再生していく
『シング・ストリート 未来へのうた」(16)以来7年目のジョン・カーニー監督作と聞けば、映画ファンとして見ないわけにはいかない。カーニーの最新作は過去作と同じく、音楽が壊れかけた人間関係を繋いでいく。その手法は今回もかなり直球だ。ダブリンに住むダメママのフローラが、自分のせいで問題児になってしまった息子、マックスが音楽マニアなのを知り、マックスが密かに憧れる女子の興味を引くために息子のPVを作る、L.A.に住むギター・コーチにオンラインでギターの弾き方を学ぶ、そこに別居中の夫も巻き込んでファミリー・ユニットを組む。
結果は問題ではない。何とかして自分を変えたいと真剣に願うフローラが、微かな望みを音楽に託し、物語が心地よく、ユーモラスに展開すれば気持ちは徐々に温まっていく。甘いと言われればそれまでなのだが、漂う優しさとユーモアは他ではなかなか体験できない、カーニー作品ならではのもの。7年のインターバルがもどかしく感じる。 フローラを演じるイブ・ヒューソンの愛すべきダメっぷりが心に焼きつく。聞けば彼女、U2のボノの娘だとか。稀代のロッカーはこんなにも魅力的な後継者を設けていたのだ。Apple TV +で配信がスタートしたばかり。早めにご視聴を。
ダブリンの母子
シングストリートから7年ぶり、ジョンカーニーの音楽映画。
2023年1月にサンダンスで上映され熱狂的なスタンディングオベーションを引き起こし、AppleTVに約30億円(2,000万ドル)で配給権を買われたそうだ。
imdb7.1、RottenTomatoes94%と86%。
主演は(U2ボノの娘の)イヴ・ヒューソンと、ジョセフ・ゴードン=レヴィット。息子マックス役でOrén Kinlanという少年。シングストリートの“兄貴”Jack Reynorも出ている。
ジョンカーニー映画の特長はダブリンと労働階級となまり。デリー・ガールズみたいな気性の激しさと喧噪に満ちた庶民生活。蓮っ葉で淫奔な気配を加えてダブリン生まれのイヴ・ヒューソンがはまり役だった。
映画内でゴードン=レヴィットはギターと唄を披露するが、彼はサンダンスの観衆の前で──、
『ついに映画で音楽を演奏することになった!ずっとやりたかったし、根っからのミュージシャンで、音楽をやるのが大好きなんだ。映画のためにいろいろなことを学んできた。綱渡りとか、ホッケーとか、格闘とか射撃とか。でも今回は、人生の大半を費やして練習してきたスキルを、慣れているスキルよりももう少し高いレベルで練習することになった』
──と、語ったそうだ。
みずから根っからのミュージシャンだと言った彼は起業していてベンチャーキャピタルを保有しているし監督業もやる。多芸ゆえ役者の姿は彼のほんの一端なのだろう。それが映画内のキャラクターと重なった。ジョセフ・ゴードン=レヴィットはまぎれもなく成功したスターだが、オンラインでしがないギター講師をやっているジェフは、秘匿されてきたゴードン=レヴィットのもう一端の姿でもあった、からだ。
最適なふたりを得て、Flora and Sonは母子の絆を描いていた。
フローラ(ヒューソン)は17歳でマックス(Orén Kinlan)を生んだのでじぶんの青春そっちのけで子育てに奔走してきた。旦那(Jack Reynor)とは別居しており、マックスは反抗期で非行にはしっている。少年連絡官から、なんかやったら次は矯正施設に収監するぞと釘を刺されている。フローラとマックスは毎日いがみあいながら生きている。
あるときフローラは捨てられていたギターを拾ってくる。修理してマックスの誕生祝いにプレゼントしたが邪険にされてしまった。
それならじぶんでギターをならってみようか・・・ひょんなきっかけでギター講師のジェフ(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)にオンラインで出会う。かれはロサンゼルスに住んでいた。
その授業をうける一方で、離反した母子がふたたび結束する様子が描かれていく。描かれていく過程で、Begin Againやシングストリートのように、映画がシームレスにミュージックビデオのように変わる。鮮やかと言うほかない。
ジェフがフローラに見てほしいとリンクを送ったのはジョニミッチェルが1967年に書いたBoth Sides Nowで日本では青春の光と影という名前で知られている。
詩は哲学的だが、憧れをもって見ていた事象が、経験や知識や時間を隔ててみると不可解なものに変わってしまうという儚世のようなことを歌っている。(と思う。)
それを聴いてフローラは涙を流すのだ。
ジョンカーニーを見ていると、あたかも市井無頼の庶民が音楽に目覚めるように見えるが、とんでもない。
Both Sides Nowを聴いて涙したり、DTMソフトを使いこなせたり、リズムに即応してラップフレーズを思いついたり、スマホで即興のミュージックビデオが作れたり、自分で詩を書いたりする音楽的才能がなければならない。フローラもマックスも計り知れない音楽的素養の持ち主なのだった。
映画内オリジナル曲High Lifeが印象的。
筋書きで最後に母子で演奏するところへ持っていき最高潮に盛り上がる。すなわち筋書き上のクライマックスの高揚感と、楽曲の高揚感が相乗する。いたずらに音楽映画で一貫してきたわけじゃない。いままでどおりに音楽的高揚と映画的高揚を自在に操っていた。
ちなみに映画内会話にも出てくるがアイルランドとロサンゼルスはとんでもなく遠いらしい。“地球の裏側”みたいなものだそうだ。
日本人としてはそんな地球の裏側といえるほど遠い人どうしが同じ言語でさくっと意思疎通できてしまうことに地味に感心or羨望するところがあった。
日本人とて英語を習得すればトパンガ渓谷の陽光下にいるジェフのオンラインギターレッスンが受けられる。が、そういうことじゃない。
フローラは母国語以外の言語を学ぶ必要や野心のない労働階級だ。日当を稼ぎ暴言を吐き週末ごと違う男と寝るような下層といえる。
概して下層階級は二カ国語を操ることができずその野心もないゆえに海外とオンラインで結ばれない。だけどフローラはワインを飲みながらわけもなくジェフと話した。なぜか。英語話者だからだ。したがって英語話者であるか/ないかによって達成しうる実現損益みたいなものの圧倒的格差について感心or羨望するところがある──と言いたかった。
音楽の持つ奇跡を、魔法を見せてくれる。
待望のジョン・カーニー監督の新作は、またも音楽の素晴らしさを体感させてくれる。
音が重なりあって楽曲ができる過程と、歌が心に沁みる瞬間。そして、音楽に夢を見るも打ち砕かれる側面も描いていた。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットの渋さに、思わずロマンスに浸りそうになるが、シングルマザーと息子へ応援歌を贈る、爽快な一作だった!
舞台はお馴染みダブリンだけど、「シング・ストリート」のように未来へはばたく若者たちの青春物語ではなく、「はじまりのうた」や「onceダブリンの街角」のような大人の挫折や迷いを描いた雰囲気に近い。が、だいぶ違う。ここまで口が悪いのは今作が初では?ラップを取り入れたのも新鮮!
10代で妊娠・出産、そして離婚を経験したシングルマザーのフローラ。いつも怒っている彼女は、息子のマックスには愛情を注ぐが、彼は問題ばかり起こす…
ジョン・カーニー作品は、人生の苦渋部分を描くのが魅力だと思っていて。
ドラマ部分で、たとえロマンチックなことが起きたとしても最終的には「あ…そうだよね。実際は…」とリアリティある展開に落ち着く。とても冷静に。
ただ、音楽の持つ奇跡を、魔法を見せてくれる。リアリティミュージカルとでもいうのか、このジョン・カーニーならではの世界観がやっぱり好きだ。
映画館でどうか、かけてほしい…😭
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