ONODA 一万夜を越えてのレビュー・感想・評価
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津田さんの小野田さん再現度、イッセー尾形さんの演技 見応えある。 ...
津田さんの小野田さん再現度、イッセー尾形さんの演技 見応えある。
フィリピン現地目線での日本兵がどうなのか、秘密部隊としての心情などもう少し描かれてると ウィキペディアで後から調べなくてもわかったような気がする。
俳優陣の偉大さよ!!
本作、特に観る予定もなかったのですが、某新聞の社評を見て食指が動いた感じです。
いやー観て良かったなと思える作品でした。フランスの監督と言うことで客観的に南方戦線の事を映像化されており、恐らくですがあれが事実なんでは?と考えさせられる作品でした。(士気の低さや、分隊分けなど)
青年期を演じた遠藤氏は、初めて拝見しましたが狂気じみた(徹底した現実主義)雰囲気など、当時を感じる演じでした。
3時間と少し長いですが、不思議と長いとは感じ無いと思います。(なんとなく“ドライブ・マイ・カー”に似ているかも◡̈♥︎)
秋の夜長にゆっくり異世界に潜りたい方は是非観て下さいー!!
私たちは、自分の司令官であるのだろうか❓‼️
三時間に畏れて敬遠していたのですが、演技力に制圧されて、驚愕のまま結末。
若きおのだ、最後のおのだ、それぞれに凄い演技。
脚本とセリフが凄い、フランス人だから客観的に中立的で真実に近い。
多分、おのだ自身の告白より真実に近い、そう思う、女子供も殺しただろう、戦争なら。
でも、戦後なら、山賊なんで、掴まれば死刑です。
政治的な解決を求める三十年、さすが陸軍中野学校出の男。
謎多き小野田の三十年ですが、こんな映画が意外と参考になります。
今の時代は戦時中と似ています、コロナは医学を知らない医師会に牛耳られてるし、経済を知らない財務省はやりたい放題です。
コロナの行動制限に科学的根拠無し、財政破綻も根拠無し、累進課税して無いし、調べればすぐわかること、小野田少尉を笑えないよ!
余談が過ぎたけど、最高の映画です、是非。
強い思想を持ち生き残る上での功罪と教訓
小野田寛郎というフィリピン・ルバン島に戦後30年近く残り続けた日本兵の話で、俳優アルチュール・アラリ監督の長編デビュー作であるという。もう今やあまり日本では話題に出ることがないし、私のような40歳前後の人では、彼の経歴など知る由もなく。Wikipediaで少々予習をしてから鑑賞。
鑑賞前は戦争映画要素もあるのかとも思ったが、それは小野田が陸軍学校二俣分校で谷口上官(イッセー尾形)から教えを叩き込まれるシーンのみ。それ以外は小野田とその隊にいた兵士たちのサバイバルである。
小野田は、我々が当時の日本兵のイメージとしてよく聞く「玉砕」とは大きくかけ離れた思想を植え付けられており、何が何でも、ヤシの実を食いつないでも生き残れと命令を受けている。投降すら許されず、フィリピンの小島で30年近く生き残ったのだというのだから、ある意味忠実だったのだとも取れた。
その生き残ることに忠実というのは、一人の人間としては自らの命を守るのだから良いのだろうが、この映画ではその生き残ることに対する忠実さは偏った解釈を生み出していた。
最年少の兵士がうっすらと戦争が終わったのでは、と気づき始めているが小野田は全く意に介さない。上空を旅客機が飛べば戦況が激しくなっていると思い込んでしまう。挙句の果てには住民を殺してしまう。
正直、少し柔らかく考えれば「こりゃどう考えても戦争終わってんな」と思うはずが、彼がそう言った考えが芽生えなかったのは上官に対する忠誠心か、それともそれは洗脳なのか。疑うことを知らないが故に彼は強い生命力をもって生き延びることができたのだが、冷静に考えることができれば他の選択肢もたくさんあったのだろうな、と思った。
ラストシーン、ヘリに乗り込む彼に向けられた住民たちの冷たい、憎悪に近い目。あれはこの映画の象徴的なシーンであった。
これは決して小野田寛郎という人物をヒーロー的に描いているわけではなく、彼の生き残っていく過程での功罪を垣間見ることができる。なのでこれは単なる伝記ものではなく、今の我々にも直結するところがあるだろう。植え付けられた思想や考えにより、自分自身を鼓舞し続ける事は、この世知辛い世の中で生きていくには良いかもしれない。しかし、一方で多くの人を巻き込んだり傷つけてしまう可能性も高い。アラリ監督は中立的な立場として、我々にそういった点を投げかけたようにも思えた。
小野田さんの本と違う
これはフィクション映画です。
史実に基づいていません。
小野田さんが書かれた、たった一人の30年戦争、と肝心の内容が違う。
まず、小野田さんはメモを残さない。日付、行動まで全ては頭の中に記録していたはず。中野学校でそのように指導された。敵に捕まったとき、証拠を残さないため。
左足に重症を負ったのは島田伍長だ。小塚さんではない。小塚さんの戦死は、住民にあんな槍みたいなもので殺害されていない。川じゃないし、銃撃で亡くなった。
なんで変えちゃうのか。
女性の殺害シーンもあったが、小野田さんは島の女性住民と子供からメッセージをもらっている。オノダは決して女性と子供には危害を加えなかった。安心して暮らせた、と。
帰国後の苦悩も映画にはない。
マスコミなどにも苦しめられた。
平和ボケした日本人と全く違う自分がそこにいた。本のお金でブラジルに渡り、ジャングルを開拓し牧場経営までされた。
小野田自然塾のことも描いてない。
良かったのは役者さんでした。小野田さんみたいだった。ほかもおおむねイメージに近い。
小野田さんは、この戦争は100年続くと聞いていたから30年生き抜いた。作戦を実行させようとしてた。
ルバング島の雰囲気、役者さんを楽しむフィクション映画ということでした。
これ見て勘違いする人がおられると思うと非常に残念です。
外国人が監督だからわざとでしょうか。
残念です。
小野田寛郎さんと横井庄一さんの区別さえつかない
フランス人監督、3時間、さすがに辛そうなのでスルーかと思っいましたが、太賀が出ていると知り頑張って鑑賞。
フランス映画のように淡々と描かれれている感じもしますが、見応えのあるシーンもあるのでそれほど辛くなかったです。
ただ、3時間はさすがに長い。
映画の内容から年配の人がおおったけど、何人かは途中退出。そりゃ長いからね。
無駄なシーンは無いと思っいるから長くなるのだろうけど、そこを何とか2時間前後に収めて欲しい。
内容ですが、
日本人でもアメリカ人でもフィリピン人でもない、フランス人が映画にすることは意味があると思います。
私は横井庄一さんと小野田寛郎さんの区別さえ出来ていません。(今回をきっかけにWikipediaで読みましたが)
そんな日本人から見ると、苦労したヒーローという1面と、戦争の象徴のような負のイメージの両方があります。
フィリピン人から見れば、亡霊や悪魔に近い存在かと。特に小野田さんは、現地民を30人近く殺傷しているそうなので、同じことが日本であれば、、、と考えると、とてもおぞましい存在。
アメリカ人は、戦勝国だし、なんでも感動的にエンタメにしたがるので。
見る人の立場で大きく違うと思います。
この映画では、どちらかと言うと、武士道、偉人、ヒーローとして描かれているので、日本人としてはありがたいと思いますが、現地の人を殺傷するシーンを見ると、戦争に対する罪悪感が芽生えます。
映画として、その微妙な所バランスが良いと思います。
あと、役者陣が素晴らしい。
何言ってるか聞き取れないところもあるけど、迫力と絶望、孤独、意地などが素晴らしい。
ちなみにルバング島ってマニラ湾の入口なんですね。そこに29年、、、ちょっとびっくり。
すなおに本当に心からお疲れ様でした
この話を驚愕としてしか認識できていませんでしたが、異国からの冷静で情熱のある眼差しによって、改めて、皆さん本当にお疲れ様でしたという気持ちになりました。
小野田さんはもちろんのこと、戦争に遭った全ての人、そしてこの作品を創った方々─特に役者さんらのパフォーマンスは素晴らしかったです。
出だしの部分、なかなか作品の中に入り込むのは難しかったのですが、味のある映像に徐々に引き込まれ─なんか不思議と昭和っていう感じがしたんですよねー、長い長い時間に耐え抜いた分、その涙は、単なる感動とか悲しみというものを超越していました。
中立に忠実に作られた現代の寓話
気を衒わずとても丹精に、そしていろんなリスペクトがなされた映画だと思う。観ている間中、これがフランス人監督によるフランス映画であることはほとんど思い出さない。しかし、このような映画、日本ではなかなか作れないだろうとも思う。要するに、フランス人監督だからなし得た客観的な視点な気がする。
自分が見知っていた小野田寛郎の物語に非常に近い。4人から3人、3人から2人、2人からひとりぼっちへと進み、世界の歴史上の戦後がはじまって、それを気づかせようといくつかの置き土産から類推する「現在」が切ない。半ば笑いそうになるくらい狂気の世界だ。やがてひとりぼっちの時間の孤独の後に現れる鈴木青年。これも書物などで見知っていた戦後生まれの青年の屈託のなさゆえに小野田に接近できてしまうキャラクターを太賀がドンピシャに演じてる。イッセー尾形との再会、服を慌ててシャツに仕舞い込んで現れる辺りは本当にうまい。
日本政府の人間と島民に囲まれてヘリに向かう小野田の顔を見ながら涙が溢れた。津田寛治、減量したんだろうな、すごくいい顔をしていた。
これは日本では実現不可能なONODAの映画だった。
戦争には兵士の数だけの物語りがあり。
新聞社絡みで多国籍合作は、でー嫌いな映画になるテンプレ。しかも3時間あって、日独伊三国同盟(WWⅡ敗戦国)揃い踏みで、聞いたことないプロデューサーとスタッフ陣。と、相当警戒しながらのスタートです。するとですよ。日本陸軍、いきなりジープに乗って登場でズッコケる。軍服も階級章も適当な感じです。手抜きです。と言うか、多分、気にして無いw
劇中でも、陸軍中野学校出身者に、天皇を奉る日本が毛沢東の中国共産党と東亜連邦を組め、なんて言わせる茶番。この辺りは雑を通り越して悪意も感じますが。
全般的にはリアル。美化も誹謗も無し。誰かを貶める描写もなく。日本が占領されても徹底抗戦するとの戦略を持っていた事は事実。秘密戦の工作要員としての使命を全うした小野田少尉。ただ終戦後、29年って言うのは長すぎるし、ほぼ地元一般人30人を殺傷した点(日比間で国際問題化)の要因は、軍指令によると言うよりも、個人の資質に帰する気がしないでもないけれど。
映画を観ながら思ったのは。むしろ。
食べる事も出来ずに餓死した兵士たちだったり。逃げ遅れて戦艦と共に海底へ沈んで行ったり。熱病に倒れ衰弱死したり。
靖國に眠る英霊の方だったりしたもんだ、と来た。
遠藤雄弥と津田寛治の演技は印象的でした。3時間の凡作とまでは言わないけれど、見慣れてる感はアリアリで感動には至らず、でした。
恥ずかしながら楽しめました。
小野田さんが帰ってきたのは俺が小学生の頃。
当時、横井さん、小野田さんと続いていたので、他にもいると思ってた。
それにしても、なんでフランスの若手監督が。フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・日本合作ってのも凄いよね。
スタートは終戦1年前。空軍を辞めた彼が軍の秘密学校にスカウトされた所から始まります。そこで学んだ事が、それからの彼の生き方の指針になる。卒業後、フィリピンに派遣され、間もなく師団壊滅。残った7人で、島を守る事になる。そりゃ色々あるよね。徐々に人数が減って30年後には1人に。
しかし、現地の人達には迷惑だったよね。何十年も強盗団が近所に潜伏してるんだもんね。武器持ってやっつけようとするわな。
MINAMATAに続いて日本の事を外国の監督が撮ると、俳優たちがランクアップ。いつもはバイプレイヤーな皆んながめっちゃ輝いてた。字幕がなくてフィリピン語が分からなかったのも良かった。
日本の監督と比べて、カメラワークや照明が素晴らしい。絶対邦画じゃないってすぐ分かると思うよ。3時間弱の長尺だけど、ずっと緊張とウルウルで大満足でした。
役者に魅了される
小野田寛郎氏を演じた2人の日本人俳優の演技、特にその目力に引き込まれたが、さすがにあっという間の3時間、とはちょっと言いづらいか?
やはり、長いことは長いです。
ただ、なぜ小野田寛郎がフィリピンに残り続けたのか、多少狂信的かもしれないが、戦争当時の日本兵の国に対する気持ち、思いというものがよく描かれていた。
フランス人ながらの視点かもしれないが、日本の戦争を描く映画として、かなりの良作であることは間違いない。
戦争の無意味さを明らかにした
「ONODA 一万夜を越えて」という邦題がおかしい。「越えて」という部分だ。何を越えてきたというのか。何も越えていないではないか。いい加減な言葉の使い方は日本の政治家だけにしてほしい。原題の直訳で「ONODA、ジャングルでの一万夜」でよかったと思う。
小野田寛郎さんは陸軍中野学校出身である。出身者は、派遣先で住民を掌握し、武力によって従わせたり、場合によっては徴兵して戦わせる。そうやって本土攻撃を少しでも遅らせるのだ。三上智恵監督の映画「沖縄スパイ戦史」によると、中野学校出身の将校が沖縄で「護郷隊」と呼ばれる少年兵を組織したそうだ。結果として多くの少年兵が戦死したり、上官命令で仲間から撃たれたりして、生き残った者はトラウマを抱え続けることになった。
つまり陸軍中野学校は、徒らに住民を巻き込んで戦争を長引かせようとする将校を生み出しただけだったのだ。彼らは天皇陛下だとか皇軍だとかいう権威を信じ、日本は負けない、最後の一兵卒になっても戦うのだと信じていた。
小野田さんも、学校で学んだ人心掌握術を発揮して兵隊や住民を巻き込み、最後まで戦線を守り抜くと勢い込んでルバング島に来た。しかし兵隊の誰も言うことを聞かず、結局残ったのは自分を含めて4人だけだった。
そこから小野田少尉の狂気にも似た残留作戦が始まる。食料調達のために住民を襲い、家畜を殺す。ルバング島の住民にとっては小野田さんたちは山賊である。畑の作物を食い荒らすイノシシみたいな存在だ。猟友会によって駆除される運命にあった。たまたま駆除されないで29年もの間、生き延びたというだけの話である。
本作品はフランス映画である。哲学の国の映画だから、世界を客観的に描く。ジャングルでの29年は、それは苦しい年月だったと想像される。しかし同情はしない。むしろ、まったく無意味な年月であったと切って捨てる。小野田さんを演じた津田寛治の虚ろな目の色がそれを物語っている。
天皇陛下万歳のパラダイムから一歩も出ることができなかった小野田さんの精神性は、陸軍中野学校が生み出した罪なのだろう。小野田さんと同じように戦争を全肯定する人々が世界中で不気味に増加しつつある。その危機感がこの映画を製作した動機かもしれない。戦争がどれほど無意味で、無駄な死と、薄れることのない憎悪を生み出すだけかを明らかにした作品である。
悲しくておかしくてシュールで
長いが、さまざまな種類のストーリーが次々に展開されているようで、全く飽きなかった。面白かった。
戦争の極限状況の悲惨さからはじまり、終戦後からはフランス映画らしいシュールな空気に、日本人による投降を呼びかけられたパートではコメディのテンション、小塚が死んで一人になってからは、小野田の内面を丁寧に描きしんみりさせる。
史実と違うところや創作した部分も多いような気もするが、史実を元にして、極限状況における人間の狂気と本質を表現したかったのではないか。
連想したのは、「南極物語」。あの映画も、最後にタロとジロが生き残るという史実だけが確定しており、そこに至るまでの過程はほとんど想像だが、タロとジロ以外の犬たちのそれぞれの死に様が描かれる。
この映画も、小野田だけでなく、さまざまな兵士の死に様を通して、戦争という理不尽に放り込まれた人間たちのさまざまな表情を描いている。使命に殉じようとする者、壊れていく者、正気を保とうとする者、戦う意味を求める者、無意味さに苦悩する者、あっけなく死ぬ者…。
印象に残るのが、二俣分校での教育。「自分自身が自分自身の司令官となれ」「目的と本質を失わず柔軟であれ」「栄誉なき栄誉」などなどの考え方は十分現代の教育にも通じる。時代が違えば谷口は良い教育者になれたのだろう。
また、「玉砕(自決)を許さない」というのは、単に陸軍に対する責任ゆえに、ということだけでなく、決して死ぬな、という深い愛情のこもった言葉のようにも思う。
小野田さんという存在は、さまざまなことを想起させる。戦中と戦後で価値観が一気に変わったこと、敗戦国である日本が一気に豊かになり、経済大国と言われるまでに復興をとげたこと、人権や人命が尊重される世の中に変わったこと、など。
小野田少尉を演じた遠藤雄弥と津田寛治がとにかく圧巻!!
小野田少尉を二人の俳優が演じたのですが、これが大変素晴らしいものでした。青年期を演じた遠藤雄弥さんは映画の中ではどこか若い頃の三上博史に眼光が似ており、成年期から壮年期を演じた津田寛治さんは映画の中では20年くらい前の奥田瑛二さんに見え、それでいて本物の小野田少尉にも見えました。また遠藤雄弥さんから津田寛治さん移るのは非常に自然で何も違和感はありませんでした。僕はこの二人の俳優と、この難しい題材(特に日本では)を映画化したフランス人監督アルチュール・アラリ氏に拍手を送りたいです。
僕は幼少期にTVで小野田少尉がルパング島から帰還した際の報道は繰り返し見ており、さらに2年前、たまたま興味を持って彼の著書と関連本を数冊読んでいたので、かなり毀誉褒貶相半ばする人物であると認識していました。おそらく帰国後に美談に仕立てられた部分もかなりあると思いますので、彼を主人公にした映画を本当に作製して良いのか?とか、どのように作っても、右側と左側から攻撃されるだろう、と日本人プロデューサーなら考えてしまい、おそらく企画しても制作に移せないと思います。それゆえにフランス人監督だからこそ作り得たのかもしれません。これをカンヌ映画祭で観た欧米の人々はどのように感じたのかも非常に興味が湧きます。
娯楽映画では全然ありません。ただ3時間という長編映画ですが、それほど長くは感じなかったのは、途中で退屈するような場面はなかったからでしょう。セリフが聞き取りづらいのは残念な点で、特に前半は字幕を入れてほしいくらいでした。
お勧めかと聞かれると・・・小野田少尉のことを知らない若い人の方が興味が湧いて映画として楽しめると思います。一方で、彼に関する報道や著作を色々と読んでいる人や、帰国後の小野田さんの政治活動などを知る人は、ちょっと素直には小野田寛郎という人物を受け入れることは難しいと思いますので、素直には映画を楽しめるものではないかもしれません。
とはいえ彼は23歳でフィリピンで玉砕せず敗戦を迎え、しかし自決も復員もせず52歳まで密林で最後まで諦めずに耐え抜き、それから帰国して、結婚して91歳まで長生きをしたという生き様は、仕事に疲れた40-50代の現代社会の男性にとっては、ある意味励みになるかもしれません。
忠誠心のあり方
この作品で私が思う最大のポイント、それは小野田さん自身は、自分が下した判断をどう評価しているのか、ということです。
もし、さしたる教育も受けずに司令官としての判断どころか、ただあの場所に送り込まれて上官の指令に従うしかない立場の人であったら、巡り合わせの不運を嘆き、時間的かつ精神的なロスをどう快復させるのか、という構図の中で比較的分かりやすく感情を推し量ることかできると思います(今を生きる私たちに小野田さんの実体験を肌感覚で理解することは不可能だとしても)。
小野田さんは只者ではありません。選ばれたエリートとしての特殊な訓練を受けています。戦争参加国の事情についても無知ではありません。
ラジオから得られる情報は限りがあるとしても、国際情勢を分析して、島に残ること、生き延びることを選んだのは司令官としての自分です。
最初に訪れた赤津や父親の説得に応じなかったのも、それなりの分析と判断の結果です。
自分の頭で考えることのできる人が、部下の運命をも左右する決断をするということには、責任という重さが加わりますが、それを遂行し切れる背景には、〝忠誠心〟という概念が存在していました。
この忠誠心というのは、とても曖昧です。
2019年のラグビーW杯におけるワンチーム。
このチームの選手は全員がチームへの忠誠心を身体を張ったタックルで示し、それは我々にも分かりやすく伝わってきました。
ところが国家への忠誠心は、忠誠する主体がコロコロ変わり、忠誠を命じられた小野田のような人たちを平気で裏切ります。この映画では、その変節ぶりをイッセー尾形演ずる谷口に象徴させていました。
日本に戻った小野田が忠誠心を根拠として下した自身の判断について、どのように整理したのか。
その点がとても気になりましたが、そこまでは映画では追いかけていません。帰国後の小野田さん個人の心の内まで踏み込まなかったのは、製作者の方たちの小野田さんへのリスペクトの結果なのだと解釈しています。
浅学ではありますが、国家への忠誠が平和と富と安定を長期に亘ってもたらした例は、古代ローマと中世のヴェネチア共和国くらいしか思いつきません。
このチーム、この団体、この政体を守り維持・強化したいと、そこに所属する人間が自発的に思えることはどれだけ稀有で素晴らしいことなのか、あらためて感じることになりました。
規模としては小さいですが、宮崎駿監督の描く〝風の谷〟やエボシ御前の治める〝タタラ場〟などは、そこの構成員がごく自然にこの共同体を守ろうという忠誠心に溢れている好事例だと思います。
「忘れない。」がすべてを物語る
なぜ、小野田さんは帰国後すぐにブラジルのジャングルに移住したのか。
それは、この30年の体験があったからだろうと、勝手に理解し疑問が解けた気分になった。
戦時中の一般国民はおろか兵隊、戦地の部隊のお偉いさんすら誰一人して知られなかった存在「中野学校卒業生」である異様な立場故のその半生。
日本人スタッフだけでは絶対描き出せなかった表現を通し、小野田さんを傍観することで、新たな角度で狂っていた昭和時代を疑似体験できることは、貴重だった。
【”あの人は何があっても生きろ!必ず迎えに行く”と言った・・。哀しすぎる”軍事洗脳”に依り、戦後30年以上ルバング島で戦った男達の壮絶な物語。】
ー 陸軍中野学校二股分校で秘密戦を谷口少佐(イッセー尾形:今作での演技は、流石の一言である。)から学んだ、小野田寛郎は、第二次終戦間近に、フィリピンに派遣される。
そして、中野学校で叩き込まれた上官からの教えを忠実に遂行した故に、日本の敗戦を信じず、戦後30年以上、部下を次々に失いながら、孤独な”真の敵なき”戦いを続けるのである。ー
◆感想
・まず思ったのは、若き小野田を演じた遠藤雄弥と、年老いてからの小野田を演じた津田寛治の”ホントに軍人ではないか・・”と思ってしまった程の、物凄い目力と演技である。
特に、津田寛治の演技は凄かった・・。
・彼らが、終戦を迎えて、盗んだラジオでニュースを聞き、新聞で東京オリンピック開催も知りながら、ジャングルから出て来なかった理由。
ー 軍人は、上官の命令を陸軍中野学校の様な特殊な教育を受けた者は、絶対だと盲目的に思ってしまうのかなあ・・。入手した”事実の情報”を全て、自分達の都合に合わせて、解釈する姿。完全な”軍事洗脳”だろう・・。
そもそも、戦争自体が、壮大な”軍事洗脳”なのである。ー
<小野田さんという方が、戦後30年以上たった後、上官の命により母国の国の土を踏んだ事実は知っていたが、今作にて詳細を初めて知った。(多少、脚色はあるであろうが・・)
そして、この作品の監督が、フランス人のアルチュール・アラリ氏である事も、本作を見応えある作品にした要因だと思う。
日本人監督では、小野田さんたちの姿を、あのように描けないのではないか・・。
人間の愚直さ、肉を食べたいがために島民を殺したり、性欲を発露させた本性により引き起こされた悲劇などは・・。
驚き、且つ彼らは何故に戦争終結を認める事が出来なかったのかを深く考えさせらる作品であった。>
フィクションとしては面白いが…
父親にまで戦争は終わったと呼びかけられても投降しなかったのは意固地な性格ゆえ、とも言われる残留兵士映画。
フィクションとしての完成度は高いが、30年に渡る現地での略奪、殺人描写は少なく、本人存命中制作されたTVドラマでは投降しようとした部下を殺害しようとして部隊に留まらせるシーンもあった。
本作では渋々投降を見逃すシーンもあるが、実際には銃撃戦負傷により米軍に収容され、それにより3名の残留日本兵がいると分かった。
投降時、実際にはフィリピン軍の護衛があり、それが無ければ殺害される危険もあった程、多くの現地住民殺害の恨みを買っていて、一人になっても投降出来なかったのはその為とも言われているし、帰国時、日本政府はフィリピン政府に多額の迷惑料的な支払いもあった訳で、そういう部分も含め帰国後の生活なども描いて欲しかったのが本音。
最後に役者について書くが、本作出演者は全員リアリティが物凄く、中でも津田寛治は小野田そのもの!
小野田若年期を演じた俳優も最初こそ全然違って見えたが、段々と小野田にしか見えなくなって来た!
その他、インディーズ映画やピンク映画などで映像演技経験を積んで来た俳優もおり、こうした大物起用ではなくとも見応えある作品は十分可能であることを改めて認識した作品でした!
変わらない美しさは尊し
人の世は移ろうもの。
また、人の心も移ろうもの。
だからこそ、愚直に変わらない真っ直ぐな心を持ち続けたひとりの日本兵の崇高さに感動したんだと思います。
映画の件にもありましたが、
最後の日本兵、小野田さん、本当に、本当に、お疲れ様でした。
追記
小野田さんは本当は日本へ戻りたくてしょうがなかったんじゃないだろうか?
谷口さんを呼びに行かせたのも自分が沢山の部下を死なせてしまったのに自分一人だけが生きて帰還することに負い目があったからじゃないかと思う。
ルバング島で仲間と共にこの身を沈めたいと思う気持ちもあり、どこか心の踏ん切りをつけたかったんじゃ・・・
あのヘリから地上を見つめる涙目は日本兵として生き残る罪悪感の証のような気がします。
全90件中、61~80件目を表示