劇場公開日 2024年1月19日

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「才能あれど、どっちつかずの惜しさ」みなに幸あれ 冥土幽太楼さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0才能あれど、どっちつかずの惜しさ

2024年2月15日
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鑑賞方法:映画館

もし本作が世にも奇妙な物語などのオムニバス短編だとしたら、
納得いく出来だといえただろう。
ホラーとコメディには境界線があるのだが、本作は若干コメディに寄っており、シュールで奇妙な作風なので、小品としてはぴったりなのだ。

しかし、あくまで長編映画で、2000円とられるとなると、しかもそこに、
新たなJホラーとして期待させるような謳い文句を掲げておいて、
本作を呈示されると、さすがに文句を言いたくもなる。

まずは良かった点を簡潔に述べると、90分に収まる枠ということ、
一部の目を覆いたくなるようなゴア描写やシュールな笑いを誘う演出、
主演女優さんやその祖父母などの役者陣も良かった、
また序盤の家庭内での違和感や不穏な雰囲気にはシャマランの「ヴィジット」や「イットカムズアットナイト」などを彷彿とさせるワクワクを感じた。

さあ、では何故本作が傑作にならず、消化不良で終わったのかという話になる。
これは致命的なのだが、テーマやメッセージ性といった本作のコンセプトこそが、映画の邪魔をした、ということである。
本作のテーマやメッセージはわかりやすいものであって、要するに「他人の不幸の上で私たちの幸福は成り立っている。」というものである。
また、村の因習や村社会の闇も本作のテーマでもあろう。
それらは普遍的なテーマであるのも関わらず、
本作においてその構造は脆く理論は破綻しており、
遠回りして捏ね繰り回したあげく伝わるものも伝わらなくなってしまった、
ということである。

まず、共通したテーマを持つ他作について。
そのようなテーマの作品は枚挙に暇がなく、
幸不幸の対比というテーマにおいては、
傑作フランス映画「幸福」はその代表例であろう。
「幸福」では見事にこのテーマを、
恋愛映画の皮を被ったホラーコメディとして一級品の皮肉映画へと昇華した。
三池監督「オーディション」も前半で平凡な家庭を描き、
見知らぬところで地獄を生きてきた人間との接触が後半の地獄絵図を生む。
「パラサイト」だって例のどんでん返しの場面から幸と不幸の対比と反転による見事な展開があってこそ、傑作を傑作たらしめているのだ。
ジョーカーの救いの無さも似たような質感だ。
上記が我々の胸に迫るのはその切実さや、その残酷さを正確に摘出する的確さ(インテリジェンスとでもいおうか)、があるからである。

村の因習というテーマについてもウィッカーマンしかり犬神家しかり
昨今ではガンニバルしかり沢山の傑作がある。
さらに「鬼太郎誕生」のような大傑作がついこの間まで公開されていたことを忘れてはならない。

「他者の不幸で幸福が成り立つこと」「村の因習」「ホラーミステリー」この3点において、本作と鬼太郎誕生はテーマがかなり相似しているにもかかわらず、いわずもがな、雲泥の差である。
それは記述したとおり、切実さとインテリジェンスの欠如によるものであろう。

では本作の致命的なミスについて。
本作でも止せばいいものを、わざわざ登場人物に長台詞を喋らすことによって、映画の結末を待たずにしてそのテーマは説明されている。
曰く、「屠畜場で喰われるために肥やされ一生を終える豚」の話や、
「発展途上国の南アフリカで餓死寸前の子供達はこの国に住む我々からしてみれば不幸にみえるが、彼らには彼らの尺度があり、幸福なのだ。」ということである。
こんなことを簡単にべちゃくちゃ喋らせるべきではない。
安直であり、的外れであり、その浅はかさに憤りを覚えるレベルだ。
またその深刻なテーマと本作は関係あるようで結局あまりない。
というのも本作の話はもっと荒唐無稽であり、含みを持たせすぎており、
ホラーとしてもミステリーとしても消化不良で何も解決されないまま終わる。
また唯一感情移入できるはずの主人公の行動も荒唐無稽なものばかりで
とても共感できるものではない。

結局、テーマを重視するならガンニバルほどシンプルに振り切るべきで、
コンセプト重視ならシャマランくらいの展開力が必要で、
世界観を重視するならデヴィットリンチくらい振り切って、
意味深なテーマなど排除するべきなのだ。
そのどっちつかずの曖昧さが、本作を駄目な邦画たらしめてしまった。

冥土幽太楼