劇場公開日 2022年11月11日

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「こんなところにニック・シンパー」ブリティッシュ・ロック誕生の地下室 カールⅢ世さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0こんなところにニック・シンパー

2022年11月16日
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鑑賞方法:映画館

クリーム、アニマルズ、ストーンズ、マンフレッド・マン結成前のカオスな前日譚。ロンドン西地区イーリングでの1960年代初期のブリティッシュ・ブルースの歴史。
マーシャルの歴史にもビックリ。最初は町の小さな楽器店だったとは!ミッチ・ミッチェルが結露が天井から垂れてきてドラムヘッドが濡れるとミュートされちゃうんだよと楽しそうに懐かしむ。ミッチ・ミッチェルはマーシャルのドラムスクールの講師をしていた。
ロン・ウッドの兄貴のアート・ウッドがイーリング美術学校時代から出入りしていた小さなハコ。アレクシス・コーナーがエレクトリック・ブルースをここで始めるに際してイーリングクラブをアートが薦めた。
ジメジメした地下の狭まいハコだった当時のイーリングクラブの熱気を語るミュージシャンたち。
イギリスのブルースの父といわれるアレクシス・コーナーとハープのシリル・デイビスがコアとなったブルース・イン・コーポレイテッドやグラハムボンド・オーガニゼーションに在籍していたミュージシャンたちが中心。
ジンジャー・ベイカーは相変わらず態度悪くてサングラスしてふんぞり返ってボス気取り。チャーリー・ワッツがいないときのストーンズとセッションして、ミックが歌いにくいようにわざとずらしてやったと言ってましたね。ジンジャー・ベイカーのリズムはそれでなくても独特なのに。ジャック・ブルースはこの変わり者のオジサンとよくやってましたよねぇ。しかし、つい最近亡くなったチャーリー・ワッツのインタビューはなぜかなかった。
ミック・ジャガーやキース・リチャードのインタビューもなかった。イーリングクラブでステージに最初に上がっていたのはブライアン・ジョーンズで、ポール・ジョーンズがあのときブライアンの申し出を断らなければストーンズのボーカルだったかもと嬉しそうに話していた。
インタビューにはニックシンパーも度々登場。顔色も良く元気そう。第1期ディープパープル。たしか、リッチーブラックモアにタバコを買ってこいと言われて、外している隙にクビが決まったんだっけ。
マディ・ウォーターズの映像はカラーで迫力あったけど、だいぶ後のもの。それと、シスター・ロゼッタ・サープの映像も。1963年のマディー・ウォーターズのヨーロッパ講演に同行した彼女もエレキギター抱えてブルースを歌う先駆者。映画エルビスで少年プレスリーに最も影響を与えたアーティストとして描かれていた彼女。ロンドン公演の際にイーリングクラブにシリル・デイビスが彼らを招いた。
アメリカのブルースマンを本場アメリカに逆輸入したイギリスのロックミュージシャンたち。一番有名なのはハウリン・ウルフとのライブ版も出しているクラプトンですが、ジャック・ブルースはアレクシス・コーナーのまな弟子。フリー、バットカンパニーのヴォーカリスト、ポール・ロジャースなんかもマディー・ウォーターズを崇拝しているひとりだが、アレクシス・コーナーがフリーの名付け親でデビューを後押ししたことはほとんど知られていない。
シリル・デイビスがマディ・ウォーターズのハープに誘われたってジャック・ブルースが言っていた。
呑んだくれで喧嘩っぱやいリトル・ウォーターが使い物にならなくなっていた頃なんでしょうね。
ジャック・ブルースは痩せて元気なかったなぁ。亡くなる直前?
ジャック・ブルースが死んだときは悲しかった。もうそろそろ10年か。
ジンジャー・ベイカーも3年前のジョーカーの上映中に亡くなったから、このインタビュー映像は10年以上前のもので、かなりの継ぎハギ感。
当時のオーナーだった金ピカ親父はなんとイラン人。かなり悪そうで、一番元気そう。狭いハコはモッズムーブメントに対応できなくなり、その後もこじんまりと営業していたけれども12年で手放したそうです。
当時のイーリングクラブでの若い彼らの演奏の音源やライブ映像がないのが非常に残念。

カールⅢ世