生きる LIVINGのレビュー・感想・評価
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黒澤明版「生きる」との印象の違い
1950年代のイギリスを舞台に、堅物の公務員ががんで余命宣告をされたことから、自分の人生を見つめ直す。ストーリーはリメイク元の黒澤明「生きる」に比較的忠実に作られており、オープニングやエンディングのクレジット、スタンダードサイズの画角で当時の雰囲気を出している。
話はオリジナルに忠実とはいえ、主人公の印象は少し違う。
志村喬の演じた渡辺勘治は、かつてはあった仕事への積極性を忘れた、くたびれた中年。単調な毎日に対してすべて受け身であることが一見してわかる。自身ががんであることを知ってからは、不器用さを抱えたまま行動を起こすが、うじうじとして俯くことが多く、その瞳には絶えず悲壮感がにじむ。そして、通夜の席で彼の心情が明らかになるまでは、周囲から軽視され続ける。
ビル・ナイの演じたウィリアムズは、いかにもお堅い英国紳士といった風情だ。志村喬と比べると、くたびれ感が少なくてなんだかカッコよく見える。さりげなくフォートナム&メイソンをチョイスしたり、部下にスマートな手紙を残したりする。周囲から堅物だと思われてはいるものの、あからさまに下に見られている様子はあまりない。
音楽の違いも印象的だ。黒澤版は「Happy Birthday to You」と「ゴンドラの唄」が効果的に使われている。それぞれの歌詞が、その場面での渡辺のありようと密接にリンクする。無為に生きてきたことへの後悔や、死の間際においては最後に生ききったことへの満足感までもが歌で表現される。
本作で「ゴンドラの唄」の代わりに使われたのは「ナナカマドの木」。作中では、死に別れた妻との思い出の曲という設定で、美しい旋律のスコットランド民謡だ。人生を振り返るような歌詞が印象的。
主人公の特性と挿入歌の違いで、物語の印象がソフトになったような気がする。
黒澤版は、人間の弱さの描き方がより赤裸々だ。志村喬が体現する日本の中年男性の朴訥さ、いじらしさ、不器用さは同じ日本人だからかとても生々しく感じる。彼が余命を知り、いっそう背中を丸めて苦悩しつつ慣れない放蕩をする姿も、瞳に悲壮感を漂わせて公園作りに奔走する姿も、痛々しいほどの彼の弱さがあってこそはらはらするし、切ない。彼に感情移入するうち、”いのち短し”といった歌の言葉が自分自身に刺さってくる。
一方ウィリアムズは、公園建設のため各部署を回る姿は必死ですがりつくというよりタフネゴシエーターという感じだし、若い部下に気の利いた手紙を残すのも大人の余裕という感じで、渡辺に比べるとうじうじした弱さが見えづらい。
本作はウィリアムズの物語として十分感動できるが、黒澤版は「おまえは『生きて』いるのか?」と映像の向こうからこちらに問われている気持ちになり、心が重くなるほどメッセージに力がある。
これは、イギリスに舞台を移していることも一因かもしれない。国内の話の方がニュアンスがわかる分生々しく感じられるということもあるだろう。海外の人が観るには本作の方が身近に感じやすいぶん、受ける印象も私とは違うのだろうか。
少し気になったのは、マーガレットの役割だ。
黒澤版では、公務員を辞めた小田切とよはぬいぐるみを作る工場に就職している。病を告白し、どうすれば彼女のように生き生きと生きられるのかと問う渡辺にうさぎのぬいぐるみを見せて、「課長さんも何か作ってみたら」と言ったことから公園建設のための奔走へとつながる。
本作ではマーガレットはカフェに再就職しており、ウィリアムズに何かを作ることをインスパイアする発言はしていない。そのため、ウィリアムズが公園建設に熱を上げるようになった経緯がちょっとぼやけたかなという気がする。
余談だが、UFOキャッチャーがこの時代からあることに驚いた。調べたら、クレーンゲームの発祥は1800年代終盤だそうだ。そんなに歴史あるアミューズメントだったとは。
輝
余命宣告を受けて…
憧れた大人(紳士)になれた
仕事もそれなりに。
でも…どこか虚しさ
を感じ
自分は…いつの間にか
人との距離を置いていた
息子夫婦にも相手にされず
誰かと関わりたかった
そんな孤独のなか
イキイキ輝く彼女の姿
彼女と話がしたかった
彼女と居るのが楽しかった
関わって繋がることの
大切さを知って
彼の残りの人生の
…生き方が
変わった
仲間と一緒に働いた
…充実した日々(輝)
帽子とスーツが似合う
…紳士ウィリアムズ
彼は最期に公園のブランコで
何を想ったのか
静かな静かな
彼の最期の人生に心うたれる
【”人生の情熱を死を目前にして取り戻す。”閉塞感溢れる現況下、このリメイク作品が公開された意義は大きい。イギリス紳士を演じたら、矢張りビル・ナイである。リリカルなピアノも今作の趣を高めている。】
ー オリジナルと比較するのは止めようと思いながら、映画館へ。だが、オリジナルに可なり忠実に、カズオ・イシグロ氏は脚本を書いていた。オリジナルへのリスペクトなんだろうな。ー
■ストーリーは巷間に流布しているので割愛するが、印象的なシーンを記す。オリジナルとの比較も含めて。
・胃癌により余命半年を告げられたウィリアムズ(ビル・ナイ)が当てどもなく海岸の町のカフェで劇作家の男と会い、彼と歓楽街を回るシーン。
ー オリジナルと同じだが、彼が歌ったのはスコットランドの民謡”ナナカマドの木”である。朴訥とした、良い歌である。-
・ウィリアムズが市役所に行かずに、同僚だった活き活きとしたマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)と高級な喫茶店で交わす会話。
ー 市役所では、仏頂面の彼がマーガレットの前では朗らかに笑う。綽名のシーンもオリジナルはミイラであったが、今作ではゾンビである。成程。-
・ウィリアムズが自分の病状を息子には上手く伝えられないが、マーガレットには真実を告げるシーン。
ー ”私は息子を愛している。だが、彼には彼の世界があるんだ・・。”-
・そして、オリジナルと同様に彼の葬儀の後に、通勤列車の中でウィリアムズの部下たちが、彼が町の主婦たちから懇願されていた公園を熱心に作る姿を語る言葉。そして、その再現シーン。
ー 大雨が降る中、泥水の中に入り現地現物で公園建設場所を確認するシーンや、部署間の壁を越えて交渉するシーン等は、沁みるなあ。-
<雪降る中、公園のブランコに座り、満足気な顔で”ナナカマドの木”を歌うウィリアムズの姿は、矢張り沁みる。
作中に随所で流れるリリカルなピアノも、今作の趣を高めている作品である。>
ジェントルマンの傘と帽子
とても美しく上品なイギリス映画だった。冷たい雨、雪、でもその後に必ず訪れる美しい春。喧騒のロンドン。ウォーター・ルー駅。男性は帽子に傘。上司の葬儀の帰りの電車のコンパートメントはファースト・クラス。役所でも貴族が力を持っている階級社会。
そういうイギリス社会で、単調な仕事をなるべくさぼり、未決の書類の山を脇に案件たらい回しの役所に勤める役人を私はうまく捉えられなかった。要するにミスター・ウィリアムズはかっこ良すぎて言葉づかいも十分にジェントルマンだった。情けない感じもなく、彼の同僚や部下も十分にジェントルマンだった。
美しいイギリス映画であること、ミス・ハリスが若さと生命力に溢れていること、音楽が効果的であること、それは文句なくとても良かった。ただ黒澤の「生きる」を見ていないにも関わらず、志村喬、ブランコ、ゴンドラの歌の三つが私の頭にこびりついて追い払うことができなかった。大戦勝利国のイギリスと敗戦国の日本、戦後ようやく5年と少しの両国。その背景と「生きる」を切り離して普遍的なこととして見ることが私にはできなかった。
ダイジェスト
オリジナルでは、主人公のうだつの上がらない小役人を志村喬が見事に造形した。彼の「決意」による感動は、あの風貌だから増幅されたのだろう。さて、ビル・ナイである。端正な英国紳士の風貌で、いかなる渡辺勘治を演じてくれるのか、楽しみである。
と、書いてから観終わったが、概ねオリジナルのストーリーからは逸脱はしていなかった。まあ、当たり前だが。で、ヤクザは出てこなかった。渡辺の肝の据え方を描いていた部分だったのだが残念、というか英国ではムリか?。オリジナルは2時間半あったが、こちらは1時間40分ということもあるか。ブランコはあんなにカットを割っていたっけ?オリジナルを見直さねば。
原作との違い。 ・黒澤版ではあれほど露骨だった、たらい回しが今作...
原作との違い。
・黒澤版ではあれほど露骨だった、たらい回しが今作ではソフトに
・あだ名がオシャレに変化
・一緒に遊ぶ後輩、黒沢の方は後輩が初めはっきり拒絶、その後もっとしつこく回りくどく会話がなされるが、今作は互いにスマートな会話運び。流れであっさりカミングアウトした後は涙流して優しく寄り添ってもらっている。ソフトにコーティングされてる。
・黒澤の方は葬式後の酒酌み交わしながら故人を偲ぶ時間がねちねち長かった、今作は息子も葬儀の場で後悔しながら涙、同僚たちも汽車の中で寄り添うようにあっさりと振り返り、やっぱり優しくコーティングされてる。黒澤の方はもっと辛辣な印象
・ゴンドラの歌がスコットランド民謡に変化
お役所批判も黒澤よりだいぶマイルドに薄れ、周囲の眼差しも黒澤版より温かめ。
全体的に上品でカラッとした仕上がりに。
生きる、について1つの答え
東京国際映画祭で1度鑑賞したが
どうしても劇場で再鑑賞したかった為足を運んだ
初見時、敗戦国まもない日本と戦勝国イギリス
舞台が全く違う為それを観に行ったのは本当
しかしテーマは生きるという事なのでほぼ変わらなかった
お役所仕事は世界共通なのか?
とか歯嚙みしていたが
それも「正解」の生き方だろう
*あくまでも映画の話です
たらいまわし縦割り知らんふり
時間はそれに消費されるのが見てとれる
知人が「なぜ公園を?」と言うから
「生きた証」が欲しかったのではないか?よく人は2度死ぬという言葉を思い出した
イギリス版では比較的静かな故人の見送りも
日本だと下種な風景になる
そこに製作者の冷たい視線が見える
どちらも良いので日本版も観てください
お勧めです
*後で編集しなおすと思います
東京国際映画祭クロージングにて
東京国際映画祭クロージングで鑑賞してきました。映画好きだと言ってても黒澤明監督作品デビューしました。噂通りの巨匠作る作品は誰もが誓う価値観で捉えられるようにストーリーが出来てました。生きるとは恋愛、食する、仕事に邁進し達成を遂げる生きている欲求だと思いました。あなたなりの生きる欲求を見つけだせとは黒澤監督に問いかけてられているようで本当に楽しかった出ます。来年春もう一度劇場鑑賞します!また黒澤監督作品に会えるの楽しみです!
黒澤版では冴えない小役人が、本作ではイギリス紳士然としたキャラクター造詣という違いはあるものの、オリジナルにほぼ忠実なリメイク。
ストーリー回しとして新人役人を配し、キーパーソンとなるミスハリスを中心に進行し、舞台がロンドンということで美術もかなり凝っており、色彩豊かなカメラワーク。
官僚主義への批判はトーンダウンしているものの、オリジナルを踏襲した脚本は、イシグロが黒澤作品に敬意を表し尊敬しているものと感じる。
明るいラストも好意的に受け止められた。
2022年11月2日。東京国際映画祭、クロージング作品。
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