劇場公開日 2022年4月29日

  • 予告編を見る

「団地である必然性がマジでない」N号棟 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

1.0団地である必然性がマジでない

2024年2月19日
iPhoneアプリから投稿

団地映画の系譜に興味があるのでここまでダイレクトに団地を押し出した作品は避けて通れぬと思い鑑賞。結果から言えばマジで団地である必然性がなかった。

団地という空間の特異性は、その歪な存在様態にある。はじめ団地は「欧米式ライフスタイル」に憧れる戦後中産階級の受け皿として郊外に用意された高級住宅であった。団地には部屋の一つ一つが鍵付きのドアではっきりと隔てられており、シャワー付きの風呂が備え付けられている。隣の奥さんが醤油を借りに勝手に入ってくることもなければ、風呂桶を担いで毎晩銭湯に通う必要もない。日本の家庭が明確に欧米風の「プライバシー」なるものを獲得した瞬間だったといえる。

しかし時代が下り日本の経済力や技術力が欧米と肩を並べるようになってくると、「欧米への憧れ」だけを糧として成立していた団地というライフスタイルの瑕疵が露見するようになる。キーワードは孤独だ。

団地は郊外の無人地帯を無理やり開発して建てられたパターンが非常に多い。またデザインも平板で画一的だ。今でこそああいう手合いのアパートやマンションも多いが、当時からすればさぞかし浮いて見えたに違いない。また団地の住居者は全国各地からアトランダムで選定されたため、隣近所と関わりを持つ意味も希薄だった。

「マンモス」と形容されるほどの集団で生活していながら、人々は互いの顔も名前もよく知らない。そこには現代日本のライフスタイルに直結する孤独の問題が顔を覗かせている。

団地の孤独にいち早く目を向けた映画作家は川島雄三だろう。『しとやかな獣』は表向き華やかな団地生活を営む家族が、家の中では下品な本性を露わにするというブラックコメディだ。彼らが金持ちのフリをするのは、団地においては他者の生活はその外郭しか見えないことを知っているからだ。

次いで森田芳光は『家族ゲーム』において、団地内で静かに加速するある家族の狂気を描いた。団地というライフスタイルが根本的に抱える孤独性がいよいよ家族の内部にまで伝染して家族のメンバーすらもが各々孤独に陥っていく。

あるいは高橋伴明『DOOR』。これは団地の一室に住む主婦をストーカーが追い詰めるというサスペンススリラーだが、ストーカーに襲われかけた主婦が「誰か助けて!!」と叫ぶくだりで無人の共用廊下が映し出されるシーンが非常に印象的だった。

中田秀夫『仄暗い水の底から』は団地に巣食う孤独を霊的磁場に置き換えた。「欧米への憧れ」を失い、老朽化し、空き部屋だらけになった団地。そこへこの世ならざる者たちが入り込んでくることは当然の帰結だといえるだろう。中田は『クロユリ団地』でも同様のテーマを扱っている。

といった具合に団地映画には既に社会情勢と密接にリンクした系譜というものが存在するわけなのだが、本作は団地を舞台としていながらも、団地である意味については一切何も考えていないように感じた。

まずもって団地の住居者たちがあれほど和気藹々としている時点でおかしい。カルト教団が人の目を忍んで集団生活を送るんなら団地である必要はなく、それこそオウム真理教やヤマギシ会のように郊外の寒村や山の上に籠って自給自足生活を送ればいい。

それぞれの部屋から居住者が這い出てきて苦しみ呻く例のシーンはビジュアル的にはそこそこ気味が悪いものの、場所が団地であることを鑑みると「人がいっぱい住んでいる」という状況からして既に嘘臭く滑稽に思えてしまう。

また主人公の苦悩も主に自らの死生観に関わる一人称的なものであり、団地という空間が孕んでいる問題圏とはほとんど関わりがない。空間学的な足取りで始まった物語がしょうもないサイコホラーに帰着したときほど残念なときはない。

団地映画という色眼鏡を外してみたところで評価が上がるかといえばそんなことはまったくなく、物語が進むごとに徐々に問題意識の陳腐さが露呈してくるのが本当に辛かった。「死後の世界はあります」、みたいなカルトババア、もういいよ、5000兆回くらい見たことあるよ、お前みたいなの。そしたら主人公が「私死にたくない!生きてたい!」だのビービー喚き出すもんだから早くくたばってくれと思っていたところ幸運にも自ら命を絶ってくれたのでそこだけは多少溜飲が下がった。

本作は1998年頃に発生した実際の幽霊騒動をモチーフにしているとのことだが、本当に脚色のセンスを疑う。いくらでも面白くできそうな題材からこうも文脈を無視した空転サイコホラーを創り上げてしまうとは…

因果