夏へのトンネル、さよならの出口のレビュー・感想・評価
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和製インターステラー、100点満点です
あんなにロンマンチックでSFチックなキスの表現を産まれてこのかた聞いたことがないぜ!!!!!たまげた!!!素敵すぎて劇場で叫びそうになった!!!お願いだから叫ばせて!!!
イヤホンを嵌めて雨音が音楽に切り替わるシーンや、向日葵を渡すところで背景がバッと切り替わるシーン等、描写が丁寧かつダイナミックで好き…
全体を通してテンポが良く、ダレてないから鑑賞後のスッキリ感がきもてぃ……
花や月を使って時間の経過をこっそり示してるのもお上手……
そして主題歌よ…挿入歌といいEDといいなんなの???最高すぎるが???あなたeillっていうのね!?ファンになるわ!!!!!
今年の夏はこの映画が締めくくってくれました。ありがとなッ!!!!!
『片っぽ』新解釈
なんでも欲しいものが手に入るというウラシマトンネル。
しかしその代償に時間を失う。
この不思議なトンネルの噂がある田舎町で、塔野カオルと花城あんずは自分の欲しいものを手にするべく共同戦線を結ぶ。
主題歌・挿入歌がeillという自分の好きなアーティストだったからという、半分押し活くらいの気持ちで観に行ったため、正直期待値はそこまで高くなかったのだが、そんな期待は大きく裏切られた。
この作品、もっと話題になっても良い。
いや、なるべき。
冒頭の2人の出会いのシーンからグッと掴まれた。
eillファンとしては冒頭から『片っぽ』という曲が聴けた(しかも少し物語のキーとなる曲だった)のが嬉しい。
雨が降り頻る海沿いの駅のホームには、ベンチに座るあまり見かけない顔の少女と傘を持って現れた主人公の少年の2人きり。
沈黙と雨音が、あまり良いとは言えない2人の邂逅を強く印象づける。
2人が同じ痛みを抱えて共同戦線を結ぶ。
あんな出会い方をした2人の間で、恋とも友情とも違う関係性が少しずつ、本当に少しずつ育まれていく描写が何よりも上手い。
そこで流れるのが『プレロマンス』。
ーこれが恋だとしても
これが恋じゃなくても
ふたりだけの世界がここにあれば良い
ウラシマトンネルをくぐり続け、物語は佳境に入る。
ツンデレあんずの可愛いこと。
一途に想い続けるあんずと自己犠牲の元に過去を取り戻そうとするカオル。
2人が過去と和解し、“今この瞬間”の幸せに気づいた瞬間がとても素晴らしかった。
ーふたつの傘より相合い傘
錆びついた傘、6時間のキス。
真夏のプレロマンスを超えた先に迎える初秋のロマンス。
今の季節柄とピッタリだった。
映像の美しさも見所の一つ。
ウラシマトンネルの美しくもどこか恐ろしいビジュアル。
まさに“世界を断絶している”ような異空間。
水の描写も素敵だった。
冷たい雨、海、トンネル内の水飛沫、涙、天気雨。
透明感も温度も表情も全て違う。
線路内に立ち入ったりひまわり折ったり、倫理観がややぶっ壊れてるところがちょっと気になったけど、これぞ隠れた良作。
是非さよならの出口を観に行って欲しい。
ー味気ないね
でもそれがね
ふたりの幸せ。
現実を地でゆくSFモノ
社会的に美しくないモノは多く
否が応でもみえる
「現実」
観客の想像力で帰結させる構成で
多くの解釈や納得に堕としてゆかれました。
映画としては綺麗に
フィナーレを迎え
<ネタバレ含む個人的想いとして>
描かれたらみちゃうかもストーリー
①再会後、やはり現実が厳しく再度妹を2人で迎えにゆき未来に生きる3人というアフターストーリー
②妹との生活が楽しくて時間を浪費して帰ったらトンネルが海の底でバッドエンド、①の続きで彼女・妹も一緒だとなお救いがない。
③妹を連れ帰ってしまったが為に、帰った世界で兄は誘拐犯とか、木から落ちた妹のストーリーが神隠しや行方不明者と家庭崩壊の原因を兄が作っていた事実を知り、戸籍も無く火垂るの墓。
④トンネルの深さは過去の時点に移動しているだけなのか、木と木の間を通らなければ時間が経過せず、過去専用のタイムマシン化するのではという仮説が成功して神になる。
ラッキーアイテムは傘!
最近もう涼しくなってきましたが、夏の雰囲気を楽しめる映画が見れて良かったです(*^^*)
不思議なトンネル・海・水族館・花火・向日葵の背景が綺麗なので、映画館で鑑賞する価値がありました!
ウラシマトンネルの中が綺麗な紅葉並木になっているのが綺麗で好きでした🍁✨
ウラシマトンネルが序盤に出てきて、それを中心に話が進むので私は違和感なく最後まで楽しめました!
ラストはウラシマトンネルと現実で2人とも離ればなれになってしまうのかなと思いましたが、また再会する事が出来てホッとしました☺️
ボーイ・ミーツ・ガール×「黄泉がえり」の形態をとった、過去に囚われた少年の「救済」物語。
うん、おもしろかった。
いわゆるタイム・リープ系のネタとは異なるが、時間にまつわるSF要素の含まれたボーイ・ミーツ・ガールという意味では、細野守の『時をかける少女』や新海誠の『ほしのこえ』の直系につらなるジュブナイルであり、まさに日本のラノベ&アニメの王道といっていい。
とくに、時間差を生ずる(現世と遠い世界とをつなぐ)モバイルでのやりとりと、そこで生じるディスコミュニケーションを描くという意味では、新海誠作品の影響は絶大であり、「少女萌え」と「お姉さん萌え」が混淆するヒロインへの嗜好性に関しても、両者はとてもよく似ていると思う。
ついでに、濡れた少女への偏執的なこだわりも(笑)。
「夏へのトンネル」というのは、もちろんロバート・A・ハインラインの『夏への扉』を意識したタイトルだろう。作中での「ウラシマトンネル」という呼称は、相対性理論に則ったSF用語「ウラシマ効果」からとられており、ネタの直接的な参照元はおそらくクリストファー・ノーランの『インターステラー』あたりか(庵野秀明の『トップをねらえ!』かもしれないが)。
中にはいると、時間が早く過ぎる代わりに、何かが手に入るトンネル。
それを見つけてしまった少年と少女が、お互いの喪失感と向き合いながら、心を通わせていく物語だ。
原作は未読。ただ、パンフの監督インタビューを読むかぎり、尺を短めに抑えるために(CLAPのポンポさん理論ですね)、主人公二人の関係性以外はバッサリカットしてるっぽいし、最初の出逢いのシーンも、あんずがトンネル前で泣き叫ぶシーンも、駅で最初の出逢いを再現するシーンも、みんな完全アニメ・オリジナルらしいので(そもそも、原作のトンネルには出口があるし、中は白い鳥居と松明が続いている設定らしい)、今回はあくまで「一つの独立したアニメ作品」として触れておく。
総じて、丁寧につくられた作品で、観ていて心地がいい。
それは確かだ。
とにかくじっくり絵コンテが切ってあって、手のしぐさの作画や、立ち位置、距離感、視点の切り替え、雨のタイミングなど、本当によく考えてある。
その割に、京アニ(とくに山田作品)のような「これみよがし」に「考えぬいた」感じは出さず(あれはあれで素晴らしいのだが)、自然に流して見せているぶん、好感がもてる(ちょっとシャローフォーカスを多用しすぎて、やたらボケ表現いれてくるのが若干うざいが)。
ウォークマン、ビニル傘、ガラケー、ひまわり、漫画といった、小道具の用い方も実に巧い。
なにより、作画と美術が常に安定しているので、そこで気を削がれる心配がまったくない。
物語も、大筋としてはとても楽しめた。
SF要素と恋愛要素を抜きで考えれば、
昔からある「黄泉がえり」譚の語り直しなので、飲み下しやすい。
カオルは、自分のせいで妹のカレンが死んだと、親に責められながら育った。
実際にそこまで苦しむほどの因果関係はない感じもするが、少なくともカオルはずっと、妹の死を我が罪として背負って生きてきた。
そこに「ウラシマトンネル」という奇跡が唐突に眼前に現れ、それを用いれば「変えられないはずの過去を改変して、喪った大事なものを取り戻せる」ことを知った少年が、妹を「黄泉がえ」らせようとする。これは、そういう話だ。
トンネルを通って死者を迎えに行く(そして、連れて帰れない)というのは、ギリシャ神話におけるオルフェウスのハデス詣でや、イザナミの黄泉平坂(よもつひらさか)のエピソードなどで、われわれの脳裏に深く刷り込まれている原初的な物語の類型に属する。
アニオリのトンネル内描写として、敢えて「モミジ」の樹が選ばれたのも、そのあたりと関連があるのかもしれない。「万葉集」の昔より、モミジは「黄葉」つながりで「黄泉」とかかわる樹とされ、枕詞の「もみちばの」は「過ぐ」にかかって、人の死を意味するとされてきたのだから。
このトンネルのSF設定(と呼んで具合が悪いようならファンタジー設定)で興味深いのは、「時間」の要素が明快に「代償」として扱われている点だろう。
おしなべて、ジュブナイルにおける「タイムリープ」などの時間改変要素は、「恩寵」である。
主人公が、何度もリトライできる「代償」として支払うのは、何度も死んだり痛いめにあったりなかなかループから抜け出せなかったりといった「苦痛」であって、少なくとも「時間を遡行してやり直せる」こと自体は、主人公特権の「ご褒美」として呈示されることが多い。
ところが、本作の場合、この因果関係は逆である。
すなわち、攻略条件はイージーだが、不可逆的に時間という「代償」を支払わされる。
「過去に喪ったもの」を取り返すのは容易だ。何せ、入っていったら落ちていて、それを拾って帰ってくるだけでいいのだから。ただ、その代わりに「代償」として、過大とも思える「時間」が奪われる。
この手のボーイ・ミーツ・ガールで、時間が「ペナルティ」として容赦なく課されるケースは、意外に珍しいのではないか。
この設定には、相応に納得のいく「理由」がある。
それは、本作が、じつは「いかにしてカオルが死者を取り返すか」の物語ではなく、
「いかにしてカオルが過去の軛から解放されるか」が主眼の物語だからだ。
カオルは常に「罪」の意識を背負って生きている。
それを解放してやるために本当に必要なことは、
じつは「罪」を帳消しにすること(=妹の黄泉がえり)ではない。
「罪」に似合った、相応の「罰」(とカオルが感じられること)を与えてやることなのだ。
すなわち、ウラシマトンネルが与えてくれる「救済」は、「奇跡」による恩寵ではない。
彼が妹を取り戻そうとすることで「浪費」する「時間」というペナルティ、それ自体が「救済」なのだ。
いわば、時間の牢獄。時の懲役刑だ。
彼はトンネルの深奥で妹の幻影を観ることで、今度は「現世のほうに、喪ったら取り返しのつかない人を遺してきた」ことに気づく。
そこで彼が「引き返せた」のは、トンネルによって「時間」を奪われることで、なんとか過去への折り合いをつけられたからだ。「代償」を支払ったから、心の重荷が少しおろせたのだ。過去より、今を選べたのだ。
アニメ内で二人が行なった調査によると、このトンネルは土地の神話や伝承ともつながりがない、かなりあいまいな都市伝説らしい。
これは作劇上はむしろおかしな話で、「古来言い伝えられてきた曰くつきのトンネル」だからこそ、神秘的な霊場として機能する、というのがふつうのドラマツルギーである。
それが敢えて「土地と結びつかない」とされているのは、結局このトンネルが万人のための場所ではなく、あくまでカオル君専用穴(なんかエロいね)だということを強調していると考えるべきだろう。
要するに、このトンネルは、カオルという少年を救済する「ためだけ」に生み出された極私的な祭祀場なのだ。
だいたい、このトンネルのやっていることは、かなりおかしい。
そもそも、なんで最初がインコとサンダルなのか。妹と歌を教えてたっていうからには、死んだのはずいぶん昔のはずだ。それを今になってなぜ? それに、サンダルが「喪って取り戻したかった物」ってのも、なんか無理がないか? ものすごく「恣意的」な黄泉がえりだ。
ぼくは思う。インコとサンダルは、じつは単なる「呼び水」に過ぎないんだと。
カオルを本気にさせるための、トンネル側の撒いた「餌」だったのだと。
トンネルの大本命は、「喪った大切な何かを取り返させる」ことではなくて、
「カオルに、喪った大切な何かのことを諦めさせる」ことだったのだと。
納得させるための儀式。そのために敢えて与えられる代償。
ぼくは、カオルがカレンと出逢うシーンが、びっくりするくらい『Re:ゼロから始める異世界生活』の家族回と、空気感もやってることもそっくりなのは、決して偶然ではないと思う。
一方、あんずという少女にとって、あのトンネルは何を意味していたのか。
ぼくの考えでは、あれは「カオルにしか」必要のないものだ。
そのことを、あんずもじつはわかっていたのではないかと思う。
だって、あのトンネルに入ったら「インコ」と「サンダル」が戻ってきたという話をきいて、「昔なくしたものが返って来る場所」と考えずに、「なんでも願いが叶う場所」だと理解するのは、どう考えても「曲解」だもの。
あんずも、内心ではそこが「なくしたものが返って来る場所」だと気づいていたはず。
でも、「なんでも願いが叶う場所」だと言い張って、「共同戦線」を主張し、みずから「巻き込まれよう」としたのは、彼女にとって、この共同戦線が、不安な未来から逃げて、カオルとの時間を選択する、ある種の「心中」のようなものだったからだ。本質的には、不純な動機。だから、あんずは、負い目を感じていた。
カオルは、ずっと「死んだ妹(カレン)」に負い目を感じていた。
では、あんずは、だれに負い目を感じていたのか。
それは、カオルに対して、だ。
自分の抱えている悩みが、しょせん思春期に特有の、一過性の「未来への不安」に過ぎないこと。
カオルの抱えている救いがたい生き地獄とは、まるでつり合いがとれないこと。
カオルは「救済」される意味と理由をもっているが、自分はもとより救済の対象ですらないだろうこと。
このそれぞれの「負い目」を埋めるのが、「時間の代償」なのだ。
カオルは、「13年」という時間を代償として支払うことで、カレンの死を受け入れた。
あんずは、「13年」という時間を「カオルに対して」支払うことで、カオルとのつり合いをようやく取ることができた。だから、ようやく二人は、一緒になれた。
このトンネルは、そういうふうに機能している、と考えるべきだ。
ついでにいうと、この物語は、「父権的な脅威」に晒され続けてきた少年が、「胎内回帰願望」の具現化としてのウラシマトンネルを現出せしめ(だから、入口が女陰の形をしていて、なかから水が湧き出ていて、なかは真っ赤なひだひだになっている)、その深奥で「内なる母」である妹のカレンに「赦し」を得たうえで、「胎内めぐり」を経て「再び産みなおされて」、「外なる母」であるあんずの元へと帰還する話であるとも解釈できる(だからあんずが齢を食っているのはちっともおかしくない)。
母性を知らずに父性に虐げられて育った少年が、母胎から「リボーン」し、新たな母を見出すお話ということだ。まあ、適当だけど(笑)。
大筋、面白かったけど、細部では気になったところもある。
何よりひっかかったのが、それぞれの両親との関係性が途中でブチ切られていることだ。
彼らが抱えている「本当の問題」とは、「過去」ではなく「今の家族」との問題のはずなのだが。
カオルがあのまま父親と別れたとなると、父親も後妻と幸せになれたようにはとても思えないし、決して悪い人ではないはずなので、そこが投げっぱなしなのは、結構もやっとする。
まして、あんずの親の作中での扱いは、あんまりだ。
娘を漫画家にならせたくないという理由で「わざわざ一人暮らしさせる」親など、どこにいるというのだ(ふつうは逆で、「手元に置いて」見張るだろう)。
まあ、「親を若者の世界観から徹底的にオミットする」ってのは、20年前から変わらないラノベ独特の流儀だけどね。
あと一点、冒頭でウラシマトンネルを見つけるシーンについて。
踏切があって、少し奥に電車のトンネルがあって、しばらく線路を歩いてたら後ろから電車が! って、おいおい警報機はどうした? それも気づかないくらい傷ついていたっていうのなら、無音にして親の声だけがリフレインしているみたいな「演出」くらいはいるのでは?
それと、主演二人の声の演技が気にならなかったといったら、噓になる。
彼らなりによく頑張っていたとは思うんだけど、やっぱり、「はあはあ」とか「ふたりで笑う」とか「泣き叫ぶ」みたいな「息」の演技は、全体的に聞いててかなり辛い感じだった……。
その点、小林星蘭は、プロの声優に交じってもまったく遜色のないガチの「声優演技」をこなしてて、さすがでございました。
タイトルが語るラブストーリー
時間のトリックを使ったラブストーリー。
偶然出会った2人の高校生が、亜空間の入口を知ったことから起こる関係性の変化と過程を描きだす。
ただこの亜空間に関してはいくつかお約束があり、その点はちょっとご都合主義の感が否めないが、2人の出逢いからの流れは丁寧に描いてて好感をもてました。
ただこの2人に絞った形なので、もう少し高校生らしく周りを巻き込んだ物語にして欲しかったです。
映画としての出来はそれなりなんですが
3Gが停波になる前に戻れて良かったね
8年との引き替えに手に入れた答えが、現実の彼女の方が大事とか、シスコンを貫けよ
顔面殴った相手とサックリ仲直りとか(多分、原作では描写が有るんだろう)
余計な感想が
夏の日の大いなる幻想と現実、定かでない未来
原作は読んでいません。
◉恋よりトンネルの正体が大事
恋を実らせるためにSFの筋書きがあったのではなく、SFの物語の実りとして恋が生まれた。気恥ずかしいが、夏の日の軽い想い出が生まれた感覚。
ただ、取り戻せるものと、失う時間の比率が気になる。それを若者二人が、綿密な調査と検証を重ねていくのがいい。全体はファンタジックに、細部は事実っぽく。結局、トンネル内の数秒が、外での4〜5時間になることを掴む。
◉トンネルは魔窟だったのか?
華奢なくせに乱暴で、自分本位な花城あんずは転校初日にクラスの女子を殴る。しかしクラスを巻き込んでの話にはならない。カオルとあんず二人だけで成立する物語がひっそりと始まる。世間からは孤立して、傍観者のように生きている二人が、ウラシマトンネルに狙いを定めて共闘関係を築く。そしてトンネルに向かった。
樹々に隠されたトンネルは時を歪ませ、願いを叶えるマジカルな空間。紅葉が散り敷くトンネルの中には妖が棲んで、あんずとカオルを捉えてしまった。トンネルは、とにかく目を離せば消えそうに儚い幻想で形作られていて、この世ならぬほど綺麗でした。このトンネルや、線路に繋がる雑木林の描写など、作画の素晴らしさをストレートに味わいました。
◉ごめん、あたしは現実に生きるよ
だがしかし、あんずとカオルの願いの質は、大きく違っていたと私は思います。死んだ妹を蘇らせてと言うカオルの願いは、現世を基準に考えたらば、当てのない願い。一方、捨てられた原稿を返してと言うあんずの願いは、現世を見たもしかしたらの願い。妹カレンが生き返った後は、どんな話になるか予測出来ずに不安だった。
カオルの願いよりあんずが先に願いを成就する。そして、ウラシマトンネルが返してくれたマンガに編集者が反応して、ここであんずはトンネルの探索から身を引く。私は自分のマンガが認められただけでいいの…とか言ってカオルに同行するのではなくて、漫画家の道を歩き出す。現実がファンタジーに打ち勝ってしまった。一方、カオルは戻れないであろうウラシマトンネルの深部に、単独で向かう。
この突き放され感を盛り込んだことが、ただのファンタジー以上の深みを生み出したと感じました。おとぎ話はそうザラには生まれないから、素敵なのだと思うのです。
◉絶対にカレンを取り戻す
ウラシマトンネルの深部には、いつもと変わらない日常があった。夕暮れ、カレンとカオルが言葉を交わしている。だが妹はまるで女神のような思いを兄に向ける。
彼女の願いは、皆が笑って幸せに暮らせることだった。少し神様すぎないか? と思ったのだが、本人がそう言うんだから仕方ない。
あんずと年を経たカオルが再会するとしたら、映像的にどれほど衝撃的なものになるか、不安だった。でも妹の力で、さほどのギャップなく、二人の高校生は会える。携帯を繋いだのは、カレンの魔法と言うことでいいんですよね。
現実がファンタジーを乗り越え、ファンタジーを吸い取った現実が、二人の運命を決めた夏の日々。
入場者特典の小説を読んで少しホッとした。ちゃんと未来は進んでいた。制作の方々の優しい気配り?
エヴァの影を感じざるを得ない
内容は面白かったです。
なかでもカオルが過去(?)から戻るときに聞こえた妹の言葉には少しウルっと来ました。
で、演出は随所にエヴァンゲリオンのオマージュ感を感じました。
・シンエヴァの冒頭で線路を歩くシーン
・破の海洋研究所のジンベイザメ
・綾波宅でシンジが綾波に倒れかかる
・明かりをつけない部屋で寝っ転がってSDAT聞くシンジ
ほかにもありそうですが、結構意図的にエヴァオマージュしてる気がしました。
あらかじめ喪われている子どもたち
主人公・塔野カオルは幼い妹が亡くなったことをキッカケに家庭が崩壊。母親は失踪し、父親は酒に溺れて息子に暴力を振るうようになっていた。
ヒロイン・花城あんずは、漫画家だった祖父に憧れて自分も漫画家を夢見るが、その夢を両親に否定され、「頭を冷やせ」と東京の家を出されて地方に転校することになった。
2人とも親がいないわけではないが、どちらも子どもを守り、導くような関係性ではない。
彼らは、まだ高校生でありながら、親という存在があらかじめ喪われている状態でストーリーに登場するのだ。
ゆえに2人は心を閉ざし気味で、喜怒哀楽に乏しい。
そんな2人が出会うボーイミーツガールの物語である。
では、感情表情が薄い2人のラブストーリーをどう表現するか?
ここがこのアニメの演出上のユニークなポイントとなる。
本作の工夫は「手」を効果的に使っていることだ。
2人の出会いは、塔野が花城に傘を貸すことから。つまり、塔野が差し出した傘を、花城が受け取るところから始まる。始まりも「手」だったのだ。
その後も、2人の感情の描写は手で表していく。
哀しみからぎゅっと握られる塔野のこぶし。お祭りで2人の手が伸びてつながれる。クライマックスでは、それまでの2人の手のクローズアップを回想するシーンまで登場する。
表情には出ない、出せない葛藤や悩み、苦しみ、そして互いへの想いを、2人は「手」で表現するのだ。
こうした演出は原作にはなく、アニメならではのものだろう。実に巧い。
本作には派手なアクションシーンはなく、基本的には心理劇だ。主人公たちの心理描写が丁寧に描かれているのは素晴らしい。
この映画は、夏の恋にウラシマ効果というSFのスパイスを効かせた、王道ジュブナイルのフォーマットに乗っている、と言っていいだろう。
同じ仕掛けを持つ新海誠の「ほしのこえ」を思い出しながら観ていた。
少年は喪われた家族を求めるが、少女は家族には見切りを付け(そもそも家族を喪ったわけではない)「特別な自分」でありたいと願う。
ウラシマトンネルに挑む時点では、2人はお互いを想っているわけではない上、そもそもの動機が違っている。だから、すれ違うのは必然だ。
だが、離れたことで2人は自分の想いに気付く。
ところが、ここでウラシマ効果が意味を持ってしまう。
少年にとっては半日程度の出来事だったが、少女にとっては6年もの時間が過ぎてしまうのだ。ここが、この設定の面白さが生きるところなのだが、残念ながら、この点を本作は深掘り出来ていない。
せめて、塔野が妹と会っているとき、過ぎた時間を計算する描写でもあればよかったのだが。
花城が過ごした年月を考えもせずにメールの返信をした塔野は身勝手過ぎはしないか。
そして塔野を待ち続けた花城は、6年もの年月をどう過ごしてきたのか、もっと描いてよかったのではないか。
見返りがあるかどうかも分からずに待つのは辛い。迷いや諦めが花城を襲わなかったわけはないだろう。
そして、塔野にしてみれば彼女を想えばこそ、「待たせるのも辛い」はずである。
こうした点で、本作の最大の「仕掛け」であるウラシマ効果を、2人のラブストーリーにうまく活かし切れていないように感じた。惜しい。
塔野にとって「喪われた大切なもの」は、花城と離れ、彼女の大切さを認識したことから妹から花城に変わった。妹もそれを許容した。
「喪われた大切なもの」が花城である以上、トンネルの効果によって、どうあっても塔野は花城の愛を手に入れることになっている。そう考えると、ラストシーンも少し興醒めだ。
このあたり、設定というか、設定の説明というか、または脚本の甘さがある。
想いが、障害や困難を越えるからこそラブストーリーは盛り上がるのだが。
前述の通り、2人は駅で出会った。
そこから線路は延びている。
だが、2人はどこにも行かずに、「そこ」にとどまり続けた。
ゆえに始まりも終わりも、ほぼ同じ場所で本作は終わる。だが時間だけが過ぎるのだ。
主人公たちの暮らす海辺の自然の景色は美しく見応えがある。2人の境遇は過酷ではあるが、自然はいつでも美しい。そこには尊さだけではなく、残酷さもあると思うが、ラストシーンもまた、風景は変わらない。時は過ぎ去っても。
そう。
想いと自然。環境やテクノロジーは変わっても、変わらないものの尊さ。ここに本作のメッセージはあるのではないか。
83分と、さほど長くはない上映時間だが、しっかりと素敵な余韻を残す。大作志向では決してなく、夏に似合う小品である。
大甘の青春もの、100歳とっちゃわないのか?
どっかで見た、設定と展開。
ガラケーだから、80年代だよなー。
でも、あれで通話も、メールも出来たし、
iPhoneの原型だよ。そのうち写真も、インターネットも
できた。なんで日本で出来なかったのかなぁ。残念。
欲しいものが手に入るって言うけど、
カオルは、最初はインコなんて忘れてたけど、
手に入った。
あんずは、才能じゃなく、昔の原稿が手に入った。
幸せな頃の両親との生活は、手に入らなくて、消えちゃったよ。
神が何を与えるか、選ぶのか?
現実を失っても、得られるべき未来を選択できるなら、
進んでみる価値ありだな。
だいたい、高校生なら特別な才能なんてなくて当たり前。
若者は、勘違いしないようにしましょう。
だいたい、特別な才能自体、ほとんどの人にはない。
だけど、やってみないと、わからないのも事実。
やってみる価値は、あるよ。
カオルまだ、年取っても20代、
二人で出てきても、30代だろ。甘すぎ。
年取って、60ぐらいになってたらどうする?
ほんとに100年たってたら?
かなりのビターエンドもあり得るけど、
ファンタジーとしては、この程度かな。
同じくファンタジーなら、「さかなのこ」見てみて。
意外と攻めていて面白かった
意外と暗くて驚いた
綺麗な景色と幻想的な色彩、
独特のアングルや切り取り方が
ちらほら登場してくる
定番のストーリーに
良いスパイスとなっていた気がする
見せ方や挿入歌等も意思があって
独特な作品だと思う
他作品のオマージュみたいなカットも
そこ切り取る!?ってセンスが面白かった
ピントをずらす演出は
少しくどいように感じたけど
この作品の暗さや気だるさと
そこそこ合っていたと思う
昔のウォークマンや携帯電話が
しっかり再現されているのがたまらなかった
結末にかけてファンタジーどんでん返しで
すべて綺麗におさめる感じではなく
結局、ある程度荷物を背負ったまま
成長していく感じ
逆に作者のおもいや真摯さが詰まっている
感じがして後を引いた
漫画家になるための特別な何かのくだりも
言っていることに不思議な迫力があった
声優などのキャストを
なぜか最初に提示するのは
個人的には好みではなかった
誰が声をやっているのか
先入観無しで観たかった
美しい話だがそれで本当によかったのか…
外よりも数倍の速度で時が流れる代わりに欲しいものは何でも手に入る…そんなトンネルを巡るボーイミーツガール作品。設定は面白いし、とにかく絵が美しい。背景も服の柄までも作り込まれててすごくきれいです。「ポンポさん」と同じ制作と知って納得。サクッと観られる短さなのも良い。
ただ、あそこまでやる動機づけと、あちらとこちらの結末には少しモヤモヤも。13年も費やして、妹は結局どうなった??彼女の13年を思うと…これから彼らはうまく行くのか?もともと13歳差のカップルならよいだろうけど、元は同い年からの片や13年分大人になってしまったカップル。あそこまでした意味はあったのか…ってなるのは、わたしが大人になりすぎたからなのかな?
どこか懐かしい😊😊
ほぼ二人の掛け合いで最後まで飽きずに観れたのは凄いと思います。トンネル内の映像がとても綺麗で引き込まれました。
ただ主人公の父親との関係が最後まで気になったのでマイナス一にしました。個人的には好きな映画ですが、人には薦めづらいかな••••
花城さんの才能についてのお話
前半はとくに「花城さんの魅力」で話が展開するのだけれど
そこでの彼女の描写はとにかく魅力的だ。
私たちは塔野の目から彼女を見ることになるのだけれど、
彼女は何か大きな秘密を一人で抱え、誰にも明かさず、
とても危ういストイックさを発揮している。
そして、主人公だけが花城に気に入られる。
それは出会いの駅での会話で花城の「両親はいない」に対して
「それはいいね」という「変な受け答え」をしたから。
それは、花城の気持ちを敏感に感じ取った塔野が、
自分の素直な気持ちと重ね合わせて自然に出た言葉だ。
この時の彼女には、塔野が「ある種の同士」に見えたのでしょう。
そういう二人の近づく流れも、自然に感じられる。
しかし、塔野の抱えた傷は、花城の想像をはるかに超える深いものだった。
後半はそういう「誰も救えないほど深く傷ついた塔野」を救う物語だ。
そして、花城は彼を「彼の地獄」から救い出すことに成功するのだけれど
それこそが「彼女の稀有な才能」なのだと思う。
彼女は一度、彼に拒絶されている。
ゲーム機がテーブルになっている喫茶店のシーンだ。
君はこちらの世界に来ない方がいいんだ。
彼の開きかけた扉は、このとき一度閉まってしまったのだ。
でも、彼女は13年かけて、大事な人を救い出す。
純愛物語であるこの映画は、「花城の稀有な才能」のお話として捉えることもできる。
もちろん、塔野の地獄めぐりの話としても捉えることができる。
そういう「物語の多層さ」が、この映画の良さではないかと思う。
後悔って、色々終わってから気づくものよね。
まず、映像美・歌の良さ・内容とラスト良かったです。
段々と2人の距離感や話し方が柔らかくなっていく感じがとても良い。2人の想い、すれ違い、、、すべて踏まえて、、、これ以上ないくらいの終わり方になってると思う。完成されている。
言葉数や、演出、中だるみせず良い。
無駄にくどく話していたり、説明が長かったり、演出がしつこい作品もあるけれど、凄いベスト。良き!
全てにおいて綺麗な作品でした。
とりあえず、二人の関係性・距離感がすごくいい!!!
2人とも大好きです!
タイトルから「夏への扉」みたいなのかなと勝手に想像。 最後に年の差...
タイトルから「夏への扉」みたいなのかなと勝手に想像。
最後に年の差カップルになるからハズレではないか。
ウラシマトンネル。
相対性理論とかなんとかだと、Uターンした時点で時間の流れが逆になるから云々、、だからSFではない。
男の子は妹を失ったことで不幸になった。
妹が戻ってくれば幸せなあの頃に戻れると思っている。
過去に戻りたい。
父親は次のステップに進もうとしている。
女の子は過去に失ったものを手に入れることで未来に踏み出そうとしている。
あそこまで戻ってやっと自分の気持ちに気付く。何が大切なのか。
トンネル内が長すぎて、もう100年くらい過ぎてんじゃないかってハラハラする。
鳥居があるってことは参道なのか。長い産道のようにも思える。
あの入口の形もなんとなく。
全体的に良かった。
声の演技が棒っぽかったのが残念。
取り返しはつかなくても後悔はしない。
最近映画マナーの悪い人が問題になってるため
公開から2週遅れで鑑賞。
ありふれた青春SFとは違い面白かった。
淡々と物語が進んでいくけど、それに伴いウラシマ効果による時間の経過がどんなラストを迎えるのかハラハラしました。
けどその予想はいい意味で裏切られましたね。
謎のラブパワーで時間が戻ったりするオチは無く、互いの時間がズレたまま二人で歩む。
いやぁ…良かった。
後日談とかでその後の二人とかも見てみたくなるぐらい、ラブコメ要素も充実してました。
ただし親父、テメーはだめだ。
以下鑑賞ポイント
・鹿さん可愛いそう、でもグッジョブ
・ヒロインの第一声が舌打ち
・やられたらグーパンでやり返す
・肉じゃが粗末にすんな親父
・行方不明になってたインコ
・一夏の共同戦線
・7時間も待ちぼうけの花城さん
・浴衣 笑顔 花火で手繋ぎ
・あっっという間の三連休
・押し倒されたヒロインの塔野くん
・今度は水族館デート
・漫画家デビューしたけど36話で打ち切り
・大人と高校生のキッス
・ようやく返せた錆びついた傘
【ネタバレ】原作の中核がすっぽり抜け落ちている・・・。
【ネタバレ注意】
私がどうにも解せなかった点
・「愛するしかく」が出てこない。
・トンネルの先に海がない(原作の表紙なのに!!!)。
・川崎が序盤しか出てこず、その後のあんずとの親交がカットされている。
・トンネル内の描写はなぜ原作通り白い鳥居にしなかったのか?
この映画の主人公はだれか?
この映画、男子高校生の塔野カオルと、女子高校生花城あんずの二人の物語なのはわかる。では、どっちが主人公なのかという話。
塔野カオルは、最終的にはあのトンネルでつかみかけたものを置いて出てきちゃうので、最終的にトンネルでは、なにも得ていないのね。
一方、花城あんずも何も得ていないのだけど、彼女は最後に、欲しかったものを手に入れているのよ。
やりがいのある仕事、確固とした社会的地位。そして、支えてくれる男性。
花城あんずは、すべてを手に入れている。
あの物語では、クラスに溶け込めない、(本人の自覚はないにせよ)才能はある少女が、成功と理解ある彼君を手に入れる物語なのよ。
もし、これを男女反転した物語にしたと考えてみよう。
25歳になって、ある程度の社会的評価も得た大人の塔野の前に、17歳の姿の花城があらわれて、あなたが好きだと告白するわけですよ。
では、別の話をしよう。
仕事も財産も失った30歳のエンジニアの男が、紆余曲折の末、社会的地位も財産もとりもどす。その彼の前に、かつて11歳で自分を慕ってくれた少女が21歳の美しい女性としてあらわれて、あなたが好きだと告白するわけですよ。
さて、この30歳の男と、21歳で現れる美しい女性、どっちが主人公だと思います?
ということで、この「夏へのトンネル」は、クラスから浮いている女性が、自らの才能をもって、成功と自信と、そして25歳にして愛してくれる相手を手に入れる物語だとおもうのね。
どうかしら?
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