キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのレビュー・感想・評価
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エデン17
すごく面白かった。
この映画で実際の事件に興味をもち、実際の人物の写真なども観てみたが、配役たちとイメージがあっている。
もともと素朴に清らかにくらしていたオセージ族が、「富」によって不幸に転落していく話ともいえる(もちろん悪いのは白人たちだけど)。
「火の鳥」の望郷編のエデン17を連想した。
「純血」とか「無能力者」とか、説明なしに出てくるので、実際の事件の背景を知ってから観た方がより話を理解できると思う。
当時の人達の考え方や言葉をできるだけ再現しようとしてる点が良かった。
「白人がインディアンの使用人として働いているなんて罰当たりだよ」というようなセリフが印象に残っている。この当時の人たちにとって、白人が最も偉い、というのが道徳的に(宗教的に)正しいことだと信じられていた時代だ、ということ。
デカプリオとデニーロ,最高コンビ
アメリカ大陸のインディアンの土地で湧き出たオイルダラーをめぐり、白人たちが彼らを利用し搾取していく。結婚という形で部族に入り込み,殺人はそれを隠すための殺人を呼んだ。
軍隊から帰ってきたデカプリオ扮するアーネスト。彼は女とお金が好きなある意味で欲望に忠実な若い男だった。彼はただ楽して遊んで暮らせればラッキーと考える,おバカな若者だった。そんな彼の本質を見抜き,巧みに操るデニーロ。そんな彼をひたすら信じて悪いことに手を染めていく。少しずつ深みにハマっているが気が付かず、いつのまにかどっぷり抜け出せないところまで来てしまった。唯一の救いは彼が本当に部族の娘を愛したことだった。
それゆえ,最後には人の道に戻ることができた。
ただ、最後の彼女の問いに、やっぱり自分を守ってしまった。それは運命の分かれ道。彼女との別れが決定づけられただろう。
デカプリオの顔だけ取り柄のおバカだけど本質は悪くないよねって思わせて憎めない男と、マフィアのボスを彷彿とさせるデニーロの腹黒な仮面のコンビがこの映画のキモだと思った。そして,意外と最後まで展開の読めない脚本もお見事でした。
スコセッシ監督が描く「行き過ぎた欲望」と「公正な制裁」。
◯作品全体
すべてに共通しているわけではないけど、スコセッシ映画の特徴として「行き過ぎた欲望と公的な制裁」がある。「行き過ぎた欲望」はスコセッシ監督の過去作『グッドフェローズ』でいうところの立身出世のための抗争や粛清、麻薬取引がそうだろうし、『ウルフオブウォールストリート』だと、金持ちになるために公正取引から大きく逸脱した会社経営なんかがそうだろう。「公的な制裁」はその名のとおり、力や権力を使った私刑ではなく「行き過ぎた欲望」によって法を犯した主人公を公的な機関がキッチリ取り締まることを指す。『グッドフェローズ』であれば主人公に恨みを持つ人物による暗殺、みたいなオチではなく、麻薬取引がばれた結果、警察に人生の主導権を握られる「公的な制裁」があった。『ウルフオブウォールストリート』では、FBIが主人公・ベルフォートの違法な取引や脱税を調査し、逮捕に至る過程をじっくりと描いている。
本作でも受益権を一族で得ようとする「行き過ぎた欲望」による殺人計画があり、連邦政府の捜査官により捕まり、法の下に晒される「公的な制裁」があった。
スコセッシ映画におけるこの共通項の面白いところは、そのコントラストにある。「行き過ぎた欲望」は、言い換えれば主人公の才覚であり、情熱でもある。本作でいえば「金が好き」だという主人公・アーネストがウィリアムに指示を受けて利益を得ようとする。その姿は人によっては醜いものに映るかもしれないが、その徹底ぶりは情熱そのものだ。底辺にいたアーネストが這い上がろうとする姿含め、画面からあふれ出てくるような強いエネルギーが「行き過ぎた欲望」にはある。
一方で「公的な制裁」は情熱とは正反対の位置にある。映像作品の警察や検察、捜査官は情熱をもって犯人を捕らえ、時には派手なアクションとともに追いつめるのがほとんどだが、スコセッシ映画の公的機関は理性的で実力行使にはほとんど及ばず、法的手続きを遵守する存在として描かれる。それによって主人公たちの行き過ぎた情熱に冷水を浴びせる役割を担っていて、さらに言えばフィクションでよく見る「悪徳役人」じゃないから隙がないように映る。「公的な制裁」は執拗に追従する嫌なヤツに見えたりもするのだが、スコセッシ映画ではあくまでキチンと法に則って処理を進める真面目な役人に終始するのが面白い。
「欲望」にある特有の軽快なドライブ感と、「制裁」にある地に足のついたリアリズム。これがコントラストとなって、スコセッシ映画を、そして本作を形作っていた。
◯カメラワークとか
・序盤のシーンはエネルギッシュな立身出世の雰囲気があるから、場面転換も派手だった。会話劇のシーンから急に石油が爆発するカットに、みたいなのがいくつかあった。場面転換のアイデアの豊富さはスコセッシならでは感がある。
・ハエのモチーフ。最初は毒を盛られて重症化しているモーリーに寄りついていたけど、逮捕されてからはアーネストの周りを飛び回っていた。モーリーのは糖尿病の悪化で体が腐敗し始めたことの演出だと思ったけど、アーネストのは人生の転落を進み始めるシンボルっぽい使い方に見えた。エンドロールでもハエの音が聞こえたけど、映像で語らないからさらにシンボルっぽい。
◯その他
・終始アーネストが矮小な人間で居続けているのは面白くもあったけど、「金がほしい」という欲望の度合いがウィリアムによって測られ続けていて、元来アーネストが持つ欲望はどれくらいだったのかが分からなかった。弱い人間だから周りに操られるのはそうだろうけど、もう少しアーネスト自身の今までを語っても良かったんじゃないかな、とも思う。
モーリーに本当のことを伝えられないラストはとても納得できた。すべてをモーリーに話すと決断できるほどアーネストは強くないし、そんなすぐに人は変われない。愛を通じて人は変わる、みたいな、よくある作品にしていないところが好きだ。
・アーネストの表情の豊富さは捜査官のトムの表情変化の乏しさと対になっていた気がする。
鑑賞動機ディカプリオ5割、予告3割、リリー・グラッドストーン1割
スコセッシやデ・ニーロは途中でトイレに行きたくならないのだろうか。かなりハードル高い上映時間だったけど、それでも長さを感じさせないでくれたので良かった。集中すれば尿意も消滅するのだろうか。
前後して『ギルバート・グレイプ』を観たので、ディカプリオの円熟ぶりに、年月の重みを感じる。ホワイトではなくアーネストを中心に据えるという変更も、観終わってみれば当然のことのように思える。絶対にアーネストの方が演じるの難しいもの。
ディカプリオの表情をかなりの長回しでとっているところを、顔芸と一言で言うのは簡単である。でも、じっくりと時間をとってシーンとして提示してあることで、ただ流されていくダメ人間とはいえ、内なる葛藤や逡巡や自己欺瞞、妻への愛情と叔父への恐怖など色々なものがぐちゃぐちゃに混ざり合ってカオスとなっている心境を、セリフで説明せずに垣間見せてくれたわけだし、それらを観客が自分で考え想像することができる余白を作っているのだと思った。なんかようやくスコセッシの凄さを実感できた気がする。
リリー・グラッドストーンも良かった。最初のお嬢様然とした余裕を滲ませる場面、値踏みしつつそして打算ありありとわかりつつ受け入れていく様、家族を殺された際の慟哭、アーネストを信じていいのか揺れながら憔悴していく様など、様々な表情や立ち振る舞いで、ディカプリオに引けを取らない演技だったように思う。
そして、この重苦しく恐ろしい話もいよいよ決着が…というところで、あの演出ですよ。一気に現実に引き戻される。スコセッシは出てきたのはわかったけど。いやあ、なんなんでしょう、なんかこういいように弄ばれた感が残ってしょうがない。
本当に大切なものとは?
これまで自給自足をしてきたインディアン達が石油を得て、白人の論理である資本主義を受け入れる事で恩恵を受けたが、金が全てという資本主義のダークサイドにもさらされる事になってしまう。
その時にインディアンはあまりにも無力である。何故ならそれまでそんな知略謀略の搦手なんかで戦ってなんてこなかったからだ。
最後には結局何もかもを搾り取られてしまう。
事件の全容が明らかになり、犯人も捕まってすっかり焼け野原になった地に久しぶりの平穏が訪れる。インディアン達が増え出し草原の中で太陽を描く。
太陽とは復活のメタファー。
先祖伝来脈々と続く民族的アイデンティティのことだろう。
それを捨ててしまった時、要は冒頭の先祖伝来の笛を埋めた時から闇が訪れていたのだ。
208分楽しめました。🤗😃(o^^o)。
TOHO新宿にて鑑賞しました。
上映時間206分でしたが、今日もウトウトせずトイレ🚽にも行かず鑑賞できました。😃
ここからネタバレします。
前半のテンポは、良かったのですが、FB I
が問題解決の捜査するところからテンポが良すぎて登場人物の認識がわからなくてなりました。
私のまだ、認知機能が回復しないのか元々なのか‼️不明ですが、😅☺️🤣。
監督がマーティン・スコセッシ
レオナルド・デカプレオ
ロバート・デニーロ
と素晴らしいメンバーです。
この時代の西部劇、ワシントンなどロケ地と時代考証は、本当に素晴らしいです。
オジのロバート・デニーロを頼りに街に来きたレオナルド・デカプレオですが、最初の挨拶から「キング」と呼ばせる所から始まり先住民のオーセージ族の石油の利権狙いで月々と連続殺人がおこなわれ、最後にFBIが捜査するまでの話でした。
この時代は、禁酒法や銀行強盗など犯罪が野放し状態⁉️で捜査なし、など怖い時代でしたね。
後半のデカプレオの糖尿病の妻にインスリンうつところとラストの選択、駆け引きは、見応えありました。
ロバート・デニーロが、80歳とは思えない恐ろしい悪役⁉️演技してました。
セリフも往年と変わらず素敵でした。
今回は、レオナルド・デカプレオの妻役の
リリー・ブラット・ストーンが、終身一貫抑えた演技で素晴らしいです。
可愛くて素敵な方でした。
٩(๑❛ᴗ❛๑)۶🤣😅🥹💃🙆♀️。
この映画の関係者の皆様お疲れ様でした。
ありがとございます♪♪。
(๑・̑◡・̑๑)
家族思いな人非人への解像度高すぎ
タイタニックで運良く持ち上げられたイケメン俳優だったレオ様が、レオナルド・ディカプリオとしてちゃんとブランドを確立したことをまざまざと感じられる映画でした。
30年間口をへの字にして生きてますって勢いのへの字口が小物ぶりと小心ぶりを示していて凄い。
家族も他人も鼠もみーんな金になるかならんかで物差ししてそうな完全悪の叔父に比べて、家族は大好き妻もなんだかんだ愛しちゃってるでも金や保身のために人殺しの片棒担いじゃうすぐサインしちゃう無能じゃないとか叫んじゃう盲信してるんじゃなくて盲信してるフリする、中途半端な小悪党の再現度すげーや。
奥さんの薬に混ぜてたの、毒だってどこかで分かってたけど、叔父が薬っつってるから薬だって信じる、フリをしている。
これサインしちゃいけないやつだって分かってるけど、叔父を信じてる、フリをしている。
無意識に何も分かっていないフリをしているように見えました。
それで自分は悪くないと言い聞かせているんじゃないかな。
人間全部金蔓にするような人間には私はならない!とは思えるけど、信頼できる人に操られて結局犯罪の片棒担いでました…でも知らなかったんです!とか宣う小物にはなっちゃう可能性がありそう、という不安感がずるずるつきまとっていました。
もうディカプリオのリアル感が強すぎて、ほんとこの話はほんとにあった話なんだってじくじく思い知らされますね。
最後ただただ被害者だった奥さんが亡くなって、犯罪者どもがゆるやかに長生きするの、映画として盛り上げるための脚色がなくてとても良かったです。
私は素人ですが、たぶんこれは高尚な映画だったと思います。
正直興味を引かれなければ長くて退屈な部分もあるでしょうが、歴史書だと思えば簡潔でドラマティックに仕上げてくれている。
すべてを呑み込み、根こそぎ奪う侵略者
20世紀初頭のオクラホマ州、白人によって先住民のオセージ族は不毛な土地へと追いやられてしまう。
ところがその土地で石油が採掘されたことから、一夜にして彼らは巨額の富を得ることになる。
冒頭、着飾ったオセージ族に付き従う白人という見慣れない構図の画が展開される。
この土地では白人よりもネイティブアメリカンの方が豊かな生活を送っているようだ。
やがて多くの白人がこの豊かな土地に仕事を求めて集まってくるようになる。
第一次世界大戦の帰還兵であるアーネストもその一人だ。
彼はオセージ郡で"キング"の通り名で知られる叔父ウィリアムを頼りにこの地を訪れる。
ウィリアムはオセージ族に対して理解が深く、また街を活性化させるためにあらゆる貢献をしている。
彼の元で働くうちにアーネストはオセージ族のモリーと恋に落ち、やがて結婚をする。
彼だけでなく多くの白人男性がオセージ族の女性を妻に娶っていた。
最初はこの地で白人がオセージ族と良い関係を築いているかのような印象を与えられるが、すぐにその化けの皮は剥がされる。
白人はオセージ族に対して富を管理する能力がないと決めつけ、自分たちにとって都合の良い法律を作り、オセージ族が自由にお金を使えない状況を作ってしまう。
ばかりか白人の中には受益権を奪うために巧みに彼らに取り入り、そして暗殺という卑劣な手段を使う者まで現れ出す。
唐突にオセージ族の変死者の例がいくつも挙げられるが、いずれも適切な捜査がなされないまま放置されてしまうことから、いかにこの地でも白人が我が物顔でのさばっているかが分かる。
初めは善人の顔をしていたウィリアムも、実はオセージ族から利益を搾り取ろうとする最低な悪党であることが分かる。
早速彼はモリーと結婚したアーネストを利用することを思い付く。
モリーの親族がすべて亡くなれば、石油の受益権はウィリアムの一族のものとなる。
叔父の命令には逆らえないアーネストは、やがて彼の意のままに操られることとなる。
正義はどこにあるのかと問いたくなるほど、この映画の中での白人の行為は卑劣だ。
しかしこれは白人に限ったことではないのだと思った。
同じような例は歴史上、世界のいたるところにある。
考えさせられたのはマジョリティは時としてマイノリティな存在に対して信じられないくらい残酷になれるということだ。
だからこれは遠い昔の、遠い国の日本人には全く関係のない出来事ではない。
社会の均衡が崩れ、再び秩序が保てなくなると人間はまた同じような過ちを犯してしまうものなのだ。
もっともこの映画ではウィリアム個人のサイコパスさが際立っているのだが。
この映画で一番恐怖と苦しみの中で生きたのがモリーだ。
彼女は姉も二人の妹も母親も残らず殺されてしまう。
彼女はもしかしたら愛する夫でさえ自分の敵なのではないかと疑心暗鬼にかられる。
そして実際にアーネストはウィリアムの命令通りに、糖尿病である彼女の命を奪うために偽のインスリンを射ち続ける。
もっともアーネストはインスリンの中身が本当は何なのか知らなかっただろうが。
アーネスト自身もウィリアムの被害者ともいえる。
彼は元からの悪人ではない。
ただ意志がとても弱かっただけだ。
ウィリアムは自分では何も手を下さず、アーネストに指示を出す。
アーネストもウィリアムの命令を実行者に伝えるだけだ。
それでも彼は自分の指示によって実際にモリーの身内が無惨な死に方をしてしまった事実に戦慄する。
終盤になってようやく事件の真相を解明するためにFBIの捜査官が訪れ、正義は失われていなかったことを認識させられる。
狡猾なウィリアムは早速嫌疑の対象になりそうな人物を街から遠ざけるように根回しをする。
実行犯ではない彼はアーネストすらあっさりと切り捨てようとする。
おそらくアーネストも自分がウィリアムに利用されているだけであることに気づいていただろう。
しかし気づいたとて、彼に逆らうことは出来ない。
これは一種の洗脳であると思った。
やがてひとつひとつの罪が暴かれ、ウィリアムは窮地に立たされる。
そしてアーネストはウィリアムの言葉に従うべきか、それとも愛する家族のために真実を証言すべきか、選択を迫られることになる。
最後まで観終わって、これが遥か遠い昔ではなく、せいぜい100年前の出来事であることがショッキングだった。
かつての西部劇では野蛮に描かれていたネイティブアメリカンに対して行った、白人にとっては忘れたいはずの汚点の歴史を直視する作り手の姿勢にはとても心動かされた。
が、求心力は強かったものの、上映時間のあまりの長さによって少し冗長的になったようにも感じた。
悲しきネイティブ・アメリカン
久し振りにダメ男を演じたレオ。インディアンの命は、軽視されていた。今のパレスチナ人みたいで、傲慢な白人至上主義者に、簡単に殺されていく。主人公の女性が哀れでならない。母親の言う通り、白人なんかと結婚するもんじゃない。偽善者ほど、信用出来ないものはないという教訓だ。
奥さんの事
金と欲にまみれていたのだけど、最後の奥さんに関する質問2つで、本当に奥さんを愛していたと言う事がわかりましたね。あれだけ崇拝していたおじさんをも告発したのに、奥さんとの出会いと、奥さんの注射に関する事だけは、奥さんの愛を失いたく無い気持ちが嘘をつかせたのですよね。石油は大切なモノだけど、この出来事の上では本当に罪作りなモノになってしまいましたね。
口は災いの元
石油の利権を持つインディアンと財産を狙い謀略を巡らせる一家の話。
戦争から戻ったアーネストは伯父を頼り舞台となる土地へ住むこととなり、そこに住むモリーへアプローチを仕掛ける。
きっかけは石油利権を手にできるという叔父のアドバイス。
晴れて結婚する2人だが、兼ねてからの動機を実現させるためにモリーの一家は次々に殺害されていく。
殺人が進むなかでも表面上アーネストはモリーを愛しているように映る。しかし叔父に唆されるままにモリーの一家を侵食する。
モリー自身も糖尿病が悪化し、インスリンによる治療を受けていたが、周囲を警戒しアーネストにしか注射を打たせなくなる。
FBIの元組織により事実が晒されていく中、モリーはアーネストへ注射の中身について尋ねる。
アーネストは実際に家族を愛していたのだろうが、叔父に唆されるまま金を取った。鎮静剤と称した薬品について何も言わずに注射を続けた事がそれを証明している。モリーの核心を突く質問、信用していた描写があるだけに病院に搬送された後如実に回復する最中の胸中は計り知れない。
今年ベスト級!とんでもない怪作!
スコセッシ監督、とんでもない映画を作ってくれた!!
3時間半があっという間に終わってしまった。。
エンドロールを見た後は頭がグラグラ、、、とんでもないもを観たという異常な興奮が冷めやらない。
あらすじ
戦間期のオクラホマ。先住民オセージ族が握る巨大な石油利権をめぐる白人入植者による連続殺人!
物語は、街の名手ウィリアム"キング"と、甥でアル中帰還兵のアーネストを中心に進む。
キングは資産目当てでアーネストに先住民モーリーとの結婚を持ち掛ける。
元々その気があったアーネストとモーリーはすぐに結婚。
子供も産まれ幸せな家庭が続くと思われたが、次第にキングの命令は過激化していく。。
※以下ネタバレ—————————————-
たった100年前が舞台だが、現代の倫理観など微塵も無い!
劇中に「インディアンの命は犬以下」というセリフがあるが、キング(白人)はただただ金目当てで淡々とモーリー家族の殺害を命令する、、
(モーリーに向けられる白人の視線。正にゴミを見る目。)
前半は割と穏やかに話が進むな映画なのかと思っていた、、
キングがアーネストにケツ叩きをするシーンからデニーロ+スコセッシの本領発揮だ!
デニーロがディカプリオのケツを!?映画ファンにはこれだけで特大のご褒美!
対するアーネスト。物語が進むにつれ、どんどん苦虫を噛み潰したような表情になる。
オツムも弱く叔父に逆らえない彼が、モーリーを愛しつつ殺人に手を染める様は、どうしようもなく情けなくヘタレ。
後半、いよいよモーリーの死期が近いことが何度も暗示される。。
そしてアーネストの決断から、ファミリーは崩壊したが、、
最後に特大の胸糞が来るので、カタルシスなど一切ない!!
エンドロールの後、頭がグラグラしなが映画館を後にした。。
兎に角3時間、半食い入るように見てしまった。
映画の事以外を全く考えないほど集中して、あっという間に終わってしまった。
特に後半は胸糞展開の連続なのだが、
この映画、何故こんなに目が離せなかったのか??
色々要因はあるだろうが、個人的には、やはりリリー=グラッドストンの演技と表情はとても大きいと思った。
モリーを見た時、ありきたりだが”モナリザ”という単語が浮かんだ!
美しいが何を考えているか掴めない表情が、聡明かつ魅力的でありつつ、彼女の立場や心情の複雑さを引き立てている。
観客がモリーをどう”観れる”かで、この映画の複雑さは全く変わってくる。
ただの哀れな先住民に見えたり、馬鹿な女に見えたら台無しだ。
この映画のクライマックスは、一族の最後の生き残りであるモリーが生きるか死ぬか!?の場面である。
白人から見れば彼女の価値は巨大な石油資産とイコールであり、それに見合うような女でなければならないのだ。
彼女が魅力的だからこそ、彼女を金としか思っていないキングの恐ろしさと、叔父と妻に板挟みになるアーネストの情けなさが際立つのだ。
スコセッシ監督の映画では、女房は添え物になりがちだが、今回の主役は事実上リリーと言っていいのではないだろうか。
【注意】ネタバレ❗️退屈で退屈で退屈で
とても退屈だった
とても長くてとても退屈で先読み出来て最悪❗️
長すぎるよ
何よりインディアンと結婚して殺してをずーっと続けるのかと思ったらほんとにそうだった
最後は刑になるのも予測通りだし
何でこんなに口コミレビューが良いのか全然わからなかった
殺しの依頼もやり方も凄く雑な割にはデニーロの罠にはバッチリハマる偶然さもつまらなくしてた感じ
捕まったデニーロとディカプリオの最後も刑期終えて釈放とか至って普通
良かったのは糖尿病の奥さんが殺されずに晴れて離婚出来て寿命で亡くなった所
余談
似たような映画ではスピルバーグのアミスタッドの方が面白かった
やっぱりスピルバーグは凄いのかな❓
半端ないオープニングの高揚感とエンディングの余韻。
スコセッシの新作今年一番の期待作。
公開初日に駆けつけたかったけど、上映時間の関係と少しでも大きなスクリーンで観たかったので、一週間経ってしまった。
石油が噴き出してくるオープニングから、ディカプリオ、デニーロの登場、カーレスまで、ワクワクが止まらない。とんでもないものを観ているという高揚感が半端ない。
途中、いつものギャング映画みたいな展開になってきたけど。3時間が全然長く感じなかった。
最後のドラムの響きにのってのダンスの俯瞰から、エンドロールのドラム、雨音、虫の音、コヨーテの鳴き声、いつまでも余韻に浸っていられる。これがまだ3時間続いてもずっと聴いていられる(嘘です)。
アメリカ映画によくある登場人物の後日譚は、よくあるようにナレーションと写真・字幕くらいでよかったかも。ラジオ劇の製作場面風なのは面白かったけど、この作品には合ってないような気がする。スコセッシ監督が自ら最後持ってくくらいだからやりたかったんだろうけども。
それにしてもこの年齢でスコセッシはすごい。
ずっと画面に引き込まれてしまう。
マーベルは映画じゃなくてアトラクションだって批判したのも納得できる。(ジェーン・カンピオンが乗っかってきたのはどうかと思ったけど。)
心の中にいつまでも残る作品でした。
20世紀初頭の米国オクラホマ州。 19世紀末に先住民族オセージ族の...
20世紀初頭の米国オクラホマ州。
19世紀末に先住民族オセージ族の居留地内で石油が発見され、彼らは一躍、世界屈指の富裕層となった。
石油利権に白人たちは群がり、オセージ族の民には白人の後見人が必要な制度が作られた。
第一次大戦から帰還したアーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は、オセージ族の後見人で町の有力者である伯父ビル・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼って彼の地にやってきた。
ヘイルはアーネストに自動車運転手の職を世話し、アーネストは富裕オセージ族一家の娘モリー(リリー・グラッドストーン)と知り合う。
アーネストはモリーに恋心を抱くが、ヘイルはそれを利用してモリーの一族が有する財産・石油利権を奪おうと計画、アーネストもその計画に乗せられてしまう・・・
といったところからはじまる物語で、巻頭、オセージ族が石油を発見し、裕福な暮らしを手に入れたことが、短いショットの積み重ねで紹介されます。
この冒頭部分、食い詰めた白人たちが蒸気機関車で多数乗り付けてくるシーンなど、風俗描写も堂々としていて、大作映画感があり、「もしかして『天国の門』的な、米国暗部を堂々とした風格で描く映画かしらん」と期待が持てました。
が、ロバート・デ・ニーロ演じるヘイルが登場してからは、悪い奴らが自己の利益のために暗殺・謀殺を繰り返す、いつものマーティン・スコセッシ監督映画。
殺人も非情なタッチで描かれ、オセージ族側の描写も少ない。
ロビー・ロバートソンの、低く唸るような音楽が常に流れ、陰鬱な気分になってきます。
また、主人公のアーネストも、伯父ヘイルに言われるままに、自らの手で謀殺したり、暗殺者を手配したり、その上、ヘマをしたりと、あまりにも「出来ない男」。
モリーと子どもたちを愛しているのだけれども、ヘイルに逆らう気概もない。
まぁ言うなれば「ヘタレ」。
終盤30分ほどになって、ようやくヘイルに反旗を翻す気概を見せるのだが・・・
先住民vs.悪徳白人、アーネストvs.ヘイルといったわかりやすい対立軸がないので、ドラマとしては観ていてあまり面白い類ではない。
映画最終盤は、公開ラジオショウをかたどったエピローグで、スコセッシ監督本人が暗殺・謀殺されたオセージ族を含む先住民族へのレクイエムを述べるあたりは興味深いが、公開ラジオショウのことがわからないと何のイベントなのかしらんと疑問に思うかもしれません。
映画のタッチとしては『グッド・フェローズ』(鑑賞済み)に近いかなぁ。
異文化を扱った映画としては、『クンドゥン』(未鑑賞)と見比べてみたいな。
人種差別がテーマの犯罪ドラマ
オイルマネーを手に入れるために、インディアンの隣人を殺していくという本当に悪魔のような人間(白人)たちの物語。
白人がインディアン対して差別意識を持っているため、当時は金のためならインディアンを殺すことに大した罪の意識を感じなかったということなんだろうな。
実行犯が殆ど躊躇なくインディアンたちを殺すシーンはスコセッシらしい演出だけど、実際もこんな感じだったんだのかもしれない。
まぁ、オイルマネーが絡むと同族でも殺し合いになることはあるけどね。
インディアンを殺しても顔色ひとつ変えず、
最終的には自分の大切な人まで手に掛けようとする犯人が、自分の血を分けた子供が死んだ(殺された?)と聞かされたときに慟哭するシーンは滑稽の極み。
スコセッシ監督が描きたかったのはそこなんだろうなと思う。
デニーロの演技はお得意な役柄とはいえ、さすがの存在感。
ディカプリオはとても難しい役柄なんだが、完全な悪なのか、利用されているだけなのか、演技の方向性がボヤケてしまっていた感はあるな。
こういう内容の映画なんだから、中途半端に人間性や愛情を絡ませずに『インディアンなんて人間じゃねぇ』と犯人が偏っているくらいに振りきっても良かったのかもしれない。
事実ベースの作品で明確な謎解きも、意外な人が犯人とかのサプライズ的などんでん返しもなく、予想通りの範疇を超えない内容だが、それでも飽きさせないのは演出が上手いからなんだろうな。
宣伝内容に興味が持てた人なら観に行って損はないと思う。
これは!
アメリカの「福田村事件」だ。しかし、根は更に邪悪で闇深い、何せ人間だと思っていないから。
奪い取る事に全く罪悪感が無い、銃が許されている、ダラダラ裁判社会。最後スコセッシは、ああいうエンディングにするのが当事者としての精一杯では無かったのか?
日本の話じゃないので「福田村」程ヒットしないかも。これも一つだけ、奥さん役凄く気品が有った。
マーティン・スコセッシ健在
206分もあるのに長さを感じなかった。マーティン・スコセッシ健在。
偶然見つけた油田のオイルマネーで潤ったネイティブたちが、あっという間に白人たちに搾取されて破滅に追い込まれる後味悪い話かと思ったら大分違った。
オセージ族がやられている描写が続いたあと、一転してFBIが介入して事件を追求する話になっていくのだ。
ディカプリオは、何も自力で考えない気弱で顔だけは良いクズ男アーネストなりきりで、相変わらずスゴい演技力。
デニーロは、元々が親切親身な篤志家良い人の体でも絶対裏があるだろ、と疑いたくなる風貌なので、この役はピッタリと思う。
金の為なら殺人も厭わず、だが自分の手は汚さない。そして甥すらも最初から抹殺する計画で利用するという真性クズ、というのに納得してしまう。
オセージ族は物静かだが頭が良い、と認めながらも、自分たちを凌駕するほどとは思いもせず侮っていた「キング」が、逮捕、裁かれる立場に置かれるのは気分が良い。
キングが侮っていたのはオセージ族だけでなく、自国の警察、司法、行政もだ。どうせ金の力でなんとでもできるという成功体験しかないのでずっとそのつもり。時代は変わったのだ。変えたのはオセージの女、モーリーだ。
次々と起きる残忍なオセージ族殺人事件に町の警察も行政も動かない。
さもありなんだが観ていて憤懣やるかたない。
連邦捜査局の捜査官たちが黒のT型フォードで街に現れたとき、「やったぜ!」と思うと同時に、インディアンであるモーリーの嘆願が連邦政府に聞き届けられたんだ!?(意外)と思った。(彼女の持つオイルマネーのお陰?とも思った)捜査官たちが形だけでなくぐいぐいと捜査を進め、キングとその一味を逮捕、裁判に持ち込んで、インディアンは案外公平に遇されている、と思った。
インディアンにも土地の所有権や掘削権、相続の規定など、白人同様に法で認められており、ちゃんと機能しているし、後見制度という理不尽なものがあったにせよ裕福で良い生活をしていた人もいる。
ただ虐げられた存在と思っていたイメージと現実は少し違うようだ。
そして、オセージ族のように、自分たちの「財産」を守れた人たちもいたことにほっとした。
インディアン迫害の歴史は周知のこととなって久しく、そろそろ、ネイティブのステレオタイプなイメージを現実に即して修正できる時期に来た、という判断が動いたかも。
マーティン・スコセッシ監督はそれをやってのけたようです。
ちっとも衰えていない旺盛な意欲に感心しました。
モーリーが気高く美しい。賢いし。
確かに自分を愛しているようだが、「私に何を注射したの!?」と問われて口ごもるような夫には愛想つかすよ。アンタなぁんにも自分で考えないわけ!?ってその場で叩き出しますね。
想定通り
なるべくちゃんと寝て備えたつもりだったが…途中何度か寝落ちしかけた。
それは想定通りで。汗
サスペンスだが、最近見ているドラマほどハラハラしないのが敗因かな。
さほどハラハラドキドキしない3時間は、長い。
ディカプリオ、役作り?大きくなったよね…。
簡単に相手が見つかるほどイケメン健在?
割と簡単に人を殺せる時代だったんだろうか。
計画も行動もあっさりで。
とはいえ、史実に基づいたものなので、観てよかったと思う。
観ている人は少なかったけれど。
予想以上の長さだけど、観てよかった
めちゃ長い映画だけと、凄く興味深かった。
展開が読めなくて終わり方も想像できなかったから、ずっと次どう来るか気になってて、長くは感じるがつまらないとは感じなかった。実際予想外の終わり方で、それもそれでショッキングの結末だと言えるかも。
主人公は自分が操られてることが認識できても結局言われた通りに行動する、いわゆる洗脳状態辺りの描写がとても巧妙で圧倒でした。傍観者だからこそヤバイと分かるが、当事者ならなかなか逃げないよな。
フィクションの部分も沢山あると思うが、これは実話に基づいた話だと考えるとどれほど残酷で恐ろしいのか、想像もできません。捜査官たちが全員揃ったシーンもフィクションだと思うが、マジカッコよかった。何か安心感が一気に湧いてきて、ありがたい。それでも結局権力者は司法の抜け道を知り尽くしてるところがまたリアルで言葉が出ないです。
日本とは全然遠い民族と歴史の話だけど、実際に今でも世界中似てるような出来事、紛争が起こってると思うと、かなり現実的な話とも考えられる。衝撃でした。
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