聖地には蜘蛛が巣を張るのレビュー・感想・評価
全79件中、21~40件目を表示
作り手の強い主張が見える苛烈な作風
「人間が最も怖い」タイプの作品。確信犯的なシリアルキラーの犯行と公判を巡る世間・警察・家族の反応を通して、凝り固まった価値観や序列意識の恐ろしさが描かれていた。
作中の多数派の価値観は、宗教上のルールに加え、彼らが生活する上で連綿と培われてきた文化や歴史とも切り離せないもので、彼らの属する社会の秩序でもある。その構造はおそらく外から変えることはできないだろうが、外からでなければ本作のような視点では描けなかっただろう。
その皮肉な関係は、作品のニュース記事に掲載された、この映画を完成させるための紆余曲折からも伺えた。そういう背景があるせいか、もともとの作品構成なのかわからないが、作り手の視点がやや一方に偏り、攻撃的すぎるようにも見えた。
我々の暮らしの中でも、被害者に対し「そうされても仕方ない」というコメントをネット内外で見かける。この作品内で起きたことを「遠い場所の実在事件を脚色したもの」とせず、襟を正す材料にしたい。
道徳という名の魔女狩りはなくならないのか
昨年、テヘランで女性の頭髪を取り締まる道徳警察に逮捕された女性が亡くなった。頭髪を取り締まるとは、悪いヒジャブの付け方をしていないかどうかを取り締まることである。その後、抗議デモが広がったが、抗議デモに参加した女性達も警察の拘束後に亡くなっている。
連続殺人を起こしたサイードは敬虔なイスラム教徒であり、イランイラク戦争では戦死も厭わない程に軍人として祖国に尽くした。家庭では、良き夫良き父親である。彼の行為はPTSDによる可能性もある。しかし、娼婦に向けられたヘイトはPTSDだけが理由ではない気がした。
サイードはどんなに模範的に生きても国家に尽くしても社会に認められなかった。サイードは自身の虚しさを感じない様に怒りの矛先が必要だった。道徳心=不浄なものを浄化するというサイードの大義は、後付けに他ならない。
この間違った大義は、サイードだけに限ったことではない。それは、私にもあなたにも、一部の特権階級を除いた全人類に普遍的なテーマなのだ。例え私が国家の為に命を投げ出したとしても、国家にとってはただ一人の人間が死んだだけのことである。言いようのない怒りが湧いても、怒りの矛先は権力には向かないで弱者に向く。
特に慢性的な貧困と暴力が蔓延る社会では、誰もが容易くサイードになり得るし、娼婦にもなり得る。
日本においても貧困化の進行度と比例して、堂々と差別発言する人(特に男性)が増えたと感じる。高度経済成長期、バブル期には特に優秀でなくても男性であれば妻子を養う程度の賃金はもらえた。こういった男の沽券や面目が保持できなくなったことも差別発言に影響していると思う。
私はサイードと堂々と差別発言をする日本男性が被って見えた。また、サイードを支持した男性達と差別発言に同調する良き夫良き父親である日本人が同じに見えた。
(原題) Holy Spider
怖いし興味深い社会派作品で、宗教と理解できない価値観!実際に起こった娼婦連続殺人事件をベースに、事件の根底にある男女差別や宗教観から来る人々の社会通念などイラン社会の闇に焦点を当てた社会派サスペンスでした。
面白い処も有れば,あまり気持ちは良くない難癖付けて娼婦を…。
理由は如何(ドウ)あれ,女性(この作品の中では娼婦に値する)は生きる為に自分の身体を張って生活するという事自体はそうするしか無い!という考え方の人と…。
親しい身内的?(宗教的な団体?)な人達からすれば、そう言う女性は殺される事自体が当たり前だ!と主張する人も居るという,一寸道徳的に反した考え方の中で,常識的にどっちが正しいのかを分からなくさせられる話で…。
私的には殺害する事自体が、決して正しい事なんぞある訳が無い‼︎と思う私の意見を主張したい話である…。
スパイダー・キラーと道徳警察
聖地があるイランの街にて娼婦をターゲットとした連続殺人が発生。事件を追うジャーナリストと、犯人を取り巻く異常な環境を描いた作品。
序盤からエグい描写満載。
少々不安定な様子はあれど、昼の顔は信心深く家族想いの良き父だが…。
この聖地に於いて娼婦は汚れと、夜には恐ろしき第二の人格が顔を出し…。
必ずしも、我々日本人の感覚がグローバルスタンダードでは無いことはわかるが、それにしても恐ろしき2000年代初頭のイランよ。。
信仰心も行き過ぎればやっぱり。
彼らが信じる神とは一体何なのだろう?
勿論、娼婦という職が褒められたものではないとは思うが…冒頭にもあるように、彼女らは彼女らで家族を養うために仕方なく、といった側面もあるようだし…やはりそういった人を助ける環境を整えることが大切ですね。簡単な事ではないけど。
殺人描写も恐ろしいが、より恐ろしいのは寧ろ犯人が捕まったあとか。16人亡くなってる事件の法廷であんな軽々しく笑うかねぇ…。
それだけ、悪だと思われて無いんですね。
そしてそして最も恐ろしいクライマックス。どうしてこうなってしまうのか。。
我々が簡単には感情移入できない厳しい環境と、行き過ぎた信仰心、世界共通では無い道徳の難しさに戦慄を覚えた作品だった。
イスラムの聖地が舞台だからこそのストーリー
設定はよくある連続殺人鬼とそれを追う記者を描いたもの。
が、この映画の面白いところは殺人鬼自身は自分のしていることは正義(街の浄化)と信じている。そして日本ではあり得ないと思うが一部の人々から英雄視されるというところ。イスラムの聖地が舞台だからこそのストーリーです。
倫理観と倫理観の戦い
イスラムの聖地マシュハドでの娼婦連続殺人事件を描いたクライムサスペンス。事件を追う女性記者と犯人の男のそれぞれの視点でドラマは進む。
事件の背景には、現代の西欧中心の倫理観とは大きく異なる価値観が横たわっていて戦慄する。
事件は穢らわしい職業の女性は徹底的に排除すべきという、女性蔑視職業蔑視のヘイトクライムなのだが、犯人の男だけでなくその妻子や少なくない街の人々が肯定的に捉えている描写に驚く。
娼婦をターゲットにしたシリアルキラーものは数あれど、犯人がここまで英雄視される作品は観たことない。
藤子F不二雄先生のSF短編で我々の世界とは全く異なる倫理観の世界に紛れ込み価値観を揺さぶられる作品が幾つかあるが、この作品を見ている最中同じような思いに囚われていた。
後味の悪いサイコ人間ドラマ
2000年代初頭。イランの聖地マシュハドが舞台の娼婦連続殺人鬼を追い詰める女性ジャーナリストのラヒミの命がけの活躍と女性問題を真面目に描いたサイコサスペンスです。
前半から中盤は殺人鬼とジャーナリストと警察の捜査劇。後半は裁判劇として正義とは、神とは、を強く問いかけます。
大衆の支持が加害者に向き被害者への非難が集中する社会情勢が宗教的な問題もあり理解しにくかったです。
ラストのサイードの息子がインタビューに答えるシーンは衝撃的。誰にでもお勧めできる娯楽作品ではないですが、
いつも見るハリウッド系サイコスリラーとは違う後味の悪いサスペンス劇を見たい方はご覧ください。
傑作でした。
日本で生まれ生きている限りまるで想像出来ない概念、常識、、。
それが良いか悪いかはわからないけれど、それも事実かな。
ワイには何にもできないけれど、映画を観てそういう事実を知り考える。
イランについての事はぼんやり(というかほぼ)としか知らないので
知ればさらに深く観れたのかなと思いました。
ボーダー二つの世界もパンチがありましたが、今作はさらにパンチを食らいました。
戦慄のラスト
「ボーダー」は生理的に合わなかったのですが、今作は痺れる内容でした。さりげなく挿入される9.11のニュース映像は単に時代を示唆するためだけではないのでしょう。憎しみの連鎖が止まらぬ社会に対してのメッセージのように感じました。
人権意識の低さはと他人事ではない
イランを舞台にしているが、これは日本にもあてはまる。男女差別が濃厚な上に、不甲斐ない自分を認めることが出来ず社会的な弱者を攻撃する。狭量な見識と不寛容、自分にとって都合良く神を利用する反知性主義。人を思いやる感受性の欠落した人は至る所、すぐ隣りにも居る。それは自分かもしれないのだ。先ずは個人であり、自分の足下を見詰め、常に内省を心掛ける。この作品は社会と個人の在り方を問い、差別の根源を社会だではなく、自分に問う啓蒙作品でもある。1人の人間に立ち返り、自らを鑑みて鑑賞すべき映画である。決して他人事ではない。知らず知らずのうちに自分にもこびり付いたものが見つかるはずだ。無関心、無自覚な自らを内省しつつも、糾弾するためのヒントを辛くも与えてくれる佳作である。
神のためにやった。俺の手はきれいだ。
イランの宗教都市を舞台にしたクライムサスペンス。
「蜘蛛」と呼ばれる立ちんぼ娼婦を次々と殺していく殺人鬼。
肝心なことは、ここはイスラムの世界であること。価値観がイスラムの基準であること。それを、あんたたちはおかしいと断罪していいのか?彼らに他の慈悲深い宗教観を押し付けていいのか?あれが、彼らの倫理観なのだ。あれが、彼らの正義なのだ。
そして、自らの犯罪を神の啓示のように誇らしげに振る舞う犯人。彼を裁くのは法か?それとも、神か?・・・ずっとその行く末を見守っている自分がいる。結末を見届けた時に気づいたのは、そこにあるのであろう、神の見えざる手の存在だった。イスラムの闇は深いよ。
イランで発生した娼婦連続殺人事件が映し出す欺瞞
「イランを舞台にしたサスペンス」という、なかなかお目に掛かることのない希少なカテゴリーの映画ということで、物珍しさから観に行きました。
内容的には、2000年から2001年にかけて実際にイランの宗教都市・マシュハドで起こった16人もの娼婦連続殺人事件をベースにして創られたもので、本作の主人公の一人である殺人犯サイードは、実在の殺人犯であるサイード・ハナイをモデルにしており、名前も一緒。もう一人の主人公で、殺人事件を取材し犯人逮捕に貢献した女性ジャーナリストであるラヒミは、本作が創作したキャラクターですが、実際の殺人事件を取材したドキュメンタリーで本物のサイードにインタビューを行った女性(サイードは、この女性インタビュアーに、「次はお前が標的になったかも知れない」と仄めかしていたそうです)や、事件を埋没させないよう奮闘したジャーナリストたちを集約した存在だったようです。
サスペンスと言っても、サイードが犯人であることは早々に分かるというか、犯行の様子が最初から映し出されるので、刑事コロンボの倒叙法よろしく、観客には分かっている犯人をラヒミが突き止める過程を描いた作品でした(コロンボのような陽気さはかけらもありませんが)。ただこうしたサスペンス的な要素もさることながら、本作のメインテーマはイランにおける歪なミソジニー(女性蔑視とか女性嫌悪)でした。一般に報じられているように、イスラム諸国の中には女性の権利が大幅に制限された国があり、タリバンが政権を握るアフガニスタンなどはその最右翼で、女性は大学どころか中学にすら行かせない政策を採っているようです。
一方本作の舞台となったイランにおいては、「実際のところイランでは、女性たちは男性に比べても進学率も高く、高学歴であったり、様々な職業で重要な地位に就いている場合も少なくない(本作のパンフレットから引用)」そうです。ただ、「一般的に、離婚の権利や親権の問題、相続など男性に比べて不利な立場に置かれているのも事実(パンフレットから引用)」だそうで、女性の置かれた立場は相対的に低いようです。さらに、「イスラーム体制のイデオロギーにおいては女性の貞節と良き母親という役割が強調され、預言者ムハンマドの娘であり、イマーム・アリーの妻であったファーテメ(ファーティマ)が理想とすべき女性像とみなされる(パンフレットから引用)」という土壌もあるようです。
本作の主人公である女性ジャーナリストのラヒミは、「高学歴で様々な職業で重要な地位に就いている女性」の代表格である一方、殺人犯サイードの妻であるファテメは、名前が示すとおり「イスラーム体制で理想の女性像」とされるファーテメの化身として描かれています。
実際ラヒミは、娼婦殺人という、解釈によっては宗教的に擁護される事件を調べていく過程で、上司だけでなく、警察官からすらもセクハラを受けています。一方のファテメは、夫の行った殺人が明るみに出た後も、夫の行動を支持し、彼を擁護する立場を貫きます。
ミソジニーというのは、一般に男性から女性に対する蔑視とか嫌悪感情を指しますが、女性自身が女性に対しても持ちうるものだと言うところが難しいところのようで、これはイランとかイスラム社会に限った話ではないと思われます。
また、実際の娼婦殺人事件においても本作中においても、犯人のサイードは宗教的な使命のために娼婦を殺したと主張する訳ですが、実際に殺された16人中13人とサイードは、性交渉を持ったとのことです。本作では、殺した後の娼婦の身体にキスをするサイードが描かれており、要はイスラム教の教義だけが殺人の理由ではなかったのではないかと考えられます。
イスラム教というと、日本ではなんとなく怖いイメージが先行しますが、結局イスラムが怖いものであるというイメージを与えている一因となっているミソジニーとか男尊女卑というのは、宗教と密接に関連はあるものの、それだけで語れるものではないようにも思えました。我が日本においても、夫婦別姓制度が、選択的という条件を付けていながらも、G7参加国で唯一認められていません。普段は自由主義陣営の一員を自認しているのに、そのメンタリティーは、程度の差こそあれどちらかというとイランやアフガンに近いようにすら思えます。
話を本作に戻すと、特にサイードの犯罪に関しては、宗教行為を偽装したレイプ殺人と捉えることが可能ということです。ところが事件当時イランにおいて、彼を擁護するイスラム教徒が一定数いたことも事実であり、この辺りが大量殺人という事の重大さに反比例して、実に滑稽なイラン社会の在り方を表していたように思えます。
以上、娼婦に対する連続殺人事件を扱った映画でしたが、単なるサスペンス映画の領域を遥かに超え、イラン社会、そして実は世界中に蔓延るミソジニーを告発する作品だったとも言えます。こうしたテーマ性から、当初計画したイランでの撮影は、イラン当局から許可が出ず、ヨルダンのアンマンで撮影を行ったようですが、馴染みの薄い中東の街の風景を観ることも出来、非常に興味深い映画でした。
イランを舞台に成功したサスペンス映画
日本の遥か彼方、アメリカに言わせれば、北朝鮮と並ぶ悪の枢軸であるイランが舞台。2000年代初めに実際にあった事件を基にした犯罪サスペンスだ。
セリフはペルシャ語で、20年以上前が舞台とはいえ、貧しいイランの庶民の生活が生々しく再現されている――。
なかなかに骨太な作品だ。
仰々しいだけであちこちに忖度したようなハリウッド映画や、世界市場を視野にいれて最近は小賢しくなってきたような韓国映画に比べると、ちょっと荒々しく、見るのには手ごわい印象も受ける映画。だが、見終わって強い印象を残す。
新聞の映画評を読んだだけで、監督もキャストのことも何も知らない、調べることもないまま映画館へ。
イスラム教にガチガチに縛られている(と思われる)イランでこんな映画が撮れるわけもないが、イランとイスラム社会を告発するという社会派作品というわけではない。
映画はイラン人の視点で描かれ、事件を追う女性ジャーナリストがどういう目に遭うのかというハラハラ感もくすぐる映画的面白さも追及している。
売春婦殺しというのは切り裂きジャックに代表されるように、犯罪ものでは一種古典的テーマだ。それがイスラム世界で起きたらどうなるか――。実際にあった事件に重ねて、虚実入り混じったような終盤の物語り展開も、なかなかに面白い。
最後まで飽きさせず、強い印象を残した良作だ。
イスラム法と民主主義は理解しあえないという絶望。
娼婦は殺しても罪ではないというのを私は受け入れられない。
しかし、彼ら(女性も含む)が娼婦殺しを正当化し、犯人を英雄視する理由は理解できる。
繰り返すが、とても受け入れられない。
彼らや彼女らは何世代にも渡って生まれたときからコーランの教えの中で生き、男性中心、男尊女卑が当たり前の世界で暮らしてきた人達だ。コーランに娼婦は重い罪だとある。そんなヤツらが町の外にいてやたら目につく。そいつらを殺すのは、正しいこと・良きことであり、町の浄化になる。全くその通りの正論(彼らにとって)で、反論の余地もない
とにかく彼らの主張を私は全く受け入れられない。20年以上前の事件だが、たぶん今も変わってないと思う。
「イスラム法と西洋型(欧米型?)民主主義はお互いに受け入れられない」というのが最近の私の絶望的な考えだ。
2023/4/20(木) 吉祥寺uplink
全79件中、21~40件目を表示