島守の塔のレビュー・感想・評価
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沖縄戦を語り継ぐ意義。沖縄県民を人の盾にした罪は消えない
兵庫県出身で沖縄戦が始まる直前に危険を承知で知事に着任した島田叡(萩原聖人)、栃木県出身の警察部長・荒井退造(村上淳)、そして島田の世話役の県職員(吉岡里帆)という3人の視点でストーリーが語られる。沖縄県、兵庫県、栃木県の地方新聞社などが連携して製作を支援した映画ということもあり、沖縄県民を人の盾にして米軍の本土攻撃を遅らせようとする非人道的で差別的な軍部に対し、島田と荒井の人道的な言動、県民と隔てなく交流する姿をヒューマニズムの象徴として描く意図はわかりやすい。沖縄戦に限らず、戦争を体験した世代が年々減る中、その悲惨さを語り継ぎ平和を守ることの意義も確かに認められる。
とはいえ、日本が軍事進出して支配した太平洋の要衝が連合軍によって次々に攻略・奪還され、圧倒的に不利になった段階で、戦況を客観的に判断して条件付き降伏に踏み切ることができていたなら、沖縄県民の4分の1ともいわれる大勢の命が奪われることはなかった。軍人だけを悪者にするのは簡単だが、嘘だらけの大本営発表をそのまま伝えた報道機関と、それを鵜呑みにして体制に従った国民にも「罪」があったことを忘れてはならない。映画では、本土からやってきた島田と荒井の2人をヒロイックに描くことで、本土の人々の罪が希釈されるようにも感じられたのだが、沖縄の人々は本作を観てどう思うのか、真摯に耳を傾けたい。
また、いつかそう遠くない将来、沖縄出身の作り手によって、戦中と戦後の沖縄県民の本音が描かれる映画もぜひ観てみたいと思った。
うん、よかった、
しかし、いつの世も、国や政府の愚行、愚策で国民がその「被害、苦しみ」を受けることはあるもんだなと。
国が、政府が、ホントに「国民のために」考えてくれれば、と、時代にかかわらず共通することだと思い知らされる。
と、作品そのものより、自分はそんな角度での感想を書いてみたり。
太平洋戦争末期の沖縄を舞台にしているだけにハッピーエンドになるわけ...
太平洋戦争末期の沖縄を舞台にしているだけにハッピーエンドになるわけもないが、それにしても悲惨なシーンの連続だった。
絶望的な状況の中、何とか県民を守ろうとした県知事と警察隊長の姿にはもちろん胸を打たれた。
沖縄戦史導入にはよい映画
現状を知りながらも激戦の沖縄で、生きようと、必死に県民を奮わす2人の官僚。
明るく前向きで、後ろ向きな思いを自らの行いで払拭し、一人でも生かそうと生きようと、敵国と、権力に正対する。
圧倒的な力の前で、恐怖と絶望にさらされて、それでも逃げ出さず向き合い続ける姿に強く惹かれました。戦争という恐ろしい行為、その爪痕、怖いけれど見て歴史を振り返り考える。見てよかったと思いました。
映像としては、正直アメリカ側の保存資料のほうが膨大でそれを使ったドキュメンタリーを先に見ていたので、ここまでしか描かないのか、とは思いました。
酷な描写を甘く描いた分、歴史の残酷さは薄れましたが、描かなかった分導入にはよい映画だと思いました。
【"生きろ!生きてくれ!"と戦争末期の沖縄に赴任して来た知事は私に必死の形相で言った・・。戦争は悲しみと憎しみしか産み出さない。今作品は強烈な哀し過ぎる反戦映画なのである。】
- 島田叡さんの沖縄県の民を思って苦悩する姿は「生きろ!島田叡 戦中最後の沖縄県知事」を鑑賞し、その尊崇な姿に心を動かされた。今作品では、もう一人栃木県出身の沖縄県警察本部長の荒井退造も描かれる。何故に彼らは敗色濃厚で、アメリカ軍が上陸して来る沖縄県に赴任したのであろうか。私は劇中、島田が"誰かがヤラナいかんだろう。と言う言葉の重さが心に沁みた。-
◼️今作品は各地の地方新聞社や、放送局が連携し、製作費を出資している。ジャーナリズム魂を感じる。
◆感想
・戦火が激しく成る中で、島田が沖縄県民の保護より、戦意高揚を優勢する大本営を始めとした軍部の論理に苦悩する姿。
- 大本営は沖縄地上戦で、時間を稼ぎアメリカ軍の本土上陸を、少しでも遅らせようとする。大和民族は、沖縄の民を"理由した"のである。
牛島満中尉(榎木孝明)は、温和な人物だったそうだが、彼の達観した様な表情は印象的である。彼も又、軍人ではあるが、大本営に"理由された"のである。-
・知事付きで、大日本帝国に誤った思想を植え付けられていた比嘉凛(吉岡里帆)が、島田の言葉によって、呪縛が解かれて行く姿も、"島田の想いが、漸く彼女に伝わったのだな・・"と思い、沁みた。
・沖縄県民ではなかった島田と荒井が大勢の県民を県外疎開させようとする姿は、崇高である。
・万策尽きた二人が、沖縄の森の中で野球のボールを弱々しく投げながら、支え合いながら、森を出て行くシーンも実に切ない。
<当たり前であるが、戦争は悲しみと憎しみしか産み出さない。絶対に起こしてはいけない事だと言う事を再認識した作品。老いた凛を演じた香川京子さんが、島田から受け取ったモノを墓前に備えるシーンも、"生の大切さ"を表した、佳きシーンである。>
◼️最近、ロシアを統べる男が予備役で、30万動員する事を公表したが、あの男は自ら追い詰められている事を認めた様なモノである。ロシアの罪無き民が、嘗ての沖縄県の民と同じ思いをしない事を祈るばかりである。
泣けた
空襲、艦砲射撃、地上戦により、約20万人が犠牲となった太平洋戦争末期の沖縄戦で、軍命に従いながらも県民の命を守ろうとした戦中最後の沖縄県知事・島田叡と同じく県民を守ろうと奔走した警察部長・荒井退造を中心に悲惨な戦争の様子を民間人メインで描いた話。
太平洋戦争の末期の沖縄戦は悲惨だったと聞くが、当時の映像も交え、映像で見せられるとやはり凄まじい。そして、方言を使っただけでスパイ容疑で射殺など、日本人の恥部も描いていて勉強になった。
島田知事役の荻原聖人、荒井部長役の村上淳とも良かった。、島田の世話役を務める県職員・比嘉凛を吉岡里帆は堅物の職員役が上手かった。
悲しいけど、ホントに多くの人に見て知ってもらいたい作品です。
忘れてはいけないことがある
太平洋戦争の末期、日本で唯一本土決戦があった沖縄の人達の大きな犠牲に心を痛めずにはいられない。
記録映画的に受けとれるこの映画を観て思うのは、戦争で1番の犠牲になるのは民衆だということ。
この映画は軍部の勝手な方針に振り回させる人々を1人でも救おうとする2人の男の話だった。彼らの行動は信念と勇気に基づいている。なぜ県知事を引き受けたのかと聞かれて、卑怯者と言われることが1番怖いと言った言葉に、日本人らしさを感じた。
どんな戦況になっても神風が吹いて日本が勝つと信じ、万一の時は国のために死ぬと誓う女性たち。戦時教育とはなんと愚かなのか。
この戦争で沖縄が払ったものすごく多くの犠牲を私たちは忘れてはいけないと思う。
戦前の教育が「何としても生きること」の方が「国を守って死ぬこと」よりずっと大切なことだと教えてさえいればと思う。だから、これからも世の中がどう変わろうとその教えだけは語り継いで行かなければ。
①県民の4人に1人が亡くなった沖縄地上戦。その悲惨さをまるごと伝えられる映画を作るのは殆ど無理だろう。この映画でも伝えられてはいない。存在価値が有るとすれば大本営が本土(というか國体)を死守するために沖縄を盾に或いは捨て石にしようとしたなか、出来得る限り沖縄県民を守ろうとしたヤマトンチューの知事と警察部長がいたという事実を伝えることか。しかし、それも本を読めば済む話である。映像にしたという意味から最もそして唯一価値が有るとすれば、生き残った軍国少女(というか娘)の凛がラストに手を挙げて投降したシーンだろう。そう、手を挙げることも白旗を挙げることも決して恥ずかしいことではないのだ。生き残る方が大事なのだから。その真理を伝えるこのシーンがこの映画の白眉だろう。②萩原聖人と村上淳とが沖縄戦中時の知事と警察部長とを演じる事だけが興味があって映画自体には余り期待をせずに観に行ったが、やはり戦争映画としては目新しいところはなく、場面も山道か洞窟の中ばかりで広がりもなく、沖縄戦の推移を伝えるテロップだけで位置関係も全然わからない。主役三人の熱演がなければかなり不細工な映画だとも言える。沖縄戦を描いたからと言ってそれがそのまま感動的な映画になるわけではないのだ。③東京大空襲や
極限状態におかれたときに人の本質が剥き出しになる
太平洋戦争末期の日本唯一の地上戦となった「沖縄戦」。
米軍の沖縄上陸が確実視されている中、もう絶対死ぬでしょう!という状況なのに、本土から沖縄県知事として神戸から赴任してきた(お人よし)の島田 叡氏と、山梨県出身の荒井退造沖縄県警察部長。
戦地に赴いたのは軍人だけではない。文官(公務員)も行けと言われれば(国の命令だから行くしかない)、死ぬだろうというのを分かっていて、沖縄にやってきた二人が、戦争が始まって、戦地を彷徨い、戦死するまでの話を映像化した作品です。
なんだかお久しぶりの萩原聖人さんが主役の島田県知事を熱演、荒井退作県警察署長は村上淳さんが演じておられました。
島田県知事に萩原さんを選んだのはてるてる坊主に似てるから?
見終わったあと、テルテル坊主のことを思い出すと、テルテル坊主の顔が萩原さんになってしまいました。「明日天気にしておくれ」と歌いながら戦争の終結を願う、沖縄戦を生きた人達も、一日も早い終戦を願ってたのかもしれません。
今回、牛島満、長勇といった第32軍司令長官たちが、過去の沖縄戦の映画のどれより、この2人、よかったです。牛島を演じた榎本孝明さん、すばらしかったです。
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