劇場公開日 2024年2月2日

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「オスカー・ピーターソンはカナダの誇り」オスカー・ピーターソン 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5オスカー・ピーターソンはカナダの誇り

2024年2月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

カナダ出身のジャズ・ピアニスト、オスカー・ピーターソンを育て、支援し、その音楽を愛している人たちによって作られたドキュメンタリー。

彼は、英語を話すモントリオールの黒人労働者街の出身。西インド諸島から来た父親が、兄弟姉妹の上の方から音楽を教えた。彼は、よほど才能に恵まれていたのだろう。すぐに人前でピアノを弾くようになる。驚いたのは、基本的にクラシック音楽を習っていたこと。本当に好きなのはジャズだったようだが。弾き方が早いので気づかなかったけれど、彼の技術はクラシックの練習曲と音階練習の賜物だったのだ。映画の中で、モントリオールの音楽学校(コンセルヴァトワール)に通っていたと告げていた。ジャズを教えてくれないので、すぐやめたとも。

映画の中で、彼の最初の挨拶はフランス語。モントリオールはケベック州(フランス語圏)だから、会話位できないと困ったのだろう。カナダ行きの飛行機には、中国系の人と中南米の人がたくさん乗っていることが多い。中国系の人は、トロントとかに大きな中国人社会があるようだ。一方、中南米の人たちは、カナダを経由して、ふるさとに向かっているように見える。おそらく経由地として、米国よりもカナダの方が出入国管理など、優しいのではないか。

彼は才能を持った黒人として、まずカナダで認められ、暖かく育てられたに違いない。そのことが、のちの米国南部での黒人差別と鋭い対比をなしている。証言に出てきたように、周りの関係者たち、特にノーマン・グランツなどによる暖かい保護・励ましがあって、チャンスをもらうことができたようだ。オスカー・ピーターソンの名前は、特に彼の名前を持つトリオの演奏や、エラフィッツジェラルドや著名な音楽家との共演でよく知られている。

もう一つ、驚いたことは日本へのツアーが出てきて、彼も最愛の奥さんケリーも心から楽しみにしていたことだ。特に1964年来日の時のライブが名盤として伝えられている。その時、彼のトリオは、unique classical jazz group(クラシック・ジャズ・バンド)として紹介され、最後にあの「自由への讃歌」が流れた。アメリカではジャズは、50年代、60年代初頭を過ぎてから、衰退の一途を辿ったから、ヨーロッパや日本での演奏をきっと楽しみにしていたのでは。今でもクラシック音楽ではそうだが、日本人が熱心に音楽を聴く姿は、演奏家の胸を打つ。カラヤンやベームがそうだったように。そう言えば、この映画では、クラシックとジャズもこなすアンドレ・プレヴィンや、ラグタイムを演奏するイツァーク・パールマンの姿も見えた。

ツアーでの演奏こそを一番大事にしたオスカー・ピーターソンが、出身地のカナダで、硬貨になったり、彼の名前を借りた学校があったり、いかに誇りにされていたのか伝わってくる映画だった。

詠み人知らず