ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片

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ある映画作家の手紙。白黒映画のための七つの断片

解説

「月曜日に乾杯!」「皆さま、ごきげんよう」などで知られる名匠オタール・イオセリアーニが、祖国ジョージアからパリに拠点を移して初めて制作した作品。

カフェ、街のベンチ、毛皮のコートを着た女たち、地下鉄のホームで酒を飲んで歌うホームレス、散歩する犬の姿など、イオセリアーニ監督ならではの視点でパリを映し出す。

日本では2023年2月開催の特集上映「オタール・イオセリアーニ映画祭 ジョージア、そしてパリ」にて劇場初公開。

1982年製作/21分/フランス
原題:Lettre d'un cineaste - Sept pieces pour cinema noir et blanc
配給:ビターズ・エンド
劇場公開日:2023年2月17日

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映画レビュー

3.0パリに渡ったイオセリアーニによる初の映像作品。愛犬天国パリの街角風景(笑)

2023年5月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

フランスに渡って初の映画を撮った経緯については、どこまでが本当かはよくわからないまでも、イオセリアーニ監督自身の半自伝的映画とされる『汽車はふたたび故郷へ』のなかでなんとなく描かれている。
グルジア(ジョージア)に居られなくなった監督が、祖国を脱出してフランスに渡り、知人宅に間借りしてバイトにいそしみながら、映画製作の再開を模索する。
なんとか資本を提供してくれるパトロンが見つかって、彼は新たな短編映画を撮りだすが、こだわりすぎてなかなか仕上がらない。業を煮やしたプロデューサーは、編集を勝手に進めて公開しようとする。同じようなことをグルジアでも経験していた監督は激怒して、自らの手に編集権を奪い返し、ぎりぎりのタイミングで内輪の上映会にこぎつける。
ただ、モノクロの実験映画でまるで大衆受けのするような商業作品ではなかったため、初号試写は大変な不評ぶり。観客はぞろぞろ帰ってしまい、最後まで残っていたのは数人ばかりというていたらくだった。興行主は激怒するが、監督は「だから実験的な映画だって言ったじゃないか」とうそぶく……。

これが完全な作り話か、ある程度の実話を反映したものであるかはわからないが、「作中作」として登場するフィルムが、明らかに本作『ある映画作家の手紙』から取られたものなので(女装家のショットや犬のショット)、本作にまつわるエピソードがなにがしか反映されている可能性は高そうだ。
一方で『汽車はふたたび故郷で』の作中作では「外で」銃撃が起こるのに対して、本作では「室内で」撃ち合いがおこなわれており、ある種の「偽史」として設えられていることもじゅうぶん考え得る。
まあ、プロデューサーの立場で(イオセリアーニ)監督のやったことを考えたら、せっかく優秀な逸材っぽいから監督業を任せてみたのに、好き放題撮って並べただけの筋のないスケッチ集のようなものを作られても、たいへん困るだろうと思う(笑)。
それだけイオセリアーニは、たとえ国を脱出するはめに陥ろうと、フランスで再度監督業の機会を喪おうと、「創作の自由」と「商業主義に与しない姿勢」を頑なに守ろうとしたってことだし、「非商業的な芸術作品」でありながら「商業的に成功できる」隘路として見出したのが、『月の寵児たち』以降つづくイオセリアーニ特有の群像劇だったということなのだろう。

― ― ― ―

本作は、パリに渡って来たエトランゼ(異邦人)イオセリアーニが、ふと興味を抱いた街角の様子や劇映画的なアイディアの断片を、6つの断章の集積としてまとめあげたモノクロ作品である(「7つ」となっているが、作中の番号表記はなぜか「2」から始まる)。
それぞれの断章にほとんど連関はなく、監督の興味や関心が比較的無秩序に並列されているだけなので、観客向けの映画としてきちんと成立しているようにはあまり思えない。
一方で「他のイオセリアーニ映画を知っている」人間にとっては、まさに彼好みのモチーフと呪物で埋め尽くされているので、にやりとさせられること必至だ。

走るメトロ越しに見える、駅の看板と満員の乗客(『皆さま、ごきげんよう』)。
都会の雑踏と信号を闊歩する、様々な種類のこじゃれた「お犬さま」ご一行。
(たぶん我々が駒沢公園あたりに行ったときのカルチャーショックに近いものか)
女装家のメイクシーン(『月曜日に乾杯!』)。
カフェの賑わい(『素敵な歌と舟はゆく』)。
市井に生きる犯罪者と拳銃(『月の寵児たち』)。
家を出て道端のベンチに座りに行く老人(『皆さま、ごきげんよう』)。
地下鉄のホームで祝杯をあげ、ともに歌を唱和するホームレス二人組(ほぼ全作w)。
いずれも、イオセリアーニ映画には欠かせないモチーフばかりである。
これらにもう少しキャラクターの設定と背景を与え、もう少し作中でそれぞれの行動を絡ませ、もう少し長めの起承転結を用意すれば、イオセリアーニ式の群像劇が出来上がる。
要するに『ある映画作家の手紙』は、監督お得意の群像喜劇の「たまご」のような作品である。この祖型をふくらませ、成熟させることで、彼は独特の個人様式を成立させたのだ。

あと、女性のさまざまな髪型やファッションへの妄念をコミカルに描いた部分などは、ヤコペッティの『世界残酷物語』でも似たような着眼があったなあ、とか、銃撃シーンをイオセリアーニ本人が嬉々として演じているあたり、毎回ああだこうだと理由つけてるけど基本的には出たがりの監督なんだろうな、とか、思いながら観ていた。
走っているメトロ越しに向こうを透かして撮ったり、おじいちゃんが散歩に出るまでの描写でかなり凝った音楽のかけ方をしたりと、後年の作品より自己主張が強めの技法と手癖が散見されるのは、まだ40代の壮年期の作品だからか。
べつに観て面白い作品ではまったくない気もするが、イオセリアーニのエッセンスが凝縮された祖型としては、とても興味深いアイディア集といえる。

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じゃい
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