劇場公開日 2021年8月14日

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「デビュー作らしく、監督のすべてがある」愛のように感じた 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5デビュー作らしく、監督のすべてがある

2021年8月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 本作はエリザ・ヒットマン監督の長編デビュー作である。デビュー作の例に漏れず、是非は別として、本作品には監督の世界のすべてがある。

 思春期の女の子の異性やセックスに対する姿勢を、飾ることなくさらけ出して見せたのが本作品である。虚栄心や狭量な自尊心など、この年頃の女の子の嫌な部分だけを殊更に強調して描いているので、観客の中には不快に感じる向きもあるかもしれない。
 主人公は14歳の少女ライラである。男に興味はある。キスしてみたいしクンニもされてみたい。場合によってはフェラもしてみたい気がする。友達のキアラは経験済みだ。未経験の自分が少し恥ずかしい。だから虚勢を張る。嘘を吐いて経験済みの振りをする。でも嘘は長くは続かないことはわかっている。だから早く経験をしたい。そこで近づいた「ヤリチン」のサミーだが、パーティで流れるラップは「ファックミー、プッシー」という歌詞の連続である。大麻を吸うサミーはキアラが言う通りクズ男だ。にもかかわらずサミーは自分を拒否する。サミーにだって嘘はわかる。

 要するに、自分はまだ子供だということなのだ。観客のすべてが早く悟るように期待していたことを、ラストシーンになって漸くライラは悟る。少女が傷つかないように心配しながら鑑賞していた観客は、ここに至ってやっとホッとする。少女が大人になるためには少しの冒険が必要なのである。
 ライラの短期間の冒険は、この映画の7年後にヒットマン監督が製作する「Never Rarely Sometimes Always」(邦題「17歳の瞳に映る世界」)でふたりの女の子がニューヨークに行く冒険に繋がっていく。ライラの3年後を描いているようでもある。やはりデビュー作には監督のすべてがあるのだ。

耶馬英彦