ブリング・ミンヨー・バック!のレビュー・感想・評価
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"民謡クルセイダーズ" に密着したドキュメンタリー。 伝統を重んじ...
"民謡クルセイダーズ" に密着したドキュメンタリー。
伝統を重んじつつ、ただし固執しすぎず、
南米などのグルーヴを取り入れるとか、
いま聴いて楽しくなるような、試みの数々。
民謡は一度死んだ、とは言いますが、
"民のうた" また盛り上げようと。
日本だけでなく、南米や欧州のフェスで盛り上がるとか、
他国でコラボ演奏したりとか、
まずやってみることって大事だなと。
オーディエンスも楽しんでいますし、
演者さんらも常に笑顔で、
楽しんでいる様子が、強く伝わってくる映像でした。
出だしからの低温バキバキ、
今回の映画館 (シネマ チュプキ タバタ さん)の音の良さが、再確認できました。
民謡ってなに?
民謡とラテン音楽を融合した、民謡クルセイダーズ。その彼らのドキュメンタリー。
民謡は今ではダサい、と言っちゃもったいないほどのノリノリのライブが目白押し。ヨーロッパツアーの会場で欧州人たちが訳も分からず身を委ねる姿は、民謡という音楽のもつ魅力が成せるもの。そりゃ、本来は大衆音楽だものな。どの国にだってあるソウルミュージックだもの、気持ちよくなれる。だから、ラテンにだってピッタリとはまる。コロンビアまで渡ってセッションすれば、かの地のミュージシャンたちとも簡単に息が合う。見ているこっちも嬉しくなる。
一年に一度の燃えるような地方の盆踊りだって、百姓や鉱夫や漁師が節を合わせて歌う歌だって、民謡は民衆のもの。そう、郡上や白鳥の盆踊りは、とてもエモーショナルだった。あれは誰かが頼まれて作ったものじゃなくて、自然とできちゃったものだわ。
インタビューで言う。民謡は、本来は大衆音楽なのに、伝統芸能になってしまったと。それをもう少しラフなものに戻してあげたいと。民謡を風景にしたいと。お座敷歌にもなり、ジャズアレンジも加えられたりしてきた民謡は、時代時代でカスタマイズされて、また後世にバトンタッチされていくものなのだから。これからも先、いつでもそばにある歌であってほしい。
※上映後、この日はミニライブあり。
メンバーは、フレディ塚本(うた)、リーダー田中カツミ(パーカッション)、秋山カズヒサ(三味線)。
1.ソーラン節 2.こきりこ節 3.じょんがら節(三味線独奏) 4.刈干切唄(独唱) 5.会津磐梯山 6.秋田大黒舞
前の席の爺さんが一曲リクエストした。そして一緒に歌っていた。それがとても素敵な景色だった。
民謡は
死んだとか死んでないとか大袈裟だなぁ。
それはクルセイダーズ目線でしょ。と突っ込みつつも
解説インタビューでルーツミュージックと言いながら
盆踊りを引き合いに出す久保田麻琴さんに
流石だなぁと相槌打って観ていた◎
民謡の根底にある盆踊り。即ち踊り念仏の成り立ちは
浪速の盆踊りや高知のよさこい、京都の祇園祭に限りなく
かなりの広範に渡って根を張っており
これぞ日本のリズムでしょ。と言わんばかりの王道感を伝えてくれるが、ここリズムの拍を追いかけるだけでも
酒を片手に何夜も語り合えるぜ。と思った。
まぁ、そんな間口を拡げてくれたクルセイダーズには
感謝だわ。でも大袈裟は坊主だけで良いから
じっくり着実に広げていってくださいな。
ミンヨーブリングバック
韓流もいいけど、MIN’YOもね!
昨年のPBMFFで観逃したから、ってわけではないけど、タイミングよく初日突入。Barakan Beatの影響もあって、ランニングしながら聞いてるので言うたら耳だけの馴染み。
ラテンのプロと民謡のプロの合わせ技はキャッチーでエモい。そして俗っぽさがマシマシ。そりゃ楽しくないはずがない。そして、その面白さは日本を突き抜けワールドクラスの強度。地方に根付き長い月日を経て消えつつある日本のブルース”民謡”を全曲アーカイブして、世界中を踊らせちゃってほしい。
フレディ塚本氏の歌声は、フレディマーキュリーって言うよりは、幾重にも折り重なる太いリズム陣を切り裂く、リーモーガンのトランペットの音色のような切れ味。
公開初日上映後のライブ&盆踊りも楽しかったー。
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